【1】胃の中の君彦【完結】

羊夜千尋

文字の大きさ
32 / 37
再生

第三十二話 再生6

しおりを挟む
 お互いに呼吸も落ち着きはじめた。佐野が神楽小路の横に座ってからも、ただ黙って、だが手を離すことはなかった。どちらとも、どう話を切り出すか、タイミングを伺って、膠着状態であった。そんな中、ドアがノックされた。神楽小路は軽く咳払いしてから、「どうぞ」と返すと、入ってきた芝田は二人とも泣きつかれていることにすぐに気づいた。
「……お二人とも、大丈夫でございますか?」
「大丈夫だ。話していて少し熱くなってしまっただけだ。芝田浩二、すまないがタオルやティッシュ、あと、紅茶のおかわりを頼む」
「かしこまりました」
 そうして持ってきてもらった濡れタオルを目に当てる。タオルの冷たさが熱くなった瞼をゆっくり冷やしていく。
「二人して濡れタオル目に乗せてるの、絶対シュールな画だよね」
 まだ鼻声ながらも笑いながら佐野が言った。
「ここに桂咲がいなかったことが救いだ」
「咲ちゃんなら撮るだろうな」
「それを見て、駿河総一郎は黙って、どこか楽しそうにしている」
「そうそう」
 佐野はそう言って、濡れタオルを外し、紅茶をすすった。
「佐野真綾」
「ん?」
「俺は……この数週間ほど文が書けなくなっていた」
「えっ」
「書けないなんてこと、生きてきて初めてだった。書いても書いても物語が進まない。なんの進展も起きない。潰されそうになっていた。ずっと書き続けてきたのだから、打開策は自分の中に持っているはずだと思っていた。だが、解決しなかった。沼に足を取られるばかりだった」
 そこまで言うと、神楽小路もタオルを外した。少し泣き腫れてることもあり、普段より目から弱弱しさが漂う。
「そんな中、みな、小説を完成させ、授業で提出していく姿を見て焦った。俺は何をしているんだと。思えば思うほど、完成どころか、執筆する手が止まる。――佐野真綾、お前が以前、俺の前で泣きながら『悔しい』といったあの日のことを思い出していた」
「あの時のことを……?」
「きっと俺もこのもどかしさと悔しさを認めれば、少しは前に進めたかもしれん。しかし、出来なかった。どれだけ、佐野真綾たちを信用していても、言うことが怖かった。弱さを見せて嫌われるという恐怖と、反対に俺がお前たちのことを嫌いになるかもしれないと思った。嫉妬で狂う、醜さが生まれそうで。だから、一人で悩みを噛みしめ、一人で闇から抜けようとした。それが、それだけが俺が知っている道だと思ったからだ」
「そうだったんだね」
 もう一度、佐野は神楽小路の手を握った。
「神楽小路くん、ちゃんと言ってくれてありがとう。気づいてあげれなくてごめん」
「お前は何も悪くない。言えなかった俺が悪い」
「わたしは、わたしたちはいつでも一緒に寄り添うから」
「ありがとう、佐野真綾」
 そう言って神楽小路はその手を握り返した。佐野の温かな手は彼女のやさしさそのものだと思った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

ヤクザに医官はおりません

ユーリ(佐伯瑠璃)
ライト文芸
彼は私の知らない組織の人間でした 会社の飲み会の隣の席のグループが怪しい。 シャバだの、残弾なしだの、会話が物騒すぎる。刈り上げ、角刈り、丸刈り、眉毛シャキーン。 無駄にムキムキした体に、堅い言葉遣い。 反社会組織の集まりか! ヤ◯ザに見初められたら逃げられない? 勘違いから始まる異文化交流のお話です。 ※もちろんフィクションです。 小説家になろう、カクヨムに投稿しています。

病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜

来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。 望んでいたわけじゃない。 けれど、逃げられなかった。 生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。 親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。 無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。 それでも――彼だけは違った。 優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。 形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。 これは束縛? それとも、本当の愛? 穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

『冷徹社長の秘書をしていたら、いつの間にか専属の妻に選ばれました』

鍛高譚
恋愛
秘書課に異動してきた相沢結衣は、 仕事一筋で冷徹と噂される社長・西園寺蓮の専属秘書を務めることになる。 厳しい指示、膨大な業務、容赦のない会議―― 最初はただ必死に食らいつくだけの日々だった。 だが、誰よりも真剣に仕事と向き合う蓮の姿に触れるうち、 結衣は秘書としての誇りを胸に、確かな成長を遂げていく。 そして、蓮もまた陰で彼女を支える姿勢と誠実な仕事ぶりに心を動かされ、 次第に結衣は“ただの秘書”ではなく、唯一無二の存在になっていく。 同期の嫉妬による妨害、ライバル会社の不正、社内の疑惑。 数々の試練が二人を襲うが―― 蓮は揺るがない意志で結衣を守り抜き、 結衣もまた社長としてではなく、一人の男性として蓮を信じ続けた。 そしてある夜、蓮がようやく口にした言葉は、 秘書と社長の関係を静かに越えていく。 「これからの人生も、そばで支えてほしい。」 それは、彼が初めて見せた弱さであり、 結衣だけに向けた真剣な想いだった。 秘書として。 一人の女性として。 結衣は蓮の差し伸べた未来を、涙と共に受け取る――。 仕事も恋も全力で駆け抜ける、 “冷徹社長×秘書”のじれ甘オフィスラブストーリー、ここに完結。

🥕おしどり夫婦として12年間の結婚生活を過ごしてきたが一波乱あり、妻は夫を誰かに譲りたくなるのだった。

設楽理沙
ライト文芸
 ☘ 累計ポイント/ 190万pt 超えました。ありがとうございます。 ―― 備忘録 ――    第8回ライト文芸大賞では大賞2位ではじまり2位で終了。  最高 57,392 pt      〃     24h/pt-1位ではじまり2位で終了。  最高 89,034 pt                    ◇ ◇ ◇ ◇ 紳士的でいつだって私や私の両親にやさしくしてくれる 素敵な旦那さま・・だと思ってきたのに。 隠された夫の一面を知った日から、眞奈の苦悩が 始まる。 苦しくて、悲しくてもののすごく惨めで・・ 消えてしまいたいと思う眞奈は小さな子供のように 大きな声で泣いた。 泣きながらも、よろけながらも、気がつけば 大地をしっかりと踏みしめていた。 そう、立ち止まってなんていられない。 ☆-★-☆-★+☆-★-☆-★+☆-★-☆-★ 2025.4.19☑~

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

処理中です...