【R18】巫女と荒神 ~いまだ神話の続く町~

ゴリエ

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第一章 神に選ばれしもの

選定の儀②

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「ほら、もう間もなく始まるわ」

 祭壇がまつられた高台に、正装した神職たちがぞろぞろと現れ出始めていた。
 彼らの正装衣は俗にいう平安装束へいあんしょうぞくだが、男女入り混じっており、それぞれで着ているものも大きく異なっていた。

 男性は頭に垂纓冠すいえいかんをかぶり、階級によって違う色のほうと袴を着用している。そして女性は、造花をつけた釵子さいしというかんざしと左右に垂れた日陰糸ひかげのいとで頭髪を飾り、唐衣からぎぬ表着うえのきぬひとえを合わせて着ている。男女共通なのは、厚底の浅沓あさぐつを履いていることくらいだ。
 いずれも東雲しののめ神社の神職たちである。

 彼らはみな、各々に雅楽器を手にしていた。篳篥ひちりき龍笛りゅうてきしょうといった管楽器や、羯鼓かっこ太鼓たいこ鉦鼓しょうこなどの打楽器、そして、琵琶びわそうなどの弦楽器である。

 この非日常の光景は、一気に場の空気を厳かなものに変え、誰がいさめずとも、自然と辺りは静まりかえっていた。人々の緊張した息づかいだけがその場に居残っている。
 そして、間もなく演奏が開始された。大祭の始まりにふさわしい、清浄な音色が響き渡る。東雲神社の神職たちによる雅楽奏上は、音色のひとつひとつに少しの乱れも混じることのない洗練されたものだった。

 が、しかし、ふと隣の春彦に目をやると、始まって幾ばくも経っていないというのに、すでにもうまぶたが閉じかかっていた。
 たしかに伝統的な雅楽は、旋律も拍子も非常に単調で、聴きなれない者にとってはある種の苦行かもしれない。だからといって、堂々と大口を開けてあくびを隠そうともしないのも、いかがなものかと思ったが。

 おかげでちっとも鑑賞に集中できず、開き直って、桃子も他のことに意識を向け始めていた。

(やっぱり、東宮あずまみやのご令息と見られる方は、この楽団の中にもいらっしゃらない。もしかしたら、お亡くなりになったという噂は本当に……)

 この場の誰もが、桃子と同じようなことを考えていたはずだ。
 歴代にわたって憑坐よりまし候補の最有力とみなされてきた東宮家が、選定の儀に候補者となる若君を一人も用意しないというのは、過去の例において一度もなかったことなのだ。

 荒神あらがみの血を正統に受け継ぐ嫡流ちゃくりゅうの家として、まず東宮が生まれ、東宮の分家として西宮にしみやが生まれたというのが通説であり、東宮は名実ともに、この産巣日町むすひのちょうでもっとも神に近い一族であるといえた。
 そのため、東宮が儀式に候補者を出してこないというのは、本来ならば大変な番狂わせだが、関係者桟敷席さじきせきに座る東雲神社の宮司やそれに連なる親族たちは、特に悲観したふうもなく、居住まいを正して悠然とそこに構えていた。

 人々の疑問は解消されぬまま、雅楽奏上は滞りなく終了し、続いてお弓神事が開始されようとしていた。生徒や参列者の眼前に、同心円の描かれた大的が粛々と用意される。

 そのとき、女子生徒たちから抑えきれない黄色い歓声が上がった。正装した西宮が登場したのだ。
 大人の神職たちと同じように、彼も冠をかぶり、緑のほうと袴を着用している。歩きにくそうな厚底の浅沓あさぐつを履いているというのに、慣れた様子で平然と歩いていた。
 まだ神職の資格を取得していないため、一番等級の低い緑の袍を着ているが、西宮が身につけるものは何でも一定の価値あるものに見えてしまうのが、また不思議だった。

「あれが西宮という人ですか」

 雅楽奏上の折には立位のまま器用に寝入っていた春彦が、一転して真剣な顔つきに変わっていた。
 春彦が急に興味を示したのは、西宮が、桃子を孤立させるよう仕向けたに等しい主犯格の人物だと聞かされていたからだろう。

「え、ええ。彼が西宮幸成にしみやゆきなりくんだけど……」

 一応同じクラスであり、昨日も西宮は授業でそれなりに活躍していたはずだが、春彦は今初めて彼を認識した様子でしげしげと眺めていた。
 昨日転校してきたばかりとはいえ、どの授業でも何かと発言しては目立っていた西宮を、少しも認識していなかったというのは、さすがに人に対して興味関心が薄すぎると言わざるを得ない。
 春彦が今のところ強い関心を示すのは、どれも桃子絡みのことばかりだった。

 春彦が、西宮を食い入るように見つめて言った。

「彼が今から携わるお弓神事ゆみしんじとは、どういったものなのでしょう」
「その名のとおり、矢を射る射礼じゃらいよ。矢を放つ音で、いろいろな悪いものをはらうの。神社での弓をあつかった弓祓いはらいといえば、馬にまたがる騎射きしゃ――流鏑馬やぶさめなんかが派手で有名だけど、今回は馬には乗らない歩射ぶしゃ
西宮くんは流鏑馬の腕もかなりのものだけど、あれは危険を伴う大技でもあるし、選定の儀の前に負傷者を出すわけにはいかないということで、前儀は歩射と決まっている。射手も西宮くん一人だけよ。それでも彼には華があるから、独壇場でも充分間を持たせることはできるでしょうけど」
「そんなにすごい人なんですか」

 春彦は、少々面白くなさそうに桃子の話を聞いていた。桃子がやたらと加害者であるはずの西宮を持ち上げたのが、気に食わなかったのかもしれない。
 なんとなく気まずさを覚えて、桃子は話をお弓神事へと戻していた。

「今回の弓祓いは、五本の御神矢ごしんやを四隅に放って、最後の残りの一本を同心円の中央に向けて射かけるものなの。矢が的に当たりすぎるのもかえって良くないと忌み嫌われるものらしいから、最初の四本はわざと外すのよ」
「なるほど」
「――というやり方が、一応この町での伝統なんだけど……」

 そう前置いてから、桃子はやや言いにくそうに言葉を繋いだ。

「でも、西宮くんはその……わざと外すっていう行為がものすごく嫌いで。彼のプライドが、わざとでもそれを許さないみたいでね。その決まりを無視して、いつもなんとしてでも、的の中央に五本の矢をすべて当ててくるの」
「え――……それはまた、すごいですね。……いろんな意味で。それって、偉い人に怒られたりしないんですか」
「まあ、普通だったらものすごく怒られるだろうし、最初はやっぱりみんなびっくりしてたよ。でもいつからか、西宮くんのそのやり方が評判になったの。何せ彼、一度も外したことがないから。それが吉兆であり、神意しんいだと信じる人まで現れ始めて。
――それに、たしかにとんでもない型破りではあるけど、西宮くんのそういう奔放なところは、見ようによっては荒神様の本質に近いと言えなくもない。神という存在は、本来人の手には負えない激しさや苛烈さを備えているものだから。簡単に人の言いなりになったりせず、我を通しても、周りがそれを自然と許してしまう空気を作り出す。そんな特別な人だからこそ、誰もが西宮くんを、憑坐よりましの第一候補だと認識しているのよ」

 桃子の話をふまえて、春彦は今一度西宮に視線をやった。
 大勢の参列者の前にあって、堂々とした立ち姿を崩すこともない。まっすぐな瞳は、たしかに悪いものを寄せつけそうもない、陽の気で満ち溢れているように見える。上背うわぜいもあって手足もすらりと長く、生まれ持って恵まれた体格の者のみがまとうことを許される、自信や覇気がそこにはあった。
 反対に、今の春彦には、まったく持ち合わせのないものだ。

 介添かいぞえから弓と矢を受け取った西宮が、すっと構えをとる。その横顔に緊張の色はなく、むしろ、ここにいる参列者の誰より落ち着きはらって楽しげにさえ見えた。
 矢をつがえて引きしぼり、優雅にすら見える自然な動作で、いともあっさりと的の中央を射抜く。
 二本目、三本目、四本目……と、同じように彼が次々と的中させるたびに、この場に大きな歓声が上がった。本来外すべき四本の矢を、当然のようにすべて中央に当てきった西宮は、少しも悪びれた様子もなく、まんざらでもなさそうに鼻を鳴らした。――しかし。

 ふいに西宮は、何かに感応したように、驚いた様子で鋭い視線をある一点へと向けた。
 それはあろうことか、桃子のいる方向へと向けられていた。桃子は突然のことに驚いて、とっさに目をそらす。

(き、気のせいよね? 西宮くんが私を見るなんて……)

 桃子はうるさく鳴り響く心臓を、必死で落ち着かせようとしていた。
 そして、一方西宮のほうは、そのときからはた目にもわかるほど、明らかに様子がおかしくなっていった。

 気もそぞろなままで射かけた矢は、大的からは大きくそれて垂れ幕に当たり、勢いをなくしてぽとりと地面に落ちていた。
 周囲の驚きようといったら、西宮本人以上のものがあった。

「な、何があったの? まさか西宮先輩が外されるなんて――」
「きっと、最後の矢はわざとなのよ。選定の儀はこの町一番の大祭だもの。やっぱり、ある程度は儀礼にかなっていないとまずいのだと、宮司か大巫女様にでもたしなめられたのだわ」

 そのような憶測話が、いたるところでささやかれていた。
 西宮自身は何も語らずに、役目を終えてさっさと退いていたが、桃子は内心彼のことが心配でたまらなかった。
 それをいち早く察した春彦が、たしなめるように言った。

「桃子さんが同情することなんてありませんよ。いいんじゃないですか。ああいう鼻っ柱の強い人は、このへんで一度折られておいたほうが。そのほうが本人のためでしょう」

 西宮をよく思っていないとはいえ、春彦の物言いはあまりに辛らつで、桃子はこれにも驚いていた。

 やはり今日の春彦は、昨日の彼とは何かが違う。大部分でぼうっとしているところは相変わらずだが、時折垣間見せる強いまなざしや、迷いのない言葉は、昨日の弱々しく縮こまった彼からは、なかなか出てこないものに思える。
 それに、昨日は簡単な漢字すらまともに読めなかったというのに、今日は言葉遣いも幾分か大人びている。

 違和感を拭えないまま、前儀は次第どおりに進んでいった。祝詞奏上のりとそうじょう奉幣ほうへいなどの儀礼が滞りなく終了し、続いて、南条と北条による神楽舞かぐらまいが始まろうとしていた。
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