ココロノオト オトノカタチ

柚杏

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序章

 最近、勇者が来ない。

 毎日毎日、飽きもせずにやって来ては返り討ちにしていたせいだろうか?
 とうとう諦めたか?

「ふむ……つまらん」

 玉座の肘掛に頬杖をついて、独りごちる。

 勇者が来ている間は暇潰しになっていたが、来なくなると時間を持て余してしまう。

 奴が来る前はどんな風に過ごしていたか思い出せない。

 少し勇者との遊びに夢中になり過ぎたようだ。

「来ないのならばこちらから行くまで」

 玉座から立ち上がると控えていた同族の者達がざわめいた。
 元々、血の気の多い奴等だ。
 魔王が立ち上がれば、好きに暴れる事が出来ると喜んでいる。

 そんな同族達を置いて薄暗い城から外に出る。
 大きな漆黒の翼を羽ばたかせたらあっという間に深い森を抜ける事が出来る。

 ただの人間がこの森に入れば忽ちに方向感覚を失い、魔物の餌食になる。
 そんな森を抜けて城まで辿り着いたのは、あの勇者だけだ。

 森の上を自由に翔んで、勇者の気配を探る。
 一度会った者ならば何処にいても探し出す事が出来る自分のこの力はこういう時はとても便利だ。

 暫く森の上空を旋回して気配を探ると、勇者の気配を感じ取った。

 森の中に誰が建てたか分からない古い小屋が見える。
 その近くに降り立つと、羽を隠し黒のローブを頭から被って小屋の戸を叩いた。

 羽さえ無ければ見た目は人間と変わらない姿をしているせいか、初めて勇者がこの姿を見た時は驚いていた。
 勇者というのはどうやら純粋培養された人間の事を言うらしい。

 小屋の戸はいつまで経っても開く気配はなかった。
 仕方なく勝手に戸を開けて中に入ると、小屋の床の上で薄汚れた布を体に掛けて丸くなっている勇者を見つけた。

 勇者の元まで近付くと膝を付いて口元に手をかざす。

 息はしているようだが、荒い。
 人間の体の事は良くは知らないが、首に触れてみると少し熱く感じた。

 薄汚い布を指先で剥ぐと見知らぬ傷痕が胸から腹にかけてついていた。
 この傷のせいで熱を出しているようだ。

「放っておけば死ぬか」

 最早、虫の息。

 この間、勇者と戯れた時は擦り傷は与えたものの体力の限界まで振り回したあと、城の外に捨てやった。
 
 私の玩具である勇者に手を出すバカ者などいないと思っていたが、どうやらそのバカ者がいたらしい。
 
 見つけ出して罰を与えなければならない。

「このくらいの傷で死にかけるとは……」

 溜息混じりに呟くと、勇者がその声にぴくりと反応した。

 傷を治してやろうと傷口に触れようとした瞬間、手の中に握りしめていた懐刀が私の首に触れた。

「誰、だ……」

 力強い瞳が睨みつける。
 どうやら魔王とは気が付いていないようだ。
 意識が朦朧としていて目が霞んでいるのだろう。

「大人しくせい。傷を治してやる」

「……あんた、何者だ……」

 威勢よく首に刃を突き付けたその腕はすぐに力を失くして床に転がる。

 そんな簡単に警戒を解けば魔物の餌食になってしまっても文句は言えないなと呆れながらも傷に手を当てた。

「っ……」

 痛みに歪む顔が何とも堪らない。
 人間とは痛みに何と弱い生き物だろうか。

 もっと痛め付けたくなるではないか。

「勇者ならば我慢しろ」

「っ……。なんでそれをっ……」

 答える事はしなかった。
 代わりに長い舌を出して、血の匂いのする傷口をゆっくり舐めて味わい堪能した。

「な、にをっ……」

「治療だ」

 嘘は言ってはいない。
 舐めれば舐めるほど傷口が塞がり、血が止まっていく。
 別に舐める必要などないが、これは私の戯れだ。


「うっ、あっ……くっ……」

 何とも唆る声で堪える勇者の姿は、色気さえ感じさせる。
 やはり人間は面白い。

 特にこの勇者は。

「もう痛くはないだろう」

 傷があった場所に触れて、痛みがない事を確認させると驚いた顔をして私を見る勇者。

 その顔があまりに唆るので、思わず傷もないのに勇者の口唇を奪っていた。

 カサついた口唇を舌で舐めると、無理やり勇者の口をこじ開けて中に舌を入れる。

 じっくり味わいたいと思っていたのに、やっと何をされているか把握した勇者が私を突き飛ばし小屋の隅まで後退りした。

「なっ……ななっ……なにをっ……」

 口唇を手のひらで覆ったまま、混乱する顔が可愛くて唆る。

 ああ、もっと困らせてやりたい。

「落ち着け。私の生気を分け与えただけだ」

 口付けなどしなくても与えられるが、それは内緒にしておこう。

「元気になったであろう?」

「え……」

 言われて、勇者は自分の手のひらを握ったり開いたりしたあと、あったはずの傷口を触って確認する。
 暫く、その様子を楽しんで見ていると勇者がやっとこちらを向いた。

「あんた……何者だ?」

「こういう時はまず礼を言うべきではないか?」

 礼など必要ないが勇者の困った顔が見たくて意地悪を言う。

 勇者は小さく「ありがとう」と呟く。
 なんと可愛い反応か。

 もっと驚かせ、困らせたくなった私は自らの顔を隠していたフードを取り、しまっていた黒の羽を拡げた。


「魔王に助けられた勇者など、恥でしかないだろう」

 ニヤリと微笑んでみせる。

 きっと青ざめて絶望するだろう。
 さあ、その顔を見せてくれ。

「ま……魔王っ……!?」

 驚いた声を上げる勇者は私の予想とは違う表情を見せた。

 顔中、いや、身体中を真っ赤にさせて絶望どころかモジモジとし始めた。

 なんだこの反応は。

「魔王に……きっ……キスっ……」

「もっと嫌がらないともう一度するぞ」

 この反応も面白いが、意味が分からない。
 嫌がって、絶望して、打ちひしがれる姿が見たいのに。

「もっ……もう一度!?」

「そうだ。もう一度などと言わず何度でも貪ってやる」

「そっ……そんな……」

 そうだ、困れ。嫌がれ。

「そんな事されたら心臓がもたない……」

 真っ赤になって顔を逸らした勇者。

「……ん?」

 この反応は嫌がっていないのではないか?
 むしろ、照れて喜んでいるようにも見える。

「お主……何故、真っ赤になっている?」

「そっ……! そんなの当たり前だろ!?」

「何がだ?」

「お前っ……! 好きな奴にキスされたら普通、照れるだろうが!!」

 ……ん?

「……お主、勇者のくせに魔王の私が好きなのか?」

 まさかとは思うが、そんな事有り得ないだろう。
 私は勇者の、人間の敵なのだから。

「悪いか!!」

「悪いだろ」

 誰がそんなもの歓迎する?
 誰が得する?

「仕方ないだろ!? 初めてあんたを見た時……あまりに綺麗で一目惚れしたんだから!!」

 一目惚れ……?
 勇者が? 私に?

「オレだって戸惑ってるんだ! あんたはオレより強いのに全然殺そうとしないし、それどころか手のひらで転がされてる! でもっ……会いたくてまたあんたの城に行ってしまうっ……!!」

 なんて事だ。
 この勇者は私が暇潰しで殺さずにいた事で、恋心とやらを拗らせてしまったようだ。

 これでは魔王を倒して世界を平和になど一生かかっても出来ないだろう。

「お主……本気か?」

「……本気だ」

 俯いて真っ赤になっている勇者を可愛いと思ってしまった。

 おかしい。
 私は人間の困った顔や恐れた顔、哀しみに打ちひしがれる姿が大好きなのに。

「……私が好きなのか……」

「そうだよ! あんたが好きなんだ!!」


 これは……。

 これは、ダメだろう……。

 壁際で項垂れる勇者に手を伸ばしてみる。
 長い爪が勇者の肌を傷付けてしまいそうで、少し怖くなった。

 傷付けるのが怖いだなんて……。
 こんな感情は初めてだ。

「勇者よ」

 傷付けないように頬に触れると驚いた勇者が勢いよく顔を上げる。

 急に顔を上げたせいで爪が当たって勇者の頬に傷が走り、血が滲み出た。

「っ……」

「あ……すまない……」

「……え?」

 思わず謝ると勇者がぽかんと私を見上げる。
 魔王に謝られるなどと思わなかったのだろう。

 その頬の傷を治す為に勇者の肩に手を置くと、舌でゆっくりと血を舐めとる。

 勇者は何も言わないまま硬直している。
 それをいいことに、傷が治った後も暫く頬を舐め、傷とは関係ない耳朶まで舌を伸ばした。

「なっ……ちょっ……」

 流石に動揺して身動ぎする勇者の耳の中に舌を入れて掻き回す。

「ん、あっ!? ちょっ、なにっ……ひゃっ」

 いちいち反応が大袈裟でそれもまた可愛く感じる。


 ああ、私はもうこの勇者には一生、勝てはしないだろう……。


 魔王を倒す方法がまさか、『恋』に落とす事だとは。
 しかし、どうしたものか。
 勇者と魔王、水と油、絶対に混じり合わないもの。

「魔王……?」

 両手を怖ず怖ずと伸ばし、私の頬を挟み覗き込む勇者。
 なんと可愛らしい顔をしているのだろう。
 食べてしまいたくなる。

「私はお主の敵だ。殺さなくて良いのか? それとも……殺す為の作戦か?」

「作戦? あんた、そんなんじゃ死なないだろ」

「さぁ……何しろ、こんな事は初めてだ」

 勇者の下唇を食むと肩をビクッと震わせ、ゆっくりと口を開く。

 その隙間に舌を差し込み歯列をなぞる。

 そっと離れると名残惜しそうな目をして私を見てくる勇者に感じた事のない劣情を抱いた。

「お主が私を選ぶなら私もお主を選ぼう」

「選ぶ……って?」

 啄んで、食んで、絡めて、絡め取る。
 吸い付き、貪って、啜る。

「この森を封印して魔族達を外に出さないようにしよう」

「……え?」

 熱を孕んだ瞳で見つめられ、堪らず抱き寄せる。

「代わりに私を選べ」

「……そんなの……」

 背中に回された勇者の腕は熱く、力強い。


「あんたはそれでいいのか? 仲間を裏切る行為だぞ?」

「お互い様だろう?」

「オレは……魔王討伐に失敗したダメな勇者として笑われて忘れ去られるだけだ……」

「いいや……失敗などしていない。勇者は見事、魔王を討伐し、世界は平和になったのだ」

 自分の発言が信じられない。
 私は魔王だというのに、勇者が貶される事が嫌だと思っている。

 勇者が馬鹿にされるくらいならば、私など何回でも倒されて構わないと。

「これから……どうする?」

「お主はどうしたい? 私はお主の望むようにしたい」

 この馬鹿な勇者の望みなら何でも叶えてやりたい。
 私の持てる力の全てを使って。

「あんたは、旅をしたことがあるか? オレはここに辿り着くまでに色んな所を旅した。変わった食べ物や、美味い酒や、そこでしか見れない景色。沢山見てきた」

 キラキラと目を輝かせ語る勇者の髪を撫で梳き、額に口付ける。

「あんたはそういうの興味ないか? あ、もしかしてもうそういうのは知り尽くした?」

「いいや。私はあまり城から出るのは好きでは無かったから世界がどんなものかはよく知らぬ。人間のことも」

「そっか。ならさ、オレと、旅をしないか? 見せたい物が沢山あるんだ」

 嬉しそうに笑う勇者。
 それもいいかもしれない。

「きっと楽しい。沢山色んな所に行こう」

 手を握られ、ワクワクしているのが直接伝わってくる。

 勇者は本当に私と共に旅をしたがっているのだ。


 素直で可愛い勇者。
 だけど、私が魔王だとバレない保証がないとは言いきれない。

 一緒にいる事で勇者が魔王の手に堕ちたと誤解されたら……。

 守りきれるのだろうか、この純真無垢な勇者を。

「大丈夫だよ、魔王」

「……何が、だ?」

「もし魔王だとバレても、オレが守るから」

「……勇者が……魔王を、守る……?」

 思わず笑いが込み上げてきた。

 倒すなら解るが、守るとは。
 全く逆ではないか。

「私は……」

 もし勇者が人間達に責められるような事があれば、喜んでその剣を受けよう。

 それが私が出来る、勇者の守り方だ。

「行こう、一緒に」

 これが新しい勇者と魔王の第一歩だ。

 大丈夫だと勇者が言うのだから、きっと。

 新しい何かを見つけられるかもしれない。

「世界を見せてくれ」

 誰も見た事のない、勇者と魔王の世界を。

「もちろん!」

 勇者の手から熱が伝わる。
 ワクワクする気持ちが流れてくる。

 今まで感じたことのない感情に戸惑いながら、それでももっと知りたいと願う。

 二人ならばきっと見れる。
 だから、その手を取って行こう。

 倒すのではなく、倒される訳でもなく。
 守り、守られながら。


 大丈夫だと、勇者が言うから。


*新しい冒険へと続く*
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