さよならの続編

軌跡

文字の大きさ
11 / 18
第二章 ”動”

第五話「いるよ」

しおりを挟む
 緑間は青子に引き上げてもらい、なんとか無事に彼女の部屋に転がり込むことが出来た。今更ながら、窓から侵入しようなどと、そんな漫画のような発想が展開できた自分に苦笑いをする。当然土足厳禁なので、とりあえず靴を脱いでお邪魔しますと言っておいた。
「よっ、久しぶりだな、青子」
「…ええ、そうね。久しぶり、祭」
 緑間は、出来る限り陽気な感じで切り出してみたわけだが、彼女の反応は想像よりもかなりロウでひどかった。なんというか、言葉に抑揚がなく、何より二つの目に光が宿っていなかったのである。虚ろだった。
 ちらりと部屋を見渡すが、空気はとてもどんよりとしていて、まだ夏の五時だというのに、この部屋だけが隔絶されているかのような雰囲気を漂わせている。
 悲しい、苦しい、辛い、寂しい。この部屋と彼女を取り巻いているのは、そういった負の感情であった。
 やはり響達を連れてこなくて正解だったな、と緑間は思う。彼女はおそらく、今の自分を後輩達に晒したくはなかっただろう。いや、もしかしたら後輩達だけでなく、彼女からすれば緑間にも見られたくはなかったかもしれないが。
 約一週間ぶりに会った彼女は、最後に会った日と比べようがないほどに変わり果てていた。話に聞いていた通りろくに何も食べていないようで、随分痩せたように見える。
 自慢の髪なの、と言っていた彼女の長い柔らかな髪は無造作に荒れ果て、ぱっちりとした大きな目は充血していて腫れぼったくなっていた。よく眠れていないのか、目の下には隈が出来ている。
 原因はもちろん、今緑間の隣りにいる困った幽霊のせいだろう。そして緑間は今日、その幽霊のことを彼女に話すために来たのだ。
「俺、とりあえず今日はお前に話があって来たんだけど…まあ、とりあえずそれは置いといて。台所借りていいか?」
「…台所?」
 どうして、と青子が首を傾げる。緑間は、鞄に無理矢理押し込んでおいたレジ袋を取り出し、その中からたまねぎとにんじんを取って彼女に差し出す。意味が分からない、というような顔で青子はそれを緑間から受け取った。まあ、どこからどう見てもたまねぎとにんじんにしか見えないだろう。
「お前がまともに食ってねえことはわかってたからな。この俺様が、あったかいシチューを作ってやるよ」
 学校帰り、緑間はいつものように行きつけのスーパーに寄った。いつもと違ったのは、眠たそうな顔をして、それでも文句を言わず買い物に付き合ってくれていた(そもそも緑間だけの買い物ではないのだが)幼なじみが、もう他者から視覚されない霊となって隣りを歩いていたことと、買った材料を調理する場所が赤崎の家ではなく、青子の家だったということだけだ。
 何を作ろうかと買い物カゴを片手に、熟年の主婦さながら緑間は悩んでいたわけだが、野菜コーナーや魚肉コーナーをぐるぐると回っている内に、霊となった幼なじみがぽろんと言ったのである。シチューにすれば、と。
『シチュー?なんでよりによってそんな面倒なもんを…』
 危うく声に出しそうになったのをなんとか押さえ、緑間はテレパシーを送った。だって、と赤崎が続言った。
『僕ら三人が、揃って一番好きなものだったでしょ』
『…ああ、そういや』
 確かにごもっともな意見だったので、緑間はそれに従うことにしたのだった。そういえば幼い頃、緑間の両親がいない時を見計らっては、よく三人でシチューを作ったりしたっけか。一番上手に作れたのは、確か中三の時だったように思う。あの味はまだ忘れていない。
 そして今、ここに三人が揃っている。
「シ…シチュー?どうしてそんな、いきなり」
「昔はよく一緒に作ったろ。俺と青子と、静の三人で」
 むしろ、三人で作ったことがあったのはシチューだけであった。もちろん、シチューは三人で作る、という約束事があったわけではないが、不思議とシチューだけは三人揃って作っていた。どうしてそこまでシチューにこだわっていたのか、今ではもうよく思い出せないけれど。
「確かにそれは…そうだけど。でも、今、静は」
「ちょうど三人揃ってる。三人一緒なら作れんだろ」
「…っだから!だから、静はもう」

「いるよ」

 青子は、その声にはっと目を見張った。
 よく通る澄んだ声だった。柔らかで、一瞬誰の声か見誤ったほどに。
 もちろんそれを言ったのは緑間である。今この家には、青子と緑間以外には誰もいないのだから。
(でも、今のは…まるで)
 青子は戸惑い、困惑した。緑間と赤崎がダブって見えたからだ。おそらくそれは、彼女の見間違いにすぎなかったのだろうけれど。
「あいつはいる。俺らのすぐ傍にいるんだ、青子」
 何を根拠にそんなことを言っているの、と青子は思った。
(だって静は、死んだじゃない)
 もうこの世界のどこにも、静はいないのよ。
 …と、いうことになっているが、実際赤崎は今彼女の手の届く範囲に、幽体とはなっているものの存在しているのが現状である。もっとも、彼女はまだそれについて何も聞かされていないので、知らないのも無理はないが。
 青子は唇を噛み締める。ひどく裏切られたような気持ちになった。それは緑間にではない。自分自身にだ。
 もしかしたら自分は、悲しんでいるふりをしていただけなのかもしれない。“静はもういない”―そんな風に諦めてしまっている自分が、確かにいるじゃないか。
 静が手の届かない所にいってしまったのは、誤魔化しようのない事実だ。けれど、今のは確かに、私自身が彼を過去にしてしまった瞬間ではないだろうか。私はあの一瞬に、静のことを忘却してしまったのではないだろうか。
 こんな自分は嫌だ。私の世界からどんどん静がいなくなっていく、その手助けをしている自分が、青子はどうしようもなく嫌だった。
 ―祭はこの一週間で、静のことを過去にしきれたのだろうか。
「あ、悪い。言い方間違えた。俺が作ってやるっていうのは嘘」
 青子が手に持つたまねぎとにんじんを、緑間は意地の悪い笑みを浮かべて指差した。言わずもがな、彼の指に指されたところで、たまねぎがおにぎりになったり、にんじんがチョコレートになったりするはずもなく、あくまで青子の手にあるのは、たまねぎとにんじんであり、それ以外の何物でもなかった。
 まあ、これからシチューを作ると言っているのだから、おにぎりやチョコレートに変わったりされては逆に困るのだが。
「…どういう意味よ」
「そのまんま」
 スタンドアップ、スタンドアップ、とかなり発音の悪いカタコトの英語を口にしながら、緑間が青子を立ち上がらせる。緑間は肩に鞄をかけ、右手にレジ袋を持って「レッツラゴー」と、左手で青子の手を引いた。
「ちょ、な、なに…そのまんまって、一体どういう」
「シチューは三人で、だろ。だから俺一人で作るっていう選択肢は初めからねえの。OK?」
 OK?の部分だけ発音がやけに流暢だったが、青子は敢えて触れなかった。
「そんなこと言ったら、静だっていないじゃない。どっちにしろ、三人じゃないでしょう」
「だーかーら、静はいるんだっての。いい加減認めろよ、往生際が悪い」
 何をどう認めろというのだ、この幼なじみは。実際この部屋のどこにも、静は存在していないじゃないか―そんな風に、若干の苛立ちを含んだ目で、青子は緑間を見上げた。
(それとも)
 祭には見えているのだろうか。もういないはずの静の姿が、祭の目には映っているとでも言うのだろうか。
「ま、楽しみにしてろよ。全力でこき使ってやるからな。覚悟しとけ」

 “俺らのすぐ傍にいるんだ”

(ねえ、祭)
 覚悟なんて、できないよ。
 だって私には、祭に見えているものが見えないんだもの。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

つまらない妃と呼ばれた日

柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。 舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。 さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。 リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。 ――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。

婚約者の幼馴染?それが何か?

仏白目
恋愛
タバサは学園で婚約者のリカルドと食堂で昼食をとっていた 「あ〜、リカルドここにいたの?もう、待っててっていったのにぃ〜」 目の前にいる私の事はガン無視である 「マリサ・・・これからはタバサと昼食は一緒にとるから、君は遠慮してくれないか?」 リカルドにそう言われたマリサは 「酷いわ!リカルド!私達あんなに愛し合っていたのに、私を捨てるの?」 ん?愛し合っていた?今聞き捨てならない言葉が・・・ 「マリサ!誤解を招くような言い方はやめてくれ!僕たちは幼馴染ってだけだろう?」 「そんな!リカルド酷い!」 マリサはテーブルに突っ伏してワアワア泣き出した、およそ貴族令嬢とは思えない姿を晒している  この騒ぎ自体 とんだ恥晒しだわ タバサは席を立ち 冷めた目でリカルドを見ると、「この事は父に相談します、お先に失礼しますわ」 「まってくれタバサ!誤解なんだ」 リカルドを置いて、タバサは席を立った

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします

二階堂まりい
大衆娯楽
大衆娯楽部門最高記録1位! ※この物語はフィクションです 流行のサレ妻ものを眺めていて、私ならどうする? と思ったので、短編でしたためてみました。 当方未婚なので、妻目線ではなく娘目線で失礼します。

王子様への置き手紙

あおき華
恋愛
フィオナは王太子ジェラルドの婚約者。王宮で暮らしながら王太子妃教育を受けていた。そんなある日、ジェラルドと侯爵家令嬢のマデリーンがキスをする所を目撃してしまう。ショックを受けたフィオナは自ら修道院に行くことを決意し、護衛騎士のエルマーとともに王宮を逃げ出した。置き手紙を読んだ皇太子が追いかけてくるとは思いもせずに⋯⋯ 小説家になろうにも掲載しています。

三十年後に届いた白い手紙

RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。 彼は最後まで、何も語らなかった。 その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。 戴冠舞踏会の夜。 公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。 それは復讐でも、告発でもない。 三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、 「渡されなかった約束」のための手紙だった。 沈黙のまま命を捨てた男と、 三十年、ただ待ち続けた女。 そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。 これは、 遅れて届いた手紙が、 人生と運命を静かに書き換えていく物語。

処理中です...