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第二話 紅梅

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 そもそもこの街の大通りは、まっすぐ鶴汀楼に続いている。そのまま歩けば着くのだ。なのでこの街に来たことのある人なら、絶対に迷わない。
 すなわち彼は単に俺を話し相手にしたいのだろう。共に大通りを歩きながら、彼は楽しげに、久々の街の様子を語ってみたり、俺の名前を聞いたりしてきた。なお、繰り返すが目は笑っていない。なので俺はこの人に心を許す訳にはいかない。
 鶴汀楼に着くと、入口の門の前で鶴天佑が待ち構えていた。洸永遼の姿を認めて、慌てた様子で駆け寄ってくる。
「洸さん! お待ちしておりました。……雪柳、洸さんと会ったのか」
 俺が口を開く間もなく、洸永遼は嘘くさい笑みで答えた。
「ああ、ちょうど可愛い子が馴染みの店に入るのが見えたのでね。この街で可愛い子は大体ここの子だから、後について入ってみたんだ」
 ……怖いことをさらりと言うな。ナンパといえばまだましだが、一歩間違えたら犯罪だ。
「そうでしたか。失礼はありませんでした?」
 鶴天佑が人好きする笑顔で聞く。洸永遼は頷いて、「うん。しかし……逆毛を立てた子猫みたいだね」と笑った。……警戒してるのがばれてた。
「この子はまだここに来て日が浅いので、ご容赦ください。さぁ、中へどうぞ」
 拱手とともに鶴天佑が言う。なんかモヤモヤするなあ。でもこれでお役ごめんだろう。俺は鶴天佑と洸永遼に続き店の中に入った。

 2人が別室に消えるのを見て、お使いを頼まれた鈴蘭兄さんの部屋へ行く。鈴蘭は座卓の前に座って俺を待っていた。
「遅いよー、雪柳! 今日は大事なお客さんが来るから、早めに準備しないといけないって言ったのに!」
 唇を尖らせて文句を言う鈴蘭は、この妓楼でも格の高い、第二位「錦鶏きんけい」の男妓だ。抜けるような白い肌に鮮やかな青い目は異国の血を感じさせる。髪色もごく美しい金髪だ。ミステリアスな美形俳優としてもてはやされそうな外見だが、性格はおしゃべり好きでゴシップも好き。元の世界なら、週刊誌やニュースサイトを熟読しているタイプだろう。
「すみません」と頭をさげると、ひらひらと手を振る。思ったことをそのまま口にするが、悪い人ではないのだ。
 受けとってきた髪飾りを差し出すと、箱を開けた彼の顔が輝いた。
「うわぁ、すごく可愛い! さすが劉さんの店!」
 さきほどの店は劉珠宝店といって、ここの男妓たちのお気に入りだ。物がよく、デザインセンスもいいというから、繁盛するのも当然だろう。うきうきと髪飾りを髪に当てる鈴蘭は可愛らしく見えて、俺は微笑んだ。
「とってもお似合いです」
「ほんと? ありがとう、嬉しい」
 ニコッと笑う。八重歯がちらりと見えて可愛い。頷き返し、思い出して懐から箱を取りだした。
「あ、これ、店主さんからいただいたんですよ」
 すると、ひょいと手元をのぞきこんできた鈴蘭が笑った。
「開けてみようか」
 細い指が包みを開き箱を開けると、箱の中には薄い桃色の紙包が5つ入っていた。鈴蘭が一つの包みを開けると、6枚の花弁を持つ花が形取られた、白い砂糖菓子が現れた。
「落雁だ」
 思わずつぶやくと、「落雁?」と鈴蘭が首を傾げた。そしてすぐに思いついたように言う。
「ああ、軟楽甘なんらくかんだね。高級なお菓子だよ! 最近新しくできた店があるんだけど、そこのかなあ」
 鈴蘭が言うのに、驚いて彼の顔を見る。
「そんないいもの、頂いちゃっていいんですかね?」
 名前も似てるし、これはおそらく落雁の類だと思う。現代でも高級店のはそこそこお値段がするイメージだ。
「たぶん劉さん、菓子店から頼まれたんじゃないかなあ。おまけでもらって、それが美味しければ、君もまた買いにいきたいと思うでしょ?」
 くちびるに人差し指を当てて言う。なるほど、試食品でPRというわけか。商売がうまい。
「そっか、じゃ、心置きなくいただけますね」
 笑って言うと、鈴蘭は俺に箱を手渡した。
「これは君がもらったんだから、ぜんぶ食べていいよ」
 驚いて、思わず手を振る。
「え? いや、そんな、悪いです。鈴蘭兄さんのお使いなのに」
「……そう? じゃ」
 鈴蘭は落雁をひとつ取って、躊躇なく口の中に入れる。そしてもぐもぐと口を動かした。
「あー、甘い。口のなかでとろける! 僕はひとつもらったから。あとはあげる!」
 華やかな笑顔で言う。嬉しくなってほほ笑み返した。
「ありがとうございます! 嬉しいです!」
 
 可愛らしい落雁の入った箱を持って、うきうきと部屋に戻った。この世界に来てから、ささやかなことが本当に嬉しく感じられる。俺は元の世界でも恵まれていたはずなのに、いつしか喜びとか感謝とか、そういう感情に鈍感になっていた。
 そもそもこの世界に来るきっかけになった事故だって、オーディションに落ちて頭に血が上っていたときに起きたんだし。声優の仕事を初めてすぐのころは、どんな小さな仕事でも嬉しかった。しかしここの所、番手の上下で右往左往するようになっていた。どんなことにも感謝するような生き方をしていれば、あんなことにはならなかったかもしれないのに。
 部屋の小さな座卓の引き出しに落雁の箱を入れ、またすぐに部屋を出る。日中は勉強か兄さんたちの手伝いで、部屋にいることはほぼない。今日の仕事が終ったら、秋櫻と皐月と一緒にあれを頂こう。あと一つ残るから、それは今後真波さんがくるときに取っておこう。日持ちしそうなお菓子だし。
 そんなふうに、いつになく晴れやかだった俺の気持ちは、その直後、見事に沈むことになる。
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