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エピローグ
新しい風
しおりを挟む「涼しくなりましたねえ、先生」
事務所で深鈴がそう言ってくる。
そうだな、と特に仕事もないので、ノートパソコンでソリティアをやっていると、
「殺人事件も起きなくなるほどの暑さじゃなくなりましたね」
そう深鈴は笑顔で付け足してきた。
……誰か殺す気か。
深鈴を見ながら、今回は一緒に戻ってきてくれたが、それもいつまで続くだろうかな、と晴比古は思う。
そのうち、志貴と行ってしまって、此処には俺ひとりで戻ってくる日が来るのだろう。
……心が変わっていかないのなら、人は辛くて生きていけない。
そんな言葉を思い出しながら、いつか深鈴を忘れなければ、と思っていたが。
いや、待てよ、と思う。
深鈴たちが心変わりする、という選択肢もあるじゃないか。
そんな都合のいいことを思っていると、誰かが駆けてくる足音が聞こえてきた。
パタパタと忙しげな軽い足音だ。
「深鈴、鍵をかけろ」
はい? と深鈴が振り返ったときには、ドアは開いていた。
「せんせーっ。
事件なんですよーっ」
幕田が現れる。
「鍵をかけとくべきだな、この事務所」
「いや、先生。
お客さん来なくなりますから」
という深鈴の言葉に被せるように幕田が言ってくる。
「実は、うちのおばさんちの近くのホテルで……」
「ホテルの事件なら、従業員が犯人だ」
とマウスを動かしながら、晴比古は言う。
ええっ? という幕田に、
「だって、今まで二件ともそうだったからな。
二件中二件で100パーセントだ」
と言うと、
「そんな無茶な計算しないでくださいよー」
と言ってくる。
深鈴が笑い、立ち上がった。
「お茶、淹れてきますね」
騒ぐ幕田に、わかったわかった、と晴比古は相槌を打つ。
深鈴が湯を沸かしに行くついでに窓を開けた。
涼やかな風が事務所に入り込んでくる――。
いい風だな、と小田切は店の前を掃きながら顔を上げた。
振り返ると、ドア越しでよく見えない店内に、妻の姿が見える気がして、そのままじっとしてしまう。
この殺意をどうしていいのか、わからない。
そう言った自分がもう遠いような。
いや……そうでもないような。
胸に手をやり、じっとする。
妻の穏やかな笑顔だけを思い出しながら。
目を開けたそこに、あの傘があった。
菜切のタクシーの事故で失い、ハルが自分に戻してくれたあの傘が。
自分を戒めるように、今、そこにある。
息をひとつ吸い、扉を開けると、カランコロンと可愛らしい音がした。
いつか店を開くときにと、妻が随分昔に蚤の市で買ってきた昔風のドアベルだ。
もう一度指で弾いて鳴らしてみる。
その柔らかい音に妻の笑い声を思い出し、少しだけ微笑んで、小田切は店へと入っていった。
了
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