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ささやかなる弁当

本来のお見合い相手の人が来ました

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 三時くらいになり、ちょっと休憩に自動販売機のとこまで歩いて、なにか飲もうかな、と万千湖が思ったとき、人事の部長が入り口から手招きしていた。

「いや、実は今日、息子たち、式の準備のために休みをとってるんだけど。
 今、下に来てるんだ」

 少し抜けられるかね? と言われる。

「うちの息子、なかなか彼女に告白できなかったみたいなんだけど。

 君との見合いがきっかけとなって、結婚できることになったんで、二人でお礼を言いたいそうなんだ。

 自分の代わりに見合いしてくれた小鳥遊くんにも」

 そう言われ、駿佑とともにエレベーターでロビーに下りた。

 ころんとした印象の部長とは全然違う、すらりとした、感じのいい青年と人の良さそうなロングヘアの可愛らしい女性がソファから立ち上がり、こちらに向かい、頭を下げてくる。

 いっしょに頭を下げながら、ぼそりと駿佑が言ってきた。

「なかなか良さそうな人じゃないか。
 あっちと見合いできればよったのにな」

「なんでですか。
 課長のおかげで、日々楽しいです」

 楽しいですってなんだ? という顔で駿佑はこちらを見た。

 いや、ほんとうだ。
 課長といるようになってから、ある意味、アイドルをやっていたときより、刺激のある毎日だ、と万千湖は思う。

「すみません。
 ほんとうにお世話に……」

 感じの良い部長の息子さんは笑顔で挨拶しようとしたが、万千湖の顔を見て止まる。

「マ……」

 あれっ?
 なんかヤバい感じ、と思ったとき、息子さんが叫んでいた。

「マチカ!?」

「……誰だ、マチカって」
と駿佑がこちらを見下ろしてくる。



 ……マチカ。

 マチカって、なんなんだろうな、と駿佑は思っていた。

 昔、他社の営業さんがうちの女性社員をうっかり源氏名で呼んで、彼女が夜の街で働いていたことが発覚したことがあったが。

 こいつはとてもではないが、夜の街では働けそうにもない。

 まず、色気がない。

 ……あだ名かな?
 万千湖で、マチカ。

 あまり変わりがなくて、わざわざあだ名にする意味がわからんな、と思いながら、五人でロビーのソファに座り、喫茶から持ってきてもらった珈琲を飲む。

 少し話した。

「ビックリしました~。
 僕の見合い相手、マチカさんだったんですねっ」

 記念に見合いすればよかった~、となんの記念なのか、そう言って、部長の息子、景太郎けいたろうは婚約者の女性に、こらっ、という顔をされていた。

「すみません、握手してください」
と景太郎は万千湖に握手をねだる。

 万千湖は、
「応援ありがとうございました」
と言って、その握手を受けていた。

 頭の中で、変な蛍光色のジャンパーを着た万千湖が街頭に立ち、握手をしていた。

 こいつは実は政治家だったのだろうか。

 ……変な法案とか通しそうだ、と思う駿佑の頭には、万千湖が芸能人という発想はまったくなかった。

「万千湖さんって、けいちゃんの部屋にある、グループのポスターの中のひと?」

 彼女が笑って、景太郎にそう訊いた。

 真面目な顔をして座っている駿佑の頭の中では、聞いたこともない政党のポスターに万千湖が収まっていた。

「マチカさんが一番可愛くて面白かったよっ」
と景太郎は主張する。

 おじさんとおじいさんの政治家ばかりのポスターの中で、万千湖ひとりが輝いていた。

 いや、顔で政治は行えないぞ、青年よ、と思ったとき、景太郎が言った。

「黒髪ロングでメガネかけてたのが、マチカさんだよ」

 黒髪ロングにメガネ……? と駿佑は万千湖を見る。

「あ~、メガネはキャラ付けでちょっと」
と恥ずかしそうに万千湖は言った。

「メガネっ子キャラでしたよね」
と言う景太郎は楽しそうだ。

 部長も納得したように頷く。

「ああ、あの景太郎の部屋のポスター、白雪くんもいたのかね」

 部長は人事の部長なので、万千湖が何者なのか知っていたようだった。

 あれっ? と万千湖の顔をマジマジと見て言う。

「マチカさん、カラコンですか?」

「ああ、はい、ちょっと……」
と万千湖は苦笑いした。

 ところで、さっきから離れた位置に立つ雁夜がずっとこっちを窺っているのが気になるのだが……。

 そう駿佑が思ったとき、景太郎が駿佑に向かって身を乗り出し、言う。

「すごいですね、アイドルと結婚だなんて」

「は? アイドル?」
と訊き返した駿佑は、一拍置いて万千湖をマジマジと見た。

 アイドル?

 ……アイドルとはなんだったろうか?
といつもぼんやりとしている、回転寿司屋の蛇口を家につけたい女を駿佑は見下ろした。


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