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2.エイガ
しおりを挟む闇を照らしているのは、三つの白い光だった。床に転がされた懐中電灯からのものらしい。
その光の交差する真ん中で、そいつの影は体育館の壁に大きく映し出されている。
まるで、闇から立ち上がった怪獣のようなそのシルエットの主は――。
「ふ、舩橋……?」
同じクラスの舩橋ミオコだ。
フナムシ、などと言われている最底辺の女子で、小さな声でぶつぶつコミュニケーションをとるスタイルのため、クラスの上位カーストから餌食にされている。
簡単に言えばいじめられている。もっと直接的な表現を使うなら、クラスメイトから日常的に肉体的・精神的な暴力を受け続けている女だ。
その舩橋は、白い光の中で、何やら舞うような動きを見せていた。
きれいだ。俺は目を見開いた――なんていうような動きではない。まったくない。
おぼつかない足取りでふらふらと、何かを持って体育館の床の上をぐるぐる回っている。舞うというのは回転の動きらしいので、この「一人かごめかごめ」みたいな動きも、まあ舞うと言っていいだろう、うん。
一体何をしているのか。舩橋の見た目とシチュエーションのせいで、性質の悪い魔女術の儀式のように思える。
儀式めいた見た目が、俺をより用心深くさせた。抜き足差し足、と体育館の中にこっそりと足を踏み入れた。
そう、用心深くしたはずだったのだが――
五歩も進まぬうちに、舩橋が顔を上げてこっちを見た。
カッと目を見開いた、などというが、本当にカッという音がしたかのような、暗闇の中で目が光ったようなそんな視線で、思わず俺の口から悲鳴が漏れる。
「なあぁにぃ?」
思った以上の大きな声が体育館に響く。普段からそれぐらいの声でしゃべっていたら、最底辺でフナムシさんではなかったろうに、と俺はどこか冷静な頭で関係ないことを思う。
舩橋の手元が強烈に光った。いや、懐中電灯でこちらを照らしたのだ。床に転がしてるだけじゃなく、ポケットにでも入れていたのだろう。
こちらを照らしてしげしげという風に観察すると、呆れたような声でこう言い放った。
「なんだ、クラスのザコ男子二号じゃない」
「誰がザコ男子だ! 小嶋だよ!」
自分が舩橋を最底辺と思っていることを棚に上げて、俺は反論した。
「何してるの、こんな時間にこんなところで。ザコ男子一号と話してた、エッチなDVDでも取りに来たの?」
こ、れ。
そう言いながら舩橋が床から何かを抱え上げた。懐中電灯に照らされたそれは、クッキーの缶だった。
「あ! お前、それ、何で……!」
舩橋の言い草からして、アレこそ俺の目的のブツ! いやしかし、ポータブルプレイヤーが入ってるだけあって大きな缶だ。よくあったな、あんなの……って、そんな場合ではない。
「聞こえてたわよー」
クヒヒヒヒ、とこの上なく気持ち悪い声で舩橋は笑う。
しまった。あの渡り廊下はボッチの天国。我がクラスの最底辺で友達の一人もおらず、常に精神的肉体的苦痛を与えられ続けているこの女は、あそこで昼休みを過ごしていたのだ。
「ザコ二人で、何の悪だくみかと思ってさァ、聞いちゃってたのよねェ」
またもザコ呼ばわり。俺も脳内じゃ最底辺呼ばわりしているが、こっちには少なくとも友達はいる。いや確かに、桟敷なんてロクでもない部類だけども。
「ていうか、桟敷が一号で俺が二号かよ!」
「だって、あんた多分クラスの女子の間で、一番最後に名前を覚えられるタイプだと思うわよ?」
クッソ、クラスの女子でしゃべるヤツがいないタイプに言われるなんて。
「半分の半分未満のカーストのヤツに言われたかない!」
「あら? 逆にわたしなんかはあんたも知っての通り最底辺だからァ、マキグソのぶりっ子よりも早く名前を覚えられてると思うけど?」
マキグソ? ああ、牧口さんか。確かに、クラスの女子の中でも中位カースト中の中位カースト、来たぞ平均ど真ん中! という感じで男子の間で名前が忘れられがちだ。
てか、強烈なあだ名付けとるなフナムシさんよ。マキグソで「ぶりっ」は肛門への刺激が過ぎる。
「つーか、お前こそ何してんのこんな時間にこんなとこで?」
「え? 何って、わたしに日常的に精神的または肉体的暴力を与えてくる連中を呪い殺すために、悪魔を呼び出そうとしてるに決まってるじゃない」
いや決まってないだろ。そんなんよりも俺の「AVを探しに来る」って行動の方が、全国の中学生の平均的行動だろう。いや、ないか。
「じゃあ、さっきから何か垂らしながら回ってるのは?」
「魔法陣を描いてたのよ、これでね」
舩橋のヤツ、俺たちの「ブツ」を床に無造作に転がしやがった。ポータブルプレイヤーが入ってるんだから、もっと丁寧に扱えっての。
で、その代わりに手に取ったのは、真っ赤な血がたっぷり入ったビニール袋――ではない。
「ケチャップ!?」
「そうよ。血の悪魔ブラブラッド様を呼ぶには血液が必要なんだけど、わたしこの間終わったばかりでさ。でも、手首切ったりするのも嫌だしってことでケチャップを代わりにしてんの」
「いや、無理だろ。ケチャップて……」
つーか終わったって何? あ、ああ、そうか……。
「一か月待ったりとかできないのかよ……」
「だって、多分あと一か月いじめられ続けたら、あんた『舩橋さんが自殺した原因はいじめだと思いますか』みたいなアンケートを書かなくちゃいけなくなるわよ」
マジか。そんなに追い詰められていたのか。やっぱ恐ろしいな、女子って。
「牧口が主犯なん?」
「主に水掛けてくんのはマキグソだね。命令されて、だけど」
「主犯はやっぱ尾花さん?」
「正解!」
舩橋は人差し指を立てておどけたポーズを取った。こんな行動を見せたことは一度もないので、俺はちょっとドキッとした。相手が舩橋なのに。
「あんたさ、この缶返してほしかったら、ちょっとそこにいてよ。ブラブラッド様が生贄を求めてきた時に差し出すから」
「やだよ! 死ぬじゃん! ていうか、悪魔とか来ないわ!」
先生に相談しろよ、と言ったが、舩橋は無視してケチャップで魔法陣を描く作業に戻った。
俺はクッキーの缶だけを確保して逃げることもできたけど、何となく去りづらくなって、冷たい体育館の床に座った。そして、よたよたと何やら複雑な記号をケチャップで描く舩橋をじっと見ていた。
「ケチャップが血の代わりって、あんた馬鹿にするかもだけどさ。映画とかでもケチャップを血の代わりにしたりするじゃん」
だしぬけに舩橋は言った。
「普通血糊とか使うんじゃないの?」
そう言う俺も、血糊が何なのかよくわかってないが。
「予算がたくさんある映画ならね。でも、わたし達の人生ってそんなお高い映画じゃないじゃん」
わたし達、ときたか。俺も勝手に入れられているらしい。そのことを反論しようとしたが、いい言葉が見つからなくて、まごまごしている内に先を越された。
「高級な青春映画だったら、魔法陣描いて悪魔とか出てこなくて、あーあ、みたいなんであんたと二人で笑い合ってさ。そのまんまここでこうヤッたりするわけじゃん?」
「そうかぁ?」
「そうだよ。死とセックスを描いとけば、とりあえず高級な映画になるって世の中の90%以上の映画監督は思い込んでるから」
失礼な物言いだ。多分、そんなこと思ってるのは30%ぐらいじゃないか。というか、こういう極端な物言いをするから、友達もおらず、いじめられるんじゃなかろうか。
「ハナモゲラとかの人生はさ」
尾花さんのあだ名らしい。何なんだ、モゲラって。
「多分、そういう高級な映画なんだよ。だって、そこの体育倉庫で先輩とヤッてたし」
「おげっ、マジで!?」
尾花さんは何かモゲラとか付けられちゃってるが、かなりかわいい。というか、ボス格の女子というのは大抵かわいい。かわいくなければ女子の頂点には立てない、と小学校の時の同級生の水野さんは言っていた。元気かな、水野さん。私立中学に行ったけど。
水野さんはいいや。ともかく今は尾花さんだ。モゲラとか言っちゃう舩橋がフナムシなら、尾花さんはグッピーだ。うーん、水辺の生き物にたとえなきゃよかったな。これはフナムシ舩橋が悪い。
仕切り直し。そのかわいいかわいい顔面をお持ちの尾花さんが、どこの馬の骨ともしれない先輩男子と、そこのくっさい体育倉庫でズコバコっちゃってるなんて、そんなの俺は認めたくない……。
「あれ? あんた知らなかったんだ」
「おげっ」という悲鳴が珍しかったのか、舩橋は手を止めてこちらを振り返った。
「へぇ、ふーん、それでねぇ……」
「な、何だよ?」
そんな有名な話なのか? 友達の数=無の舩橋でさえ知ってるということは。
爆弾みたいな話題を投げ入れられてドギマギしている内に、舩橋はまた作業に戻った。もう一回「おげっ」ぐらい言うサービスをしてやれば、あの体育倉庫で俺も尾花さんの残り香をイメージしながらこいつを――いや、駄目だ。ただのグロ画像にしかなりゃしない。
「実はさー、それをわたし見ちゃってね」
「おげっ、マジかよ……」
それでも似たような反応をしてしまうのが、俺の悲しいところである。「小嶋は無闇にノリがいいから、大学生になった時新歓でイッキして死なないか心配」とは、これも水野さんの言葉だが、むう、確かにそうかもしれん……。
「タダじゃ済まんよな、そんなん見ちゃったら……」
「まあねえ。そのせいで今は水掛けられたり、給食にチョークの粉振りかけられたり、教科書破かれたりしてるわけ」
原因はそこにあったらしい。まあ、これが目撃したのが牧口さん辺りだったら、タダで済んでたのかもしれないが……。
「セイとシだねえ」
体を反らしながらこちらを向いて、舩橋はぺろりと舌を出した。
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