上 下
48 / 79
妖怪、祇園精舎

先生に気があるんじゃないですか?

しおりを挟む
 

 そういえば、俊哉の姿が見えなくなったが、新田さんの邪魔をしてなきゃいいんだが、と窓際のソファに腰掛け、晴比古は思っていた。

 まあ、新田さんも忙しいから、ずっと菜切を見張っとくわけにはいかないだろうし。

 宿を離れられたら、どうしょうもないだろう。
 バイクを持っている俊哉の機動力の方が当てになるか?

 などと考えていたら、誰かがドアを叩いた。
 魚眼レンズから覗くと志貴だった。

「だから、鍵持ってけよっ」
と言うと、ふらりと部屋に入ってきながら言う。

「いえ。
 先生に優しく鍵を開けて欲しかっただけです」

「……どーした」

 今、まったく優しくなかったと思うが、と言いながら訊くと、
「いえ。
 深鈴がまた一緒に泊まってくれないって言うんですよ。
 今日がたぶん、最後の夜なのに~」
とベッドに腰掛け、志貴は愚痴る。

 うなだれる志貴のつむじを見下ろし、
「お前、飽きられたんじゃないのか?
 しつこいから」
と言うと、本気で落ち込む。

 す、すまん……とつい、謝った。

 なんで俺がお前を慰めにゃならんのだ、と思いながら、

「悪かった。
 俺の願望だ」
と言ったとき、また、誰かがドアをノックした。

「おい、志貴。
 深鈴じゃないのか?

 やっぱり、悪かったと思って……」

 一緒に寝ようと言いに来たんじゃないか、という言葉は出したくなく、飲み込む。

 ところが、魚眼レンズの向こうにいたのは、女ではあったが、深鈴ではなかった。

 水村だ。
 なにしに来たんだろうな?

 持田の話か? と思っていると、黙って観察している自分の横から、志貴が覗こうとする。

 場所を譲ってやると、同じように眺めたあとで、
「僕は深鈴のところに行って、居ないと言ってください」
と何故か言ってきた。

 なんでだ? と振り返ると、何処に隠れたのか、もう志貴の姿はなかった。

 あまり水村を待たせても悪いか、と思い、ドアを開けると、水村は、
「すみません。
 もうおやすみでした?」
と訊いてくる。

 いや、と言うと、
「先生、いろいろとありがとうございました」
と頭を下げてきた。

「もっと早くご挨拶に伺おうと思ってたんですけど。
 なかなか仕事を離れられなくて」

 まあ、持田が居ないから、そうなるだろうな、と思っていると、水村は少し中を窺うようにして、
「あの、志貴さんと深鈴さんは?」
と訊いてくる。

「志貴さんたちにもお礼を言いたかったんですけど」

『僕は深鈴のところに行って、居ないと言ってください』
と言った志貴の言葉を思い出し、なにか意味があるのだろうかと思いながら、志貴は深鈴のところに居ると告げた。

「そ、そうなんですか?」
と水村は何故か動揺し、頬を染める。

「すみません。
 先生、おひとりのところに伺ってしまって」

「いや、別にいいが……」
と言うと、水村はなにを思い出したのか、笑って言った。

「深鈴さんと志貴さんって、素敵なカップルですよね」

 まあ、いろいろと犯罪すれすれな連中だけどな、と思いながら、
「……そうだな」
と言うと、

「お二人を見ていたら、私もちゃんと恋がしたくなりました。
 持田さんや菜切さんに申し訳ないことをしてしまいましたし」
と言ったあとで、チラと上目遣いに、こちらを見、

「あの、今度また、なにかお礼をさせてくださいね。
 では」
と言って去って行った。

 ……なんだったんだろうな、と思っていると、後ろから、
「追わないんですか?」
と声がする。

 いつの間にか、志貴が戻ってきていた。

「水村さん、先生に気があるようですね」

「なんでだ。
 病院まで行ってやったの、お前らじゃないか」

「単に先生が好みなんじゃないですか?
 いいじゃないですか、水村さん、美人だし。

 深鈴に操立ててても、なんにもいいことなんてありませんよ」

 お前……、さっき慰めてやった言葉を返せ、と思ったが。

 まあ、志貴にライバル扱いされるのも悪くない。
 なにか深鈴をとりあっている気分になるからだ。

 実際のところ、彼女はまったくこちらを見てはいないのだが……。


しおりを挟む

処理中です...