【R18】巫女と荒神 ~いまだ神話の続く町~

ゴリエ

文字の大きさ
49 / 51
第五章 この世のすべてを照らすもの

自己対峙

しおりを挟む
「来るぞ!」

 誰かが叫んだのを皮切りに、今まで動きを封じ込まれていた悪鬼の群れが、次々と襲いかかってきた。

 まずは西宮がその脅威に立ち向かう。彼は太刀を振るい、悪鬼だけでなく、次々と湧き出るように現れる鬼火や死霊といった有象無象の異形たちを、片端から討ち祓っていった。その太刀さばきは洗練されており、見るからに戦い慣れしていた。
 休学して魔を狩っていたというのは本当のようだ。

 同じくして、忍が岩戸の前で舞い始めていた。いつものゆったりとしたテンポの神楽舞ではない。もっと激しい動作を取り入れた、特別な足運びの舞踊だ。
 忍が地を踏みならすほど、幻術が浸透する領域は広がっていく。今そこで舞っているのは、忍であって忍でない。芸能の女神である天宇受売命あめのうずめのみことが、ひたすら蠱惑的に舞っているのだ。魅入られた者は、たちまち舞手に掌握される。
 これにより、西宮が倒さなければならない敵の数を、大幅に減らしていた。

 そして、彼らの戦いぶりを彩る楽の音を奏でるのは、東宮兄弟だった。
 皇彦が自らの魂を宿らせたそうを小気味良くつま弾かせ、春彦が伸びやかな音の龍笛を無心に吹く。
 彼らの息は気持ちいいほどにぴったりで、そこには誰かが割り込む隙など一分もなかった。

 すべてが、神に捧げるにふさわしい供物だった。

 桃子も負けてはいられないと、広い校庭を駆け回り、果敢に大筆を振るった。
 書く文字は祓詞はらえことばだ。以前忍を大蛇おろちから救ったときは、冒頭の、ほんの数文字を書くだけで精一杯だった。
 しかし、この広い規模の校庭全体に守護結界を張るとなると、きっと全文を書ききるくらいでないと成立しないだろう。それに、たとえすべて書ききったとしても、成功するかどうかもわからない。――だとしても、失敗は許されなかった。

(掛けまくも、かしこ伊邪那岐大神いざなぎのおおかみ……)

 文字を書きながら、何度も何度も祓詞を頭の中で反芻した。集中が途切れそうになったときは、ためらわずに口にも出して、呪文のように唱え続けた。
 そうしているうちに、桃子は忘我の中で、肉体と魂が切り離されたような不思議な感覚に陥っていた。体は思い通りに動かせるが、それとは別に、自分自身をまるで他人のように見つめることができた。

 書に向かっているとき、桃子は一種のトランス状態になるのだと雪江は話していた。それは、こういうことを指していたのか。今初めて自覚していた。

 とても頭の中がすっきりしている。この万能感と高揚感は、どこからくるのか。
 これまでずっと考えないようにしていたことも、今ならためらわずに目を向けられる。
 自分のことが、今やっと、はっきりわかった気がした。

(私、三人のことが好きなんだ。誰か一人を選ぶ気なんて、本当は初めからさらさらなかった。だから妊娠することも嫌だった。誰か一人の子どもを孕めば、他の二人を手放さなくてはならないから。全部を手に入れたいと、思ってしまっていたんだわ)

 あまりの身勝手さに、自分自身が一番驚いていた。
 桃子は軽やかな足取りで地面を蹴りつけ、筆運びだけは異様に重く力強いものを繰り出し続けた。汗が弾け、鼓動は限界まで跳ね上がっている。それなのに、少しも疲れを感じない。
 次々とこみ上げてくる想いを、ひたすら筆に乗せた。

(忍ちゃんには、献身的に守られていたかった。気位の高い彼の自己犠牲的な愛情を知ったとき、身悶えるほど嬉しかった。私のためにいろんなものを犠牲にしていたのは、それだけ私を手に入れたかったということだもの。
西宮くんには、いじめてほしかった。彼は私をどうやっていたぶり虐げるか、それを考えることで頭をいっぱいにさせていた。あんな愛され方、一度知ってしまったら、もう手放すことなんてできない。
春彦くんには、ひたすら溺愛してほしかった。彼の優しい声が好き。笑った顔が好き。本心ではもう一度私を抱きたくて仕方がなかったくせに、私を傷つけまいと、苦しむ姿を見るのもたまらなかった)

 桃子は筆を走らせ振り回しながら、無意識に口角を上げた。

(私、かわいそうな自分が好きだった。受ける痛みさえ心地が良かった。だから、辛くてもそこから抜け出そうなんて思わなかったの。やっと自覚した、私の暗部。皇彦くんに嫌われるはずだわ。こんな女だって、彼は初めから見抜いていた)

 ようやく最後の一文字まで筆運びを終えたとき、桃子の周囲から、大量の異形がかき消えていた。完成した桃子の強力な結界に弾かれたのだ。
 岩屋を取り囲むように、桃子が走らせた筆跡が、次々と宙に浮かび上がっていた。

 完成した祓詞はらえことばは、そのまま岩屋全体を包み込んだ。
 春彦と皇彦の合奏、それから忍の舞も、ほとんど同時に終わっていた。

 そのとき、巨岩の一つが地鳴りのような轟音を響かせながら、ゆっくりと動き始めていた。
 刹那、周囲は強烈な光に照らされ、真っ暗だった世界は、一瞬にしてまばゆいばかりの白に塗り替えられていた。

 あれほど猛威を振るっていた異形の群れは、夜を失くし、あっけなく消し飛んでいた。
 岩戸から発せられる光があまりにもまぶしすぎて、もはや何も見えない。桃子が目をこらそうとすると、誰かが「見てはいけない」と強く叫んだ。

 周囲は異様なまでに張り詰めた空気に変わる。しかし、それと同じくらい、慈愛に満ちた温かさもあった。相反する性質を持った存在だ。桃子はいつもその存在と、日常の中で触れ合っていたことを思い出した。見上げれば必ず、生きとし生けるものに、生命の光を等しく照らしてくれるものだ。

 姿は見えずとも、岩戸の奥には、たしかにこの国の最高神である太陽の女神がいた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】異世界に転移しましたら、四人の夫に溺愛されることになりました(笑)

かのん
恋愛
 気が付けば、喧騒など全く聞こえない、鳥のさえずりが穏やかに聞こえる森にいました。  わぁ、こんな静かなところ初めて~なんて、のんびりしていたら、目の前に麗しの美形達が現れて・・・  これは、女性が少ない世界に転移した二十九歳独身女性が、あれよあれよという間に精霊の愛し子として囲われ、いつのまにか四人の男性と結婚し、あれよあれよという間に溺愛される物語。 あっさりめのお話です。それでもよろしければどうぞ! 本日だけ、二話更新。毎日朝10時に更新します。 完結しておりますので、安心してお読みください。

黒騎士団の娼婦

イシュタル
恋愛
夫を亡くし、義弟に家から追い出された元男爵夫人・ヨシノ。 異邦から迷い込んだ彼女に残されたのは、幼い息子への想いと、泥にまみれた誇りだけだった。 頼るあてもなく辿り着いたのは──「気味が悪い」と忌まれる黒騎士団の屯所。 煤けた鎧、無骨な団長、そして人との距離を忘れた男たち。 誰も寄りつかぬ彼らに、ヨシノは微笑み、こう言った。 「部屋が汚すぎて眠れませんでした。私を雇ってください」 ※本作はAIとの共同制作作品です。 ※史実・実在団体・宗教などとは一切関係ありません。戦闘シーンがあります。

異世界は『一妻多夫制』!?溺愛にすら免疫がない私にたくさんの夫は無理です!?

すずなり。
恋愛
ひょんなことから異世界で赤ちゃんに生まれ変わった私。 一人の男の人に拾われて育ててもらうけど・・・成人するくらいから回りがなんだかおかしなことに・・・。 「俺とデートしない?」 「僕と一緒にいようよ。」 「俺だけがお前を守れる。」 (なんでそんなことを私にばっかり言うの!?) そんなことを思ってる時、父親である『シャガ』が口を開いた。 「何言ってんだ?この世界は男が多くて女が少ない。たくさん子供を産んでもらうために、何人とでも結婚していいんだぞ?」 「・・・・へ!?」 『一妻多夫制』の世界で私はどうなるの!? ※お話は全て想像の世界になります。現実世界とはなんの関係もありません。 ※誤字脱字・表現不足は重々承知しております。日々精進いたしますのでご容赦ください。 ただただ暇つぶしに楽しんでいただけると幸いです。すずなり。

花嫁召喚 〜異世界で始まる一妻多夫の婚活記〜

文月・F・アキオ
恋愛
婚活に行き詰まっていた桜井美琴(23)は、ある日突然異世界へ召喚される。そこは女性が複数の夫を迎える“一妻多夫制”の国。 花嫁として召喚された美琴は、生きるために結婚しなければならなかった。 堅実な兵士、まとめ上手な書記官、温和な医師、おしゃべりな商人、寡黙な狩人、心優しい吟遊詩人、几帳面な官僚――多彩な男性たちとの出会いが、美琴の未来を大きく動かしていく。 帰れない現実と新たな絆の狭間で、彼女が選ぶ道とは? 異世界婚活ファンタジー、開幕。

つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました

蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈ 絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。 絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!! 聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ! ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!! +++++ ・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)

甘い匂いの人間は、極上獰猛な獣たちに奪われる 〜居場所を求めた少女の転移譚〜

具なっしー
恋愛
「誰かを、全力で愛してみたい」 居場所のない、17歳の少女・鳴宮 桃(なるみや もも)。 幼い頃に両親を亡くし、叔父の家で家政婦のような日々を送る彼女は、誰にも言えない孤独を抱えていた。そんな桃が、願いをかけた神社の光に包まれ目覚めたのは、獣人たちが支配する異世界。 そこは、男女比50:1という極端な世界。女性は複数の夫に囲われて贅沢を享受するのが常識だった。 しかし、桃は異世界の女性が持つ傲慢さとは無縁で、控えめなまま。 そして彼女の身体から放たれる**"甘いフェロモン"は、野生の獣人たちにとって極上の獲物**でしかない。 盗賊に囚われかけたところを、美形で無口なホワイトタイガー獣人・ベンに救われた桃。孤独だった少女は、その純粋さゆえに、強く、一途で、そして獰猛な獣人たちに囲われていく――。 ※表紙はAIです

この世界、イケメンが迫害されてるってマジ!?〜アホの子による無自覚救済物語〜

具なっしー
恋愛
※この表紙は前世基準。本編では美醜逆転してます。AIです 転生先は──美醜逆転、男女比20:1の世界!? 肌は真っ白、顔のパーツは小さければ小さいほど美しい!? その結果、地球基準の超絶イケメンたちは “醜男(キメオ)” と呼ばれ、迫害されていた。 そんな世界に爆誕したのは、脳みそふわふわアホの子・ミーミ。 前世で「喋らなければ可愛い」と言われ続けた彼女に同情した神様は、 「この子は救済が必要だ…!」と世界一の美少女に転生させてしまった。 「ひきわり納豆顔じゃん!これが美しいの??」 己の欲望のために押せ押せ行動するアホの子が、 結果的にイケメン達を救い、世界を変えていく──! 「すきーー♡結婚してください!私が幸せにしますぅ〜♡♡♡」 でも、気づけば彼らが全方向から迫ってくる逆ハーレム状態に……! アホの子が無自覚に世界を救う、 価値観バグりまくりご都合主義100%ファンタジーラブコメ!

苦手な冷徹専務が義兄になったかと思ったら極あま顔で迫ってくるんですが、なんででしょう?~偽家族恋愛~

霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
「こちら、再婚相手の息子の仁さん」 母に紹介され、なにかの間違いだと思った。 だってそこにいたのは、私が敵視している専務だったから。 それだけでもかなりな不安案件なのに。 私の住んでいるマンションに下着泥が出た話題から、さらに。 「そうだ、仁のマンションに引っ越せばいい」 なーんて義父になる人が言い出して。 結局、反対できないまま専務と同居する羽目に。 前途多難な同居生活。 相変わらず専務はなに考えているかわからない。 ……かと思えば。 「兄妹ならするだろ、これくらい」 当たり前のように落とされる、額へのキス。 いったい、どうなってんのー!? 三ツ森涼夏  24歳 大手菓子メーカー『おろち製菓』営業戦略部勤務 背が低く、振り返ったら忘れられるくらい、特徴のない顔がコンプレックス。 小1の時に両親が離婚して以来、母親を支えてきた頑張り屋さん。 たまにその頑張りが空回りすることも? 恋愛、苦手というより、嫌い。 淋しい、をちゃんと言えずにきた人。 × 八雲仁 30歳 大手菓子メーカー『おろち製菓』専務 背が高く、眼鏡のイケメン。 ただし、いつも無表情。 集中すると周りが見えなくなる。 そのことで周囲には誤解を与えがちだが、弁明する気はない。 小さい頃に母親が他界し、それ以来、ひとりで淋しさを抱えてきた人。 ふたりはちゃんと義兄妹になれるのか、それとも……!? ***** 千里専務のその後→『絶対零度の、ハーフ御曹司の愛ブルーの瞳をゲーヲタの私に溶かせとか言っています?……』 ***** 表紙画像 湯弐様 pixiv ID3989101

処理中です...