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理由がありませんっ
クールな秘書様に睨まれています
しおりを挟む深月を降ろしたあと、陽太はゆっくり船を進めた。
案の定、しばらくすると、特に着替えもせずに、自転車に飛び乗ったらしい深月が海岸沿いの道を走り出すのが見えた。
だが、深月は、すぐに陽太の船に気づき、全速力で漕ぎ始める。
……だから、何故、追い抜こうとする。
陽太の船は軽く深月を追い抜いていったが、深月は更に必死に漕ぎ始める。
あんな死に物狂いで追いかけられると、熱烈なラブコールを送られてる感じだが、たぶん、違うな……。
ただの負けず嫌いなのか。
いや、ただの船好きか?
と思っている間に船は会社の港に着いていた。
「おはよう、ママチャリ女」
深月が職場の門をくぐり、駐車場の側を通ったとき、同じ部署の先輩、金子由紀が見えた。
「あっ、おはようございますっ、金子さんっ」
と自転車を止めて挨拶をすると、由紀はいつものように気だるげに、
「今日も元気ねー、新人。
あーあ。
あんたが男だったら、後ろ乗せてってーって言うんだけどねー」
と言う。
いやいや。
私、もう新人じゃないんですけど、と深月は思っていたが。
同じ部署に自分より下が入ってこないので、まあ、あの中では確かに新人か、とも思っていた。
隣の棟の三十五歳の男性社員が社内の呑み会のとき、
「俺もまだ、新人言われてるよ。
だって、後輩入ってこないから~」
と嘆いていたが、自分もそうなりそうで怖い。
それにしても、由紀は、
今日もデートかコンパなんですか?
と問いたくなるくらいバッチリ決めている。
入社したての頃、うっかり由紀に、
「今日は何処かお出かけなんですか?」
と訊いて、
「なに言ってんの、あんた。
いつ、いい男に出会うかわからないじゃないの。
私はいつも戦闘態勢よ。
あんたも、もうちょっとちゃんと化粧でもしたら?」
と叱られたものだ。
そして、
「いつまでも若くて可愛いと思って、呑気にしてたら、あっという間に化粧が乗らなくなるのよ」
と呪いをかけられた。
ちょっとこうるさいところもあるが、まあ、いい先輩だ、と由紀に、まるっと言ったら、どつかれそうなことを思いながら、深月は言った。
「乗せていきましょうか? 金子さん」
この駐車場から深月たちの総務部がある棟まで、ちょっと距離があるからだ。
だが、由紀は、
「結構よ。
あんた、私を乗せた途端に、ぱたっと倒れて、私が漕いで連れてかなきゃいけない気がするから」
と言ってくる。
倒れたら、漕いで連れてってくれるのか、いい人だ……と思いながら、
「じゃ、失礼しますー」
と頭を下げて、また深月は漕ぎ出そうとしたが。
誰かがこちらを睨んでいるのに気がついた。
若い人らしからぬデザインのシルバーのセダンから降りてきた男。
整った顔をしているが、ちょっと冷たそうだし、面白みがないと同期のみんなが言っている。
支社長秘書の杵崎英孝だ。
な、何故、こっちを睨んでるんですかっ。
金曜日、なにか仕事でミスしたろうか。
いや、総務の私のミスで、支社長秘書がこんな睨むことってなんだ。
思い当たる節はな……、と思ったとき、陽太の顔が頭に浮かんだ。
まさか、いつの間にか、昨夜のことを聞きつけて。
私のことを支社長に群がるハエ、みたいな感じに思ってるとかっ?
いやいや。
昨日の今日で知りようがないよな、と思ったとき、由紀が、
「あら、杵崎、いたのー。
お疲れー」
と話しかけたので、杵崎の視線にフリーズししていた深月は、今だっ、とばかりにぺこりと頭を下げて、逃げ去った。
――が、実は、深月の推理は半分当たっていたのだ。
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