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第五章 この世のすべてを照らすもの
神呼びの社①
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桃子は今度こそ間違いなく目を覚ましていた。いつも彼女が寝起きしている、東宮家の一室だ。
ゆっくりと上体を起こし、まさしく自分の――南条桃子の体に間違いない、とあらためて確認してから、胸元にそっと手を当てた。
(あれはきっと過去の夢。実際に起きた出来事なんだわ)
強く確信を抱いた。今は皇彦に憑かれていなくても、彼と桃子とのあいだには、もうすでに絆ができているのだ。一定期間肉体を共有したからか、あるいは同じ巫女姫同士だからか。
桃子と皇彦は、互いに夢を共有することで、相手の境遇をそれぞれ知った。そして、皇彦の死の真相は、桃子が今見た夢の中にあった。
自然と涙がこぼれた。今までよく知りもしなかった皇彦の想いを、初めて知ってしまったからか。それとも、肉体を失った彼の代わりに流した涙なのか。
今ではもう、皇彦の魂がどこにいってしまったかもわからないというのに。
同じ巫女姫として選ばれていながら、桃子と皇彦の性質はどこまでも正反対のものだった。
皇彦は自信に満ちあふれていた。心中では悩みを抱えつつも、いつまでもくよくよしていない。若くして理不尽な死に追いやられてなお、その心根は希望を失ってはいなかった。
本当に強い人間とは、こういう人のことを言うのだと思った。
春彦が心酔するのも頷ける。皇彦は、比類のない突き抜けた人物だ。誰であっても、桃子も例外なく彼には憧れた。
そして、あらためて思う。彼に比べて、自分のなんと情けないことか。
すべてにおいて桃子は皇彦には敵わなかったが、ただ一つだけ、彼にないものを持っている。それは、すなわち生命――生きているということだ。
肉体を失った皇彦は、今まで特殊な方法で憑坐や巫女姫――つまり桃子への介入をはかっていた。それは荒神を鎮めるため、彼が独自にとった行動でもあった。彼は今までずっと、彼なりに巫女姫の役割を果たしていたのだ。
桃子は唇を引き結んだ。今まで自分はどうするべきかずっと迷っていたが、ようやく決心がついた。
このまま、春彦を荒ぶる神にしたくはない。彼を守りたいと強く思った。そして、春彦の笑顔を願った皇彦の悲願も、同時に叶えたかった。
その日から、桃子は幾度となく春彦と体を重ねた。桃子から誘うこともあれば、春彦のほうから情熱的に求められることもあった。今までの分を取り戻すように、貪欲に互いをむさぼり合った。
真の意味で荒魂を鎮めるには、誓約の儀を成立させる、すなわち桃子が懐妊する必要があった。
しかし、何度交わっても、桃子に妊娠の兆しは表れなかった。そのことで春彦は何も言わない。ただ、いとおしげに桃子を見つめ抱きしめるだけだった。
そんな日々の中で、大巫女への面会の許可がようやく下りていた。奇しくも、翌日に選定の儀を控えた日曜日のことだった。
大巫女の待つ中比良神社に車で向かう。選定の儀の準備で慌ただしい中、志津音が多忙を押して付き添ってくれた。
中条家は審神者の立場にふさわしく、町の中心部に社とその居を構えていた。
斉城学園からもほど近い距離だが、中比良神社も邸宅も深い鎮守の森に囲まれており、迷路のような複雑な森路を抜けて、ようやく行きつく場所だった。
神に呼ばれないとたどり着けない神社であると、まことしやかに囁かれているが、あながち間違いでもない。周囲に強力な幻術と結界が張り巡らされているため、一見客が簡単には入り込めない造りになっているのだ。
いつ訪れても、常ならない場所のようだと桃子は思った。周囲が鬱蒼としているのは、丈高く覆いかぶさる木々のせいばかりではない。晴天の日でさえも、ここに来れば、いつの間にか空は厚い雲に覆われている。本当はここは異層なのだと言われたら、うっかり信じてしまいそうだ。
とはいえ、大巫女や中条家の人々は日々をここで過ごしており、彼らも当然桃子と同じ人間だ。桃子がこの土地に特別緊張感を覚えてしまうのは、幼いころからめったなことでもない限り、招かれることがなかったせいかもしれない。
まずは長い参道を通り、拝殿で参拝を終えてから、春彦と二人で本殿へと召し上げられた。
殿上に入り、桃子は思わず声を上げそうになるほど驚いた。
西宮と忍が、すでにその場に座している。二人はこちらを振り返ったが、すぐにまた上座に向き直った。
忍とは毎日学校で顔を合わせていたが、西宮とはずいぶん久しぶりの再会だった。彼と過ごした日々を思い起こし、桃子は胸を痛めた。
考えてみれば、以前憑坐だった二人がここに呼ばれるのは、予期できないことでもなかったのだ。春彦は、自分と比べてさほど驚いているようには見えない。
大巫女は桃子と春彦の姿を認めると、二人の挨拶を受けるのもそこそこに、いつものしわがれた声ながら朗々と宣言した。
「神に選ばれし者たちに告げる。そなたらは最後の憑坐、そして最後の巫女姫である」
しん、と場は静まりかえっていた。もとより、四人ともが大巫女の言葉にのみ耳を傾けていたので、老女が一旦口を閉じると無音になるのは当然だった。
しかし、大巫女は、若者たちから何かしらの反応が返ってくるものと思っていたようで、下垂した眼瞼を数回瞬かせた。
「反応が薄いな。桃子、そなたはすでに、雪江から聞いておったか」
「は、はい、中の御方様。ですが、その訳までは存じ上げておりません。母は、私が荒神様を滅ぼす巫女姫とならぬよう、あれこれ手を尽くしておりましたし、大巫女様もそうであられるのだと、勝手ながら思っておりました」
「うむ。私も当初は、この事態を避けられるものならば、と思うておった。が、具体的な策を弄してまでこの老いぼれが介入しようとは、今はもはや考えておらんよ。鎮魂行を終え、あらためて心を決めたのだ。神の御心のままに、その神意に従うと。――桃子、そなたが最後の巫女姫である所以を話そう」
大巫女は、桃子から目をそらすことなく告げた。
「そなたは結びの力を、自身の体内にも施すことができるのだ。体内に結界を張る、と言えば意味が通りやすいか。つまり、そなたが懐妊しなかったのは、種を選びとる――受胎調節を自ら行うすべを、生まれながらにして心得ていたためだ。何人と幾多体を重ねようとも、そなたが真実受け入れなければ子は望めぬということ。ゆえにそなたは最後の巫女姫であり、その巫女姫と誓約の儀を成立させることのできない憑坐もまた、必然的に最後の憑坐となる。
逆に桃子、そなたが心から望めば、すぐにでも子を孕むことができたはずだ。何もかもすべて、そなた次第だったということだ」
ゆっくりと上体を起こし、まさしく自分の――南条桃子の体に間違いない、とあらためて確認してから、胸元にそっと手を当てた。
(あれはきっと過去の夢。実際に起きた出来事なんだわ)
強く確信を抱いた。今は皇彦に憑かれていなくても、彼と桃子とのあいだには、もうすでに絆ができているのだ。一定期間肉体を共有したからか、あるいは同じ巫女姫同士だからか。
桃子と皇彦は、互いに夢を共有することで、相手の境遇をそれぞれ知った。そして、皇彦の死の真相は、桃子が今見た夢の中にあった。
自然と涙がこぼれた。今までよく知りもしなかった皇彦の想いを、初めて知ってしまったからか。それとも、肉体を失った彼の代わりに流した涙なのか。
今ではもう、皇彦の魂がどこにいってしまったかもわからないというのに。
同じ巫女姫として選ばれていながら、桃子と皇彦の性質はどこまでも正反対のものだった。
皇彦は自信に満ちあふれていた。心中では悩みを抱えつつも、いつまでもくよくよしていない。若くして理不尽な死に追いやられてなお、その心根は希望を失ってはいなかった。
本当に強い人間とは、こういう人のことを言うのだと思った。
春彦が心酔するのも頷ける。皇彦は、比類のない突き抜けた人物だ。誰であっても、桃子も例外なく彼には憧れた。
そして、あらためて思う。彼に比べて、自分のなんと情けないことか。
すべてにおいて桃子は皇彦には敵わなかったが、ただ一つだけ、彼にないものを持っている。それは、すなわち生命――生きているということだ。
肉体を失った皇彦は、今まで特殊な方法で憑坐や巫女姫――つまり桃子への介入をはかっていた。それは荒神を鎮めるため、彼が独自にとった行動でもあった。彼は今までずっと、彼なりに巫女姫の役割を果たしていたのだ。
桃子は唇を引き結んだ。今まで自分はどうするべきかずっと迷っていたが、ようやく決心がついた。
このまま、春彦を荒ぶる神にしたくはない。彼を守りたいと強く思った。そして、春彦の笑顔を願った皇彦の悲願も、同時に叶えたかった。
その日から、桃子は幾度となく春彦と体を重ねた。桃子から誘うこともあれば、春彦のほうから情熱的に求められることもあった。今までの分を取り戻すように、貪欲に互いをむさぼり合った。
真の意味で荒魂を鎮めるには、誓約の儀を成立させる、すなわち桃子が懐妊する必要があった。
しかし、何度交わっても、桃子に妊娠の兆しは表れなかった。そのことで春彦は何も言わない。ただ、いとおしげに桃子を見つめ抱きしめるだけだった。
そんな日々の中で、大巫女への面会の許可がようやく下りていた。奇しくも、翌日に選定の儀を控えた日曜日のことだった。
大巫女の待つ中比良神社に車で向かう。選定の儀の準備で慌ただしい中、志津音が多忙を押して付き添ってくれた。
中条家は審神者の立場にふさわしく、町の中心部に社とその居を構えていた。
斉城学園からもほど近い距離だが、中比良神社も邸宅も深い鎮守の森に囲まれており、迷路のような複雑な森路を抜けて、ようやく行きつく場所だった。
神に呼ばれないとたどり着けない神社であると、まことしやかに囁かれているが、あながち間違いでもない。周囲に強力な幻術と結界が張り巡らされているため、一見客が簡単には入り込めない造りになっているのだ。
いつ訪れても、常ならない場所のようだと桃子は思った。周囲が鬱蒼としているのは、丈高く覆いかぶさる木々のせいばかりではない。晴天の日でさえも、ここに来れば、いつの間にか空は厚い雲に覆われている。本当はここは異層なのだと言われたら、うっかり信じてしまいそうだ。
とはいえ、大巫女や中条家の人々は日々をここで過ごしており、彼らも当然桃子と同じ人間だ。桃子がこの土地に特別緊張感を覚えてしまうのは、幼いころからめったなことでもない限り、招かれることがなかったせいかもしれない。
まずは長い参道を通り、拝殿で参拝を終えてから、春彦と二人で本殿へと召し上げられた。
殿上に入り、桃子は思わず声を上げそうになるほど驚いた。
西宮と忍が、すでにその場に座している。二人はこちらを振り返ったが、すぐにまた上座に向き直った。
忍とは毎日学校で顔を合わせていたが、西宮とはずいぶん久しぶりの再会だった。彼と過ごした日々を思い起こし、桃子は胸を痛めた。
考えてみれば、以前憑坐だった二人がここに呼ばれるのは、予期できないことでもなかったのだ。春彦は、自分と比べてさほど驚いているようには見えない。
大巫女は桃子と春彦の姿を認めると、二人の挨拶を受けるのもそこそこに、いつものしわがれた声ながら朗々と宣言した。
「神に選ばれし者たちに告げる。そなたらは最後の憑坐、そして最後の巫女姫である」
しん、と場は静まりかえっていた。もとより、四人ともが大巫女の言葉にのみ耳を傾けていたので、老女が一旦口を閉じると無音になるのは当然だった。
しかし、大巫女は、若者たちから何かしらの反応が返ってくるものと思っていたようで、下垂した眼瞼を数回瞬かせた。
「反応が薄いな。桃子、そなたはすでに、雪江から聞いておったか」
「は、はい、中の御方様。ですが、その訳までは存じ上げておりません。母は、私が荒神様を滅ぼす巫女姫とならぬよう、あれこれ手を尽くしておりましたし、大巫女様もそうであられるのだと、勝手ながら思っておりました」
「うむ。私も当初は、この事態を避けられるものならば、と思うておった。が、具体的な策を弄してまでこの老いぼれが介入しようとは、今はもはや考えておらんよ。鎮魂行を終え、あらためて心を決めたのだ。神の御心のままに、その神意に従うと。――桃子、そなたが最後の巫女姫である所以を話そう」
大巫女は、桃子から目をそらすことなく告げた。
「そなたは結びの力を、自身の体内にも施すことができるのだ。体内に結界を張る、と言えば意味が通りやすいか。つまり、そなたが懐妊しなかったのは、種を選びとる――受胎調節を自ら行うすべを、生まれながらにして心得ていたためだ。何人と幾多体を重ねようとも、そなたが真実受け入れなければ子は望めぬということ。ゆえにそなたは最後の巫女姫であり、その巫女姫と誓約の儀を成立させることのできない憑坐もまた、必然的に最後の憑坐となる。
逆に桃子、そなたが心から望めば、すぐにでも子を孕むことができたはずだ。何もかもすべて、そなた次第だったということだ」
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