いつか、あなたに恋をする ~終わりなき世界の鎮魂歌~

菱沼あゆ

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蘇りの書

真実4

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 男が出て行ったあと、婦長がこらちを見、言ってきた。

「私も戻らないといけないので。
 真生さん、ここから出ないでくださいよ。

 なにか欲しいものはありますか?」

 ……いえ、と言うと、婦長は困った顔をし、
「いつものあなたは、もう少しおとなしめの方が、女性らしくていいんじゃないかという感じですが。

 実際、そうなると、あなたらしくなくて落ち着かないですね」

 偉い言われようだな。
 普段の私とやら、どうなんだ、と思っているうちに、婦長は、じゃあ、あとで、と言って、忙しげに出て行ってしまった。

 なんなんだろうな。

 まあ、今はなにも考えたくないけど。

 そんなことを思いながら、真生は寝室のドアを開ける。

 冷たいノブの手触りにここが現実だと強く感じる。

 ドアを開けたら、元の世界が広がっていて欲しいような、欲しくないような。

 そう思うのは、人を殺した感触を覚えたままで、元の生活に戻れる自信がないからか。

 それとも、この不安を自分の時代に持ち込みたくないからか。

 いや、それよりも。

 真生は先程まで寝ていたベッドに腰掛ける。

 まだ男の温かみの残るシーツを見下ろし、思っていた。

 単に、ここを離れたくないからなのか。

 何故?

 人を殺した場所なのに――。

 そう思いながら、男の匂いのするシーツにそっと頬を寄せ、目を閉じる。

 いつの間にかあの曲を口ずさんでいた。
 



 少しうとうとした真生だったが。

 やがて、心細くなり、男の姿を探して、寝室の扉を開けた。

 もう帰ってきてくれただろうか。

 すがるように、そう思いながら――。
 



 ここは……?

 その瞬間、真生は冷えたノブをつかんで立っていた。

 目の前には地下の廊下。

 そこに階段を下りてきた斗真が現れ、こちらを睨む。

「なに手ぶらで出てきてんだ。
 地図取りに行ったんだろ」

 自分は真っ暗な資料室の中に居たようだ。

 ……斗真。

 斗真だ。

 よく似ているけど、あの人とは全然違う。

 さっきのは白昼夢? 

 あの白い服の女が見せた、なにかの残像だったのだろうか。

 そう思ったが、まだ胸がドキドキしていた。

 恐怖も、安堵も。

 さっきまで味わっていた感覚はすべて自分の中に残っていたが、上の階からは女生徒たちの楽しそうな笑い声が聞こえてきている。

 地図を持ってくれると言う斗真に、
「あっ、持つよっ」
と真生は言った。

 だが、
「いい」
と払われる。

 そのまま、二人でいつものように話しながら、階段を上がった。

 斗真とあの男の違いをはっきりと感じながら。

 斗真を今まで隙のない男だと思っていたが、あの時代では、婦長でさえ、もっと張り詰めた空気をまとっている。

 切迫した時代の空気のようなものを真生は、人々の表情から感じとっていた。

 よく見れば、体格も少し違うよな、と横から斗真を見上げて思う。

 喉許の辺りも、斗真の方が少し少年らしい。

 あの人の方がやはり、少し年上なのかな、と真生は思った。

 だが、あの時代のことを思い出せば思い出すほど、今の眩しさからは遠く。

 鮮明だったはずの記憶が、薄らいでいきそうになる。

 すべては夢だったのだろうかな。

 ふとそう思ったが、腕に残る切り傷と、学園を這い回る男の霊が夢ではないと告げていた――。
 



 放課後、真生は坂部に鍵を貰い、礼拝堂に行った。

 自然に、あの曲が頭に流れる。

 思わず、口ずさみそうになりながら、軋む扉を開けたとき、目の前に、黴臭い木造の廊下が見えた。

 そこは、自分が人を殺して引きずった、あの廃病院の廊下だった。

 足許に転がされた死体を見ていると、後ろ頭に銃を突きつけられる。

「小娘、お前は何者だ」

 ふいにした声に、心臓が跳ね上がった。

 この声は――。

 斗真のものと似ていて、ちょっと違う。

 斗真よりも深みがあって静かな波紋のようなこの声は――。

「俺は高坂透。

 普段は軍にいるが、今は、この廃病院の隣にある高坂医院の理事長代理も兼ねている」



 ……高坂。

 それがこの人の名前。
 



 それがすべての始まりだった――。




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