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夢の中に住みたい男と夢住薬
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🏢 佐保田が働く会社のオフィス内
部長
「サボタ~!サボタ~!どこにいる~!」
同僚
「部長、ここです」
下を指さす。
デスクの下。
丸まって眠る佐保田。
佐保田
「美味そうな……ハンバーグ~……」
部長は額に青筋を浮かべ、引きずり出す。
「お前がやった資料!ミスだらけだ!
やり直せ!いい加減にしないと減給に、またなるぞ!」
佐保田
「ふわぁ~い……わかりましたぁ……」
椅子に座り、キーボードをぽちぽち。
三分後。
佐保田
「タバコ行きます」
部長
「戻ってこいよ!」
⸻
喫煙所。
煙の向こうで、案の定。
佐保田、壁にもたれて熟睡。
佐保田
「このマグロ……最高……」
同僚
「おい、サボタ!サボタサボる~!起きろ!」
佐保田
「なんだよ~……マグロ食べれなかったじゃん……」
同僚
「仕事戻れ!」
佐保田
「ふわぁーい……」
戻る背中。
同僚、小声で。
「ほんと、何しに会社来てんだあいつ……」
⸻
その後は全社員による“監視体制”。
寝る隙すら与えられない。
そして、ようやく定時。
佐保田
「ふわぁー……終わった……
今日は全然寝れなかったな……」
空を見上げる。
「家帰る前に、一眠りできる場所探そ……」
そう言って、ふらふらとオフィスを出ていった。
オフィスを出た佐保田は、いくつかの店を覗いて回った。
どこも騒がしく、席は埋まっている。
「ここも混んでたら帰ろ……」
そうつぶやき、目に入った一軒のBARの扉を押した。
――BARワンダー。
カランカラン。
マスター
「いらっしゃい」
店内は静かだった。
客は湯のみを手にした爺さんと、作業着姿の男が一人だけ。
佐保田は店内を見回し、小さくうなずく。
「ここなら寝れる」
席に着いた瞬間、突っ伏して寝た。
マスター
「お客さん、お客さん」
軽く揺する。
佐保田
「なーに……」
マスター
「具合悪いんですか?」
佐保田
「いや、寝る場所探して辿り着いただけ」
マスター
「寝る場所?家ないんですか?」
佐保田
「あるよ。家帰る前に寝たかっただけ。今日会社であんまり寝れなかったから」
マスターは苦笑する。
「金さえ払ってくれれば寝るのは自由だが……何か訳ありって感じだな。話、聞こうか?」
佐保田はゆっくり顔を上げる。
「僕は昔から寝るのが大好きでさ。夢を見るのも大好き。だから、ずっと寝てたいんだ」
マスター
「でも仕事あるだろ?」
佐保田
「そうなんだよ。仕事なんかつまらない。ずっと夢の中にいたいくらい。それに減給ばっかで生活も苦しいし……」
そのとき。
社長
「ちょっと話、割り込んでええか?」
佐保田
「は、はぁ」
社長はグラスを置き、ゆっくり近づく。
「ちょうどな、夢関連の薬を開発中でな。モニターにならへんか?」
佐保田
「夢関連の薬?」
社長
「夢住薬(むじゅうやく)いうてな。本当に目が覚めるまで夢の中に住んだ感覚になる薬や。美味いもん食べたら、起きた後も満腹になる」
佐保田の目が輝く。
「え?最高じゃないですか!いくらですか?」
社長はにやりと笑う。
「副作用もあるかもしれん。せやから、月100万や」
佐保田
「月ひゃくっ!? ……やります!」
爺さんが湯のみを置く。
「社長の薬はな、正しく使えば天国、間違えたら地獄じゃ。大丈夫か?」
佐保田
「正しく使えばいいだけでしょ?大丈夫大丈夫」
マスター
「俺にもくれ!毎日美女と……」
社長
「マスターがエロ廃人になったら店なくなるやろ。あかん」
爺さん
「マスターは、もうエロ廃人じゃろう」
マスター
「誰がエロ廃人だ!」
店内に小さな笑いが広がる。
社長
「ほんなら、今晩からわしの管理するマンションで寝泊まりしい」
佐保田
「え~?住む場所も?家賃も滞納してて困ってたんです」
社長
「そうか。わしはもうちょい爺さんと飲みたい。あんたは寝とき」
佐保田
「はーい。おやすみなさい」
言い終わる前に、佐保田は眠りに落ちた。
「マグロ……エビ……イカ……」
マスター
「寝るの早っ。もう夢見てる」
社長
「今回のモニターにぴったりやな」
爺さん、ゆっくりとつぶやく。
「月100万もらえるまで、もつとええがのぅ……」
マスター
「いいなぁ、美女と実際に夢の中で……」
社長
「マスター、よだれ」
爺さん
「マスターの血はエロでできとるんじゃろう」
マスター
「違うわ!」
笑いに包まれる中、佐保田は幸せそうに眠っていた。
やがて、BARの閉店時間。
社長
「そろそろ行くで。起きや」
佐保田はゆっくり顔を上げる。
佐保田
「ふわぁ~……良く寝た~」
マスターがカウンター越しに伝票を差し出す。
「はい、伝票」
社長はそれをひょいと奪い取る。
「わし払っとくわ。ほな、行くで」
佐保田
「は、はい」
二人は店を出ていった。
カランカラン。
店内に静けさが戻る。
爺さん
「じゃ、わしも」
マスター
「消えるんじゃないぞ!お会計な」
爺さん
「ちぇっ」
小銭を出しながら、ぶつぶつ言う。
「夢の話ばかりしとると、財布も軽くなるわい」
マスター
「それは元からだろ」
爺さんは肩をすくめ、店を出ていった。
再び静まり返るBARワンダー。
マスターはグラスを磨きながら小さくつぶやく。
「今回のは……もつかな」
暗い店内に、氷の溶ける音だけが響いた。
社長のマンションに着いた二人は、そのまま部屋に入った。
佐保田
「うわぁ……ベッドから何から、全部そろってる」
ワンルームだが、生活に必要なものは一通り揃っている。
清潔なベッド、机、ノート、ペン、簡単なキッチン。
社長
「ええやろ。モニター用の部屋や」
そう言って、ポケットから小さな瓶を取り出し、佐保田に手渡す。
「それが夢住薬や」
佐保田は瓶を受け取り、ラベルをじっと見る。
社長
「夜、就寝前に一回だけ飲む。
どんな夢を見たか、どんな感覚やったか、起きたあと身体と頭がどうなったか。
それをできるだけ明確に、全部書いてもらう」
机の上のノートを指さす。
佐保田
「それだけで月100万……余裕じゃないですか」
社長
「まぁな。ただし――」
声が少し低くなる。
「夢住薬を飲むのは、夜、就寝前に一回だけ。
それだけは絶対に守れ。
どんな副作用が出るか、正直、ワシも全部は分かっとらん」
佐保田
「はい。守ります」
瓶を軽く振りながら笑う。
「夢の中で食べたら満腹になるなら、そんな何回も飲めないですよ」
社長
「そうか」
少しだけ安心したようにうなずく。
「ほな、頼んだで」
そう言って、社長は部屋を出ていった。
ドアが閉まり、部屋に静けさが戻る。
佐保田はベッドに腰を下ろし、手の中の瓶を見る。
「夢の中に住む、か……」
小さくつぶやき、瓶を机の上に置いた。
その夜が、
天国になるか、地獄になるか――
まだ、この時の佐保田は知る由もなかった。
佐保田は時計を見た。
「もうこんな時間か……薬飲んで寝るか」
ベッドに腰掛ける。
「ふっかふか~。いい夢見れそう~」
コップに水を入れ、夢住薬を一錠。
ごくり。
ベッドに横たわり、目を閉じた。
⸻
佐保田の夢の中
豪華なシャンデリアが輝く高級レストラン。
テーブルいっぱいに並ぶ料理。
「キャビア、フォアグラ、トリュフ……ぶ厚いステーキ!」
肉汁がじゅわっと滴る。
「どれから食べよう~」
ナイフを入れる。
とろり、とろける肉。
「美味しい~……」
キャビアの塩気。
フォアグラの濃厚さ。
ステーキの脂が口の中で広がる。
「肉が……とろける~……」
夢なのに、温度も、匂いも、噛んだ弾力も、全部リアルだった。
そして、最後の一口を飲み込んだ瞬間――
⸻
目が覚めた。
⸻
佐保田は天井を見つめる。
「あ~……もう朝か~……」
しばらく口をもぐもぐさせる。
「てか、めちゃくちゃステーキ美味かった……肉汁もちゃんと出てた……」
自分の腹を触る。
「え?マジで味の感覚残ってるし……満腹感もある……」
ゆっくり起き上がる。
「すごいな、この薬~」
その目が、少しだけ本気になる。
「月100万だ。真面目にやらないと」
机に向かい、レポート用紙を取り出す。
普段の仕事とはまるで違う丁寧さで、
・夢の内容
・味覚の再現度
・起床後の満腹感
・身体への異常の有無
細かく書き込んでいく。
書き終わると、
「レポート用紙入れ」と書かれた箱に、きちんと投函した。
佐保田は伸びをする。
「もう夜までやることないな……」
ベッドを見つめる。
「……とりあえず寝よ」
そう言って、再び横になった。
目を閉じる。
――薬は飲んでいない。
ただの昼寝。
それでも彼の口元は、少しだけ笑っていた。
そして――薬なしの昼寝。
佐保田の夢の中
町の小さな定食屋。
暖簾が揺れ、カウンター席がいくつか並ぶ。
厨房では母と娘が忙しそうに動いている。
娘の名前は――早苗。
早苗
「佐保田さん、はい。豚のしょうが焼き定食です」
佐保田
「早苗さん、ありがとう」
湯気が立ちのぼる。
可愛いなぁ……
しょうが焼きを一口。
……。
あれ?
味が、ぼんやりしている。
食べているはずなのに、何か足りない。
奥から声がする。
母
「私のことはいいから、遊びに行きなさい」
早苗
「お母さん、ほっとけないし」
そのやり取りを聞きながら、佐保田は思う。
(なんか……前もこんな夢見た気がするな……)
景色が少しにじむ。
――そこで目が覚めた。
⸻
佐保田は天井を見つめる。
「ふわぁ……」
口をもぐもぐさせる。
「やっぱり薬なしだと味しないなぁ……」
しょうが焼きの感覚は、もう残っていない。
腹も減っている。
「さすがに寝すぎて夜寝れなかったらダメだからな」
時計を見る。
「テレビでも見て時間つぶすか」
そう言ってベッドから起き上がり、リモコンを手に取る。
画面の光が部屋を照らす。
佐保田は、ふと机の上の小瓶を見る。
夢住薬。
夜まで、あと数時間。
その視線は、ほんの少しだけ長かった。
テレビを見て時間をつぶし、
コンビニ弁当を軽く食べた佐保田。
時計を見る。
「そろそろいい時間だな」
ベッドに腰掛ける。
机の上の小瓶を手に取る。
「さてさて、今日は何の夢だろう」
夢住薬を一錠。
水で流し込み、目を閉じた。
⸻
夢の中
カウンターだけの、静かな高級寿司屋。
「回らない寿司ってやつか……」
目の前には白木のカウンター。
職人が無言でネタを握る。
「はい、どうぞ」
差し出されたのは、大トロ。
口に入れた瞬間――
脂がすっと溶ける。
「うわ……やば……」
続いて、ウニ。
濃厚で甘い。
イクラはぷちっと弾ける。
「これ……本物だ……」
職人が言う。
「今日は特別ですよ」
目の前に置かれたのは、
金粉が乗った特上握り。
「いくらだこれ……」
一口。
米の温度、酢の加減、ネタの弾力。
すべて完璧。
「夢ってレベルじゃないだろ……」
口いっぱいに広がる幸福。
腹も心も満たされていく。
⸻
そして――
目が覚めた。
⸻
佐保田は天井を見つめる。
「……すし……」
口の中に、まだ酢の香りが残っている。
腹を触る。
「満腹……」
思わず笑う。
「これで月100万か……」
ベッドから起き上がる。
「次は何食おうかな」
机の上の小瓶を、ちらっと見る。
まだ夜は一回しか飲んでいない。
ルールは守っている。
でも。
視線が少し長くなる。
そして、昨日と同じく、薬なしで昼寝をする佐保田。
目を閉じると、またあの定食屋だった。
木のカウンター。
湯気の立つ味噌汁。
鉄板の上でじゅうじゅうと音を立てるしょうが焼き。
早苗が少し困った顔で母と話している。
早苗
「お父さんが亡くなってから、ずっと働いてるから……心配」
母
「仕方ないだろ。お客さんがこの店の味が好きだって言うんだから」
一瞬、母がにやっとする。
「それより、あんたも彼氏の一人ぐらい作りな」
早苗
「好きな人は……いるけど……」
声が小さくなる。
佐保田の胸が、少しだけざわつく。
(え……誰だよ……)
しょうが焼きを口に運ぶ。
……やっぱり味は薄い。
香りも、温度も、どこかぼやけている。
佐保田
「ごちそうさま」
早苗は少し照れたように笑う。
早苗
「いつも、ありがとうございます」
その目が、一瞬だけ佐保田を見た――気がした。
そこで、目が覚めた。
⸻
佐保田は天井を見つめる。
「……好きな人って……」
胸のざわつきだけが残る。
味は残らない。
満腹感もない。
「やっぱ薬なしだと物足りないな……」
でも今の夢は、料理よりも――
早苗の言葉が、妙に引っかかっていた。
机の上の小瓶が、静かに光を反射している。
「なんだ……今の夢……」
佐保田は天井を見つめる。
「薬なしだと、最近これよく見るな……」
胸の奥がむずむずする。
「続き、見れるかな……?」
もう一度、目を閉じた。
⸻
夢の中
また、あの定食屋。
昼下がりの柔らかい光。
早苗がレジの前に立っている。
早苗
「550円です」
佐保田は財布から千円札を出す。
「はい」
早苗が受け取る。
レジを打つ音。
早苗
「450円のおかえしです」
小銭を渡す瞬間――
指先が、触れた。
ほんの一瞬。
でも、温度はあった。
早苗の顔が、ほんのり赤くなる。
早苗
「あ……明日も、待ってます」
少しだけ目を伏せる。
佐保田の胸が、どくんと鳴る。
佐保田
「……はい」
その声は、自分でも驚くほど優しかった。
――その瞬間。
目が覚めた。
⸻
佐保田は息を吐く。
「……はぁ……」
胸がまだ、ざわついている。
指先を見つめる。
「触れたよな……?」
当然、何も残っていない。
腹も減っている。
味もない。
でも。
早苗の顔だけは、やけに鮮明だった。
机の上の夢住薬を、無意識に見つめる。
「……薬飲んだら、もっとリアルになるのかな」
その呟きは、小さく、静かだった。
社長から電話が鳴る。
佐保田「はい」
社長「どや?今日のレポートも頼むで、昨日のは確認したわ、すごいやろ?」
佐保田「はい、すごいです、本当に夢が現実になったみたいです」
社長「せやろ?ほな、引き続き頼むわ」
電話が切れる。
佐保田「そうだ、モニターだったんだ」
ぼんやりしていた頭が、急に現実に引き戻される。
机の上に広げたままのレポート用紙を引き寄せ、ペンを握る。
昨夜の夢を思い出す。
高級寿司。
大将の声。
口の中でとろける中トロ。
そして、目が覚めたあとも続いていた満腹感。
「……すごいよな、ほんと」
独り言をつぶやきながら、丁寧に書き始める。
夢の内容。
味覚の再現度。
起床後の身体の変化。
普段の会社の資料とは違い、驚くほど真面目に、細かく書き込んでいく。
書き終えると、ふうっと息を吐く。
「よし、今日の分はこれでいい」
レポートを封筒に入れ、指定の箱へ。
月100万。
その言葉が、頭の中でやけに現実味を帯びる。
「ちゃんとやらないとな」
そう言いながらも、心のどこかでは、今夜の夢のほうが楽しみだった。
机の上には、夢住薬の小瓶。
白い錠剤が、静かに光っている。
佐保田はそれを一度だけ見つめ、ゆっくりと視線を逸らした。
夢の中。
あの小さな定食屋。
木の引き戸の音。
カウンター越しの湯気。
早苗
「今日も来てくれたんですね」
柔らかい声。
佐保田
「さ、早苗ちゃん目当てかな」
言ってから、少し照れる。
早苗
「えっ、あ、嬉しい」
頬がほんのり赤くなる。
佐保田
「とりあえず、鯖の味噌煮込み定食……」
早苗
「はい」
奥へと消える早苗。
その背中を、つい目で追ってしまう。
奥から母の声。
母
「好きな人ってあのお客さん?」
早苗
「えっ、いや、」
母
「そうですって顔にかいてあるよ」
早苗
「も、もう、お母さん……」
その声に、胸がじわっと熱くなる。
佐保田は、何も聞こえないふりをしながら、
心臓だけがやけにうるさい。
そのとき――
視界がふっと白くなる。
目が覚めた。
⸻
天井。
静かな部屋。
佐保田
「……また、いいとこで」
味は残っていない。
満腹感もない。
でも。
胸の奥が、あたたかい。
「なんなんだよ、これ……」
薬なしの夢なのに、
高級寿司よりも、
ステーキよりも、
ずっと続きが気になる。
佐保田は天井を見つめたまま、ぽつりとつぶやく。
「早苗ちゃん……」
「だめだだめだ仕事だ」
そう自分に言い聞かせ、佐保田はベッドから起き上がった。
今日はモニターだ。
夢に浸っている場合じゃない。
テレビをつける。
バラエティ番組の笑い声が部屋に響く。
けれど頭の中に浮かぶのは、あの定食屋。
「今日も来てくれたんですね」
その声が離れない。
佐保田はリモコンを置き、風呂に入る。
湯船にゆっくり浸かりながら天井を見上げる。
「……なんであんな夢見るんだろ」
薬なしの夢なのに、あんなに続きが気になるなんて。
やがて夜。
机の上の小瓶を見つめる。
「薬飲んでも早苗ちゃん出てきたらなぁ……」
淡い期待を込めて、コップの水と一緒に一錠飲み込む。
ベッドに横になり、目を閉じた。
⸻
夢の中。
豪華な中華料理店。
赤い絨毯。
金の装飾。
丸い大きなテーブル。
次々と運ばれてくる料理。
フカヒレの姿煮。
北京ダック。
大きな海老のチリソース。
小籠包からあふれる肉汁。
「うわ……すご」
ひと口食べる。
濃厚。
旨味が爆発する。
本当に美味い。
けれど。
佐保田は周りを見渡す。
店員はいる。
客もいる。
でも――
早苗はいない。
「……だよな」
北京ダックを口に運ぶ。
パリッとした皮。
甘辛いタレ。
完璧な味。
でも、胸が空いている。
「なんで出てこないんだよ」
フカヒレをすくいながら、ぼそっとつぶやく。
料理は最高だ。
なのに、どこか虚しい。
夢の中なのに、少しだけショックを受けている自分がいる。
「こんな豪華なのに……」
箸を動かしながらも、心は別の場所にある。
定食屋。
湯気。
早苗の笑顔。
高級中華の香りの中で、佐保田はぽつりとつぶやいた。
「早苗ちゃんのしょうが焼きのほうが、いいかもな……」
豪華な円卓。
次の料理が運ばれてくる。
赤いチャイナドレスの店員が、ゆっくり近づいてくる。
その横顔に、佐保田は息をのむ。
「……さ、早苗ちゃん?」
そっくりだ。
目元も、口元も、あの柔らかい雰囲気も。
鼓動が早くなる。
店員が皿を置こうとした瞬間、佐保田は思わず手を伸ばす。
指先が、その手に触れる。
「早苗ちゃん!」
握ろうとした、その瞬間。
店員が振り向く。
目が合う。
でも――
どこか違う。
次の瞬間。
「ナニスルアル~!」
パシンッ。
頬に鋭い衝撃。
視界が揺れる。
料理の湯気が歪む。
「ち、違う……」
そのまま、世界がぐにゃりと歪み――
目が覚めた。
天井。
暗い部屋。
頬を押さえる。
「……痛っ」
本当に少しヒリヒリしている気がする。
佐保田は荒い息を吐く。
「なんだよ……」
早苗じゃなかった。
そっくりだったのに。
「なんで薬の夢に、あいつが出てくるんだよ……」
高級中華の余韻は残っている。
フカヒレの味も、北京ダックの香りも。
でも、頬の違和感と、胸の虚しさのほうが強い。
「早苗ちゃんは……薬なしなんだよな」
ぽつりとつぶやく。
夢住薬は、欲望をくれる。
でも、
早苗はくれない。
佐保田は天井を見つめたまま、静かに呟いた。
「……会いたいな」
佐保田は深呼吸をしてから、机に向かった。
とりあえずレポートを書く。
【夢住薬三日目】
・高級中華料理店
・味覚再現度 非常に高い
・途中、定食屋の娘に酷似した店員出現
・接触しようとしたところ拒否反応あり(叩かれる)
・起床時、頬に軽い違和感
書き終えて、ペンを置く。
「……よし」
封筒に入れ、指定の箱へ。
そしてベッドへ。
「早苗ちゃん……」
そうつぶやき、目を閉じる。
⸻
夢の中。
「もう、お母さんたらぁ~」
あ、あの続きだ……
小さな定食屋。
湯気。
味噌の香り。
目の前に置かれる、鯖の味噌煮込み定食。
佐保田は箸を取る。
「……美味い」
でも、味ははっきりしない。
それでも。
「この家庭の味、最高……」
胸があたたかい。
全部食べ終える。
佐保田
「ご馳走様」
早苗
「今日も、ありがとうございます」
少し照れたような笑顔。
早苗
「600円になります」
佐保田は財布から1000円を出す。
早苗
「400円のおかえしです」
差し出された手。
その瞬間、佐保田はそっと――
ぎゅっと握る。
早苗の目が大きくなる。
佐保田
「今日、店終わったらドライブでもどうですか?」
心臓がうるさい。
早苗
「あ、いや、でも……」
奥から母の声。
母
「いってきなさい」
早苗
「……あ、はい」
少し俯きながら。
「じゃあ、夜、店の前で待ってます」
胸が跳ねる。
世界が明るくなる。
――その瞬間。
ふっと視界が白くなる。
目が覚めた。
天井。
静かな部屋。
「……くそ」
ドライブの約束。
そこまで来たのに。
佐保田は枕を見つめながら、ぽつり。
「今度は……絶対、続き見る」
知らないうちに。
夢を“楽しむ”から、
夢を“追いかける”に変わり始めていた。
「そうだ、今、また寝るから、夜早苗ちゃん出てこないんだ、夜まで起きて待とう」
そうつぶやき、佐保田は立ち上がった。
今日は寝ない。
絶対に。
テレビをつける。
笑い声が流れる。
でも頭に入らない。
時計を見る。
まだ昼。
長い。
冷蔵庫を開ける。
何も食べる気はない。
でも手持ち無沙汰で水を飲む。
「眠い……」
ソファに座る。
うとうとする。
「だめだ!」
自分の頬を軽く叩く。
風呂に入る。
シャワーを浴びる。
冷たい水を顔にかける。
「今日は、ちゃんと夜まで起きる」
スマホを見る。
時間が進まない。
部屋を歩き回る。
ストレッチをする。
コーヒーを飲む。
苦い。
目は覚める。
夕方になる。
外が暗くなる。
「よし……」
やっと夜だ。
ベッドに座る。
胸が少し高鳴る。
「今度こそ、店の前で待ち合わせ……」
そうつぶやき、ゆっくり横になる。
目を閉じた。
あわてて目を開け
「あ、そうだ、薬だ!薬を飲んだら早苗ちゃんの感触が」
そう言って、佐保田は慌てて小瓶を手に取った。
水もほとんど飲まずに、錠剤を流し込む。
「これで……」
再びベッドに横たわり、目を閉じる。
⸻
夢の中。
ハンドルを握っている。
エンジン音。
夜道。
「……車?」
佐保田は気づく。
自分が運転している。
見覚えのある道。
そして――
定食屋。
「あ、薬飲んでも見れた」
胸が高鳴る。
店の前に立つ早苗を見つけた。
定食屋のエプロン姿ではない。
白いワンピース。
髪はおろしている。
街灯に照らされ、柔らかく光っている。
思わずクラクションを鳴らす。
早苗が振り向く。
目が合う。
小さく手を振り、助手席に乗り込む。
佐保田
「いきなり誘ってごめんね」
早苗
「い、いえ、嬉しいです」
その声。
距離が近い。
車を走らせる。
夜風。
エアコンの音。
しばらく走り、人気のない場所に車を停める。
心臓がうるさい。
佐保田
「奥で話してるの聞こえたんだけど、早苗ちゃんの好きな人って」
早苗の肩がぴくりと動く。
早苗
「えっ、あ、あの……あなたです」
佐保田
「え?俺?」
早苗がそっと肩に寄り添う。
温もりが伝わる。
上目遣い。
早苗
「だ、ダメですか?」
髪の匂い。
シャンプーの香り。
温かい息遣い。
こんなにはっきり感じるのは――
薬のせいだ。
佐保田
「俺も好きだよ」
言った瞬間、
世界が少し揺れる。
早苗の体温が、確かにある。
その温もりを感じたまま――
目が覚めた。
天井。
暗い部屋。
心臓が早い。
「……くそ」
頬に触れる。
感触はない。
でも、
匂いと温もりだけが、妙にリアルに残っていた。
佐保田は、ゆっくりとつぶやく。
「薬、すごすぎるだろ……」
佐保田は勢いよくベッドから起き上がった。
「やばい、忘れる前に」
机に向かい、急いでレポート用紙を引き寄せる。
【夢住薬 四日目】
・薬服用後、定食屋の娘“早苗”出現
・車でのドライブシーン
・触覚、嗅覚、体温の再現度 非常に高い
・告白成立
・起床時、動悸あり/余韻強い
ペンを走らせながら、手が少し震えている。
「匂いまで……温もりまで……」
書き終え、封筒に入れ、指定のボックスへ。
ふぅ、と息を吐く。
そしてベッドを見る。
「……続き」
今、もう一度寝れば、あの続きが見られるかもしれない。
キスの続き。
その先。
喉が鳴る。
だが――
「だめだ!今続きみるのは、もったいない」
思わず声に出す。
ここで使ったら、夜が来た時どうなる?
一日一回。
社長の言葉がよぎる。
“夜、就寝前に一回!”
「夜まで待つ……ちゃんと待つ」
佐保田は立ち上がる。
眠気がじわじわ押し寄せてくる。
でも今日は寝ない。
テレビをつける。
音楽を流す。
部屋の中を歩き回る。
顔を洗う。
冷たい水が目を覚ます。
「早苗ちゃん……」
思い出すだけで、胸が熱い。
続きが見たい。
でも。
今日は我慢だ。
佐保田は必死に目をこすりながら、夜が来るのを待つのだった。
そして、とうとう、夜。
部屋は静まり返っている。
佐保田は小瓶を手に取る。
「早苗ちゃん、お待たせ」
そうつぶやき、薬を飲み込む。
ゆっくりと目を閉じた。
⸻
夢の中。
「俺も好きだよ」
その続きから始まる。
早苗が目を大きくしている。
早苗
「えっ、嬉しい……」
声が震えている。
早苗
「わ、私、最初に佐保田さんを見た時から一目惚れで……」
胸が締めつけられる。
佐保田
「俺もだよ」
自然に言葉が出る。
早苗の両肩に、そっと手を置く。
温かい。
逃げない。
早苗が目を閉じる。
佐保田は顔を近づける。
早苗の息がかかる。
あと、ほんの少し。
唇が触れ合う――
その瞬間。
ふっと世界が暗転した。
目が覚めた。
天井。
静かな部屋。
「……は?」
佐保田は飛び起きる。
心臓が激しく打っている。
「なんでだよ!」
あと少しだった。
あと一瞬だった。
唇が触れる寸前。
「またかよ……」
手のひらを見る。
何もない。
温もりも、匂いも、残っていない。
ただ、焦りだけが残る。
「なんで毎回、そこで終わるんだよ……」
胸の奥がざわつく。
もどかしさ。
苛立ち。
そして――
もう一回、という衝動。
机の上の小瓶が、月明かりに照らされている。
佐保田は、それをじっと見つめた。
「ふ、副作用とかって言っても死ぬ訳ないだろうし……」
そうつぶやき、佐保田はもう一錠を飲み、再び目を閉じた。
早苗と唇が重なる。
早苗は、ゆっくりと佐保田の頬に手をあて、唇を離す。
そのまま、佐保田の顔をじっと見つめて言った。
「これで……ずっと一緒にいれるわね」
佐保田
「えっ?」
早苗
「ここは、あなたの描いた夢の世界……ふふふ」
そう言って、早苗は佐保田に熱いキスをした。
その直後、車のドアが開く。
早苗の母が、何事もなかったかのように中へ入ってくる。
「うちの特別メニューの親子丼お待たせしました」
⸻
数日後。
社長
「電話しても繋がらんし、レポート用紙も来とらん……何しとんねん」
様子を見に行くか、と社長はマンションへ向かった。
合鍵で扉を開け、部屋に入る。
ベッドの上で、佐保田は眠ったまま、ニヤニヤと笑っている。
「ちょっと~、早苗ちゃん……お母さんも……そこはダメです~……」
寝言が、途切れ途切れに漏れていた。
社長
「食べ物の夢しか見ん言うてたから安心しとったが……女の夢に溺れよったか……」
紙を一枚取り出し、目を落とす。
《副作用:夢から抜け出せなくなる……目覚めない》
社長
「……あとで、うちの従業員に病院へ運ばせよ」
そうつぶやき、社長はマンションを後にした。
⸻
ふぉっふぉっふぉっ。
女……酒……ギャンブル……
溺れてはいけないものはいくつもあるが、夢もまた、溺れてはいかん。
その前に――
約束は、守らんといかんのぅ。
おわり
部長
「サボタ~!サボタ~!どこにいる~!」
同僚
「部長、ここです」
下を指さす。
デスクの下。
丸まって眠る佐保田。
佐保田
「美味そうな……ハンバーグ~……」
部長は額に青筋を浮かべ、引きずり出す。
「お前がやった資料!ミスだらけだ!
やり直せ!いい加減にしないと減給に、またなるぞ!」
佐保田
「ふわぁ~い……わかりましたぁ……」
椅子に座り、キーボードをぽちぽち。
三分後。
佐保田
「タバコ行きます」
部長
「戻ってこいよ!」
⸻
喫煙所。
煙の向こうで、案の定。
佐保田、壁にもたれて熟睡。
佐保田
「このマグロ……最高……」
同僚
「おい、サボタ!サボタサボる~!起きろ!」
佐保田
「なんだよ~……マグロ食べれなかったじゃん……」
同僚
「仕事戻れ!」
佐保田
「ふわぁーい……」
戻る背中。
同僚、小声で。
「ほんと、何しに会社来てんだあいつ……」
⸻
その後は全社員による“監視体制”。
寝る隙すら与えられない。
そして、ようやく定時。
佐保田
「ふわぁー……終わった……
今日は全然寝れなかったな……」
空を見上げる。
「家帰る前に、一眠りできる場所探そ……」
そう言って、ふらふらとオフィスを出ていった。
オフィスを出た佐保田は、いくつかの店を覗いて回った。
どこも騒がしく、席は埋まっている。
「ここも混んでたら帰ろ……」
そうつぶやき、目に入った一軒のBARの扉を押した。
――BARワンダー。
カランカラン。
マスター
「いらっしゃい」
店内は静かだった。
客は湯のみを手にした爺さんと、作業着姿の男が一人だけ。
佐保田は店内を見回し、小さくうなずく。
「ここなら寝れる」
席に着いた瞬間、突っ伏して寝た。
マスター
「お客さん、お客さん」
軽く揺する。
佐保田
「なーに……」
マスター
「具合悪いんですか?」
佐保田
「いや、寝る場所探して辿り着いただけ」
マスター
「寝る場所?家ないんですか?」
佐保田
「あるよ。家帰る前に寝たかっただけ。今日会社であんまり寝れなかったから」
マスターは苦笑する。
「金さえ払ってくれれば寝るのは自由だが……何か訳ありって感じだな。話、聞こうか?」
佐保田はゆっくり顔を上げる。
「僕は昔から寝るのが大好きでさ。夢を見るのも大好き。だから、ずっと寝てたいんだ」
マスター
「でも仕事あるだろ?」
佐保田
「そうなんだよ。仕事なんかつまらない。ずっと夢の中にいたいくらい。それに減給ばっかで生活も苦しいし……」
そのとき。
社長
「ちょっと話、割り込んでええか?」
佐保田
「は、はぁ」
社長はグラスを置き、ゆっくり近づく。
「ちょうどな、夢関連の薬を開発中でな。モニターにならへんか?」
佐保田
「夢関連の薬?」
社長
「夢住薬(むじゅうやく)いうてな。本当に目が覚めるまで夢の中に住んだ感覚になる薬や。美味いもん食べたら、起きた後も満腹になる」
佐保田の目が輝く。
「え?最高じゃないですか!いくらですか?」
社長はにやりと笑う。
「副作用もあるかもしれん。せやから、月100万や」
佐保田
「月ひゃくっ!? ……やります!」
爺さんが湯のみを置く。
「社長の薬はな、正しく使えば天国、間違えたら地獄じゃ。大丈夫か?」
佐保田
「正しく使えばいいだけでしょ?大丈夫大丈夫」
マスター
「俺にもくれ!毎日美女と……」
社長
「マスターがエロ廃人になったら店なくなるやろ。あかん」
爺さん
「マスターは、もうエロ廃人じゃろう」
マスター
「誰がエロ廃人だ!」
店内に小さな笑いが広がる。
社長
「ほんなら、今晩からわしの管理するマンションで寝泊まりしい」
佐保田
「え~?住む場所も?家賃も滞納してて困ってたんです」
社長
「そうか。わしはもうちょい爺さんと飲みたい。あんたは寝とき」
佐保田
「はーい。おやすみなさい」
言い終わる前に、佐保田は眠りに落ちた。
「マグロ……エビ……イカ……」
マスター
「寝るの早っ。もう夢見てる」
社長
「今回のモニターにぴったりやな」
爺さん、ゆっくりとつぶやく。
「月100万もらえるまで、もつとええがのぅ……」
マスター
「いいなぁ、美女と実際に夢の中で……」
社長
「マスター、よだれ」
爺さん
「マスターの血はエロでできとるんじゃろう」
マスター
「違うわ!」
笑いに包まれる中、佐保田は幸せそうに眠っていた。
やがて、BARの閉店時間。
社長
「そろそろ行くで。起きや」
佐保田はゆっくり顔を上げる。
佐保田
「ふわぁ~……良く寝た~」
マスターがカウンター越しに伝票を差し出す。
「はい、伝票」
社長はそれをひょいと奪い取る。
「わし払っとくわ。ほな、行くで」
佐保田
「は、はい」
二人は店を出ていった。
カランカラン。
店内に静けさが戻る。
爺さん
「じゃ、わしも」
マスター
「消えるんじゃないぞ!お会計な」
爺さん
「ちぇっ」
小銭を出しながら、ぶつぶつ言う。
「夢の話ばかりしとると、財布も軽くなるわい」
マスター
「それは元からだろ」
爺さんは肩をすくめ、店を出ていった。
再び静まり返るBARワンダー。
マスターはグラスを磨きながら小さくつぶやく。
「今回のは……もつかな」
暗い店内に、氷の溶ける音だけが響いた。
社長のマンションに着いた二人は、そのまま部屋に入った。
佐保田
「うわぁ……ベッドから何から、全部そろってる」
ワンルームだが、生活に必要なものは一通り揃っている。
清潔なベッド、机、ノート、ペン、簡単なキッチン。
社長
「ええやろ。モニター用の部屋や」
そう言って、ポケットから小さな瓶を取り出し、佐保田に手渡す。
「それが夢住薬や」
佐保田は瓶を受け取り、ラベルをじっと見る。
社長
「夜、就寝前に一回だけ飲む。
どんな夢を見たか、どんな感覚やったか、起きたあと身体と頭がどうなったか。
それをできるだけ明確に、全部書いてもらう」
机の上のノートを指さす。
佐保田
「それだけで月100万……余裕じゃないですか」
社長
「まぁな。ただし――」
声が少し低くなる。
「夢住薬を飲むのは、夜、就寝前に一回だけ。
それだけは絶対に守れ。
どんな副作用が出るか、正直、ワシも全部は分かっとらん」
佐保田
「はい。守ります」
瓶を軽く振りながら笑う。
「夢の中で食べたら満腹になるなら、そんな何回も飲めないですよ」
社長
「そうか」
少しだけ安心したようにうなずく。
「ほな、頼んだで」
そう言って、社長は部屋を出ていった。
ドアが閉まり、部屋に静けさが戻る。
佐保田はベッドに腰を下ろし、手の中の瓶を見る。
「夢の中に住む、か……」
小さくつぶやき、瓶を机の上に置いた。
その夜が、
天国になるか、地獄になるか――
まだ、この時の佐保田は知る由もなかった。
佐保田は時計を見た。
「もうこんな時間か……薬飲んで寝るか」
ベッドに腰掛ける。
「ふっかふか~。いい夢見れそう~」
コップに水を入れ、夢住薬を一錠。
ごくり。
ベッドに横たわり、目を閉じた。
⸻
佐保田の夢の中
豪華なシャンデリアが輝く高級レストラン。
テーブルいっぱいに並ぶ料理。
「キャビア、フォアグラ、トリュフ……ぶ厚いステーキ!」
肉汁がじゅわっと滴る。
「どれから食べよう~」
ナイフを入れる。
とろり、とろける肉。
「美味しい~……」
キャビアの塩気。
フォアグラの濃厚さ。
ステーキの脂が口の中で広がる。
「肉が……とろける~……」
夢なのに、温度も、匂いも、噛んだ弾力も、全部リアルだった。
そして、最後の一口を飲み込んだ瞬間――
⸻
目が覚めた。
⸻
佐保田は天井を見つめる。
「あ~……もう朝か~……」
しばらく口をもぐもぐさせる。
「てか、めちゃくちゃステーキ美味かった……肉汁もちゃんと出てた……」
自分の腹を触る。
「え?マジで味の感覚残ってるし……満腹感もある……」
ゆっくり起き上がる。
「すごいな、この薬~」
その目が、少しだけ本気になる。
「月100万だ。真面目にやらないと」
机に向かい、レポート用紙を取り出す。
普段の仕事とはまるで違う丁寧さで、
・夢の内容
・味覚の再現度
・起床後の満腹感
・身体への異常の有無
細かく書き込んでいく。
書き終わると、
「レポート用紙入れ」と書かれた箱に、きちんと投函した。
佐保田は伸びをする。
「もう夜までやることないな……」
ベッドを見つめる。
「……とりあえず寝よ」
そう言って、再び横になった。
目を閉じる。
――薬は飲んでいない。
ただの昼寝。
それでも彼の口元は、少しだけ笑っていた。
そして――薬なしの昼寝。
佐保田の夢の中
町の小さな定食屋。
暖簾が揺れ、カウンター席がいくつか並ぶ。
厨房では母と娘が忙しそうに動いている。
娘の名前は――早苗。
早苗
「佐保田さん、はい。豚のしょうが焼き定食です」
佐保田
「早苗さん、ありがとう」
湯気が立ちのぼる。
可愛いなぁ……
しょうが焼きを一口。
……。
あれ?
味が、ぼんやりしている。
食べているはずなのに、何か足りない。
奥から声がする。
母
「私のことはいいから、遊びに行きなさい」
早苗
「お母さん、ほっとけないし」
そのやり取りを聞きながら、佐保田は思う。
(なんか……前もこんな夢見た気がするな……)
景色が少しにじむ。
――そこで目が覚めた。
⸻
佐保田は天井を見つめる。
「ふわぁ……」
口をもぐもぐさせる。
「やっぱり薬なしだと味しないなぁ……」
しょうが焼きの感覚は、もう残っていない。
腹も減っている。
「さすがに寝すぎて夜寝れなかったらダメだからな」
時計を見る。
「テレビでも見て時間つぶすか」
そう言ってベッドから起き上がり、リモコンを手に取る。
画面の光が部屋を照らす。
佐保田は、ふと机の上の小瓶を見る。
夢住薬。
夜まで、あと数時間。
その視線は、ほんの少しだけ長かった。
テレビを見て時間をつぶし、
コンビニ弁当を軽く食べた佐保田。
時計を見る。
「そろそろいい時間だな」
ベッドに腰掛ける。
机の上の小瓶を手に取る。
「さてさて、今日は何の夢だろう」
夢住薬を一錠。
水で流し込み、目を閉じた。
⸻
夢の中
カウンターだけの、静かな高級寿司屋。
「回らない寿司ってやつか……」
目の前には白木のカウンター。
職人が無言でネタを握る。
「はい、どうぞ」
差し出されたのは、大トロ。
口に入れた瞬間――
脂がすっと溶ける。
「うわ……やば……」
続いて、ウニ。
濃厚で甘い。
イクラはぷちっと弾ける。
「これ……本物だ……」
職人が言う。
「今日は特別ですよ」
目の前に置かれたのは、
金粉が乗った特上握り。
「いくらだこれ……」
一口。
米の温度、酢の加減、ネタの弾力。
すべて完璧。
「夢ってレベルじゃないだろ……」
口いっぱいに広がる幸福。
腹も心も満たされていく。
⸻
そして――
目が覚めた。
⸻
佐保田は天井を見つめる。
「……すし……」
口の中に、まだ酢の香りが残っている。
腹を触る。
「満腹……」
思わず笑う。
「これで月100万か……」
ベッドから起き上がる。
「次は何食おうかな」
机の上の小瓶を、ちらっと見る。
まだ夜は一回しか飲んでいない。
ルールは守っている。
でも。
視線が少し長くなる。
そして、昨日と同じく、薬なしで昼寝をする佐保田。
目を閉じると、またあの定食屋だった。
木のカウンター。
湯気の立つ味噌汁。
鉄板の上でじゅうじゅうと音を立てるしょうが焼き。
早苗が少し困った顔で母と話している。
早苗
「お父さんが亡くなってから、ずっと働いてるから……心配」
母
「仕方ないだろ。お客さんがこの店の味が好きだって言うんだから」
一瞬、母がにやっとする。
「それより、あんたも彼氏の一人ぐらい作りな」
早苗
「好きな人は……いるけど……」
声が小さくなる。
佐保田の胸が、少しだけざわつく。
(え……誰だよ……)
しょうが焼きを口に運ぶ。
……やっぱり味は薄い。
香りも、温度も、どこかぼやけている。
佐保田
「ごちそうさま」
早苗は少し照れたように笑う。
早苗
「いつも、ありがとうございます」
その目が、一瞬だけ佐保田を見た――気がした。
そこで、目が覚めた。
⸻
佐保田は天井を見つめる。
「……好きな人って……」
胸のざわつきだけが残る。
味は残らない。
満腹感もない。
「やっぱ薬なしだと物足りないな……」
でも今の夢は、料理よりも――
早苗の言葉が、妙に引っかかっていた。
机の上の小瓶が、静かに光を反射している。
「なんだ……今の夢……」
佐保田は天井を見つめる。
「薬なしだと、最近これよく見るな……」
胸の奥がむずむずする。
「続き、見れるかな……?」
もう一度、目を閉じた。
⸻
夢の中
また、あの定食屋。
昼下がりの柔らかい光。
早苗がレジの前に立っている。
早苗
「550円です」
佐保田は財布から千円札を出す。
「はい」
早苗が受け取る。
レジを打つ音。
早苗
「450円のおかえしです」
小銭を渡す瞬間――
指先が、触れた。
ほんの一瞬。
でも、温度はあった。
早苗の顔が、ほんのり赤くなる。
早苗
「あ……明日も、待ってます」
少しだけ目を伏せる。
佐保田の胸が、どくんと鳴る。
佐保田
「……はい」
その声は、自分でも驚くほど優しかった。
――その瞬間。
目が覚めた。
⸻
佐保田は息を吐く。
「……はぁ……」
胸がまだ、ざわついている。
指先を見つめる。
「触れたよな……?」
当然、何も残っていない。
腹も減っている。
味もない。
でも。
早苗の顔だけは、やけに鮮明だった。
机の上の夢住薬を、無意識に見つめる。
「……薬飲んだら、もっとリアルになるのかな」
その呟きは、小さく、静かだった。
社長から電話が鳴る。
佐保田「はい」
社長「どや?今日のレポートも頼むで、昨日のは確認したわ、すごいやろ?」
佐保田「はい、すごいです、本当に夢が現実になったみたいです」
社長「せやろ?ほな、引き続き頼むわ」
電話が切れる。
佐保田「そうだ、モニターだったんだ」
ぼんやりしていた頭が、急に現実に引き戻される。
机の上に広げたままのレポート用紙を引き寄せ、ペンを握る。
昨夜の夢を思い出す。
高級寿司。
大将の声。
口の中でとろける中トロ。
そして、目が覚めたあとも続いていた満腹感。
「……すごいよな、ほんと」
独り言をつぶやきながら、丁寧に書き始める。
夢の内容。
味覚の再現度。
起床後の身体の変化。
普段の会社の資料とは違い、驚くほど真面目に、細かく書き込んでいく。
書き終えると、ふうっと息を吐く。
「よし、今日の分はこれでいい」
レポートを封筒に入れ、指定の箱へ。
月100万。
その言葉が、頭の中でやけに現実味を帯びる。
「ちゃんとやらないとな」
そう言いながらも、心のどこかでは、今夜の夢のほうが楽しみだった。
机の上には、夢住薬の小瓶。
白い錠剤が、静かに光っている。
佐保田はそれを一度だけ見つめ、ゆっくりと視線を逸らした。
夢の中。
あの小さな定食屋。
木の引き戸の音。
カウンター越しの湯気。
早苗
「今日も来てくれたんですね」
柔らかい声。
佐保田
「さ、早苗ちゃん目当てかな」
言ってから、少し照れる。
早苗
「えっ、あ、嬉しい」
頬がほんのり赤くなる。
佐保田
「とりあえず、鯖の味噌煮込み定食……」
早苗
「はい」
奥へと消える早苗。
その背中を、つい目で追ってしまう。
奥から母の声。
母
「好きな人ってあのお客さん?」
早苗
「えっ、いや、」
母
「そうですって顔にかいてあるよ」
早苗
「も、もう、お母さん……」
その声に、胸がじわっと熱くなる。
佐保田は、何も聞こえないふりをしながら、
心臓だけがやけにうるさい。
そのとき――
視界がふっと白くなる。
目が覚めた。
⸻
天井。
静かな部屋。
佐保田
「……また、いいとこで」
味は残っていない。
満腹感もない。
でも。
胸の奥が、あたたかい。
「なんなんだよ、これ……」
薬なしの夢なのに、
高級寿司よりも、
ステーキよりも、
ずっと続きが気になる。
佐保田は天井を見つめたまま、ぽつりとつぶやく。
「早苗ちゃん……」
「だめだだめだ仕事だ」
そう自分に言い聞かせ、佐保田はベッドから起き上がった。
今日はモニターだ。
夢に浸っている場合じゃない。
テレビをつける。
バラエティ番組の笑い声が部屋に響く。
けれど頭の中に浮かぶのは、あの定食屋。
「今日も来てくれたんですね」
その声が離れない。
佐保田はリモコンを置き、風呂に入る。
湯船にゆっくり浸かりながら天井を見上げる。
「……なんであんな夢見るんだろ」
薬なしの夢なのに、あんなに続きが気になるなんて。
やがて夜。
机の上の小瓶を見つめる。
「薬飲んでも早苗ちゃん出てきたらなぁ……」
淡い期待を込めて、コップの水と一緒に一錠飲み込む。
ベッドに横になり、目を閉じた。
⸻
夢の中。
豪華な中華料理店。
赤い絨毯。
金の装飾。
丸い大きなテーブル。
次々と運ばれてくる料理。
フカヒレの姿煮。
北京ダック。
大きな海老のチリソース。
小籠包からあふれる肉汁。
「うわ……すご」
ひと口食べる。
濃厚。
旨味が爆発する。
本当に美味い。
けれど。
佐保田は周りを見渡す。
店員はいる。
客もいる。
でも――
早苗はいない。
「……だよな」
北京ダックを口に運ぶ。
パリッとした皮。
甘辛いタレ。
完璧な味。
でも、胸が空いている。
「なんで出てこないんだよ」
フカヒレをすくいながら、ぼそっとつぶやく。
料理は最高だ。
なのに、どこか虚しい。
夢の中なのに、少しだけショックを受けている自分がいる。
「こんな豪華なのに……」
箸を動かしながらも、心は別の場所にある。
定食屋。
湯気。
早苗の笑顔。
高級中華の香りの中で、佐保田はぽつりとつぶやいた。
「早苗ちゃんのしょうが焼きのほうが、いいかもな……」
豪華な円卓。
次の料理が運ばれてくる。
赤いチャイナドレスの店員が、ゆっくり近づいてくる。
その横顔に、佐保田は息をのむ。
「……さ、早苗ちゃん?」
そっくりだ。
目元も、口元も、あの柔らかい雰囲気も。
鼓動が早くなる。
店員が皿を置こうとした瞬間、佐保田は思わず手を伸ばす。
指先が、その手に触れる。
「早苗ちゃん!」
握ろうとした、その瞬間。
店員が振り向く。
目が合う。
でも――
どこか違う。
次の瞬間。
「ナニスルアル~!」
パシンッ。
頬に鋭い衝撃。
視界が揺れる。
料理の湯気が歪む。
「ち、違う……」
そのまま、世界がぐにゃりと歪み――
目が覚めた。
天井。
暗い部屋。
頬を押さえる。
「……痛っ」
本当に少しヒリヒリしている気がする。
佐保田は荒い息を吐く。
「なんだよ……」
早苗じゃなかった。
そっくりだったのに。
「なんで薬の夢に、あいつが出てくるんだよ……」
高級中華の余韻は残っている。
フカヒレの味も、北京ダックの香りも。
でも、頬の違和感と、胸の虚しさのほうが強い。
「早苗ちゃんは……薬なしなんだよな」
ぽつりとつぶやく。
夢住薬は、欲望をくれる。
でも、
早苗はくれない。
佐保田は天井を見つめたまま、静かに呟いた。
「……会いたいな」
佐保田は深呼吸をしてから、机に向かった。
とりあえずレポートを書く。
【夢住薬三日目】
・高級中華料理店
・味覚再現度 非常に高い
・途中、定食屋の娘に酷似した店員出現
・接触しようとしたところ拒否反応あり(叩かれる)
・起床時、頬に軽い違和感
書き終えて、ペンを置く。
「……よし」
封筒に入れ、指定の箱へ。
そしてベッドへ。
「早苗ちゃん……」
そうつぶやき、目を閉じる。
⸻
夢の中。
「もう、お母さんたらぁ~」
あ、あの続きだ……
小さな定食屋。
湯気。
味噌の香り。
目の前に置かれる、鯖の味噌煮込み定食。
佐保田は箸を取る。
「……美味い」
でも、味ははっきりしない。
それでも。
「この家庭の味、最高……」
胸があたたかい。
全部食べ終える。
佐保田
「ご馳走様」
早苗
「今日も、ありがとうございます」
少し照れたような笑顔。
早苗
「600円になります」
佐保田は財布から1000円を出す。
早苗
「400円のおかえしです」
差し出された手。
その瞬間、佐保田はそっと――
ぎゅっと握る。
早苗の目が大きくなる。
佐保田
「今日、店終わったらドライブでもどうですか?」
心臓がうるさい。
早苗
「あ、いや、でも……」
奥から母の声。
母
「いってきなさい」
早苗
「……あ、はい」
少し俯きながら。
「じゃあ、夜、店の前で待ってます」
胸が跳ねる。
世界が明るくなる。
――その瞬間。
ふっと視界が白くなる。
目が覚めた。
天井。
静かな部屋。
「……くそ」
ドライブの約束。
そこまで来たのに。
佐保田は枕を見つめながら、ぽつり。
「今度は……絶対、続き見る」
知らないうちに。
夢を“楽しむ”から、
夢を“追いかける”に変わり始めていた。
「そうだ、今、また寝るから、夜早苗ちゃん出てこないんだ、夜まで起きて待とう」
そうつぶやき、佐保田は立ち上がった。
今日は寝ない。
絶対に。
テレビをつける。
笑い声が流れる。
でも頭に入らない。
時計を見る。
まだ昼。
長い。
冷蔵庫を開ける。
何も食べる気はない。
でも手持ち無沙汰で水を飲む。
「眠い……」
ソファに座る。
うとうとする。
「だめだ!」
自分の頬を軽く叩く。
風呂に入る。
シャワーを浴びる。
冷たい水を顔にかける。
「今日は、ちゃんと夜まで起きる」
スマホを見る。
時間が進まない。
部屋を歩き回る。
ストレッチをする。
コーヒーを飲む。
苦い。
目は覚める。
夕方になる。
外が暗くなる。
「よし……」
やっと夜だ。
ベッドに座る。
胸が少し高鳴る。
「今度こそ、店の前で待ち合わせ……」
そうつぶやき、ゆっくり横になる。
目を閉じた。
あわてて目を開け
「あ、そうだ、薬だ!薬を飲んだら早苗ちゃんの感触が」
そう言って、佐保田は慌てて小瓶を手に取った。
水もほとんど飲まずに、錠剤を流し込む。
「これで……」
再びベッドに横たわり、目を閉じる。
⸻
夢の中。
ハンドルを握っている。
エンジン音。
夜道。
「……車?」
佐保田は気づく。
自分が運転している。
見覚えのある道。
そして――
定食屋。
「あ、薬飲んでも見れた」
胸が高鳴る。
店の前に立つ早苗を見つけた。
定食屋のエプロン姿ではない。
白いワンピース。
髪はおろしている。
街灯に照らされ、柔らかく光っている。
思わずクラクションを鳴らす。
早苗が振り向く。
目が合う。
小さく手を振り、助手席に乗り込む。
佐保田
「いきなり誘ってごめんね」
早苗
「い、いえ、嬉しいです」
その声。
距離が近い。
車を走らせる。
夜風。
エアコンの音。
しばらく走り、人気のない場所に車を停める。
心臓がうるさい。
佐保田
「奥で話してるの聞こえたんだけど、早苗ちゃんの好きな人って」
早苗の肩がぴくりと動く。
早苗
「えっ、あ、あの……あなたです」
佐保田
「え?俺?」
早苗がそっと肩に寄り添う。
温もりが伝わる。
上目遣い。
早苗
「だ、ダメですか?」
髪の匂い。
シャンプーの香り。
温かい息遣い。
こんなにはっきり感じるのは――
薬のせいだ。
佐保田
「俺も好きだよ」
言った瞬間、
世界が少し揺れる。
早苗の体温が、確かにある。
その温もりを感じたまま――
目が覚めた。
天井。
暗い部屋。
心臓が早い。
「……くそ」
頬に触れる。
感触はない。
でも、
匂いと温もりだけが、妙にリアルに残っていた。
佐保田は、ゆっくりとつぶやく。
「薬、すごすぎるだろ……」
佐保田は勢いよくベッドから起き上がった。
「やばい、忘れる前に」
机に向かい、急いでレポート用紙を引き寄せる。
【夢住薬 四日目】
・薬服用後、定食屋の娘“早苗”出現
・車でのドライブシーン
・触覚、嗅覚、体温の再現度 非常に高い
・告白成立
・起床時、動悸あり/余韻強い
ペンを走らせながら、手が少し震えている。
「匂いまで……温もりまで……」
書き終え、封筒に入れ、指定のボックスへ。
ふぅ、と息を吐く。
そしてベッドを見る。
「……続き」
今、もう一度寝れば、あの続きが見られるかもしれない。
キスの続き。
その先。
喉が鳴る。
だが――
「だめだ!今続きみるのは、もったいない」
思わず声に出す。
ここで使ったら、夜が来た時どうなる?
一日一回。
社長の言葉がよぎる。
“夜、就寝前に一回!”
「夜まで待つ……ちゃんと待つ」
佐保田は立ち上がる。
眠気がじわじわ押し寄せてくる。
でも今日は寝ない。
テレビをつける。
音楽を流す。
部屋の中を歩き回る。
顔を洗う。
冷たい水が目を覚ます。
「早苗ちゃん……」
思い出すだけで、胸が熱い。
続きが見たい。
でも。
今日は我慢だ。
佐保田は必死に目をこすりながら、夜が来るのを待つのだった。
そして、とうとう、夜。
部屋は静まり返っている。
佐保田は小瓶を手に取る。
「早苗ちゃん、お待たせ」
そうつぶやき、薬を飲み込む。
ゆっくりと目を閉じた。
⸻
夢の中。
「俺も好きだよ」
その続きから始まる。
早苗が目を大きくしている。
早苗
「えっ、嬉しい……」
声が震えている。
早苗
「わ、私、最初に佐保田さんを見た時から一目惚れで……」
胸が締めつけられる。
佐保田
「俺もだよ」
自然に言葉が出る。
早苗の両肩に、そっと手を置く。
温かい。
逃げない。
早苗が目を閉じる。
佐保田は顔を近づける。
早苗の息がかかる。
あと、ほんの少し。
唇が触れ合う――
その瞬間。
ふっと世界が暗転した。
目が覚めた。
天井。
静かな部屋。
「……は?」
佐保田は飛び起きる。
心臓が激しく打っている。
「なんでだよ!」
あと少しだった。
あと一瞬だった。
唇が触れる寸前。
「またかよ……」
手のひらを見る。
何もない。
温もりも、匂いも、残っていない。
ただ、焦りだけが残る。
「なんで毎回、そこで終わるんだよ……」
胸の奥がざわつく。
もどかしさ。
苛立ち。
そして――
もう一回、という衝動。
机の上の小瓶が、月明かりに照らされている。
佐保田は、それをじっと見つめた。
「ふ、副作用とかって言っても死ぬ訳ないだろうし……」
そうつぶやき、佐保田はもう一錠を飲み、再び目を閉じた。
早苗と唇が重なる。
早苗は、ゆっくりと佐保田の頬に手をあて、唇を離す。
そのまま、佐保田の顔をじっと見つめて言った。
「これで……ずっと一緒にいれるわね」
佐保田
「えっ?」
早苗
「ここは、あなたの描いた夢の世界……ふふふ」
そう言って、早苗は佐保田に熱いキスをした。
その直後、車のドアが開く。
早苗の母が、何事もなかったかのように中へ入ってくる。
「うちの特別メニューの親子丼お待たせしました」
⸻
数日後。
社長
「電話しても繋がらんし、レポート用紙も来とらん……何しとんねん」
様子を見に行くか、と社長はマンションへ向かった。
合鍵で扉を開け、部屋に入る。
ベッドの上で、佐保田は眠ったまま、ニヤニヤと笑っている。
「ちょっと~、早苗ちゃん……お母さんも……そこはダメです~……」
寝言が、途切れ途切れに漏れていた。
社長
「食べ物の夢しか見ん言うてたから安心しとったが……女の夢に溺れよったか……」
紙を一枚取り出し、目を落とす。
《副作用:夢から抜け出せなくなる……目覚めない》
社長
「……あとで、うちの従業員に病院へ運ばせよ」
そうつぶやき、社長はマンションを後にした。
⸻
ふぉっふぉっふぉっ。
女……酒……ギャンブル……
溺れてはいけないものはいくつもあるが、夢もまた、溺れてはいかん。
その前に――
約束は、守らんといかんのぅ。
おわり
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