手の届かない君に。

平塚冴子

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1学期

魔女と彼女の密約

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清水先生を探し、僕は球技大会本部を通り過ぎた。
「なーに、急いでんだ?」
本部テント内に清水先生がいた。
「あ、その。」
言葉を濁した。
田宮美月がそこにいたのだ。しかも、清水先生と膝を突き合わせていた。
狐と狸の化かしあいならぬ、魔女と牧師の騙し合いの状況だ。
田宮真朝の名前は絶対に出せない。

「あら、武本先生。
担任のクラスの生徒にかなり人気があるらしいですね。
2年目なのに凄いわ。」
白々しさに自分でも目がつり上がってくるのが判った。
僕は彼女を無視して清水先生に声を掛けた。
「それより、清水先生。
先生のクラスの生徒が今保健室で休んでいると、山中女史が…。」
「ん?ああ、すぐ行く。
じゃあな。副会長も頑張れよ。」
僕の様子に全てを察してくれたようだ。
清水先生は僕を横目で見ると、田宮美月に軽く挨拶してその場を離れた。
「本当~。武本先生って性格悪い~。
こんな美人が声掛けてあげてるのに無視なんて。
まさか、男好きとかぁ?」
田宮美月が吹っかけてきた。
「まさか。それに、僕にはそれほど君が美人には見えないよ。
他と同じ単なる生徒だよ。」
「ふーん。まぁいいわ。
先生におべっか使っても、うちのクラス受け持ってないあなたじゃ内申を上げてくれる訳じゃないし。」
魔女だ…本当に腹黒い。
これが田宮真朝と同じ血縁者なのかさえ疑わしい。
僕は拳を握り締めると、向きを変えてその場から立ち去った。
殴れるものなら、殴っていた。
そう思うくらいに魔女の言葉に吐き気がしていた。

保健室から清水先生が出て来たのを確認して、僕は話しかけた。
「清水先生…彼女は…。」
「あ~。大丈夫だ。放課後まで休ませるよ。」
「放課後までって、まだ昼前ですよ。
球技大会だし早退させるとか。」
「うるさいなぁ武本は。
田宮の事になると。
早退はさせられないんだよ。」
「は?どう言う意味ですか?
病院とかは…貧血にしても、かなり様子が…。」
「大袈裟なんだよ。
薬は飲ませたから…あ、いや。
はぁ。もう!お前は!」
溜息を吐き、清水先生は僕の肩に手を置いた。
「病院には先月俺が連れて行って診断受けてる。
けどな、あいつの親はどんな状態であれ、あいつを病院に連れて行く親じゃねーんだよ。」
「なっ!!」
「担任じゃねーお前に話せるのはここまでだ。
深入りするな…判ったな。」
僕の肩に掛けた手に力が入った。
清水先生の表情は今までで見たことのない真剣な表情だった。
親…。田宮美月だけではないのか?
親もまた彼女を…。
胸の奥を思い切り握り潰されたような気がした。
自殺願望…彼女が…死に近づいてるのは……。

球技大会も終わり、放課後になった。
後片付けを終えた僕は、どうしても彼女が気になって保健室へと向った。
保健室前で山中女史と田宮真朝が話している。
彼女はもう、ジャージから制服に着替えていた。
今日が衣替えの日だったのを球技大会で忘れていた。
半袖の解禁シャツの夏服のから覗く彼女の腕は顔と同じく白く廊下の光を受けると透けるようだった。
すっと柱の陰に隠れた。
「あなた。頑張り過ぎよ。
体調悪いのを表情に出さないくせがついてるみたいだけど、無理はしないで。」
「ありがとうございます。
もう、大丈夫です。」
「家ではゆっくり休みなさいよ。」
「はい。それでは失礼します。」
一礼すると彼女は山中女史がドアを閉めるのを確認し、玄関ホールとは反対方向に歩き出した。
その方向はあの旧理科室だった。
足音を消して彼女の後を追った。
やはり、彼女の居場所はあの部屋しかないのだろうか。
彼女が旧理科室に入ったのを確認して、僕は旧理科準備室にそおっと入り込ん

「!」
旧理科室の中で彼女を待っていたのは魔女…田宮美月だった。
僕の身体が電気を浴びたように緊張した。
息を飲んで覗いてみる。
「遅くなったけど、はい。ロバからパクってくるのに苦労したんだからね。」    
「ありがとう。」
田宮美月は彼女に美術で使うイーゼルを手渡した。
ロバとはロバート高橋というハーフの美術教師の事だ。
「今年も頼んだわよ。
手なんか抜いたらただじゃおかないから。」
田宮美月の腕組して顎を突き出した顔は美人どころか、犯罪人のように極悪非道かと思う表情だった。
今年も…?と言う事は去年も何かを手伝わされていた…?
まさか…!去年の夏の…!
僕の手は汗を吹き出して、ぐっしょりと濡れていた。
何らかの密約の報酬なのか?あのイーゼルは…。
「それから、あの武本って教師には気をつけてよ。
何か私を嫌ってる風な感じで、超ムカつく奴だから。」
「大丈夫。担任でもないし。」
「そお。ならいいけど。
この前、あんたの事でかなりムキになってたから、マニアックなファンかと…なーんて。」
酷い言い方するな。相変わらず、心の汚さが口から溢れ出てるじゃねーかよ。
マニアックなファンって…。
「仲がいい先生って訳じゃないわ。
むしろ悪い方。」
ズキッ。
あれ。何か傷ついた…。
「もう行くわ。
生徒会もそろそろ活動が忙しくなるから。」
そう言うと、田宮美月は旧理科室を出て行った。
田宮真朝はイーゼルを立て掛けると、棚から少し大き目のスケッチブックを乗せた。
描き始めるのかと思いきや、その日はスケッチブックを開く事はせずに、何やら思いにふけっているようだった。

『深入りするな…。』

清水先生はああ言ったが、もう遅いんだ。
それに、あの夏の出来事が忘れられない…胸のモヤモヤが消えるまでは後戻りできない。
今でも鮮明な映像のように脳裏に焼き付いたあの日の彼女…幻覚が現実だった衝撃…再び彼女が幻覚になってしまわない為にも。 
僕は全てを明らかにしたいんだ。
2人の密約を見つめつつ、やはり、久瀬に接触しなければならないと決心した。
久瀬が話してくれるかはわからない。
はぐらかされそうだが…。
彼女にもっと近づくにはそれが最善の手に思えた。
                                                              
職員室に戻ると、岸先生が声を掛けてきた。
「探しましたよ武本先生。」
「はい?何か用事でも?」
「ESS教室を1時間だけ貸して貰えませんか?」
小声で手を合わせながら頼み込んできた。
「ああ。お約束ですし、どうぞ。」
僕は腰の鍵の束からESS教室の鍵を手渡した。
「ありがとうございます。」
「しっ!声デカイですよ。」
岸先生は頭を掻きつつ、礼を言うと職員室を出て行った。
…しかし、何に使うんだ?まさか、清水先生と同じ目的だったりして…。
ま、下世話な想像はよそう。
自分の席にコーヒーを持ったまま座った。
清水先生は職員室に戻って来ていなかった。
机の棚からテニス部の予定表を取り出して久瀬が来る日を確認した。
「来週の日曜か…。それ以降は南山高校は期末テスト期間前1週間に入る為に、しばらくは無理か…。」
今はまだなるべく、個人的に会うのは避けたい。身の危険を感じるからな。

溜息をついて、しばし思いにふけった。
そういえば…またしばらく香苗とはメッセージや電話のやりとりしかしてなかった…。
ふと、香苗の怒った顔が目に浮かんだ。
日曜も部活って…連絡入れておかないと後が怖いな。
考える事があり過ぎて、香苗の事は放ったらかし状態だった。
かと言って、僕は特別寂しさを感じていなかったのだ。
恋愛ってこんなもんなのかな…。
田宮真朝の事で悩む方が、僕の中で大半を占めているのだ。
でも、これは恋じゃない…、生徒を心配する教師の気持ちであって、けして恋愛の上の気持ちなんかじゃないんだ。
そうだ…心配なだけなんだ。
僕は胸のモヤモヤを消したいだけなんだ。           

『先生は…嘘つき…』
                                                                 
僕は、彼女にいつ、どんな嘘をついたのだろう?
身に覚えが無い。
それとも、別な意味があるのだろうか?                                                           
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