【1】胃の中の君彦【完結】

羊夜千尋

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第三十三話 再生7

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「ちょっと楽になったかな?」
「少しはな。だが、やはり小説がまだ書けていないことが頭にひっかかっている」
 今、一人になったところでまた迷い道に出そうだった。
「そうだ。気分転換に料理してみようよ」
「料理? 俺がか?」
「うん! もちろんわたしも一緒にやるから。作り方がわかりやすいのは……なんといってもカレーだね。カレー作ろう!」
 佐野はテーブルに置いていたスマホを手に持つと、
「この近くにスーパーあるかな?」
「食材なら家にあるものを使えばいい」
「せっかくだから、ちゃんと食材の買い出しからやってみよう」

 神楽小路は芝田に話を通し、厨房を借りたいこと、白飯だけ炊いておいてほしいと伝えた。芝田は最初こそたいそう驚いたが、快く受け入れた。そうして、佐野と共に家を出発した。
 近所とはいえ、外出時はもっぱら車を利用しているため、歩いて街を歩くのは久しぶりであった。十月もいつの間にか中旬を過ぎていて、少し日差しは和らいで気持ちよさも感じた。隣の佐野は神楽小路よりも土地勘がないのに、スマホで地図アプリを駆使しながら案内してくれ、十分ほど歩くとスーパーに着いた。
「こんなところにあったのだな」
「来たことないの?」
「初めてだ」
 食材も、家の備品もすべてメイドたちが買って来たり、業者がやってきて補充していた。神楽小路が一人で外出しても、行くのは書店か馴染みの喫茶店くらいで、コンビニさえもそんなに入らない。佐野は入り口でカゴとカートを持つと、「さぁ、行くよ」とどんどん進んでいく。
 神楽小路といえば、異国に突然やってきたかのようにキョロキョロと周りを見渡す。土曜の昼ということがあり、親子連れでの来店も多く、大学とはまた違う人の多さに驚き、あらゆる場所から聞こえるポップな音楽と今日のおすすめを知らせる店内アナウンスに驚く。
「スーパーは基本入り口が野菜売り場だからね。にんじんとたまねぎとじゃがいも買おう」
「ほお……」
 売り場を巡りながら佐野は神楽小路に売り場を教えていく。
「自分がいつも口にしているのもがこうして売られているのだな。本や映画で見ただけではわからないものだ」
 と感心しながら歩いていく。

 買い物を済ませて帰宅すると、さっそく調理に取りかかることとなった。髪を束ね、芝田より「お使いください」と渡された生成りのエプロンをつける。
「神楽小路くん似合ってるよ」
「そうか?」
「うん! あとで写真撮らせてね」

 最初の工程、ピーラーで皮を剥いて、食べやすいサイズに切る。調理実習に参加したことがなく、包丁さえ持ったことがない神楽小路にはここが最初にして最難関だった。
「こういう感じでいいのか」
 恐る恐るじゃがいもを一口大に切る。
「そうそう、ゆっくりでいいからね」
 佐野は一つずつ丁寧に教え、励ました。

 その様子を、芝田をはじめ、話を聞きつけたメイドや運転手などがドアの隙間から覗いていた。
「絶対に料理をしない血筋の神楽小路家のお方が……」
「これは歴史的事件ですね」
「あの女性はいったい何者なのです」
 と、ひそひそと話している。

 具材を炒め、水を入れて灰汁を掬いながら沸騰させる。
「沸騰してきたから、ここから弱火で十分煮ていくよ」
 ふたを閉めて、スマホのタイマーを使い、そのまま鍋を二人で見つめる。煮える音を聞きながら、神楽小路は考えていた。
(佐野真綾はいろんなことに関心を持ち、俺が登校せず家にいた間、学生生活でも様々な経験したのだろうな。一緒にいるだけで興味深いやつだ)

「神楽小路くん、疲れちゃった?」
「いや、大丈夫だ。佐野真綾、お前は手際よく、なんでもできるんだなと思ってだな」
「料理は小学校の頃からずっと作ってるから」
「課題の時にも書いていたな。初めて作った料理はインスタントラーメンだったか」
「覚えててくれたんだね。ちょっと照れちゃうな。お母さんが早く仕事に復帰したかったらしくて。インスタントラーメンから少しずつ教えてもらったの。かといって、そんなプロ級のことはできないよ。あくまで最低限。簡単に作れて、おいしく食べれて、みんなが喜んでくれれば」
 そう言って笑った。
「お前はいつも自分以外の人の幸せを願ってるんだな」
「そう?」
「お前は小さな幸せを見つけることもうまいが、どうやったら人に幸せに出来るかを考えてる」
「そんな大それた」
「少なくとも俺はそんなお前を尊敬する」
 神楽小路はぎこちなく笑った。佐野もつられて笑顔になる。
「……ありがとう」

 タイマーが鳴った。一度火を止め、カレールゥを割り入れる。
「ルゥも入れたし、最後に十分間焦がさないように混ぜていこう!」
 炊いておいてもらった白飯を皿によそい、ルゥをかけた。いつも見るカレーライスがそこにあった。
「これで完成だよ」
 神楽小路の心は達成感に溢れていた。
「料理も小説も同じなのだな。ネタを集め、執筆し、一つの作品として完成させる」
「そうだね。どんなものにも過程があって出来上がるんだよ」
「頭でわかっていても、やってみないとわからないものだな」
「楽しかった?」
「ああ。だが、これを毎日こなすのは骨が折れるな」
「慣れれば出来るようになるよ」
「食堂に向かうか」
「うん。あと、そのぉ、そこの隙間から覗いてらっしゃるみなさん、お腹空いてませんか? まだルゥもご飯もあります」
 突然声をかけられたメイドたちは慌てふためく。代表で執事長である芝田が出てきた。
「佐野様、我々にもお声をかけていただき、代表してお礼申し上げます。ですが、我々は」
「いいんじゃないのか、今日くらいは」
「君彦様?」
「客人を厨房に入れて料理をさせてしまった。みなで証拠隠滅しようではないか」
 今いるメイドや神楽小路家に関わる人々を食堂に呼び集めて、カレーを食べた。みな、最初は緊張した空気が立ちこめていたが、カレーを一口頬張ると、「おいしい」「懐かしさがある」と感想があちらこちらから上がり、自分の家のカレーについて花を咲かせた。
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