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第一章 神に選ばれしもの
峰外からの転校生
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教室が騒がしいのは、新学年が始まって間もないからという理由だけではなかった。
選定の儀を明日に控えたこの時期に、本日転校生がやって来るという。それも、産巣日町の住人ではなく、峰の外から来たよそ者らしい。
町には外部からの流入者が増えつつあったが、この斉城学園に関しては例外だった。古くから町に根付いている家の子供たちばかりが通う、特殊で閉鎖的な学園なのだ。
とりわけ通っているのは、産巣日町内の神社仏閣を代々継いできた社家の子どもか、その親類縁者か、はたまた奉職者の子どもか。ほとんど大多数が〝そういう家〟の子どもであり、八雲連峰の外から転校生を取るなど、前例がないのだ。
事実か憶測か、出所不明の情報がクラスじゅうで飛び交った。
「例の転校生、もしかしたら、東宮家のご子息かもしれないって話もあるのよ。ほら、東宮家は家の方針で、あえて神道系には無関係の、峰外の進学校に早くからご子息を通わせたそうじゃない? 見聞を広めさせるためとかなんとか。で、その外でご遊学なさっていたご子息が、選定の儀を目前にして、ついに帰還なさったのよ」
「そういうことだったの。でもまあ、よく考えてみればそうよね。選定の儀に、東宮、西宮、南条、北条の四方家が揃わないわけないもの」
「東宮家は、歴代でもっとも多くの憑坐様を輩出してきたお家だしね。東宮家が不在なら、当代は西宮家で決まりだとみんなが予想していたでしょうけど、これでわからなくなったわ。もちろん、巫女姫様が北条家で決まりなのは、まず間違いなさそうだけど」
「しっ。声が大きい、聞こえちゃうでしょ」
「聞こえたって、反論なんかしてこないわよ」
クラスの者たちがささめき合いながら、ちらちらと桃子の様子をうかがっている。
学園じゅうから無視されるということは、裏を返せば、全員から密かに注目されているということでもあった。桃子が何も言い返してこないのをいいことに、楽しげに陰口がささやかれるのは、今に始まったことではない。
桃子はただ静かに、息を殺すようにして、自身の席でうつむいていた。
そこへ、教室に担任の女教師がやってくる。休み時間の終わりが何よりの救いだった。
教師は連絡事項をいくつか伝えたあと、おもむろにこう述べた。
「今日からこの教室で、ともに学ぶ仲間が一人増えることになりました。……と、いうことですが、みんなその様子だと、もうすでに知っていそうね。さ、中へどうぞ」
担任に促され、一人の男子生徒が、教室のドアからおずおずと顔をのぞかせた。
――が、みなの注目を一身に浴びると、彼はろくに顔も見せないまま、再びその姿を引っ込めてしまった。教室内がざわつき始める。担任が早く入るよう何度か強く促し、やっと、カバンを抱きしめながら、その転校生はおそるおそる教室に足を踏み入れていた。
黒縁眼鏡をかけた小柄な少年だった。
「さ、自己紹介して」
「……や、山田……春彦、です……」
期待の眼差しを一心に向けていた生徒たちが、このとき一瞬で肩透かしを食らったのが目に見えてわかった。
「や、山田……?」
「どういうこと? 東宮のご子息ではないの」
「……ねえ、なんだか彼、おかしくない……?」
浮足立っていたクラス内の熱は急激に冷めていき、変わりに微妙な空気が流れ始めた。原因は、転校生の少年の様子にあった。
朝起きてから一度もくしを入れていないような、寝ぐせだらけのボサボサの髪に、曇ってゆがんだ眼鏡。新調されているはずの学ランは、どこで付けてきたのか、すでに泥で薄汚れてしまっている。上履きもしかり。
身なりのどこをとってもだらしがなく、おまけに本人自身も、所在なさげにそわそわと目を泳がせている。低い背丈を猫背がさらにこじんまりと見せており、この年頃特有の活力や覇気は一切なかった。
「……とんだ期待はずれだわ」
誰かがぼそっと言い放った言葉は、多くの者たちの総意でもあった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
この山田春彦という転校生は、勉学においても、まったく期待できない人物であるようだった。
転校生を珍しがった教員たちが、こぞって彼を当ててきたことで、彼の学力の低さはすぐに露呈した。
たとえば現国では、朗読の際、彼は漢字のほとんどを読むことができなかった。小学生レベルの常用漢字までも危ういとなると、逆に今までどうやって生きてきたのか不思議なほどだった。他の教科も似たようもので、とにかく基礎教養から壊滅状態であり、教師のほうが面食らわされることになった。
極めつけに、授業時間の大半を、机に突っ伏して眠って過ごしている。
昼休みに入ったところで、もう誰もこの転校生に話しかけようとはしなくなっていた。誰一人として、彼とお近づきになりたいと思う生徒はいなかったのだ。
彼は彼で、授業時間だけでは飽き足らず、休み時間のあいだもずっと眠り続けていた。
それを見た女子生徒たちが、嘆くようにささやいた。
「私、変な噂を聞いたことがあるの。東宮のご子息は――不謹慎だけど、少し前に不幸な事故で亡くなられたって。悪い冗談だと思って取り合わなかったけど、こうなってくると、いよいよその噂は真実だったのかもって思えてきちゃう」
「そんな……。選定の儀を前にして、そんな不吉なこと……」
「不吉と言えば、あの転校生も、なんだか良くないもののように見えるわよ。こんな時期にわざわざ峰外から転校してきて。あたかも東宮の君だと誤解させるような噂を巻き起こして、学園に不要な波風を立てている。不浄はいつだって、外から持ち込まれるものよ。この町に、不吉なものを呼び寄せるかもしれない」
女子生徒たちの話を小耳に挟んでしまった桃子は、転校生がすでに、そこまで忌避され始めていることに内心驚いた。
誰かに危害を加えたわけでもなく、彼が何か悪さをしたという事実もないのに、ただ変わっている、出来が悪い、転校してきた時期が悪いというだけで、不吉やら不浄やらと見なされてしまうのか。
それならば、自分にも同じ理屈が当てはまってしまうのではないかと、とても他人事のようには思えなかった。
放課後、桃子は教師に雑用を頼まれて、印刷室と職員室を何度も往復させられていた。おとなしく従順な生徒である彼女は、よくこうして、誰かにいいように使われることが多かった。
ようやく頼まれごとが片づき、教室にカバンを取りに行くと、中から荒々しい声がして、思わず入るのをやめた。窓からそっと室内を覗き込むと、今まさにいじめが行われているところのようだった。
転校生を男子生徒が数人で取り囲み、何やら詰め寄っている。
顔ぶれを見ると、普段から率先して弱い者いじめをしている連中ばかりだった。強い者には取り入りたがるが、自分の下と見なした相手には、とことん強気に出る者たちだ。
彼らはさっそく、このぼんくらそうに見える転校生に目をつけ、あらゆる方面から難癖をつけ始めた。
「お前、いったいどれだけの金を積んでこの学園に入った? ここは本来、お前みたいなのは、逆立ちしたって入れるところじゃねーんだ。出来の悪いやつがいると、俺たちまで同類に見られるだろうが」
「そいつの家に、裏口できるような財力があるもんか。選定の儀が近いことを嗅ぎつけて、ギリギリの時期になって息子をこの学園にねじ込むような卑しい家だ。幼稚舎からの学費さえも出し惜しむような」
「まあどの道、お前のような出来の悪いよそ者が、万が一にも憑坐に選ばれることなんてありえないけど」
「あ、あの……さっきから、いったい何の話をしているんですか……?」
転校生の少年が、震えながら口を開いた。
「僕は親の仕事の都合でこの町に来ただけですし、この学園に入ったのだって、家から一番近かったというだけで……」
「うそを吐け。お前の学力で、この学園の編入試験に通るはずがない。絶対何か裏があるに決まってる」
「まあ、待てよ。試験にパスするはずもない、金を積んだわけでもない。なのにこの学園に入り込める者といえば、考えられることはそう多くない。この町を外部から脅かそうとたくらむ間諜だ。さしずめ、儀式を乗っ取るか妨害するか、そのためによこされたんだろう。単なる裏口入学者よりも、さらに卑しいものだ」
彼らを仕切っているリーダー格の者がそう言い切ると、他の数名も目の色を変えていた。
「そうか、たしかに」
「そんな……違います。僕は、ただ普通にこの町に越してきただけで――」
「まだ隠し通すつもりなら、その悪計をこちらで暴いてやるまでだ。もしも間諜なら、これくらいは簡単に避けられるだろう」
追い詰められた転校生の瞳が、リーダー格の男子生徒の右手に釘付けになる。その掲げられた右手には、青い炎が浮かび上がっていた。
「な、なんですか、それは…………あなた方は、いったい……」
「まだしらばっくれるのか。いい加減、白状しろ」
燃えさかる拳が、容赦なく振るわれようとしたとき。
桃子はもう見ていられなくなり、とっさに教室内へと駆けこんでいた。彼女の存在にまったく気づいていなかった男子生徒たちは、みな一様に驚いた。
「あ、あの、カバンを、取りたいんだけど……っ」
桃子が震える声を絞り出しながら指し示した場所は、転校生の少年の真後ろ――ちょうど男子生徒たちが取り囲んでいた席――つまり、桃子の席だった。
「も、もうすぐここに先生が来るよ。新しい委員や係が決まったから、その一覧表を貼るって。……は、早く帰ったほうがいいんじゃない?」
彼らは初め、戸惑いながら互いに顔を見合わせていたが、リーダー格の男子生徒が舌打ちしながら教室を出て行くと、それに倣って、残りの者たちも慌てて退室していった。
教室内には、桃子と転校生の少年だけが残された。
心臓が、まだばくばくと暴れている。今になって、手も足も震え始めていた。
自分でも、どうしてあんな大胆な行動を取ったのかよくわからない。本当は、怖くて仕方がなかったはずなのに。もしも、男子生徒たちが素直に帰らなかったらと考えると、縮み上がる思いだった。
「あ、あの……ありがとうございます……助けてくださって……」
桃子以上に呆然としていた少年が、我に返って礼を述べた。
「あの、今の炎はいったい何だったんですか? 手から勝手に飛び出したように見えました。――そ、それと、僕は決して怪しい者では……」
「大丈夫、疑ってなんかいないよ。それから、あれはただの鬼火。外から来た人には見慣れないだろうけど、この町ではさして珍しくもないの。ただの鬼火にあんなに驚いている人が、この町に何かたくらみを持ってやって来ているだなんて、あまり考えにくいし……」
そう言いながら、桃子は手にしていたプリントを、黙々と黒板横の壁に貼り始めていた。教師がもうすぐここに来るというのは、とっさに口から出たでまかせだった。プリントを掲示しておくように言いつけられていたのは、桃子自身なのだ。
桃子の背を見つめながら、転校生――山田春彦は言った。
「本当に、助かりました。勇気があるんですね。僕があなたの立場だったら、同じことをできたかどうか」
「とんでもない。そんな立派なものじゃないの」
桃子は慌てて否定した。
「勝算があったから、出て行けただけ。誰も私と関わりたくなんてないだろうから。思ったとおり、あっさり引いてくれた。これはむしろ情けないことなのよ。……今後は、あなたも私とあまり話さないほうがいいよ。あなたのためにならないから」
プリントを貼り終えた桃子が戻ろうとすると、転校生の少年が、食い気味に前に出ていた。
「どうして。そんなのおかしいです。あなたは、こんな見ず知らずの僕のために、危険を省みずに動いてくれるような素晴らしい人なのに。どうして、そんな理不尽な目に遭っているんです」
「……買いかぶりすぎだよ」
「あの、よかったら、お名前を教えていただけませんか?」
桃子は少しためらってから、仕方なく答えていた。
「南条……桃子です」
「桃子さん。可愛らしいお名前ですね。どうしてだろう、会ったばかりなのに、あなたにぴったりだという気がします」
少年が恥ずかしげもなく言うので、桃子のほうが戸惑うばかりだった。
「あなたのような方が同じクラスにいてくださって、本当に嬉しいです。これからよろしくお願いします、桃子さん」
「ど、どうして、下の名前なの」
「お嫌でしたか?」
「そ、そういうわけではないけど」
なんと返すべきか迷っていると、転校生の少年が先に答えていた。
「桃子さんって、素敵なお名前だと思ったんです。だから、僕もあなたのことをそう呼んでみたくて。すみません、ご迷惑ならやめます」
「め、迷惑だとは……わかったわ、そう呼んで構わないから。そんなに言うなら……」
「わあ、ありがとうございます、桃子さん」
途端に笑顔になった少年を見て、桃子はやや当惑したものの、あまりに屈託がないので、いつの間にかつられて自分も微笑んでいた。
(なんて無邪気に笑うの、まるで子どもみたい。でも……可愛いかもしれない。同い年の男の子に可愛いなんておかしいけど)
桃子はおもむろに、こう口にしていた。
「じゃあ……私も、『春彦くん』って呼んでもいい……?」
「はい、もちろん。ぜひそう呼んでください」
少年――春彦の笑顔が目にまぶしかった。
こんなふうに何の含みも持たず、無邪気に笑うことのできる人物に、桃子は久しく巡り会っていなかったように思う。
仮にも異性のクラスメイトに、しかも今の自分の立場を考えるならなおのこと、仲良くなるべきではないのに。なぜか流されてしまう。後先を考えない愚かな行いだと思った。
桃子の胸中など知るよしもない春彦は、実に嬉しそうだった。
「僕、この町に来てよかったです。不思議でよくわからないことも多いけど、この学園に入って、桃子さんと出会うことができたから」
あまりに自然に言われて、桃子は春彦の顔を直視できなくなってしまった。彼は純粋に、友人としてそう言ったのだとしても、どう解釈するかは桃子次第だ。異性であるということを意識してしまうと、自分にだけ邪念があるように感じて、一人できまりが悪くなっていた。
今朝、春彦が教壇横で自己紹介していたときにはまったく気づかなかったが、近くで見ると、彼はなかなか綺麗な顔立ちをしていた。身なりにまったく気を使っていないのが手に取るようにわかる風采だが、少し手を加えれば、十分見栄えのする男の子になるのではないか。
「桃子さん、一つ訊かせてください。どうしてあなたのような方が、この学園で理不尽な目に遭われているんですか」
選定の儀を明日に控えたこの時期に、本日転校生がやって来るという。それも、産巣日町の住人ではなく、峰の外から来たよそ者らしい。
町には外部からの流入者が増えつつあったが、この斉城学園に関しては例外だった。古くから町に根付いている家の子供たちばかりが通う、特殊で閉鎖的な学園なのだ。
とりわけ通っているのは、産巣日町内の神社仏閣を代々継いできた社家の子どもか、その親類縁者か、はたまた奉職者の子どもか。ほとんど大多数が〝そういう家〟の子どもであり、八雲連峰の外から転校生を取るなど、前例がないのだ。
事実か憶測か、出所不明の情報がクラスじゅうで飛び交った。
「例の転校生、もしかしたら、東宮家のご子息かもしれないって話もあるのよ。ほら、東宮家は家の方針で、あえて神道系には無関係の、峰外の進学校に早くからご子息を通わせたそうじゃない? 見聞を広めさせるためとかなんとか。で、その外でご遊学なさっていたご子息が、選定の儀を目前にして、ついに帰還なさったのよ」
「そういうことだったの。でもまあ、よく考えてみればそうよね。選定の儀に、東宮、西宮、南条、北条の四方家が揃わないわけないもの」
「東宮家は、歴代でもっとも多くの憑坐様を輩出してきたお家だしね。東宮家が不在なら、当代は西宮家で決まりだとみんなが予想していたでしょうけど、これでわからなくなったわ。もちろん、巫女姫様が北条家で決まりなのは、まず間違いなさそうだけど」
「しっ。声が大きい、聞こえちゃうでしょ」
「聞こえたって、反論なんかしてこないわよ」
クラスの者たちがささめき合いながら、ちらちらと桃子の様子をうかがっている。
学園じゅうから無視されるということは、裏を返せば、全員から密かに注目されているということでもあった。桃子が何も言い返してこないのをいいことに、楽しげに陰口がささやかれるのは、今に始まったことではない。
桃子はただ静かに、息を殺すようにして、自身の席でうつむいていた。
そこへ、教室に担任の女教師がやってくる。休み時間の終わりが何よりの救いだった。
教師は連絡事項をいくつか伝えたあと、おもむろにこう述べた。
「今日からこの教室で、ともに学ぶ仲間が一人増えることになりました。……と、いうことですが、みんなその様子だと、もうすでに知っていそうね。さ、中へどうぞ」
担任に促され、一人の男子生徒が、教室のドアからおずおずと顔をのぞかせた。
――が、みなの注目を一身に浴びると、彼はろくに顔も見せないまま、再びその姿を引っ込めてしまった。教室内がざわつき始める。担任が早く入るよう何度か強く促し、やっと、カバンを抱きしめながら、その転校生はおそるおそる教室に足を踏み入れていた。
黒縁眼鏡をかけた小柄な少年だった。
「さ、自己紹介して」
「……や、山田……春彦、です……」
期待の眼差しを一心に向けていた生徒たちが、このとき一瞬で肩透かしを食らったのが目に見えてわかった。
「や、山田……?」
「どういうこと? 東宮のご子息ではないの」
「……ねえ、なんだか彼、おかしくない……?」
浮足立っていたクラス内の熱は急激に冷めていき、変わりに微妙な空気が流れ始めた。原因は、転校生の少年の様子にあった。
朝起きてから一度もくしを入れていないような、寝ぐせだらけのボサボサの髪に、曇ってゆがんだ眼鏡。新調されているはずの学ランは、どこで付けてきたのか、すでに泥で薄汚れてしまっている。上履きもしかり。
身なりのどこをとってもだらしがなく、おまけに本人自身も、所在なさげにそわそわと目を泳がせている。低い背丈を猫背がさらにこじんまりと見せており、この年頃特有の活力や覇気は一切なかった。
「……とんだ期待はずれだわ」
誰かがぼそっと言い放った言葉は、多くの者たちの総意でもあった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
この山田春彦という転校生は、勉学においても、まったく期待できない人物であるようだった。
転校生を珍しがった教員たちが、こぞって彼を当ててきたことで、彼の学力の低さはすぐに露呈した。
たとえば現国では、朗読の際、彼は漢字のほとんどを読むことができなかった。小学生レベルの常用漢字までも危ういとなると、逆に今までどうやって生きてきたのか不思議なほどだった。他の教科も似たようもので、とにかく基礎教養から壊滅状態であり、教師のほうが面食らわされることになった。
極めつけに、授業時間の大半を、机に突っ伏して眠って過ごしている。
昼休みに入ったところで、もう誰もこの転校生に話しかけようとはしなくなっていた。誰一人として、彼とお近づきになりたいと思う生徒はいなかったのだ。
彼は彼で、授業時間だけでは飽き足らず、休み時間のあいだもずっと眠り続けていた。
それを見た女子生徒たちが、嘆くようにささやいた。
「私、変な噂を聞いたことがあるの。東宮のご子息は――不謹慎だけど、少し前に不幸な事故で亡くなられたって。悪い冗談だと思って取り合わなかったけど、こうなってくると、いよいよその噂は真実だったのかもって思えてきちゃう」
「そんな……。選定の儀を前にして、そんな不吉なこと……」
「不吉と言えば、あの転校生も、なんだか良くないもののように見えるわよ。こんな時期にわざわざ峰外から転校してきて。あたかも東宮の君だと誤解させるような噂を巻き起こして、学園に不要な波風を立てている。不浄はいつだって、外から持ち込まれるものよ。この町に、不吉なものを呼び寄せるかもしれない」
女子生徒たちの話を小耳に挟んでしまった桃子は、転校生がすでに、そこまで忌避され始めていることに内心驚いた。
誰かに危害を加えたわけでもなく、彼が何か悪さをしたという事実もないのに、ただ変わっている、出来が悪い、転校してきた時期が悪いというだけで、不吉やら不浄やらと見なされてしまうのか。
それならば、自分にも同じ理屈が当てはまってしまうのではないかと、とても他人事のようには思えなかった。
放課後、桃子は教師に雑用を頼まれて、印刷室と職員室を何度も往復させられていた。おとなしく従順な生徒である彼女は、よくこうして、誰かにいいように使われることが多かった。
ようやく頼まれごとが片づき、教室にカバンを取りに行くと、中から荒々しい声がして、思わず入るのをやめた。窓からそっと室内を覗き込むと、今まさにいじめが行われているところのようだった。
転校生を男子生徒が数人で取り囲み、何やら詰め寄っている。
顔ぶれを見ると、普段から率先して弱い者いじめをしている連中ばかりだった。強い者には取り入りたがるが、自分の下と見なした相手には、とことん強気に出る者たちだ。
彼らはさっそく、このぼんくらそうに見える転校生に目をつけ、あらゆる方面から難癖をつけ始めた。
「お前、いったいどれだけの金を積んでこの学園に入った? ここは本来、お前みたいなのは、逆立ちしたって入れるところじゃねーんだ。出来の悪いやつがいると、俺たちまで同類に見られるだろうが」
「そいつの家に、裏口できるような財力があるもんか。選定の儀が近いことを嗅ぎつけて、ギリギリの時期になって息子をこの学園にねじ込むような卑しい家だ。幼稚舎からの学費さえも出し惜しむような」
「まあどの道、お前のような出来の悪いよそ者が、万が一にも憑坐に選ばれることなんてありえないけど」
「あ、あの……さっきから、いったい何の話をしているんですか……?」
転校生の少年が、震えながら口を開いた。
「僕は親の仕事の都合でこの町に来ただけですし、この学園に入ったのだって、家から一番近かったというだけで……」
「うそを吐け。お前の学力で、この学園の編入試験に通るはずがない。絶対何か裏があるに決まってる」
「まあ、待てよ。試験にパスするはずもない、金を積んだわけでもない。なのにこの学園に入り込める者といえば、考えられることはそう多くない。この町を外部から脅かそうとたくらむ間諜だ。さしずめ、儀式を乗っ取るか妨害するか、そのためによこされたんだろう。単なる裏口入学者よりも、さらに卑しいものだ」
彼らを仕切っているリーダー格の者がそう言い切ると、他の数名も目の色を変えていた。
「そうか、たしかに」
「そんな……違います。僕は、ただ普通にこの町に越してきただけで――」
「まだ隠し通すつもりなら、その悪計をこちらで暴いてやるまでだ。もしも間諜なら、これくらいは簡単に避けられるだろう」
追い詰められた転校生の瞳が、リーダー格の男子生徒の右手に釘付けになる。その掲げられた右手には、青い炎が浮かび上がっていた。
「な、なんですか、それは…………あなた方は、いったい……」
「まだしらばっくれるのか。いい加減、白状しろ」
燃えさかる拳が、容赦なく振るわれようとしたとき。
桃子はもう見ていられなくなり、とっさに教室内へと駆けこんでいた。彼女の存在にまったく気づいていなかった男子生徒たちは、みな一様に驚いた。
「あ、あの、カバンを、取りたいんだけど……っ」
桃子が震える声を絞り出しながら指し示した場所は、転校生の少年の真後ろ――ちょうど男子生徒たちが取り囲んでいた席――つまり、桃子の席だった。
「も、もうすぐここに先生が来るよ。新しい委員や係が決まったから、その一覧表を貼るって。……は、早く帰ったほうがいいんじゃない?」
彼らは初め、戸惑いながら互いに顔を見合わせていたが、リーダー格の男子生徒が舌打ちしながら教室を出て行くと、それに倣って、残りの者たちも慌てて退室していった。
教室内には、桃子と転校生の少年だけが残された。
心臓が、まだばくばくと暴れている。今になって、手も足も震え始めていた。
自分でも、どうしてあんな大胆な行動を取ったのかよくわからない。本当は、怖くて仕方がなかったはずなのに。もしも、男子生徒たちが素直に帰らなかったらと考えると、縮み上がる思いだった。
「あ、あの……ありがとうございます……助けてくださって……」
桃子以上に呆然としていた少年が、我に返って礼を述べた。
「あの、今の炎はいったい何だったんですか? 手から勝手に飛び出したように見えました。――そ、それと、僕は決して怪しい者では……」
「大丈夫、疑ってなんかいないよ。それから、あれはただの鬼火。外から来た人には見慣れないだろうけど、この町ではさして珍しくもないの。ただの鬼火にあんなに驚いている人が、この町に何かたくらみを持ってやって来ているだなんて、あまり考えにくいし……」
そう言いながら、桃子は手にしていたプリントを、黙々と黒板横の壁に貼り始めていた。教師がもうすぐここに来るというのは、とっさに口から出たでまかせだった。プリントを掲示しておくように言いつけられていたのは、桃子自身なのだ。
桃子の背を見つめながら、転校生――山田春彦は言った。
「本当に、助かりました。勇気があるんですね。僕があなたの立場だったら、同じことをできたかどうか」
「とんでもない。そんな立派なものじゃないの」
桃子は慌てて否定した。
「勝算があったから、出て行けただけ。誰も私と関わりたくなんてないだろうから。思ったとおり、あっさり引いてくれた。これはむしろ情けないことなのよ。……今後は、あなたも私とあまり話さないほうがいいよ。あなたのためにならないから」
プリントを貼り終えた桃子が戻ろうとすると、転校生の少年が、食い気味に前に出ていた。
「どうして。そんなのおかしいです。あなたは、こんな見ず知らずの僕のために、危険を省みずに動いてくれるような素晴らしい人なのに。どうして、そんな理不尽な目に遭っているんです」
「……買いかぶりすぎだよ」
「あの、よかったら、お名前を教えていただけませんか?」
桃子は少しためらってから、仕方なく答えていた。
「南条……桃子です」
「桃子さん。可愛らしいお名前ですね。どうしてだろう、会ったばかりなのに、あなたにぴったりだという気がします」
少年が恥ずかしげもなく言うので、桃子のほうが戸惑うばかりだった。
「あなたのような方が同じクラスにいてくださって、本当に嬉しいです。これからよろしくお願いします、桃子さん」
「ど、どうして、下の名前なの」
「お嫌でしたか?」
「そ、そういうわけではないけど」
なんと返すべきか迷っていると、転校生の少年が先に答えていた。
「桃子さんって、素敵なお名前だと思ったんです。だから、僕もあなたのことをそう呼んでみたくて。すみません、ご迷惑ならやめます」
「め、迷惑だとは……わかったわ、そう呼んで構わないから。そんなに言うなら……」
「わあ、ありがとうございます、桃子さん」
途端に笑顔になった少年を見て、桃子はやや当惑したものの、あまりに屈託がないので、いつの間にかつられて自分も微笑んでいた。
(なんて無邪気に笑うの、まるで子どもみたい。でも……可愛いかもしれない。同い年の男の子に可愛いなんておかしいけど)
桃子はおもむろに、こう口にしていた。
「じゃあ……私も、『春彦くん』って呼んでもいい……?」
「はい、もちろん。ぜひそう呼んでください」
少年――春彦の笑顔が目にまぶしかった。
こんなふうに何の含みも持たず、無邪気に笑うことのできる人物に、桃子は久しく巡り会っていなかったように思う。
仮にも異性のクラスメイトに、しかも今の自分の立場を考えるならなおのこと、仲良くなるべきではないのに。なぜか流されてしまう。後先を考えない愚かな行いだと思った。
桃子の胸中など知るよしもない春彦は、実に嬉しそうだった。
「僕、この町に来てよかったです。不思議でよくわからないことも多いけど、この学園に入って、桃子さんと出会うことができたから」
あまりに自然に言われて、桃子は春彦の顔を直視できなくなってしまった。彼は純粋に、友人としてそう言ったのだとしても、どう解釈するかは桃子次第だ。異性であるということを意識してしまうと、自分にだけ邪念があるように感じて、一人できまりが悪くなっていた。
今朝、春彦が教壇横で自己紹介していたときにはまったく気づかなかったが、近くで見ると、彼はなかなか綺麗な顔立ちをしていた。身なりにまったく気を使っていないのが手に取るようにわかる風采だが、少し手を加えれば、十分見栄えのする男の子になるのではないか。
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・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)
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