【R18】巫女と荒神 ~いまだ神話の続く町~

ゴリエ

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第三章 蔑むべきもの

大巫女の来訪

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 放課後、忍に連れられた先は、学園敷地内にある柔剣道場だった。いつもは部活動に励む生徒たちの活気に満ちた場所だが、今日は桃子や忍のほかに、生徒は一人もいない。

 奥にはすでに、中条家の大巫女が、介添えの巫女とともに鎮座していた。

「しばらくぶりだの、桃子や」

 しわがれた声で老婆が言った。
 桃子は彼女の前で膝を折ると、丁寧に礼をした。

「大巫女様、ご無沙汰しております」

 この老婆と相対するとき、桃子は決まって緊張した。曲がり切った腰、骨ばったしわしわの細い手……外見はこじんまりとして見えても、内包された鋭い気迫にいつも圧倒された。
 ふいに、大巫女が口を開く。

「選定の儀が終わってひと月になるか。どうだ、巫女姫としての暮らしは」
「どう、とおっしゃいますと……」
「辛いか」

 桃子は、とっさに返答できなかった。あれこれ話さずとも、おそらくこの老婆はすべてを見抜いている。知った上で、あえて問いかけているのだ。
 それは詰問ではなく、どちらかと言えば気遣いであった。

「実のところ、桃子――そなたが巫女姫として選ばれるであろうことは、私のうらにはかなり以前から出ておった。公平を期すため一切の他言はしておらなんだが。それに占は絶対ではない。望まぬ結果が出たとき、それを回避し覆すためのものでもある。すべて占のとおりに事が運ぶわけではないのだ」

 桃子が大巫女の言葉に少なからず驚いていると、老婆はさらに続けた。

「どこの家でも暗黙の了解で、それぞれが占を行い、選定の儀に備えて予測を立てていたはず。忍、北条家でもそうだな」

 ふいに話を振られた忍は、さして驚きもせず淡々と答えた。

「はい。北条独自で行った占の結果は、幼少のころより知り得ておりました」

 桃子は、何も知らなかったのは自分だけだったということを、あらためて思い知った。
 大巫女が、忍の言葉に大仰おおぎょうに頷く。

「占の結果はともかく、忍。そなたが巫女姫の座を目指して誰より努力していたことは、この私も心得ている。そして、適性や素質も十分。……どうだ、桃子。巫女姫の座を、たとえばこの忍に譲る気はないか」
「え……?」

 桃子は思わぬ方向に話が動いたことに、耳を疑った。
 四方家の中でも、この大巫女の属する中条家が絶対の権力を有しているのは、他のどの家にも決して肩入れせず、あくまで審神者さにわとして公平を期す立場にあるからだった。

 その〝中の大巫女〟が、特定の家の娘を巫女姫にと推すようなことなど、あってはならない。
 桃子の戸惑いを察し、大巫女は足りなかった言葉を補足した。

「勘違いをするでないよ。私はどの家の肩を持つ気もない。ある者がどれほど努力しようと、また他から見て適性があろうと、巫女姫を選ぶのは神の御意思――つまり神意だ。さだめというものは時として酷なものでな、切望している者のもとにではなく、まったく望まぬ者のところに、突如舞い降りることもある。誰も、人の身でその意図を推し量ることはできぬ。
そなたも知ってのとおり、憑坐よりましはもはや、一人の者が生涯かけて担う役割ではなくなった。これが何を意味するのか。仔細しさいははっきりせずとも、神意が揺らいでいるということだけは明らかだ。
巫女姫のもっとも重要な役割とは、御神の荒魂あらみたまを癒し鎮めること。しかし、本当の意味での癒しが得られなければ、その魂は一向に鎮まることはない。御神は癒しを得るすべを求めて、憑坐の体をさまよっておるのやもしれぬ。このまま癒しが得られなければ、御神はたちまち荒ぶり、この地に災厄をもたらすだろう。私の占にはそう出ている」

 はっきりとそう宣告され、桃子は息を呑んだ。どうすれば……と聞く前に、大巫女はもう口を開いていた。

「まことの癒しが得られぬ原因として、一つ考えられることは、桃子、そなたの中に迷いがあることだな」

 予期していたことを、ついに言い当てられてしまった気分だった。

「すみません、私……っ」
「よい、何も責めてはおらぬ。責めたところで、人の心など変わりようもない。本人ですら、ままならないものなのだから。私はな、もしもそなたが巫女姫でい続けることに苦痛を感じているのであれば、他の者にその座を譲ることもやぶさかではない――そう告げにきたのだ。
神とてな、我ら人のように、時には間違うこともある。そなたが選ばれたことが間違いだというのではないよ。たとえさだめられた二人でも、ふと何かが噛み合わなくなることはあり得るのだ。どういうわけか、今かつてないほど神意は揺らぎ、憑坐も巫女姫も、もはや占では何も見えぬ状況にある。しかし、このまま何もせず凶兆を招くことだけは、なんとしても避けなければならない」

 大巫女は、桃子と忍を交互に見つめて言った。

「どうだろう。そなたたち二人が、この場で神楽舞かぐらまいの競演を行うというのは。それにより、どちらが巫女姫にふさわしいかを見顕みあらわすのだ。他者と競合し研鑽けんさんすることで、桃子自身が己の迷いを断ち切る足がかりとなるのであればよし、しかし、もしもそれが適わぬのであれば、巫女姫の座は他に譲渡してもらうことになるやもしれぬ。占が役に立たぬ以上、実験的でも不確かな方法にすがるしか、もはや道は残されてはおらなんだ」
「中の御方様おんかたさまの、仰せのままに」

 忍は、あらかじめこのことを知っていたかのように、すぐに承諾していた。
 桃子は返答を迷っていたが、やがて重い口を開いた。

「大巫女様、おっしゃるとおり、私の中には迷いがあります。初めからそうでした。まさか自分が選ばれるなどとは、露ほども思っておりませんでしたし、それから、その……巫女姫の真の役割というものを、お恥ずかしながら、選定の儀ののちに初めて知りました。それもあり、十分に覚悟ができていなかったということは大きいと思います。
でも、たとえ今お話ししたことを差し引いたとしても、私は自分が巫女姫たる器だとは思えません。もしも他者に譲ることが本当に可能なら――その人が心から巫女姫となることを望み、それが一番皆にとって良い選択となるのでしたら、私はいつでもこの座を降りても構いません。むしろ、それは私にとっても救いとなるでしょう。ですが……」

 桃子は言いかけてから、ためらいがちに忍に視線を合わせる。

「あの、忍ちゃん、今さらだけど……。あなたはその……巫女姫としての役割を、本当に承知の上で――」
「愚問だな。知っているに決まってる。巫女姫が荒神を鎮めるということは、憑坐とのあいだに子をもうける、つまり誓約うけいの儀を成立させるということだろう」
「し、知っているのに、それでも巫女姫になりたいって思うの? 忍ちゃんは、本気でそれを望んでいるの。誰かに……たとえばご両親に強制されて、仕方なく志しているということはない? それであなたは耐えられるの」
「では、お前なら耐えられるというのか」

 忍に毅然と反論されて、桃子は何も返せなかった。
 すると、忍は急に、諭すような優しい口調になった。

「私への気遣いなら無用だ。巫女姫となることは、私自身の悲願でもあった。もうずっと、何年も望み続けてきたことなんだ」

 忍の目を見れば、彼女が決して嘘を吐いているわけではないということが、自ずと伝わってきた。しかし、桃子にはなぜかどうしても、忍が憑坐とのあいだに子どもをもうけたがっているとは思えないのだった。

 たとえば、今現在憑坐である西宮や、以前の春彦などを、忍が心から愛し、彼らの子を身ごもる様を、どうしても想像できない。どういうわけか、奇妙な違和感が拭えないのだった。

 もともと男女問わず、学内でもよくもてていた忍だが、浮いた話は今までに一度も聞いたことがない。
 彼女は多くの者から愛されることはあっても、彼女のほうから誰かに愛をそそぐという姿が、桃子には見えてこないのだった。あまり感情を表に出さない彼女ではあるので、もしかしたら、内に秘めた想いがあるのかもしれないが……。

 桃子が返答を渋っていると、忍がしびれを切らした。

「このままお前が巫女姫でい続けても、停滞どころか、事態の悪化をも招きかねない。おとなしく私と勝負してその迷いを断ち切るか、でなければ、すぐにでも巫女姫の座を他の誰かに譲れ。私に譲るのが気に食わないなら、この際別の適任者でも構わない。私よりも適任の者がいれば、の話だが。さあ、どうする」

 そこまで言うのなら、と桃子は覚悟を決めて顔を上げた。

「わかりました。忍ちゃん、あなたとの勝負を受けることにします。でも……最後にこれだけは確認させて。忍ちゃんは、その悲願が成就すれば嬉しいんだね? 本当に、心から幸せだって思えるんだね?」

 桃子の問いに、忍は目を細めて少しのためらいもなく告げた。

「ああ、そうだよ。巫女姫になることができれば、私は心の底から幸福だと思えるだろう」
「――わかった。なら、もう何も言うことはないよ。一緒に舞いましょう」
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