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第一章 契約の側室編
天上の涙
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静謐な光が満ちる天上の神殿。
アリスティアは母である女神メディシアナの前に立ち、震える声で訴えた。
「お母様!リリアーヌを……、あの娘を皇太子の側室にするなんて、何を考えているのですか!」
アリスティアの胸は締め付けられ、声は震え、手は自然と握りしめられた。
怒りと悲しみがほとばしり、涙が滲む。
天上の神殿の静けさが、逆に彼女の心の動揺を際立たせる。
息が詰まるほどの緊張の中、必死に言葉を紡ぐしかなかった。
「ひどすぎます!どうして、リリアーヌをあんな男の側室にしたのですか!また、あの悲劇を繰り返すつもりですか!?」
メディシアナは娘の激情を静かに受け止めた。
「リリアーヌを……表舞台に立たせるのはあまりに危険です!あの子が今までどれだけ残酷な仕打ちを受けてきたか……お母様もご存じでしょう?」
私生児という理由だけで虐げられ、痛みと孤独の中で育った少女。
アリスティアにとって巫女とは、ただの役職ではない。巫女は我が子同然の特別な存在であり、慈しむ宝であった。
「歴代の巫女たちがどれほど迫害され、殺されてきたか……、私は知っています。リリアナのような目にリリアーヌを遭わせるつもりですか!?あの子まで、同じ運命に向かわせるなんて……、耐えられません!」
アリスティアの声は震えていた。
王宮には陰謀が渦巻いている。
巫女は利用され、傷つけられ、消される――その未来が容易に想像できた。
しかし、メディシアナは静かに娘を見つめる。
「……アリスティア。あなたが巫女を慈しみ、特別に目をかけていることは理解しています。ですが――この国を滅ぼすわけにはいきません。」
母の声は、法と予言を司る存在として揺るぎなかった。
「意味は分かっているでしょう?この国の滅亡は”終わり”ではなく”始まり”。あの男が復活すれば、世界は混乱に沈む。」
アリスティアは言葉を飲み込む。母の言葉が正しいのは分かっている。だからこそ、反論できなかった。
メディシアナは続けた。
「さらに……あの国の守護神はあなたの夫。あなたは二十二神の一柱として、果たすべき役割があります。」
抗う術は、最初から与えられていなかった。
「……分かっています。分かっているんです…。この方法しかないことくらい…。でも…!」
アリスティアはキッと顔を上げて、母に言った。
「どうして…、いつも巫女ばかりが…、このような責務を負わされるのですか!?私は巫女を苦しませるために加護を与えたわけじゃありません!私はただ…、あの子たちに幸せになって欲しかった…。それだけ、だったのに……。」
アリスティアは耐え切れずに目から涙を流した。
「アリスティア……。」
メディシアナは娘の頭に、そっと手を置いた。
「私とて、心が痛まないわけではありません。巫女たちが苦しむ姿を見るのは……、母として、女神として、耐え難いものがあります。」
メディシアナの声に、初めて感情の色が滲んだ。
「ですが、私は主神の正妻。法と予言を司る者として、世界の均衡を守る責務があります。一人の少女の幸せと、世界の命運――天秤にかけることすら許されない選択です。」
彼女は目を伏せた。
「もし、他に道があるのなら……、私はそれを選びたい。けれど、今は――」
「シルフィーナもエリシアもイリスも……あの子たちは最期まで信仰を貫いたのに!それでも……それでも、救えなかった……!」
アリスティアは母の手を振り払うように身を翻した。
「アリスティア!」
メディシアナは娘を呼び止めようと手を伸ばす。しかし、その手は空を切った。
アリスティアは涙を流しながら、神殿を走り去っていく。その背中は、悲しみと怒りに震えていた。
メディシアナは伸ばした手を、ゆっくりと下ろした。
「……アリスティア……。」
静謐な神殿に、母の呼び声だけが虚しく響く。
娘を止めることはできなかった。いや――止めてはならなかった。
メディシアナは目を閉じた。
(私は……母としてではなく、女神として在らねばならない。)
シルフィーナは王に尽くし、裏切られ、火刑に処された。
エリシアは災いを招いた魔女と呼ばれ、斬首された。
イリスは予言の力で、「島国への侵攻は大敗を招く」と神託を告げた。しかし野心に囚われた王と将軍たちは、“不吉な予言を流す反逆者”として処刑した。
死の間際まで、彼女たちは信仰を貫き、自らの運命を呪わなかった。
――そして、彼女たちだけではない。
名も知られぬ巫女たちが、歴史の影で、理不尽に命を奪われてきた。
巫女を殺した者たちには、神罰が下った。
それでも――人は学ばない。
そう――本来ならば、巫女は人々から尊ばれ、敬われ、大切にされるべき存在。
決して、今のように隠れるように生きるような暮らしを強いられるものではない。
そのような世界にしたのは、あの男。全ての元凶。
メディシアナはグッと唇を噛み締めた。
だからこそ――リリアーヌを遣わす。
この世界を、巫女たちが苦しまずにすむ世界を取り戻すために。
アリスティアは黄金の林檎の木の根元に腰を下ろし、太陽のネックレスを握りしめていた。黄金で作られた太陽の形のデザイン。その中央には、シトリンが美しく輝いている。それはアリスティアの夫――太陽神ラファエロが贈ってくれたものであり、巫女が持っているネックレスと対になっているものだった。
このネックレスと同じものを、アリスティアは初代巫女ペネロペに贈った。それは代々、巫女に引き継がれていった。
その時、ザッ、と足音が聞こえた。
「アリスティア。」
顔を上げれば、そこには夫がいた。太陽神ラファエロだ。
「ラファエロ……。」
「メディシアナ様の話は聞いた。」
ラファエロはアリスティアの隣に腰を下ろし、静かに言葉を続けた。
「……アリスティア。もし、俺の守護国だからという気持ちが君の足枷になっているというなら、そのことは気にするな。俺は別にあんな国どうでもいい。あっちが勝手に俺を国神として崇めてるだけで、俺としてはあの国には特に何の思い入れもないからな。俺が大事なのは君だけだ。」
「ラファエロ……。いいえ。違うの。」
アリスティアは俯いた。
「本当は分かってるのよ。お母様の言葉が正しいことは‥‥。女神として、巫女を遣わす。分かってはいるのに、どうしても納得いかないの。なんで巫女ばかりがこんな辛い目に遭うのだろうって。」
アリスティアは握りしめたネックレスを見つめた。
「お母様と比べて、私はだめね。こんな子供みたいに駄々をこねるなんて‥‥。」
「そんなことない。」
ラファエロは首を横に振った。
「君がそれだけ悩み、苦しんでいるのは巫女を大切に想ってるからだ。君は優しすぎるから、そうやって苦悩してるんだ。メディシアナ様だって君の気持ちは分かっているさ。」
「‥‥‥。」
アリスティアは胸に手を当て、ゆっくりと目を閉じた。
――初代巫女ペネロペのことを思い出す。
かつて、彼女は生まれたばかりの娘を抱きしめていた。
その腕には、ただ一つの願いしかなかった。
『アリスティア様……。この子が健やかに育ち、幸せな生涯を送れますように。できるなら、この子の子供も、その子孫も……皆が幸せでありますように。私の血を引く者たちを、どうかお守りください。』
ペネロペは富も名声も永遠の命も望まなかった。ペネロペが願ったのはただ一つ…、自分の子供とその子孫の幸せだった。瞼を閉じたまま、アリスティアは呟いた。
「……ごめんなさい、ペネロペ。私は女神でありながら、無力だわ。」
その声は、天上界の静けさに溶けていった。
長い沈黙が流れる。
やがて、アリスティアはゆっくりと目を開けた。
「……ラファエロ。」
「ああ。」
「一緒に……リリアーヌを見守ってくれる?私一人では、きっと耐えられない。あの子が苦しむ姿を見るのが、怖いの。」
アリスティアの声は震えていた。ラファエロは静かに頷いた。
「勿論だ。俺も一緒に見守る。君が望むなら、どんな時でも俺は君の隣にいる。」
「ありがとう……。」
アリスティアはラファエロの手をそっと握った。
「私……決めたわ。リリアーヌを、遣わす。」
その言葉は、苦渋に満ちていた。
それでも――女神としての責務を、彼女は受け入れた。
「どんな時でも俺は君の味方だ。その決断を、俺は尊重する。」
ラファエロはアリスティアの手を握り返した。二人は黄金の林檎の木の下で、静かに寄り添っていた。
太陽のネックレスが、柔らかな光を放っている。
――リリアーヌを守る。
どんな運命が彼女を待っていようとも。
その誓いを、二柱の神は心に刻んだ。
教会の庭の隅にて、幼いリリアーヌに一人のシスターが本の読み書きを教えていた。
「これは、“貯水湖”と読むのよ。」
「ちょすいこ?シスター・ティアナ。ちょすいこってなあに?」
リリアーヌは初めて聞く言葉に小首を傾げる。
隣に座るシスター・ティアナは、柔らかく微笑んだ。
「貯水湖というのはね…、湖を作って水を貯める技術のことよ。砂漠の国ではそうやって水を確保していたの。」
「へえ!すごいね!貯水湖かあ……。」
リリアーヌはぱっと顔を輝かせた。
教えられることが嬉しくてたまらないとでもいうかのように。
シスターはそっと本を開き、読み聞かせを始めた。
語る声は、風のように柔らかく、木漏れ日のようにあたたかい。
「ねえ、シスター・ティアナ。どうして、この国では貯水湖を作らないの?」
「そうね…。どうしてかしらね。」
「貯水湖があれば、水不足の問題も解決するのに……。貧しい村ではたったバケツ一杯の水を10人家族で一週間持たせなきゃいけないんだって聞いたことあるから。水を汲みに行くだけで2時間かけて川に行かないと水が手に入らない所もあるんだって。そのせいで学校にも行けない子供たちも多いんだって。勉強したいのにそれができないなんて、可哀想だよ。」
シスターは一瞬、眩しそうに目を細めた。
「あなたは優しいのね。リリアーヌ。」
「?わたしが優しい?」
リリアーヌはきょとんとした顔をする。シスターはリリアーヌの頭を撫でながら、静かに言った。
「そうやって、どんな時も自分の事よりも他人のことを思いやれるあなたの優しさはとても尊いものよ。どんな高価な宝石や贈り物よりもずっと、価値があるわ。」
シスターは続けて、リリアーヌに語りかけた。
「ねえ、リリアーヌ。あなたはそのまま変わらないでいてね。いつまでもその優しさを忘れないで。」
「……うん!分かった!」
リリアーヌは弾むような笑顔で頷く。
シスターは優しく微笑み、リリアーヌの瞳を見つめた。
「リリアーヌ……弱くても、小さくてもいいの。誰かのために正しいと思うことを、胸にしまい込まず、そっと声に出す勇気が、あなたの力になるのよ。」
そしてシスターは、リリアーヌの額にそっと手を伸ばした。
「シスター?」
その手が額に触れた瞬間――パチン、と音と共に閃光が走った。
リリアーヌの意識が、ふっと遠のいていく。
シスター・ティアナは倒れかけた小さな身体を抱き留め、泣きそうな表情で優しく抱きしめた。
「リリアーヌ…。私の愛し子……。」
その手つきは、まるで母のように慈愛に満ちていた。
「ごめんね…。あなたには辛い使命ばかりを背負わせてしまって……。今度こそ…、私があなたを守るからね…。」
シスターは静かに、リリアーヌの髪に手を置く。
祈るように。願うように。
――そして。
「あれ…?私、何してたんだっけ?」
リリアーヌは目を覚まし、キョロキョロと辺りを見回した。そして、傍らに落ちている本を見て、
「あ、本を読んでたんだった!」
読んでいる途中に寝てしまったのだと思い込み、リリアーヌは本の続きを読んだ。
「えっと、貯水湖…。あ、治水技術のことだね。へえ…。なるほど。これで安定した水の供給を……、」
――あれ?
リリアーヌは一瞬、手を止めた。
何で私、そんなこと知ってるんだっけ?それに、古代パレフィエ国語なんていつ覚えたんだっけ?
リリアーヌは時々、こういう不思議な事があった。
読んだはずもないのに、なぜか外国語の本が読めたり、初めて聞く言葉なのに、なぜかそれを知っている気がするのだ。
知らずの内にどこかで読んでいたのかな?
まあ、いいか!早く続き読もうっと。
リリアーヌは小さく首を傾げたが、すぐに嬉しそうに笑い、本に視線を戻した。
遠くから、シスターがそっと見守っている。
その姿は、まるで祈りのようであり、その瞳は、まるで別れを惜しむ母のようでーー静かに立ち去るその背中は、どこか神々しく光を纏っているようにも見えた。
アリスティアは母である女神メディシアナの前に立ち、震える声で訴えた。
「お母様!リリアーヌを……、あの娘を皇太子の側室にするなんて、何を考えているのですか!」
アリスティアの胸は締め付けられ、声は震え、手は自然と握りしめられた。
怒りと悲しみがほとばしり、涙が滲む。
天上の神殿の静けさが、逆に彼女の心の動揺を際立たせる。
息が詰まるほどの緊張の中、必死に言葉を紡ぐしかなかった。
「ひどすぎます!どうして、リリアーヌをあんな男の側室にしたのですか!また、あの悲劇を繰り返すつもりですか!?」
メディシアナは娘の激情を静かに受け止めた。
「リリアーヌを……表舞台に立たせるのはあまりに危険です!あの子が今までどれだけ残酷な仕打ちを受けてきたか……お母様もご存じでしょう?」
私生児という理由だけで虐げられ、痛みと孤独の中で育った少女。
アリスティアにとって巫女とは、ただの役職ではない。巫女は我が子同然の特別な存在であり、慈しむ宝であった。
「歴代の巫女たちがどれほど迫害され、殺されてきたか……、私は知っています。リリアナのような目にリリアーヌを遭わせるつもりですか!?あの子まで、同じ運命に向かわせるなんて……、耐えられません!」
アリスティアの声は震えていた。
王宮には陰謀が渦巻いている。
巫女は利用され、傷つけられ、消される――その未来が容易に想像できた。
しかし、メディシアナは静かに娘を見つめる。
「……アリスティア。あなたが巫女を慈しみ、特別に目をかけていることは理解しています。ですが――この国を滅ぼすわけにはいきません。」
母の声は、法と予言を司る存在として揺るぎなかった。
「意味は分かっているでしょう?この国の滅亡は”終わり”ではなく”始まり”。あの男が復活すれば、世界は混乱に沈む。」
アリスティアは言葉を飲み込む。母の言葉が正しいのは分かっている。だからこそ、反論できなかった。
メディシアナは続けた。
「さらに……あの国の守護神はあなたの夫。あなたは二十二神の一柱として、果たすべき役割があります。」
抗う術は、最初から与えられていなかった。
「……分かっています。分かっているんです…。この方法しかないことくらい…。でも…!」
アリスティアはキッと顔を上げて、母に言った。
「どうして…、いつも巫女ばかりが…、このような責務を負わされるのですか!?私は巫女を苦しませるために加護を与えたわけじゃありません!私はただ…、あの子たちに幸せになって欲しかった…。それだけ、だったのに……。」
アリスティアは耐え切れずに目から涙を流した。
「アリスティア……。」
メディシアナは娘の頭に、そっと手を置いた。
「私とて、心が痛まないわけではありません。巫女たちが苦しむ姿を見るのは……、母として、女神として、耐え難いものがあります。」
メディシアナの声に、初めて感情の色が滲んだ。
「ですが、私は主神の正妻。法と予言を司る者として、世界の均衡を守る責務があります。一人の少女の幸せと、世界の命運――天秤にかけることすら許されない選択です。」
彼女は目を伏せた。
「もし、他に道があるのなら……、私はそれを選びたい。けれど、今は――」
「シルフィーナもエリシアもイリスも……あの子たちは最期まで信仰を貫いたのに!それでも……それでも、救えなかった……!」
アリスティアは母の手を振り払うように身を翻した。
「アリスティア!」
メディシアナは娘を呼び止めようと手を伸ばす。しかし、その手は空を切った。
アリスティアは涙を流しながら、神殿を走り去っていく。その背中は、悲しみと怒りに震えていた。
メディシアナは伸ばした手を、ゆっくりと下ろした。
「……アリスティア……。」
静謐な神殿に、母の呼び声だけが虚しく響く。
娘を止めることはできなかった。いや――止めてはならなかった。
メディシアナは目を閉じた。
(私は……母としてではなく、女神として在らねばならない。)
シルフィーナは王に尽くし、裏切られ、火刑に処された。
エリシアは災いを招いた魔女と呼ばれ、斬首された。
イリスは予言の力で、「島国への侵攻は大敗を招く」と神託を告げた。しかし野心に囚われた王と将軍たちは、“不吉な予言を流す反逆者”として処刑した。
死の間際まで、彼女たちは信仰を貫き、自らの運命を呪わなかった。
――そして、彼女たちだけではない。
名も知られぬ巫女たちが、歴史の影で、理不尽に命を奪われてきた。
巫女を殺した者たちには、神罰が下った。
それでも――人は学ばない。
そう――本来ならば、巫女は人々から尊ばれ、敬われ、大切にされるべき存在。
決して、今のように隠れるように生きるような暮らしを強いられるものではない。
そのような世界にしたのは、あの男。全ての元凶。
メディシアナはグッと唇を噛み締めた。
だからこそ――リリアーヌを遣わす。
この世界を、巫女たちが苦しまずにすむ世界を取り戻すために。
アリスティアは黄金の林檎の木の根元に腰を下ろし、太陽のネックレスを握りしめていた。黄金で作られた太陽の形のデザイン。その中央には、シトリンが美しく輝いている。それはアリスティアの夫――太陽神ラファエロが贈ってくれたものであり、巫女が持っているネックレスと対になっているものだった。
このネックレスと同じものを、アリスティアは初代巫女ペネロペに贈った。それは代々、巫女に引き継がれていった。
その時、ザッ、と足音が聞こえた。
「アリスティア。」
顔を上げれば、そこには夫がいた。太陽神ラファエロだ。
「ラファエロ……。」
「メディシアナ様の話は聞いた。」
ラファエロはアリスティアの隣に腰を下ろし、静かに言葉を続けた。
「……アリスティア。もし、俺の守護国だからという気持ちが君の足枷になっているというなら、そのことは気にするな。俺は別にあんな国どうでもいい。あっちが勝手に俺を国神として崇めてるだけで、俺としてはあの国には特に何の思い入れもないからな。俺が大事なのは君だけだ。」
「ラファエロ……。いいえ。違うの。」
アリスティアは俯いた。
「本当は分かってるのよ。お母様の言葉が正しいことは‥‥。女神として、巫女を遣わす。分かってはいるのに、どうしても納得いかないの。なんで巫女ばかりがこんな辛い目に遭うのだろうって。」
アリスティアは握りしめたネックレスを見つめた。
「お母様と比べて、私はだめね。こんな子供みたいに駄々をこねるなんて‥‥。」
「そんなことない。」
ラファエロは首を横に振った。
「君がそれだけ悩み、苦しんでいるのは巫女を大切に想ってるからだ。君は優しすぎるから、そうやって苦悩してるんだ。メディシアナ様だって君の気持ちは分かっているさ。」
「‥‥‥。」
アリスティアは胸に手を当て、ゆっくりと目を閉じた。
――初代巫女ペネロペのことを思い出す。
かつて、彼女は生まれたばかりの娘を抱きしめていた。
その腕には、ただ一つの願いしかなかった。
『アリスティア様……。この子が健やかに育ち、幸せな生涯を送れますように。できるなら、この子の子供も、その子孫も……皆が幸せでありますように。私の血を引く者たちを、どうかお守りください。』
ペネロペは富も名声も永遠の命も望まなかった。ペネロペが願ったのはただ一つ…、自分の子供とその子孫の幸せだった。瞼を閉じたまま、アリスティアは呟いた。
「……ごめんなさい、ペネロペ。私は女神でありながら、無力だわ。」
その声は、天上界の静けさに溶けていった。
長い沈黙が流れる。
やがて、アリスティアはゆっくりと目を開けた。
「……ラファエロ。」
「ああ。」
「一緒に……リリアーヌを見守ってくれる?私一人では、きっと耐えられない。あの子が苦しむ姿を見るのが、怖いの。」
アリスティアの声は震えていた。ラファエロは静かに頷いた。
「勿論だ。俺も一緒に見守る。君が望むなら、どんな時でも俺は君の隣にいる。」
「ありがとう……。」
アリスティアはラファエロの手をそっと握った。
「私……決めたわ。リリアーヌを、遣わす。」
その言葉は、苦渋に満ちていた。
それでも――女神としての責務を、彼女は受け入れた。
「どんな時でも俺は君の味方だ。その決断を、俺は尊重する。」
ラファエロはアリスティアの手を握り返した。二人は黄金の林檎の木の下で、静かに寄り添っていた。
太陽のネックレスが、柔らかな光を放っている。
――リリアーヌを守る。
どんな運命が彼女を待っていようとも。
その誓いを、二柱の神は心に刻んだ。
教会の庭の隅にて、幼いリリアーヌに一人のシスターが本の読み書きを教えていた。
「これは、“貯水湖”と読むのよ。」
「ちょすいこ?シスター・ティアナ。ちょすいこってなあに?」
リリアーヌは初めて聞く言葉に小首を傾げる。
隣に座るシスター・ティアナは、柔らかく微笑んだ。
「貯水湖というのはね…、湖を作って水を貯める技術のことよ。砂漠の国ではそうやって水を確保していたの。」
「へえ!すごいね!貯水湖かあ……。」
リリアーヌはぱっと顔を輝かせた。
教えられることが嬉しくてたまらないとでもいうかのように。
シスターはそっと本を開き、読み聞かせを始めた。
語る声は、風のように柔らかく、木漏れ日のようにあたたかい。
「ねえ、シスター・ティアナ。どうして、この国では貯水湖を作らないの?」
「そうね…。どうしてかしらね。」
「貯水湖があれば、水不足の問題も解決するのに……。貧しい村ではたったバケツ一杯の水を10人家族で一週間持たせなきゃいけないんだって聞いたことあるから。水を汲みに行くだけで2時間かけて川に行かないと水が手に入らない所もあるんだって。そのせいで学校にも行けない子供たちも多いんだって。勉強したいのにそれができないなんて、可哀想だよ。」
シスターは一瞬、眩しそうに目を細めた。
「あなたは優しいのね。リリアーヌ。」
「?わたしが優しい?」
リリアーヌはきょとんとした顔をする。シスターはリリアーヌの頭を撫でながら、静かに言った。
「そうやって、どんな時も自分の事よりも他人のことを思いやれるあなたの優しさはとても尊いものよ。どんな高価な宝石や贈り物よりもずっと、価値があるわ。」
シスターは続けて、リリアーヌに語りかけた。
「ねえ、リリアーヌ。あなたはそのまま変わらないでいてね。いつまでもその優しさを忘れないで。」
「……うん!分かった!」
リリアーヌは弾むような笑顔で頷く。
シスターは優しく微笑み、リリアーヌの瞳を見つめた。
「リリアーヌ……弱くても、小さくてもいいの。誰かのために正しいと思うことを、胸にしまい込まず、そっと声に出す勇気が、あなたの力になるのよ。」
そしてシスターは、リリアーヌの額にそっと手を伸ばした。
「シスター?」
その手が額に触れた瞬間――パチン、と音と共に閃光が走った。
リリアーヌの意識が、ふっと遠のいていく。
シスター・ティアナは倒れかけた小さな身体を抱き留め、泣きそうな表情で優しく抱きしめた。
「リリアーヌ…。私の愛し子……。」
その手つきは、まるで母のように慈愛に満ちていた。
「ごめんね…。あなたには辛い使命ばかりを背負わせてしまって……。今度こそ…、私があなたを守るからね…。」
シスターは静かに、リリアーヌの髪に手を置く。
祈るように。願うように。
――そして。
「あれ…?私、何してたんだっけ?」
リリアーヌは目を覚まし、キョロキョロと辺りを見回した。そして、傍らに落ちている本を見て、
「あ、本を読んでたんだった!」
読んでいる途中に寝てしまったのだと思い込み、リリアーヌは本の続きを読んだ。
「えっと、貯水湖…。あ、治水技術のことだね。へえ…。なるほど。これで安定した水の供給を……、」
――あれ?
リリアーヌは一瞬、手を止めた。
何で私、そんなこと知ってるんだっけ?それに、古代パレフィエ国語なんていつ覚えたんだっけ?
リリアーヌは時々、こういう不思議な事があった。
読んだはずもないのに、なぜか外国語の本が読めたり、初めて聞く言葉なのに、なぜかそれを知っている気がするのだ。
知らずの内にどこかで読んでいたのかな?
まあ、いいか!早く続き読もうっと。
リリアーヌは小さく首を傾げたが、すぐに嬉しそうに笑い、本に視線を戻した。
遠くから、シスターがそっと見守っている。
その姿は、まるで祈りのようであり、その瞳は、まるで別れを惜しむ母のようでーー静かに立ち去るその背中は、どこか神々しく光を纏っているようにも見えた。
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〈あらすじ〉
王家熱を発症した者が女王になれる国、テーレフルミ王国の第一王女サンドラは、よりにもよってたまたま通りすがった騎士団長ジュール・ベルナールの前で王家熱を発症してしまう。王家熱を発症するとより多くの子孫を残そうと発情してしまうという厄介な体質になってしまったサンドラは、抗えない衝動によってジュールを襲い後悔する。その日は丁度、功績を上げた褒美としてジュールが騎士団長になり、侯爵という高位の爵位を賜った日でもあった。
女王になれば複数の愛妾を持つ定めのサンドラは、ジュールに惹かれていく気持ちになんとか蓋をしようとする。そんな中、二人を引き裂くようにサンドラの夫候補としてグランテーレ王国から第三王子のアレシュがやってくる。そしてサンドラはアレシュの前で発情してしまい……。
〈登場人物〉
テーレフルミ王国
サンドラ・フルミ 第一王女 17歳
ジュール・ベルナール ベルナール侯爵、騎士団長、26歳。
シルヴィオ・フルミ 第一王子 22歳
シルビア・フルミ 第二王女 8歳
レア・フルミ 女王、53歳
シュバリエ 女王の愛妾 55歳
シレンヌ・ベル 宰相、ベル伯爵、53歳
アレッサ・シャスール シャスール子爵家の長男、騎士団副隊長、28歳。
シェイラ・シャスール シャスール子爵家の長女で、アレッサの双子の妹。ジュールの元婚約者。
グランテーレ王国
アレシュ 第三王子 18歳
【完結】体目的でもいいですか?
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