期限付きの側室なのに皇太子殿下が離してくれません!

林檎

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第一章 契約の側室編

荒れ果てた庭

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「はっ……!」

リリアーヌは再び、冷や汗をかいて目を覚ました。
心臓が激しく鼓動し、夢の中の光景が鮮明に蘇る。

(また……夢を見た。)

震える手で額を押さえる。
前回の夢——銀髪の令嬢の絶望、牢獄での惨劇、そして仲間を手にかけた赤髪の騎士キリアン。
そして、今回見た夢——教皇の慟哭、モンクレール令嬢の最期、あの修道女の少女。

二度目の夢も、前回と同じように鮮明だった。
まるで実際にその場にいるかのような、生々しい感覚が胸に残っている。

「ただの悪夢なの……?それとも……」

夢の中で見た悲劇の数々が、あまりにもリアルすぎる。
特に、子供を庇って死んだあの修道女——エリーゼ。
ミルクティーベージュの髪に、優しい灰色の瞳。まるで実在の人物のように鮮やかに記憶に残っている。
前回の夢に出てきた、あの銀髪の令嬢や、涙を流しながら仲間を殺めた騎士キリアン。彼らもまた、忘れられないほど鮮明に脳裏に焼き付いている。

(でも、私はあの人たちを知らない……。なのに、なぜこんなに……)

胸の奥に不安な予感が宿る。
これは単なる夢なのか、それとも何かの警告なのか。
リリアーヌは窓辺に立ち、夜明け前の空を見上げた。




あの初夜から、三日後……。
すっかり回復したリリアーヌは、気を紛らわせるように外へ出た。
医師からは最低でも二週間は絶対安静と言われていたが、痛みも消え、体調も良好だった。
あの不吉な夢のことが頭から離れず、部屋にいると余計に考え込んでしまう。新鮮な空気を吸えば、少しは気持ちも晴れるかもしれない。

(大丈夫。少し散歩するだけだし...。)

そう自分に言い聞かせながら、辿り着いたのは自室から見える中庭だった。

だが目に飛び込んできたのは、荒れ果てた光景だった。
雑草が地面を覆い、ひび割れた土。枯れた枝や花壇に散らばる落ち葉。かつて花が咲いていたはずの花壇も土がむき出しになっている。
風が吹くたび、乾いた草がカサカサと音を立てた。
そこには、美しい庭園の面影はどこにもなかった。

「……どうして、こんなに…。」

呟くと、背後から声がした。

「当然でしょう。ここは、あなたの庭ですから。」

振り返ると、緑濃い葉の間から一人の青年が現れた。
ダークグリーンの髪は森のように深く、落ち着いたブラウングレーの瞳の持ち主だ。
端正な顔立ちの二十歳そこそこの若者だ。初対面にも関わらず、リリアーヌを見下ろす彼の瞳はあからさまな軽蔑を宿していた。

「あ、あなたは?」

リリアーヌが問いかけると、青年は軽く会釈した。

「ここの離宮の庭の管理を任されている庭師のダリオです。皇太子妃殿下のお庭も任されています。そのせいで、こちらまでは手が回らず、失礼しました。」

視線はリリアーヌを見下ろしたまま。口元にわずかな笑みを浮かべる。

「ですが……、華やかな庭よりも、こうした素朴な庭の方が、ご側室様にはお似合いになるのではないでしょうか。」

わざとらしい嫌味だ。目の端で彼女の反応を窺っている。

「……。」

(それって……、)

「まあ、気になるのでしたら、どうぞご自由に。この通り、わたしは忙しい身ですので、皇太子妃殿下の庭を世話するので手一杯なのですよ。ただし、失敗しても知りませんよ。この痩せた土地で、素人が何を育てられるというのか……。まあ見物ですね。」

ダリオは冷笑を浮かべる。どうせ失敗して恥をかくだろう、という顔だった。
彼は、わざとリリアーヌを見下ろすように口元を歪める。
無礼者!とみっともなく喚きだすか、泣き出すか…。しかし、リリアーヌの反応はそのどちらでもなかった。

「い、いいのですか?この庭、私が自由に手入れしても?」

リリアーヌはぱあ、と目を輝かせた。ダリオは予想外の反応に面食らう。

「嬉しい!ありがとうございます!あ、改めまして、私はリリアーヌと申します。ご存知かと思いますが、皇太子殿下の側室です。これから、よろしくお願いしますね。」

リリアーヌはニコニコと挨拶する。困惑するダリオ。

「こんな広い庭、私初めて見ました!あの、ハーブとか植えてもいいですか?」

「は、ハーブ?あんな雑草を?」

「はい!私、ハーブが大好きなんです。」

貴族の世界ではハーブは雑草で、平民が口にするものだという認識だった。
茶葉や砂糖よりもハーブの方が安価で手に入りやすいからだ。だから、平民は高価な紅茶でなく、ハーブティーや薬草茶を飲む。それが常識だった。

「どうぞ、ご勝手に。それにしても、ハーブが好きだなんて……。」

ダリオは鼻で笑った。

「さすが、男爵家の私生児らしい嗜好ですね。身分が低いと、好みもそれ相応の……、」

「ありがとうございます!」

その言葉には侮蔑と嘲笑がまとっている。しかし、リリアーヌは許可をもらえた喜びで頭がいっぱいで、その後の嫌味は全く聞いていなかった。
早速、しゃがみ込んで土に触れる。

ハーブならきっと、この荒れた庭でも育つはず。
そうだ。今度、森に行って、ハーブを採取してこないと…!
ハーブを育てるのは憧れだった。これまでは森で採取するしかできなかった。今、その夢が叶う喜びに、胸がいっぱいになる。




リリアーヌは上機嫌で、摘みたてのバジルとローズマリーを手に廊下を歩いていた。
庭の片隅に自生していたのを見つけたのだ。
思わず飛び跳ねそうになるほど嬉しかった。

(これならクッキーに入れても美味しいはず!)

いつの間にかあの庭師のダリオはいなくなっていたが、リリアーヌは大して気にしなかった。
きっと、ヴェロニカ様の庭の世話で忙しいのだろう。本人もそう言っていたし。

リリアーヌは早速、厨房へ向かうことにした。
リリアーヌが厨房へ足を踏み入れると、そこは思った以上に散らかっていた。
床にはパンくずや野菜の皮が落ち、酒瓶がいくつも転がっている。
厨房にいる料理人は酔っ払って寝ていた。
鼻をつくアルコールの匂いに、リリアーヌは思わず小さくむせた。

(疲れているのかな?そうだよね。いつも美味しいご飯を作ってくれるんだもの。)

リリアーヌは本気でそう思った。
まさか、ヴェロニカの命令で自分に仕える使用人たちがわざと働かず、酒をあおってサボっているなど、夢にも思わない。

「あの…、すみません。」

「あー?」

寝ている料理長に声をかけると、彼は起きて、赤らんだ顔をこちらに向ける。
リリアーヌはビクッとした。

「あの、もし、良ければ、厨房をお借りしてもいいでしょうか?」

「ああ?あー、好きにしろよ。使いたきゃ勝手に使え。」

「あ、ありがとうございます。」

リリアーヌはホッとした。

(良かった!使わせてもらえるんだ。)

リリアーヌはにこにこと頭を下げ、材料を揃えてクッキー作りに取りかかる。
ハーブを刻み、小麦粉や砂糖と混ぜ、オーブンに入れる。
やがて香ばしい匂いが漂い始めた。

ふと、視線を感じる。裏口の方に目を向けると、そこに小さな影があった。
ぼさぼさの黒髪に、薄汚れた服。じっとこちらを見つめているのは男の子だった。

「こんにちは。」

声を掛けると、子供は慌てて扉の影に隠れてしまった。

(人見知りが激しい子なのかな?この位の年頃の子供って人見知りするよね。あ、そうだ。)

もうそろそろクッキーが焼けた頃だ。
リリアーヌはオーブンからクッキーを取り出した。焼きあがったクッキーは丁度いい焼き色がついていた。

(良かった。焦げてない。)

ホッとして、リリアーヌはクッキーを皿に盛り、その子にクッキーを一枚差し出した。

「良かったら、どうぞ。ハーブのクッキーよ。」

男の子はジッとリリアーヌとクッキーを見つめ、手を伸ばした。
黒ずんだ手がクッキーを受け取り、それをパクッと口に運ぶ。
無言のままサクサクと音を立てて、食べる。

「美味しい?」

返事はなかったが、男の子は無言で手を差し出した。
クッキーをせがむ仕草。どうやら、口に合ったみたいだ。
リリアーヌは嬉しくなって二枚目、三枚目を渡した。

痩せ細った体、傷だらけの腕……。
クッキーを頬張る男の子を見て、リリアーヌはきっと、この子は口が聞けないのだろう、と思った。
もしかして、虐待を受けているんじゃ……。
クッキーを貪るように食べるのも、空腹で何日も食べてないのかもしれない。
リリアーヌは胸を痛めた。その時、男の子の口元にクッキーの欠片がついているのを見た。

「あ、口元に食べかすがついているよ。ちょっとじっとしててね。」

そっとハンカチで口元を拭ってやる。ついでに煤のようなもので汚れた顔も拭いてあげる。

「あら、あなたの目……。とっても綺麗。」

覗き込んだその瞳は、宝石のようなエメラルドグリーンだった。
男の子はリリアーヌをジッと見つめ、突然その手首を掴むと、チュッと手の甲に軽く口づける。

「えっ…!?」

突然のことに驚きながらも、リリアーヌはこの子なりに感謝をしているのかなと思った。
次の瞬間、ビュウッと突風が吹き込み、裏口の扉が揺れた。

「わっ……!?」

リリアーヌが目を瞑っている間に、子供の姿は掻き消えていた。

「うわっ!なんだよ。この風は……!ってか、何で裏口が開いて……、」

その時、酔っ払って寝てた料理人が寝ぼけ目で髪を掻きながらが裏口に来た。そこにいるリリアーヌを見て、

「あ?お前、さっきの使用人の女じゃんか。」

彼はどうやら、リリアーヌを使用人だと勘違いしている様だ。

「あ、あの、私は使用人ではなく……、」

訂正しようとするが、リリアーヌの言葉を遮るように料理人が被せるように言った。

「風吹いてんだから、ドアは開けるなよ。さっさと閉めろ。」

「あの、でも、この子を外に放っておくのは可哀そうですし……。少しの間だけでも中に入れてあげてもいいですか?」

「あ?この子って誰のことだ?」

「え、誰って、今ここにいる……、」

リリアーヌはそう言って、男の子がいた場所に視線をやるが、そこには誰もいなかった。

「え、あれ?だって、さっきまで確かにそこに…!」

辺りを探すが、子供の姿は影も形もなかった。
男の子の口元を拭いてあげたハンカチも、一緒に消えている。

「変な女だな。ひょっとして、お前も酔ってんのか?」

「あ、いえ…。」

リリアーヌは曖昧に濁しながら、扉を閉めた。
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