期限付きの側室なのに皇太子殿下が離してくれません!

林檎

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第一章 契約の側室編

ヴェロニカside

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ヴェロニカの頭の中で、かつてアレクサンドラと交わした会話が反響していた。
あれは、アレクサンドラが側室筆頭候補として内定していた頃のこと。
正式発表の直前――まだ、覆せる可能性が残されていた時期だった。

あの時、ヴェロニカにはまだ余裕があった。
むしろ、アレクサンドラを痛めつけられる絶好の機会だとすら思っていたのだ。
――あの言葉を聞くまでは。

ヴェロニカは勝ち誇ったように微笑んだ。

「私は正妃。あなたは側室……。私の代わりに仕事をしっかりするのよ。」

アレクサンドラは冷ややかに微笑む。

「ええ。お任せください、皇太子妃殿下。しっかりと皇太子殿下の補佐をいたしますわ。」

その余裕ぶった態度が癪に障った。

(何よ、この女……。私の代わりに働かされるというのに、笑ってるなんて……。)

アレクサンドラは小さく息を吐き、静かに言葉を続けた。

「ですが、妃殿下もお気をつけくださいませ。……側室に取って替わられぬよう。」

「……!」

ヴェロニカは瞬時に悟った。

(この女、私から正妃の座を奪うつもりね…!)

「まさか、私から殿下を奪えるとでも思っているのかしら?」

ヴェロニカは嘲けるように笑いながら言い放つ。

「殿下はあなたを嫌っているのに?大した自信ね。子を産めば、その座を奪えるとでも思ってるの?お生憎様、アル様は私を愛してるわ。あなたの子は私の子として育てて、あなたとは離縁するのだから!実に愚かだわ!」

アレクサンドラはフッと笑った。
その笑みには、哀れみすら滲んでいた。
その態度にヴェロニカは苛立つ。
もっと悔しげにしたり、嫉妬で睨みつけてきたりすればいいのに……。

「何がおかしいのよ?」

アレクサンドラは、「皇太子妃殿下」と取り繕うこともせず、

「愚かなのは、そっちよ。ヴェロニカ……。相変わらず、あなたの頭の中はお花畑ね。すぐに愛だの恋だの口にして……。そんなもので国を動かせると思ったら大間違いよ。」

彼女の声音は冷たく、刃のようだった。

「私が子を産んだら、離縁?……面白い事を言うのね。それができるのなら、やってみるといいわ。できるのなら、ね。」

「な、何よ……?」

アレクサンドラの瞳が鋭く細められた。

「覚えておくことね。私はどんな手を使っても正妃の座を手に入れる。寵愛?そんなものなくても、正妃になる方法はいくらでもあるのよ。楽しみにしてて。―あんたも、殿下も、生き地獄に落としてあげる。」

その言葉に、ヴェロニカの心臓は凍りついた。
アレクサンドラの瞳の奥で、憎悪の炎がゆらりと燃えている。
ただの嫉妬ではない。アレクサンドラはヴェロニカだけでなく、アルフレートすらも喰らおうとしている。
虎視眈々と獲物を狙う獣のように……。

その時の恐怖が、今もヴェロニカを締め付けて離さない。
あの女の言葉が、耳の奥で幾度も反響する。

――生き地獄に落としてあげる。

思い出すだけで背筋に悪寒が走る。
あの時に放たれた冷酷な言葉は、今も胸を切り裂く刃のように残っている。
アルフレートを奪われる脅威が、すぐそこまで迫っている。そんな気がしてならなかった。
だからこそ、ヴェロニカは正式発表の直前、必死にアルフレートに泣きついたのだ。
アレクサンドラの側室入りを阻止するために。
アルフレートは枢機卿を説得し、土壇場で候補を差し替えた。
代わりに選んだのが……、男爵家の私生児、リリアーヌだった。





リリアーヌを選んだ理由など、最初から決まっていた。
男爵の私生児で、卑しい血筋。顔立ちも地味で、痩せすぎて着飾っても映えない。教養もなさそうな、誰の目にも留まらぬ娘。

(これなら、アル様を奪われる心配はない。)

本来、この役目は貴族派筆頭―侯爵令嬢アレクサンドラに与えられるはずだった。
だが、あの女だけは、嫌。
だから、リリアーヌを選んだのだ。私生児とはいえ、貴族の血を引いていることに変わりはない。血筋の条件だけは満たす都合のいい娘。それがリリアーヌだった。

後はアルフレートを説得するだけ。
それも簡単だった。アルフレートはヴェロニカを溺愛している。
ヴェロニカが涙を流して、懇願すれば、アルフレートは迷いながらも頷いてくれた。
全てはヴェロニカの思うがままだった。

アレクサンドラは、もともとアルフレートを慕っていた。
だが、ヴェロニカの手によって悪女の烙印を押され、彼から嫌われた。
その愛は、いつしか歪んだ憎悪へと変わり、皇太子を失脚させ、王家を衰退させ、貴族派が権力を握る未来を夢見るようになった。
今や彼女は、アルフレートを逆らえぬ立場に追い込み、支配することを企んでいる。

「……笑っていられるのも、今のうちよ。」

別れ際に吐き捨てられた言葉が、今も耳にこびりついて離れない。

(あの女は本気だ。)

だからこそ、ヴェロニカは恐れている。
自分が築いた愛も地位も、アレクサンドラの手で、崩される日が来るのではないかと。

(いいえ!渡さない!私は選ばれた聖女――私は特別で……、愛されるために生まれたのよ。アル様が、私を選んだのは運命なの。それに……、私にはあの人がいるもの。)

ヴェロニカは口角を吊り上げ、微笑んだ。
その瞳の奥に、冷たい炎が灯っていた。





「そう……。あの女、今日から来たのね」

侍女長の報告に、ヴェロニカはカチャリ、とカップをソーサーに置いた。
紅茶の香りよりも、胸の奥に渦巻く妙なざわめきのほうが強い。

「それで?どうだったの。あの女は、どんな顔をしていた?詳しく聞かせて頂戴。」

唇に笑みを浮かべて訊ねる。
あの女はどんな反応をしていたのかしら?
怒っていたか、泣いていたか。その反応を想像するだけで、心が軽くなるはずだった。

「そ、それが……。ひ、妃殿下のご指示通りにしたのですが、当の本人は……、あまり、というか、ほとんど気にしていない様子で……。む、むしろ喜んでおられたようで……。」

「……は?」

ヴェロニカの眉間に、きつく皺が寄る。

「侍女長!あなた、本当に私の言った通りにやったの?まさか、手を抜いたんじゃないでしょうね!」

「も、もちろんです!ドレスはご命令通り四着だけ。すべて流行遅れの古い地味な色合いのものを揃えました。部屋も飾り気のない簡素な造りで、宝石もアクセサリーも一切置かずに……。ただ、その……、あの側室は本が好きらしく、あの古い本棚を見てたいそう喜ばれて……。食事も美味しそうに完食され、わざわざ料理長にお礼まで……。」

侍女の言葉に、ヴェロニカの笑みはすっかり消え、目の奥に鋭い光が宿った。

「あの女……!どういう神経しているの!」

思えば、あの女は出会った時からそうだった。
こちらが牽制しても、その意図に気付いているのか、いないのか平然とお礼を言う。
その態度が妙に癪に障った。もう少し傷ついたり、嫉妬して睨みつけるなりしてくれればいいものを……。

(あんな貧相で地味な女が、平然としているのが一番癪に障るのよ……!)

あんな手温い方法ではだめだ。

(あの女が喜ぶなんて、許せない。なんとしてでも、あの女に立場というものを思い知らせてやらないと……!)

ヴェロニカはカップを静かに置くと、深く息をついた。
これからの動きに、一層の慎重さと決意が必要だと、心の底から痛感していた。

ヴェロニカは冷ややかな目で侍女長を見つめた。

「ねえ…。例えば、食事に鼠や虫が入っていたらどうかしら…?」

その言葉には、冷たい含みがあった。

「さすがのあの子も、堪えるでしょうね。」

侍女長はすぐに深く頷いた。

「しょ、承知いたしましたわ!」

ヴェロニカはにんまりと笑みを浮かべた。

(見ていなさい。リリアーヌ……。あの女がどこまで耐えられるか、試してやるわ。)
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