冷酷総長は、彼女を手中に収めて溺愛の檻から逃さない

彩空百々花

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 ここはどこだろう……。
 わたし、確か麗仁くんを伊吹くんから守って、それから……。
 ああ、だめだ。意識が朦朧としてる。
 これ以上何も考えられない。
 なんだかもう、疲れたな……。
 息をする気力もないかも。
 麗仁くん、ごめんなさい。
 ずっと側にいたいって言ったのはわたしなのに、わたしから君の元を離れていくなんてね。
 皮肉な話だよ、ほんと。
 わたしをたくさん罵っていいから、……だからどうか、悲しみの中で殻に閉じこもらないでほしい。
 そこで、眩い光に包まれた。
 真っ白な光に、目がチカチカしてしまう。
 とうとう終わりを迎えるのかもしれない。
 それならそれで、結構良いかもしれない。

 ─────
 ────

「……てください」
「起きて……夏さん、」
「七瀬彩夏さんが目を覚まされました!!」

 うーん、なに?うるさいなぁ……。
 視界がどんどん開けていく。
 わたしの顔を覗き込んでいる人は、……誰?

「んん……、明るい」

 寝ぼけ眼で体を起こそうとするけれど、なぜか力が入らない。

「すみれさん……っ良かったですねぇ。彩夏さん、無事に目を覚まされましたよ」

 ……すみ、れ……?
 その名前は、その名前って……。

「お母、さん……?」

 わたしの掠れ声は、しっかりとその人に届いたらしく。

「彩夏っ……!よかった、本当に、良かったぁ~~」

 目をまん丸くして、ビックリしてしまう。
 わたしに抱きついて泣きじゃくるその人は、本当にわたしのお母さんなの……っ?
 茶髪から香る爽やかなローズの香りから、すぐに悟った。
 ───お母さんが、わたしに会いに来てくれた。
 それがどれだけ凄いことか、知ってる?

「……っおかあ、さん」
「あやかっ、ごめんね、今まで会いに行けなくて……っ。ずっと1人にさせて、本当にごめんなさい」

 お母さんの悲痛な叫びから、娘のわたしに対して真摯に向き合ってくれているんだと分かる。

「……来てくれてありがとう」

 本当は、言ってやりたいことが沢山あった。
 幼い頃のわたしに酷い言葉ばかりぶつけていたお母さんを嫌いになりたかった。
 ……だけど、やっぱり実の母を嫌いになることは出来なかった。
 小さい頃、わたしが愛を欲する相手はお母さんで、その願いは叶わなかったけど、今わたしを心配して病院に駆けつけてくれたという事実がある。
 だけど今さら謝るくらいなら、どうして今まで会いに来てくれなかったのって当たりたくもなった。
 ──それでも。それを必死に抑えて、わたしは感謝の言葉を口にした。
 わたしにとってお母さんはいつまでもたった1人のお母さんなままで、海よりも深いと言われる愛情を求めたくなる相手。

「っ、今まで母親らしいこと、1つもできなくてごめんね……」
「……」

 どうして……、そんな風に謝るの。

「……母親らしいって何?そんな定義、わたしは知らない」
「……あやか?」
「お母さんは毎日、わたしとお父さんのために働いてくれてたじゃん……っ!わたしの高い学費と、お父さんの入院費用を稼いでくれたじゃん……っ!!」

 “それのどこに、謝る必要があるのよ……っ”。

 最後までは言えなかった。
 その前に、大量の涙が一気に押し寄せてきて、わたしは嗚咽を漏らした。
 うわーんうわーんと子どものように泣きじゃくりながら、わたしはとめどなく溢れる涙を流し続けた。
 ……お母さんの、腕の中で。

「彩夏に渡さなきゃいけないものがあるの」
「…ん?なにそれ」

 お互いの涙がやっとのことで引いて、しばらく経った後。
 お母さんが神妙な顔つきでそんな話を切り出してくるから、ビックリする。

「これなんだけど……」

 差し出されたのは、1枚の封筒。
 材質は凄く高いものを使っているというのが手触りで伝わり、すぐに誰からのものかを察した。
 蘭の花が縦に連なり、その周りを細々とした氷の霜が覆っている。
 この模様は、……麗仁くんだ。

「どうして、お母さんがこれを……?」

 霜蘭花との繋がりを知られてしまった。
 きっと物凄く怒られる。
 そう、思っていたのに……。

「麗仁くんって言うのね。あなたの彼氏」
「……ぇ、?」
「とても素敵なお方だったわ。物腰柔らかで、礼儀正しくて……。ウワサとは全くかけ離れた人だったもの。本当にビックリ」

 お母さんの口から、麗仁くんを称賛する言葉ばかりが出ているのが不思議で仕方なかった。

「…怒らないの?」
「え、どうして?」
「だって、麗仁くんはこの街の皇帝で、……」

 わたしがそう言っても尚、首を傾げたままだったお母さんが今度はハッと何かに思い至ったような顔をした。

「……彩夏は、覚えていないのよね」
「え?」

 話の脈絡が全く掴めそうにないよ、……。

「あなたは昔、麗仁くんの“許嫁”だったの」

 麗仁くんの許嫁だった。
 麗仁くんの、許嫁だった……?
 お母さんが放った言葉を、心の中で何度も反芻する。
 どういうこと……?
 お母さんは確かにああ言った。
 だけど、その言葉を理解するのはあまりにも難しくて……。

「なに、言ってるの。お母さん」

 そんな訳ない。
 麗仁くんとわたしに、昔はないはず。
 だって麗仁くん、そんな素振りなんて1つも見せてなかったもん。

「ずっと昔のことだもの。彩夏は忘れていて当然」
「そういうもの、なの……?」

 きっと、麗仁くんのようなお方を忘れるなんて、至難の業だと思うんだけど……。
 どうしても納得いかないよ。

「…そういうものよ。記憶っていうのはね、いつか必ず薄れて消えていくものなの」

 大人のお母さんが言うのだから、そうなのかもしれない。
 記憶は、消えゆくもの。
 それって、なんていうか……虚しいな。
 麗仁くんとの過去があるのに、わたしはそれを全部忘れちゃってるってことでしょ?
 大好きな人との思い出を、簡単に忘れてしまったんだ。
 だけど、ふとあることが脳裏をよぎる。
 ───わたしたちみたいな庶民の家が、どうして高貴な身分である飛鳥馬家に婚約を申し入れることができたの?
 その疑問を気づけば口にしていたわたし。
 そんなわたしを、お母さんは少し困ったような苦い表情をして、こう言った。

「……彩夏が小さい時にね、お父さんの病気の症状が急激に酷くなったことがあるの。その時の私はまだ生計を立てられるほど稼げていなくて、やみくもにお金を手に入れようとした結果が麗仁くんと彩夏の婚約よ」

 まだ何か納得できないような顔ね。
 そう言って、お母さんは続きを話してくれた。
 夜の世界で働いていたお母さんは、飛鳥馬家とどうにか繋がろうとしたらそれは出来る。
 無理なのを承知で飛鳥馬家に婚約を申し入れたから、了承の返事が来た時は本当に驚いたという。
 なぜ飛鳥馬家は七瀬家の婚約を受け入れたのか。
 そう質問したけど、お母さんは言葉を濁すだけで、何か明確な返事を返してくれることはなかった。
 そうして暫く沈黙が続いていると、手の中にあった封筒がカサリと音を立てた。
 そこでようやくわたしはその存在を思い出して、ハッとする。

「…お母さん、この封筒、開けていいの?」
「ええ、もちろん」

 心臓の動悸がおかしいくらいに早くなる。
 心臓が早鐘を打ち、緊張を助長してしまう。
 ふぅ、と息を吐いて、わたしはそっと封を切った。

────────────────────
あやちゃんへ

この手紙を読み終わる頃には、
おれのことなんて忘れてくれていたらいい。
────────────────────

 書き出しの文字に、早くも目に涙が浮かびそうになる。
 麗仁くんの達筆な文字が、歪んで見えるよ……っ。

────────────────────
今までずっと、迷惑かけたね。本当にごめん。
誤り尽くしても足りないくらい。
おれの勝手な好意を知った上で、それでも
優しく接してくれてありがとう。
あやちゃんと過ごす時間は、おれにとって
本当に宝物のように素敵なものだった。
あやちゃんがくれる言葉1つ1つが嬉しくて、
いつもあやちゃんの温もりに幸せを感じてた。
ずっと曖昧なままの関係を続けたおれを
責めたりしないで、何も言わないでくれている
あやちゃんが心の底から愛おしいって思った。
もっとあやちゃんの側にいたい。

……だけど、それはむりみたいだ。
あやちゃんは知らなかっただろうけど、
おれには子供の頃からの持病があってね。
それが再発しちゃったみたいなんだ。
こんな情けない姿、あやちゃんには見せられ
そうにない。
あの日、勝手に病院を抜け出してごめんなさい。
そして、君がまた目を覚まして、おれ以外の誰か
と一緒に幸せになれることを願ってる。

あやちゃんは強いから、優しいから、きっと
すぐに良い相手ができるね。まあ、おれが
愛した女の子なんだから、当たり前か。
もうおれのことは忘れて、幸せになってほしい。
そしてまたいつか、太陽の下で会える日が
来るといいな……。
その日まで、おれ、頑張ってみるよ。
だからあやちゃんも、頑張るんだよ。


ずっとずっと、あやちゃんのことが大好きです。

              麗仁より
────────────────────

「っぅ、どう、して……っ。どうしてこんな手紙なんか……っ」

 麗仁くんはひどすぎるよ、最後に大好きなんて言葉を残して、自分だけ逃げるなんて。
 こんなものを読んだ後なら、尚更麗仁くんのこと忘れられない……っ。
 持病なんて、きっとわたしの前からいなくなるための言い訳に過ぎないんでしょ……?
 うそ、嘘だよね。
 あんなに強くて格好良い麗仁くんが、病気だなんて、嘘に決まってる……っ!

「うぇっ、うわぁぁあん~~~うぅ、りとくん……!!戻ってきてよぉぉお……っ」

 泣き腫らした目をしたわたしは、きっと醜い。
 わたしはいつの間に、こんなにも麗仁くんに溺れていたんだろう。
 こんなにも、大好きになっていたのだろう。
 わたしを1人にしないって、言ってくれたのに。
 大好きだって、言ってくれたのに。
 どうして今になって、どこか遠くへ行ってしまうの……っ?

「彩夏、麗仁くんは最後まであなたの側にいてくれたわ。ずっと心配して、彩夏を想って泣いていた」
「そんな報告、いらないよ……っ!」

 わたしを慰めてくれているお母さんに、キツい言葉を返してしまう。
 背中を撫でるお母さんの手に、力が込められた。

「……彩夏、知ってる?麗仁くんの持病が再発してしまったこと」

 恐る恐るという感じでわたしに訊ねてきたお母さん。
 持病が再発って……、わたし、麗仁くんが持病を持っていたことさえ知らなかった、よ……っ。
 お母さんの神妙な顔つきから、麗仁くんの病気は本当のことなんだって思い知らされる。

「麗仁くん、は……っ、何の病気なの」

 それはどれくらい重いの。
 ちゃんと治る病気なんだよね。

「“心臓病”って言ったら分かるかしら」

 ────心臓病。
 その単語は、わたしにはあまりにも無縁で、馴染みのない言葉だった。

「心臓病って……?」
「……麗仁くんの場合は“急性心筋梗塞きゅうせいしんきんこうそく”の発病でね、その致死率は10%ほど……なの」

 難しい単語が右から左に流れていく。
 それと同時に、なぜ飛鳥馬家が七瀬家の婚約を受け入れたのかの理由にも説明がついた。

「麗仁くんは、小さい頃にその治療をしたの。だけど、今になって再発しただなんて……、」

 お母さんの声も震えていた。
 その目には涙が浮かんでいて、わたしの悲しみは膨れ上がる。

「───わたし、麗仁くんのところに行く」
「……っえ?なに、言ってるの彩夏」

 とにかく、今すぐに行かなきゃ。
 その思いで感情が支配されていく。

「だめよ、絶対にダメ。彩夏、自分が今重症患者だっていう自覚はあるの?しっかりしなさい」

 お母さんが目の色を変えて、わたしを止めに入る。
 それが鬱陶しくて、思わずその手を振り払おうとしたけれど、出来なかった。
 ……わたしの体が、動かなかったから。

「なん、で……っどうして動かないの!」

 あぁ、もう、感情がぐっちゃぐちゃだ。

「彩夏、落ち着いて……っ、麗仁くんのことはもう諦めなさい」

 今は、お母さんが凄く冷たい人間に思えてしまう。
 娘が行きたいって言ってるんだから、黙って行かせてよ。
 そんな真っ黒な感情に支配されてしまいそうで、怖くなる。自分の一言で、大切な人を傷つけてしまうことへの不安がどんどん大きくなる。

「……っなんでそんなこと言うの!!お母さんは勝手だよ!わたしのこと、なんにも知らないくせに……っ」

 言ってしまった言葉は、深くお母さんを傷つける。
 結局、我慢できずに反抗してしまった。……わたしはまだ、16歳の幼い子供だ。
 お母さんの青い顔を見た瞬間、すぐに罪悪感に苛まれて謝りはしたものの、心の中に広がる黒い渦はいつまで経っても消えてくれることはなかった。
 ねえ、麗仁くん────。
 わたしに何も言わずに、手紙だけを置いてどこかへ行ってしまった。
 こんなにも恋い焦がれているのに、君は今わたしの前にいない。
 あなたは今、どこにいますか。
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