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第一章 契約の側室編
暗闇に灯る小さな炎
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「いやあああ!」
リリアーヌは叫び声と共に飛び起きた。頬に涙が伝い落ち、視界が滲んでいる。
「はぁ……、はぁ……ッ!」
全身が汗でびっしょりと濡れている。息ができない。苦しい。
荒い呼吸を整えようとするが、手が震えて止まらない。
胸を押さえる。心臓の鼓動が壊れそうなほど激しく脈打っている。
(5回目……。また、夢を見た……。)
でも、今回は違う。
今回の夢は——あまりにも、残酷だった。
「殿下……、ヴェロニカ様……。」
掠れた声が、暗闇に消える。
愛する女を自分の手で殺してしまったアルフレートの、絶望に歪んだ顔。
その後、自ら命を絶った。
復讐を遂げた銀髪の女性も、空虚な瞳で首を吊った。
そして——炎の前で高笑いする、あのフードの男。
「こんな…、ひどい……。」
涙が溢れて止まらない。
こんな未来、こんな結末——あってはならない。
その時、リリアーヌははっと気づいた。
(待って……。私、祈ったよね……。次に見る夢が、あの続きであったなら、啓示として受け止めますって……。)
そして——見た。確かに、あの夢の続きを。
「……神様は……、答えてくださった……。」
震える声で呟く。
つまり、これは——
「予知夢……。本当に、予知夢だったんだ……。」
恐怖が、全身を駆け巡る。
これから起こる未来。変えられない運命。自分には何もできない——。
「無理……、私なんかに、何ができるの……?」
膝を抱えて震える。疎まれた側室。誰にも必要とされない存在。
そんな自分に、一体何が……?
でも——。
リリアーヌは震える手で、自分の頬を拭った。
涙は止まらないけれど、それでも——。
(神様が……、わざわざ私に見せてくれたんだよね……。)
もし、この未来が変えられないものなら。もし、どうしようもない運命なら。
わざわざ、見せる必要なんてない。
「私に……、見せた理由……。」
震える唇が、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「それは……、変えろって…、こと……?」
静寂が答える。でも、リリアーヌの胸の奥で——小さな炎が灯った。
「分からない……。私には、まだ何も分からない……。」
どうすればいいのか。
誰を信じればいいのか。
何から始めればいいのか。
全てが、分からない。
「それでも……、」
リリアーヌは震える手で、冷たい壁に触れた。
窓辺に立って、月を見上げることもできない。
ここには何もない――暗闇だけ。
でも、それでも。
「それでも……、私は……、」
握りしめた拳が震える。
「動かなきゃ……。何もしないままじゃ……、あの未来になってしまう……。」
小さな呟き。
でも、その声には——確かな意志が宿っていた。
「殿下を……、救いたい……。」
疎まれても、見向きもされなくても。
それでも——彼の笑顔を、守りたい。
あの日、殿下は私の人生を変えてくれた。
勉強することの大切さを教えてくれて、聖典をくださった。
あの日、私は初めて――自分にも未来が開けているのだと知った。
だからこそ今度は、私が殿下の未来を守りたい。
「私に……、できることを……、探さなきゃ……。」
怯える少女の声は、やがて——静かな決意へと変わっていった。
翌朝、ダリオが庭に来ると、リリアーヌの姿がない。
「リリアーヌ様?」
ダリオは庭を見渡すが、やはりいなかった。
「おかしいな…いつもならもう庭にいる時間なのに。」
いつもリリアーヌはダリオより早く来て、せっせと庭仕事をしている。「あ、ダリオ。おはようございます!」と溌溂とした笑顔で挨拶をしてくるのだ。
男爵邸にいた頃から朝の支度をしていたので早起きは得意なんです!と自信満々に言っていた彼女が、寝坊するはずがない。
(まさか…。)
嫌な予感がして、離宮中を探し始める。
「くそっ……!ここにもいないか……。」
目ぼしい所を捜すがどこにもいない。ダリオは焦燥感に駆られる。
その時、足元でチュウ、という鳴き声がした。見下ろせば、灰色のネズミがいた。
「うわ!?ネズミか……。」
ダリオは追い払おうとしたが、ふとそのネズミに既視感を抱いた。
首に巻かれた赤いリボン——。
「お前…、リリアーヌ様のペットのネズミじゃないか?確か、グレイ、だったか?」
侍女たちが嫌がらせで部屋に放ったネズミを、リリアーヌは「魔女様の仲間のネズミだ!」と喜んで可愛がり、すっかりペットにしてしまった。
遠目に歯噛みして悔しがる侍女たちを見て、ダリオは思わず苦笑したものだ。
嫌がらせが完全に裏目に出ている。実にリリアーヌ様らしい、と。
庭仕事の際も、ネズミたちがスコップや籠を器用に運んでリリアーヌに渡したりしているのを何度も見ている。
正直、どのネズミも同じに見えて区別はつかなかったが、このネズミは首に赤いリボンをしていたから覚えている。リリアーヌが「グレイはリボンが好きなので、プレゼントしたんです。」と嬉しそうに言っていたのを思い出した。
グレイはチュッ!と鳴いて、ダリオに何かを訴えるように鳴き続ける。
「…もしかして、リリアーヌ様のこと何か知っているのか?」
グレイは鳴いて、ダリオを催促するように駆けだした。ダリオは後を追った。
辿り着いたのは倉庫だった。倉庫の前にネズミが何匹も集まっている。
倉庫には鍵がかかっているのに気づいた。
「リリアーヌ様!?中にいるんですか!?」
「あ……。その声、ダリオ?」
中から弱々しい声が返ってきた。
「待っていてください。今開けます!」
ダリオは慌てて鍵を壊し、扉を開けた。
薄暗い倉庫の中から現れたリリアーヌを見て、ダリオは息を呑んだ。
顔色は青白く、目は泣き腫らしている。埃にまみれた服、震える肩。
そして、何故か一角獣のぬいぐるみをしっかりと抱きしめていた。
一晩中、ここに閉じ込められていたのは明らかだった。
「大丈夫ですか!?一体何があったんですか!?」
「えっと…、ちょっと手違いで閉じ込められちゃって…。」
ダリオは一瞬、耳を疑った。
「ちょっと!?手違い!?……一体、いつから!?」
「き、昨日の夕方から…、」
「はあ!?ってことは、あなたは一晩中、ここにいたってことですか!?」
リリアーヌは申し訳なさそうに頷いた。
(手違い……?そんなわけがない!)
誰かが、意図的に閉じ込めたのだ。こんな陰湿な嫌がらせをする人間なんて、あの侍女長とリリアーヌの専属侍女たちしか考えられない。
(あいつら……!)
ダリオの拳が震えた。
最近、嫌がらせがエスカレートしているとは思っていたが、ここまでするとは……!
一晩中、暗い倉庫に一人で閉じ込められていたリリアーヌ。泣き腫らした目。震える肩。
「ありがとう!ダリオ。助かりました!正直、朝になっても誰も来なかったらどうしようかと思ってて……、」
リリアーヌは足元に集まったネズミたちにしゃがみ込んで、優しく微笑んだ。
「グレイたちも、ありがとうね。ダリオを連れてきてくれたんだよね。」
そう言うリリアーヌは、誰かに閉じ込められたとは、微塵も疑っていない様子だった。
「あ、でも大丈夫ですよ!夜は意外とぐっすり眠れたので!……ちょっと、怖い夢を見ちゃっただけで。」
リリアーヌは屈託なく笑った。
もちろん、ダリオは知らない。
リリアーヌが泣いていたのは閉じ込められた恐怖のせいではなく、昨夜、倉庫の荷物で即席のベッドを作り、ぐっすり眠ったあとに見た"悪い夢"のせいだなんて。
しかし、ダリオはリリアーヌが自分を心配させないために無理をして笑っていると思い込んだ。
怒りで声を荒げたら、リリアーヌを怖がらせてしまう。
そう思うと、胸の奥で煮え立つ怒りを必死に押し込めるしかなかった。
「……とにかく、今はここを出ましょう。身体を休めてください。」
「あ、はい。そうですね!昨日は夕食食べ損ねたのでお腹がペコペコで……。」
それを聞いて、ダリオの胸に怒りと同時に、やるせなさが込み上げた。
(これはもう……、見過ごせない。)
ダリオは拳を握り締めた。
(この件は必ず、皇太子殿下に報告する。)
庭師の身では殿下に直接報告することなど許されない。だが、殿下の側近になら報告できる。そうすれば、必ず殿下の耳に届くはずだ。
今はまだ夏の終わりだが、もうすぐ秋になる。
これが真冬だったら――リリアーヌは凍死ていたかもしれない。
(こんな理不尽が、許されてはならない。)
その決意を胸に、ダリオはリリアーヌを気遣うように声をかけた。
「リリアーヌ様。部屋まで送りますよ。」
部屋へ向かう廊下を歩いていると、向こうから赤茶色の髪を揺らして、一人の侍女が近づいてきた。
リリアーヌの専属侍女、アニーだ。
アニーはリリアーヌの姿を見ると、一瞬、目を見開いた。
(どうしてここにいるの……!?まだ倉庫に閉じ込められているはずじゃ……!)
だが、すぐに表情を繕う。
「あ、アニー!おはようございます。」
リリアーヌは一角獣のぬいぐるみを抱えたまま、にっこりといつものように挨拶をする。まさか、アニーが自分を閉じ込めた真犯人だとは知らずに。
「あら、リリアーヌ様。随分と…埃まみれですこと。一体、どちらにいらしたのですか?姿が見えないので、心配していたのですよ?」
わざとらしく心配そうな声音で言いながら、埃まみれの服とぬいぐるみを、蔑むように眺める。言葉とは裏腹に、その目は意地悪く細められていた。まるで、答えを知っていて試すような素振りだ。
その瞬間、ダリオの目がアニーを鋭く捉えた。
「……お前か。」
ダリオが低く、抑えた声で呟いた。その視線は冷たく、まっすぐアニーを射抜いている。
アニーは怪訝そうに眉をひそめる。
「何のことかしら?」
「とぼけるな!」
ダリオの声が廊下に響いた。
「リリアーヌ様を倉庫に閉じ込めたのは、お前だろう!」
アニーはわざとらしく驚いた表情を作り、口元に手を当てた。
「あら、まあ。倉庫に閉じ込められていたのですか?それは…、大変でしたわね。」
アニーの口角はわずかに吊り上がっていた。
「申し訳ございません。リリアーヌ様。倉庫に一晩中も閉じ込められていたなんて……。暗くて、寒くて、さぞお辛かったでしょうに。」
アニーはわざとらしく眉を下げ、同情するような声で言った。
(白々しい……!)
ダリオは怒りで拳を握りしめた。
よくも、こんなわざとらしい芝居ができたものだ。
全身が震えるほどの怒りを、必死に堪える。
「あ、いえ!全然大丈夫です。心配してくれてありがとうございます、アニー。」
リリアーヌはにっこりと微笑んだ。
アニーの様子を見ても、まったく疑うことなく——。
(アニーも心配してくれてたんだ。優しいなあ。)
リリアーヌは素直にそう思い、ほっこりとした気持ちになった。
「いい加減にしろ!」
ダリオが低く、怒りを押し殺した声で言った。
「お前が、リリアーヌ様を倉庫に閉じ込めたんだろう!」
「私が?ダリオ。証拠もないのに、言いがかりはやめて下さる?」
「お前以外に誰がいるんだ!状況的に考えればお前がリリアーヌ様を閉じ込めたに決まって……!」
アニーは鼻で笑った。
「はあ?状況的に、ですって?」
わざとらしく呆れたように肩をすくめる。
「第一、私がやったという証拠でもあるの?証拠もないのに、私を疑うなんて……、最低だわ!」
そう言って、まるで自分が被害者であるかのように憤慨して見せた。
「この……!」
ダリオが一歩踏み出そうとした、その時——
「あ、あの、ダリオ!」
リリアーヌが慌てて間に入った。
「大丈夫ですよ!本当に、手違いだったんだと思います。アニーを責めないであげてください。」
ダリオは歯噛みした。
(リリアーヌ様……。この人は、どこまで……!)
アニーは勝ち誇ったように微笑んだ。
「ほら、リリアーヌ様もこうおっしゃっているじゃない。ダリオ、これ以上騒ぎ立てるのは、やめていただけて?」
アニーはわざとらしくそう言うと、
「それでは、リリアーヌ様。お部屋でゆっくりお休みくださいませ。私は侍女長にご報告がありますので、これで失礼いたしますわ。」
そう言って、アニーは優雅に踵を返し、立ち去っていった。
ダリオは、その背中を睨みつけることしかできなかった。
(くそ…!)
拳を握り締める。証拠がない。悔しいが、こちら側が不利な立場にある。今は――何もできない。
リリアーヌは叫び声と共に飛び起きた。頬に涙が伝い落ち、視界が滲んでいる。
「はぁ……、はぁ……ッ!」
全身が汗でびっしょりと濡れている。息ができない。苦しい。
荒い呼吸を整えようとするが、手が震えて止まらない。
胸を押さえる。心臓の鼓動が壊れそうなほど激しく脈打っている。
(5回目……。また、夢を見た……。)
でも、今回は違う。
今回の夢は——あまりにも、残酷だった。
「殿下……、ヴェロニカ様……。」
掠れた声が、暗闇に消える。
愛する女を自分の手で殺してしまったアルフレートの、絶望に歪んだ顔。
その後、自ら命を絶った。
復讐を遂げた銀髪の女性も、空虚な瞳で首を吊った。
そして——炎の前で高笑いする、あのフードの男。
「こんな…、ひどい……。」
涙が溢れて止まらない。
こんな未来、こんな結末——あってはならない。
その時、リリアーヌははっと気づいた。
(待って……。私、祈ったよね……。次に見る夢が、あの続きであったなら、啓示として受け止めますって……。)
そして——見た。確かに、あの夢の続きを。
「……神様は……、答えてくださった……。」
震える声で呟く。
つまり、これは——
「予知夢……。本当に、予知夢だったんだ……。」
恐怖が、全身を駆け巡る。
これから起こる未来。変えられない運命。自分には何もできない——。
「無理……、私なんかに、何ができるの……?」
膝を抱えて震える。疎まれた側室。誰にも必要とされない存在。
そんな自分に、一体何が……?
でも——。
リリアーヌは震える手で、自分の頬を拭った。
涙は止まらないけれど、それでも——。
(神様が……、わざわざ私に見せてくれたんだよね……。)
もし、この未来が変えられないものなら。もし、どうしようもない運命なら。
わざわざ、見せる必要なんてない。
「私に……、見せた理由……。」
震える唇が、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「それは……、変えろって…、こと……?」
静寂が答える。でも、リリアーヌの胸の奥で——小さな炎が灯った。
「分からない……。私には、まだ何も分からない……。」
どうすればいいのか。
誰を信じればいいのか。
何から始めればいいのか。
全てが、分からない。
「それでも……、」
リリアーヌは震える手で、冷たい壁に触れた。
窓辺に立って、月を見上げることもできない。
ここには何もない――暗闇だけ。
でも、それでも。
「それでも……、私は……、」
握りしめた拳が震える。
「動かなきゃ……。何もしないままじゃ……、あの未来になってしまう……。」
小さな呟き。
でも、その声には——確かな意志が宿っていた。
「殿下を……、救いたい……。」
疎まれても、見向きもされなくても。
それでも——彼の笑顔を、守りたい。
あの日、殿下は私の人生を変えてくれた。
勉強することの大切さを教えてくれて、聖典をくださった。
あの日、私は初めて――自分にも未来が開けているのだと知った。
だからこそ今度は、私が殿下の未来を守りたい。
「私に……、できることを……、探さなきゃ……。」
怯える少女の声は、やがて——静かな決意へと変わっていった。
翌朝、ダリオが庭に来ると、リリアーヌの姿がない。
「リリアーヌ様?」
ダリオは庭を見渡すが、やはりいなかった。
「おかしいな…いつもならもう庭にいる時間なのに。」
いつもリリアーヌはダリオより早く来て、せっせと庭仕事をしている。「あ、ダリオ。おはようございます!」と溌溂とした笑顔で挨拶をしてくるのだ。
男爵邸にいた頃から朝の支度をしていたので早起きは得意なんです!と自信満々に言っていた彼女が、寝坊するはずがない。
(まさか…。)
嫌な予感がして、離宮中を探し始める。
「くそっ……!ここにもいないか……。」
目ぼしい所を捜すがどこにもいない。ダリオは焦燥感に駆られる。
その時、足元でチュウ、という鳴き声がした。見下ろせば、灰色のネズミがいた。
「うわ!?ネズミか……。」
ダリオは追い払おうとしたが、ふとそのネズミに既視感を抱いた。
首に巻かれた赤いリボン——。
「お前…、リリアーヌ様のペットのネズミじゃないか?確か、グレイ、だったか?」
侍女たちが嫌がらせで部屋に放ったネズミを、リリアーヌは「魔女様の仲間のネズミだ!」と喜んで可愛がり、すっかりペットにしてしまった。
遠目に歯噛みして悔しがる侍女たちを見て、ダリオは思わず苦笑したものだ。
嫌がらせが完全に裏目に出ている。実にリリアーヌ様らしい、と。
庭仕事の際も、ネズミたちがスコップや籠を器用に運んでリリアーヌに渡したりしているのを何度も見ている。
正直、どのネズミも同じに見えて区別はつかなかったが、このネズミは首に赤いリボンをしていたから覚えている。リリアーヌが「グレイはリボンが好きなので、プレゼントしたんです。」と嬉しそうに言っていたのを思い出した。
グレイはチュッ!と鳴いて、ダリオに何かを訴えるように鳴き続ける。
「…もしかして、リリアーヌ様のこと何か知っているのか?」
グレイは鳴いて、ダリオを催促するように駆けだした。ダリオは後を追った。
辿り着いたのは倉庫だった。倉庫の前にネズミが何匹も集まっている。
倉庫には鍵がかかっているのに気づいた。
「リリアーヌ様!?中にいるんですか!?」
「あ……。その声、ダリオ?」
中から弱々しい声が返ってきた。
「待っていてください。今開けます!」
ダリオは慌てて鍵を壊し、扉を開けた。
薄暗い倉庫の中から現れたリリアーヌを見て、ダリオは息を呑んだ。
顔色は青白く、目は泣き腫らしている。埃にまみれた服、震える肩。
そして、何故か一角獣のぬいぐるみをしっかりと抱きしめていた。
一晩中、ここに閉じ込められていたのは明らかだった。
「大丈夫ですか!?一体何があったんですか!?」
「えっと…、ちょっと手違いで閉じ込められちゃって…。」
ダリオは一瞬、耳を疑った。
「ちょっと!?手違い!?……一体、いつから!?」
「き、昨日の夕方から…、」
「はあ!?ってことは、あなたは一晩中、ここにいたってことですか!?」
リリアーヌは申し訳なさそうに頷いた。
(手違い……?そんなわけがない!)
誰かが、意図的に閉じ込めたのだ。こんな陰湿な嫌がらせをする人間なんて、あの侍女長とリリアーヌの専属侍女たちしか考えられない。
(あいつら……!)
ダリオの拳が震えた。
最近、嫌がらせがエスカレートしているとは思っていたが、ここまでするとは……!
一晩中、暗い倉庫に一人で閉じ込められていたリリアーヌ。泣き腫らした目。震える肩。
「ありがとう!ダリオ。助かりました!正直、朝になっても誰も来なかったらどうしようかと思ってて……、」
リリアーヌは足元に集まったネズミたちにしゃがみ込んで、優しく微笑んだ。
「グレイたちも、ありがとうね。ダリオを連れてきてくれたんだよね。」
そう言うリリアーヌは、誰かに閉じ込められたとは、微塵も疑っていない様子だった。
「あ、でも大丈夫ですよ!夜は意外とぐっすり眠れたので!……ちょっと、怖い夢を見ちゃっただけで。」
リリアーヌは屈託なく笑った。
もちろん、ダリオは知らない。
リリアーヌが泣いていたのは閉じ込められた恐怖のせいではなく、昨夜、倉庫の荷物で即席のベッドを作り、ぐっすり眠ったあとに見た"悪い夢"のせいだなんて。
しかし、ダリオはリリアーヌが自分を心配させないために無理をして笑っていると思い込んだ。
怒りで声を荒げたら、リリアーヌを怖がらせてしまう。
そう思うと、胸の奥で煮え立つ怒りを必死に押し込めるしかなかった。
「……とにかく、今はここを出ましょう。身体を休めてください。」
「あ、はい。そうですね!昨日は夕食食べ損ねたのでお腹がペコペコで……。」
それを聞いて、ダリオの胸に怒りと同時に、やるせなさが込み上げた。
(これはもう……、見過ごせない。)
ダリオは拳を握り締めた。
(この件は必ず、皇太子殿下に報告する。)
庭師の身では殿下に直接報告することなど許されない。だが、殿下の側近になら報告できる。そうすれば、必ず殿下の耳に届くはずだ。
今はまだ夏の終わりだが、もうすぐ秋になる。
これが真冬だったら――リリアーヌは凍死ていたかもしれない。
(こんな理不尽が、許されてはならない。)
その決意を胸に、ダリオはリリアーヌを気遣うように声をかけた。
「リリアーヌ様。部屋まで送りますよ。」
部屋へ向かう廊下を歩いていると、向こうから赤茶色の髪を揺らして、一人の侍女が近づいてきた。
リリアーヌの専属侍女、アニーだ。
アニーはリリアーヌの姿を見ると、一瞬、目を見開いた。
(どうしてここにいるの……!?まだ倉庫に閉じ込められているはずじゃ……!)
だが、すぐに表情を繕う。
「あ、アニー!おはようございます。」
リリアーヌは一角獣のぬいぐるみを抱えたまま、にっこりといつものように挨拶をする。まさか、アニーが自分を閉じ込めた真犯人だとは知らずに。
「あら、リリアーヌ様。随分と…埃まみれですこと。一体、どちらにいらしたのですか?姿が見えないので、心配していたのですよ?」
わざとらしく心配そうな声音で言いながら、埃まみれの服とぬいぐるみを、蔑むように眺める。言葉とは裏腹に、その目は意地悪く細められていた。まるで、答えを知っていて試すような素振りだ。
その瞬間、ダリオの目がアニーを鋭く捉えた。
「……お前か。」
ダリオが低く、抑えた声で呟いた。その視線は冷たく、まっすぐアニーを射抜いている。
アニーは怪訝そうに眉をひそめる。
「何のことかしら?」
「とぼけるな!」
ダリオの声が廊下に響いた。
「リリアーヌ様を倉庫に閉じ込めたのは、お前だろう!」
アニーはわざとらしく驚いた表情を作り、口元に手を当てた。
「あら、まあ。倉庫に閉じ込められていたのですか?それは…、大変でしたわね。」
アニーの口角はわずかに吊り上がっていた。
「申し訳ございません。リリアーヌ様。倉庫に一晩中も閉じ込められていたなんて……。暗くて、寒くて、さぞお辛かったでしょうに。」
アニーはわざとらしく眉を下げ、同情するような声で言った。
(白々しい……!)
ダリオは怒りで拳を握りしめた。
よくも、こんなわざとらしい芝居ができたものだ。
全身が震えるほどの怒りを、必死に堪える。
「あ、いえ!全然大丈夫です。心配してくれてありがとうございます、アニー。」
リリアーヌはにっこりと微笑んだ。
アニーの様子を見ても、まったく疑うことなく——。
(アニーも心配してくれてたんだ。優しいなあ。)
リリアーヌは素直にそう思い、ほっこりとした気持ちになった。
「いい加減にしろ!」
ダリオが低く、怒りを押し殺した声で言った。
「お前が、リリアーヌ様を倉庫に閉じ込めたんだろう!」
「私が?ダリオ。証拠もないのに、言いがかりはやめて下さる?」
「お前以外に誰がいるんだ!状況的に考えればお前がリリアーヌ様を閉じ込めたに決まって……!」
アニーは鼻で笑った。
「はあ?状況的に、ですって?」
わざとらしく呆れたように肩をすくめる。
「第一、私がやったという証拠でもあるの?証拠もないのに、私を疑うなんて……、最低だわ!」
そう言って、まるで自分が被害者であるかのように憤慨して見せた。
「この……!」
ダリオが一歩踏み出そうとした、その時——
「あ、あの、ダリオ!」
リリアーヌが慌てて間に入った。
「大丈夫ですよ!本当に、手違いだったんだと思います。アニーを責めないであげてください。」
ダリオは歯噛みした。
(リリアーヌ様……。この人は、どこまで……!)
アニーは勝ち誇ったように微笑んだ。
「ほら、リリアーヌ様もこうおっしゃっているじゃない。ダリオ、これ以上騒ぎ立てるのは、やめていただけて?」
アニーはわざとらしくそう言うと、
「それでは、リリアーヌ様。お部屋でゆっくりお休みくださいませ。私は侍女長にご報告がありますので、これで失礼いたしますわ。」
そう言って、アニーは優雅に踵を返し、立ち去っていった。
ダリオは、その背中を睨みつけることしかできなかった。
(くそ…!)
拳を握り締める。証拠がない。悔しいが、こちら側が不利な立場にある。今は――何もできない。
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〈あらすじ〉
王家熱を発症した者が女王になれる国、テーレフルミ王国の第一王女サンドラは、よりにもよってたまたま通りすがった騎士団長ジュール・ベルナールの前で王家熱を発症してしまう。王家熱を発症するとより多くの子孫を残そうと発情してしまうという厄介な体質になってしまったサンドラは、抗えない衝動によってジュールを襲い後悔する。その日は丁度、功績を上げた褒美としてジュールが騎士団長になり、侯爵という高位の爵位を賜った日でもあった。
女王になれば複数の愛妾を持つ定めのサンドラは、ジュールに惹かれていく気持ちになんとか蓋をしようとする。そんな中、二人を引き裂くようにサンドラの夫候補としてグランテーレ王国から第三王子のアレシュがやってくる。そしてサンドラはアレシュの前で発情してしまい……。
〈登場人物〉
テーレフルミ王国
サンドラ・フルミ 第一王女 17歳
ジュール・ベルナール ベルナール侯爵、騎士団長、26歳。
シルヴィオ・フルミ 第一王子 22歳
シルビア・フルミ 第二王女 8歳
レア・フルミ 女王、53歳
シュバリエ 女王の愛妾 55歳
シレンヌ・ベル 宰相、ベル伯爵、53歳
アレッサ・シャスール シャスール子爵家の長男、騎士団副隊長、28歳。
シェイラ・シャスール シャスール子爵家の長女で、アレッサの双子の妹。ジュールの元婚約者。
グランテーレ王国
アレシュ 第三王子 18歳
【完結】体目的でもいいですか?
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