いつか、あなたに恋をする ~終わりなき世界の鎮魂歌~

菱沼あゆ

文字の大きさ
52 / 70
蘇りの書

真実3

しおりを挟む


 少し冷めた風呂で男は真生の服を脱がせ、湯で身体を洗ってくれた。

 一度、冷たい水で軽く流したはずだが、やはり、動転していたのだろう。

 かなり血は残っていた。

 石けんで身体を洗い、シャンプーで髪を洗い流してくれる。

 そのとき初めて、ああ、この時代ももうシャンプーなんてあるんだ、と思ったのだった。

 今のものとは少し違うその容器を見るともなしに見ていると、男が、

「すまない、真生。
 夕べ俺が居ない間に起こった火事のせいで、軍に呼ばれてたんだ」
と言ってくる。

 火事? ああ、あの壁の焼け焦げた跡、と真生は思い出す。

 男を殺したとき、もうあの壁は焼けて随分経っていたようだったのに。

 今はまだ、建物に強い焼けた匂いが漂っている。

 どうやら、時間が前後しているようだと気がついた。

 そんなことを思っているうちに、自分を見つめてきた男に、壁に押し付けられ、口づけられる。

 優しく慰めるように。

 だからだろうか。

 この人も、あの男と同じことをしようとしている、と思ったが、何故か逃げる気にはならなかった。

 それどころか、強く抱き締めて欲しいと願った。

 人の体温ほどのぬるさで降りしきる血も。

 力を失い自分に倒れかかってきた男の重みも。

 血を流そうと掌ですくい、身体にかけた水の冷たさも。

 死体の脚をつかんで引きずるあの重さも。

 なにもかもこの人の肌とぬくもりで吹き飛ばして欲しいと願った。

 それはきっと、自分を見つめるこの人の瞳に恋をしてしまったからだ。

 真生は自分に口づけてくる男の顔を見ながら、そういえば、名前も知らないな……とぼんやり思っていた。
 



 誰かが男の部屋のドアをノックした。

 奥のベッドで、眠っていた真生は目を覚ます。

 女性の声だった。

 こんな時間に?

 もしかして、私、居ない方がいいとか?

 誰だか知らないけど。

 女性が来たところに、違う女が居ない方がいいのでは。

 そう思ったとき、

「津田先生、やはり見つからないみたいです」

 高くなった彼女の声が真生の居る寝室まで響いてきた。

 彼女の話を聞いていた男が言う。

「心当たりか。
 ひとつ、なくもないが。

 もう一度、軍に戻ってみるか。

 真生」
とこちらを振り向き、呼びかけてきたようだった。

 出て行っていいのだろうか、と思いながら、真生は急いでかけてあった制服を着、ドアを開ける。

 長いスカートのナース服を着た女が立っていた。

 この人の母親くらいの年かな、と思い、少し、ほっとしていた。

 ぺこりと他人行儀に頭を下げた自分に、彼女は笑って言ってきた。

「どうしたんですか? 真生さん。
 珍しく神妙な顔しちゃって」

 どうやら、この人も自分を知っているらしい。

 そして、この人の前でも平常通りに行動しているようだな。

 この言われよう、と少し冷静さを取り戻して思う。

「婦長、真生は相変わらず、人前に出たくないようだから、済まないが、時間が出来たら、様子を見に来てやってくれないか?

 俺は軍に戻るから。

 ……まあ、医者がひとり消えていることがバレれば、いずれ呼び出しはかかるだろうから。

 俺から先に行って報告しておいた方が好印象だろう」

 じゃあ、真生、と振り返った男の袖を真生は握る。

 男は少し笑い、
「大丈夫。
 すぐ帰るから」
と自分の瞳を覗き込むようにして言った。

「……お前にとっていいことではなかったかもしれないが。
 たまには、こんなおとなしいお前も悪くないな」
と言う。

 婦長が笑っていた。

 行ってくる、と男は真生の腕をつかみ、頬に軽く口づけてきた。

 あら、と婦長が赤くなる。

 彼と斗真が、同じ人物には、もう見えなかった。


しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

【完結】辺境に飛ばされた子爵令嬢、前世の経営知識で大商会を作ったら王都がひれ伏したし、隣国のハイスペ王子とも結婚できました

いっぺいちゃん
ファンタジー
婚約破棄、そして辺境送り――。 子爵令嬢マリエールの運命は、結婚式直前に無惨にも断ち切られた。 「辺境の館で余生を送れ。もうお前は必要ない」 冷酷に告げた婚約者により、社交界から追放された彼女。 しかし、マリエールには秘密があった。 ――前世の彼女は、一流企業で辣腕を振るった経営コンサルタント。 未開拓の農産物、眠る鉱山資源、誠実で働き者の人々。 「必要ない」と切り捨てられた辺境には、未来を切り拓く力があった。 物流網を整え、作物をブランド化し、やがて「大商会」を設立! 数年で辺境は“商業帝国”と呼ばれるまでに発展していく。 さらに隣国の完璧王子から熱烈な求婚を受け、愛も手に入れるマリエール。 一方で、税収激減に苦しむ王都は彼女に救いを求めて―― 「必要ないとおっしゃったのは、そちらでしょう?」 これは、追放令嬢が“経営知識”で国を動かし、 ざまぁと恋と繁栄を手に入れる逆転サクセスストーリー! ※表紙のイラストは画像生成AIによって作られたものです。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます

結城芙由奈@コミカライズ3巻7/30発売
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります> 政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

ヤクザに医官はおりません

ユーリ(佐伯瑠璃)
ライト文芸
彼は私の知らない組織の人間でした 会社の飲み会の隣の席のグループが怪しい。 シャバだの、残弾なしだの、会話が物騒すぎる。刈り上げ、角刈り、丸刈り、眉毛シャキーン。 無駄にムキムキした体に、堅い言葉遣い。 反社会組織の集まりか! ヤ◯ザに見初められたら逃げられない? 勘違いから始まる異文化交流のお話です。 ※もちろんフィクションです。 小説家になろう、カクヨムに投稿しています。

お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます

菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。 嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。 「居なくていいなら、出ていこう」 この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

☘ 注意する都度何もない考え過ぎだと言い張る夫、なのに結局薬局疚しさ満杯だったじゃんか~ Bakayarou-

設楽理沙
ライト文芸
☘ 2025.12.18 文字数 70,089 累計ポイント 677,945 pt 夫が同じ社内の女性と度々仕事絡みで一緒に外回りや 出張に行くようになって……あまりいい気はしないから やめてほしいってお願いしたのに、何度も……。❀ 気にし過ぎだと一笑に伏された。 それなのに蓋を開けてみれば、何のことはない 言わんこっちゃないという結果になっていて 私は逃走したよ……。 あぁ~あたし、どうなっちゃうのかしらン? ぜんぜん明るい未来が見えないよ。。・゜・(ノε`)・゜・。    ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 初回公開日時 2019.01.25 22:29 初回完結日時 2019.08.16 21:21 再連載 2024.6.26~2024.7.31 完結 ❦イラストは有償画像になります。 2024.7 加筆修正(eb)したものを再掲載

処理中です...