冷遇され、虐げられた王女は化け物と呼ばれた王子に恋をする

林檎

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第一章 出会い編

横抱き

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「これを使え。」

「ありがとうございます。」

彼から外套を差し出され、それを受け取った。

「悪いが今はそれで我慢してくれ。着替えるには人の手がいる。使用人にこの姿を見られれば、噂が立つから、ここで着替えるのは避けた方がいい。」

「え?ど、どうしてですか?」

噂が立つと何かまずいのだろうか。
昨夜の行為は無理矢理だったかもしれないが、リスティーナはルーファスの側室という立場にある。
だから、彼と寝たとしても、何の問題もない筈…。そう思っていると、

「俺と関係を持ったことがバレると、俺の呪いが移ったとか、穢れた女だとかあらぬ噂を立てられるぞ。
君だって、それは嫌だろう。」

リスティーナは彼の言葉に目を見開いた。
ルーファスはそのままリスティーナから背を向けると、

「俺は目を瞑っているから、早くそれを羽織るといい。終わったら声を掛けてくれ。」

ルーファスの背中を見ながら、リスティーナは彼から受け取った外套をギュッと握り締めた。
やっぱり…、彼は優しい人だ。自分だって苦しい立場にあるのに、こうして私の事も気にかけてくれるだなんて…。リスティーナは胸がじんわりと温かくなるのを感じながら、彼の背中を見つめる。
背丈はあるが痩せた細い体つきはまるで女性の様で男らしい体格とはいえない。
頼もしい背とは程遠く、むしろ、弱々しささえ感じる。それなのに…、リスティーナは彼の背中が誰よりも力強く尊いものに見えた。
リスティーナはそっと目を伏せた。あまり見つめすぎるのも失礼だと思い直したからだ。
そして、彼から渡された黒い外套に視線を落とすと、それを羽織り、しっかりと前を閉じて身体を隠した。

「殿下。お、お待たせしました。も、もう大丈夫です。」

リスティーナの言葉にルーファスはゆっくりと振り向いた。
ふと、彼の視線が床に落とされる。そこには、昨晩、彼が落とした黒い仮面があった。
ルーファスは床に落ちていた黒い仮面を手に取り、それを顔に装着した。

「部屋まで送ろう。」

ルーファスの言葉にリスティーナは顔を上げた。

「え、そんな!わ、私は別に一人でも戻れますから…!」

「護衛もつけずに君を一人で帰す訳にはいかないだろう。」

そう言って、ルーファスは寝台の上に座り込んだままのリスティーナに黒い皮手袋をつけた手を差し出した。

「立てるか?」

「な、何から何までありがとうございます…。」

リスティーナはおずおずと彼の手を取り、立ち上がった。相変わらず痛みはあるが何とかそれに耐えようとする。

「歩けそうか?」

彼はリスティーナの手と腰を支えてくれた。リスティーナは彼の体に凭れるような態勢になってしまう。

「は、はい…。大丈夫、で…、ッ!」

そう言った直後にリスティーナは顔を顰めた。
い、痛い…。まさか、次の日になってもここまで身体に痛みが残るなんて…。
ズキズキと痛む身体にリスティーナは生まれたての小鹿みたいにフルフルと震えた。
そんなリスティーナを黙って見ていたルーファスは不意にリスティーナから手を離し、そのまま背中と膝裏に手を回した。

「きゃあ!?」

そのまま横抱きにされたリスティーナはびっくりして、思わず彼にしがみついた。

「で、で、殿下!?お、下ろして下さい!私、重いですから!で、殿下が潰れでもしたら…!」

「平気だ。女一人位、持ち上げられる力はある。」

「で、ですが…!殿下はただでさえ病み上がりなのに…!こ、これでまた体調が悪化でもしたら…!」

「今日は体調がいいから、大丈夫だ。それに、君が歩けないのは俺のせいでもある。責任を持って君を部屋まで送ろう。」

「そ、そんな…!殿下にそのような手間を掛けさせる訳には…!そ、それに、殿下は目が悪いのですから、もし怪我でもされたら…!」

「俺の目なら、心配ない。理由は分からないが、朝起きた時から少しだけ目が見えるようになったからな。」

「え!?そ、そうなのですか?ど、どうして急に…?」

「さあ。俺にもよく分からない。ただ、はっきりしているのは近い距離なら、見えるようになったのは確かだ。」

「あ…、そういえば、少しだけ殿下の目の色が澄んでいる様な…、」

リスティーナはルーファスの目を見て、気が付いた。彼の淀んで濁っていた黒い目が少しだけ澄んでいることに。黒い瞳に光が宿っている。

「ほ、本当に目が見えて…?」

「ああ。」

「わ、私の顔も見えますか?」

「ああ。君の顔も見えている。」

リスティーナは呆然と彼を見上げた。どうして、気付かなかったのだろうか。目を覚ました直後は彼との会話に気を取られてしまい、気が付かなかった。昨日まで焦点が合わなかった彼の目。けれど、今、彼の目はしっかりと私を見つめており、目が合っている。本当に見えているんだ。
リスティーナはホッとして、思わず笑顔を浮かべた。

「良かったです。」

「っ…、」

リスティーナの言葉にルーファスはピタッと動きを止めるがフイッと目を逸らすとそのままリスティーナを抱えたままスタスタと歩いた。リスティーナはハッと我に返ると、慌てて声を上げた。

「で、殿下!お、お待ちください!お願いですから、おろして下さい!」

「いいから、ちゃんと掴まっていろ。でないと、落ちるぞ。」

彼の言葉にリスティーナは慌てて彼にしがみついた。
結局、大人しく彼の腕の中におさまったリスティーナは申し訳なさそうに俯きながら、彼に謝った。

「殿下…。本当にごめんなさい。私、重いのに…。あの、無理はなさらないで下さい。何でしたら、護衛の騎士の方にでもお願いをして下さっても…、」

「…それは、俺に触られるのは嫌だと、そういう事か?」

少しだけ不安そうに言われた言葉にリスティーナは反射的に首を横に振った。

「ち、違います!殿下が嫌とかそういうのではなく…!あの、ただ、殿下の手を煩わせるのは申し訳なくて…!」

「…そうか。」

彼は心なしか安堵したような表情を浮かべていた。その表情にリスティーナは思わずドキッとした。
彼は歩きながら、口を開いた。

「俺の事は気にするな。君は別に重くないからこのままでも問題ない。」

そう言って、彼はスタスタと軽い足取りで廊下を歩いた。
そういえば、私…、男の人にこうして横抱きにされたのは初めて…。
リスティーナは恥ずかしさのあまりまたしても、頬が赤く染まった。
思わず、そんな自分の顔を隠すように手で覆った。



風を切るような音を鳴らして剣を振った。百回目の素振りを終えたアーリヤは剣を鞘に納め、乱れた髪を掻き上げた。汗が滴り落ち、それが妙に色っぽさを醸し出していた。

「素敵でしたわー!アーリヤ様!」

早朝にも関わらず、アーリヤと同じ時間に起きて、主人の素振りをずっと傍で見ていた侍女が頬を染めてアーリヤにタオルと冷えた飲み物を渡した。

「あら、ありがとう。」

アーリヤは口角を上げて、笑い、タオルと飲み物を受け取った。汗を拭って冷たい水を喉に流し込む。

「ああ…。やっぱり、朝早くから汗を流すのは最高に気持ちがいいわねえ。」

「アーリヤ様は本当に剣がお好きですものね。勿体のうございます。あのような呪われた王子の側室になったばかりにアーリヤ様がこのような肩身の狭い思いをなさるだなんて…、」

「お止め。カーラ。誰が聞いているか分からないのだから。万が一、ルーファス殿下の耳に入ったら、お前も呪い殺されるわよ。」

「ッ…!」

主人の言葉にカーラと呼ばれた侍女は顔を青褪めた。慌てて口を閉ざす侍女にアーリヤはゆったりと笑い、

「心配ないわ。どうせ、あの厄介者は放っておけばその内、死ぬのだから。そうすれば、あたしは自由の身。」

アーリヤはそう言って、軽やかな足取りで自室に向かう。その後をカーラが付き添った。

「ですが、ルーファス殿下はいつもギリギリのところで持ち堪えております。この前も今度こそ危ないと言われていたのにあそこまで回復して…、アーリヤ様。このまま何もせずに待つだけでよろしいのですか?もう、いっそのこと、あの男を…、」

「カーラ。余計な事はしないで頂戴。…今は何もしないで様子を見るのよ。それに、あいつはこちらが手を出さなくてもいずれ、死ぬ運命にある。私達が手を下さす必要はないわ。」

「アーリヤ様がそう仰るのでしたら、私はそれに従いますわ。」

カーラの言葉にアーリヤは満足げに微笑んだ。

「早く汗を流したいものだわ。汗でべたべたして気持ちが悪いもの。」

「では、お部屋に戻ったら、すぐに…、」

不意にアーリヤは人の気配を感じ、顔を上げた。

「シッ!」

唇を指に当てて、カーラの言葉を止める。素早く物陰に隠れて、様子を窺った。
いつもなら、誰も通らない後宮の廊下…。人の姿は見当たらない。だが、微かに足音が聞こえた。
足音が段々とこちらに近付いてくる。廊下に現れた人影はルーファスだった。腕の中に誰かを抱えて運んでいる。彼の腕の中にいたふわふわした金色の塊が動いた。あれは…、

「で、殿下…。あの、本当に大丈夫ですか?ご無理はなさらないでください。もし、辛いなら、一度休んで…、」

「君はさっきからそればかりだな。大丈夫だと言っているだろう。」

「で、でも…、」

ルーファスが運んでいるのは女で金色の塊は女の髪の毛だった。あの髪の色…、それに、あの声…。
アーリヤはそれが誰だかすぐに気づいた。メイネシア王国の王女、リスティーナ。
アーリヤは目を見開いた。そのままルーファスの後姿が見えなくなるまでアーリヤは二人の姿を見つめた。

「…へえ。」

アーリヤはニッと笑った。
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