8 / 95
第一章 オフィスの罠
待ち合わせ
しおりを挟むその店の前に、既に夏目は立っていた。
やばい……。
こういうとき、私が遅れてきて、いいものだろうか。
そう思いながら、未咲は足を速めた。
にしても、やっぱり格好いいな、この人。
っていうか、結構、好みかも。
そんなことを考えていたら、夏目がこちらに気づいて振り向いたので、つい、ごまかすように笑ってしまう。
「す、すみません。
迷っちゃって」
嘘ではない。
迷ったのも本当だ。
夏目は、
「いや、いい。
行こう」
とさっさと中に入ってしまう。
夏目は個室を予約してくれていた。
座敷だ。
夏目と向かい合って腰を下ろした未咲が、思わず、畳を眺め、ああ、ここに行き倒れたい、と思っていると、
「横になってもいいぞ」
と夏目が言った。
「い、いえ、大丈夫です」
「構わない。
店員が覗く以外は誰も来ない」
あれっ? と思う。
もしかして、それで、ここにしてくれたのだろうか。
考えるのも面倒くさかったので、夏目に合わせて料理はコースで頼んだ。
食前酒を呑んだあと、夏目が言った。
「で?
俺になんの用だ」
「用があるなんて、言いましたっけ?」
「結婚したいと言っただろう」
どうもこの人は、言葉を額面通りに受け取れない人のようだった。
ま、実際、その読み通りなのだが。
あのとき、プロポーズを受けたような返事をしたのは、こうして、会っていても、おかしくない状況を作ってくれるためのようだった。
自分が誰なのかもわかっているのだろう。
江戸切子のグラスを置いた未咲は、夏目を見つめて言った。
「遠崎課長、お訊きしたいことがあります。
課長、おねえちゃんを殺しましたか?」
夏目は一瞬、沈黙する。
「……殺してはないな」
「……ですよね。
すみません。
言い間違いました。
ちょっと勢い余っちゃって」
と言うと、溜息をつき、
「お前はいつも勢い余ってるな」
と言う。
「おねえちゃんは同期のあなたと仲良かったみたいで、何度も日記に名前が出てきていました」
「日記があるのか」
と夏目が言ったところで、また、料理が運ばれてきた。
店の人間が下がるのを待って、ふたたび、未咲は口を開く。
「それで、なにかご存知かな、と思いまして」
「いや……俺にも理由はわからない。
しかし、あいつに妹がいたとは初耳だが」
「一緒には住んでなかったですからね。
でも、だからこそ、気になるというか。
なんで、あのおねえちゃんが自殺したのか、まったく理由がわからなくて」
それを知りたいと思って、あの会社に、と言うと、
「そんな理由で、ぽっと入れる会社じゃないだろう」
と言う。
「それはあの、ま、ちょっとツテがありまして」
と言い、未咲は、ふぐ皮の煮こごりを口にした。
こちらを窺いながら、夏目は呟く。
「姉よりも得体の知れないやつだな」
「いや~、それ、平山さんにも、よく言われるんですけど。
会社に入れた理由も、種明かしすると、実にくだらないことなんで」
もちろん、今、その種明かしをするつもりはないが。
夏目はもう一度溜息をついて言った。
「自殺の理由ね。
平山桜には訊いたのか」
「まだ訊いてないです」
「なんでだ。
平山はあいつと親しかっただろう」
「そうなんですけど。
なんていうか、こう。
曖昧に、適当に、なあなあで、今、やってきているので。
おかしなことを訊いて、急に仲悪くなって、いづらくなっても困りますしね」
「なあなあで、適当にね。
女はそういうの、好きだな」
と夏目は鼻で笑う。
「いやあ、生きるためには必要なことですよ」
「……どうでもいいが、呑むな、お前」
喉が渇いていたせいもあり、日本酒を一気に空けてしまっていた。
「あっ、すみません。
先に空けちゃいけないですよね」
「いや、まあ、別にいいが……」
と夏目は言うが、うっかりとは言え、プロポーズした相手の前で、やることではない気がする。
だが、こちらを見、夏目は笑った。
意外なその表情の柔らかさに、どきりとしてしまう。
笑うとまた、全然印象違うな、この人、と未咲は上目遣いに見ながら、思った。
いつもは近寄りがたい雰囲気なのだが、それがなくなると言うか。
「すみません。
控えめに呑みます」
「……呑むのは呑むんだな」
「いや、だって、此処、料理美味しいし、呑まずにいられませんよーっ」
そう訴えると、夏目は、
「まあ、そうだな。
俺も頼もう」
と一緒に二杯目を頼んでくれた。
いい人だ。
いや、底なしなうえに、酔いもしないことを責められなかったからではないんだが。
0
あなたにおすすめの小説
先生
藤谷 郁
恋愛
薫は28歳の会社員。
町の絵画教室で、穏やかで優しい先生と出会い、恋をした。
ひとまわりも年上の島先生。独身で、恋人もいないと噂されている。
だけど薫は恋愛初心者。
どうすればいいのかわからなくて……
※他サイトに掲載した過去作品を転載(全年齢向けに改稿)
ズボラ上司の甘い罠
松丹子
恋愛
小松春菜の上司、小野田は、無精髭に瓶底眼鏡、乱れた髪にゆるいネクタイ。
仕事はできる人なのに、あまりにももったいない!
かと思えば、イメチェンして来た課長はタイプど真ん中。
やばい。見惚れる。一体これで仕事になるのか?
上司の魅力から逃れようとしながら逃れきれず溺愛される、自分に自信のないフツーの女子の話。になる予定。
隣人はクールな同期でした。
氷萌
恋愛
それなりに有名な出版会社に入社して早6年。
30歳を前にして
未婚で恋人もいないけれど。
マンションの隣に住む同期の男と
酒を酌み交わす日々。
心許すアイツとは
”同期以上、恋人未満―――”
1度は愛した元カレと再会し心を搔き乱され
恋敵の幼馴染には刃を向けられる。
広報部所属
●七星 セツナ●-Setuna Nanase-(29歳)
編集部所属 副編集長
●煌月 ジン●-Jin Kouduki-(29歳)
本当に好きな人は…誰?
己の気持ちに向き合う最後の恋。
“ただの恋愛物語”ってだけじゃない
命と、人との
向き合うという事。
現実に、なさそうな
だけどちょっとあり得るかもしれない
複雑に絡み合う人間模様を描いた
等身大のラブストーリー。
2月31日 ~少しずれている世界~
希花 紀歩
恋愛
プロポーズ予定日に彼氏と親友に裏切られた・・・はずだった
4年に一度やってくる2月29日の誕生日。
日付が変わる瞬間大好きな王子様系彼氏にプロポーズされるはずだった私。
でも彼に告げられたのは結婚の申し込みではなく、別れの言葉だった。
私の親友と結婚するという彼を泊まっていた高級ホテルに置いて自宅に帰り、お酒を浴びるように飲んだ最悪の誕生日。
翌朝。仕事に行こうと目を覚ました私の隣に寝ていたのは別れたはずの彼氏だった。
〜仕事も恋愛もハードモード!?〜 ON/OFF♡オフィスワーカー
i.q
恋愛
切り替えギャップ鬼上司に翻弄されちゃうオフィスラブ☆
最悪な失恋をした主人公とONとOFFの切り替えが激しい鬼上司のオフィスラブストーリー♡
バリバリのキャリアウーマン街道一直線の爽やか属性女子【川瀬 陸】。そんな陸は突然彼氏から呼び出される。出向いた先には……彼氏と見知らぬ女が!? 酷い失恋をした陸。しかし、同じ職場の鬼課長の【榊】は失恋なんてお構いなし。傷が乾かぬうちに仕事はスーパーハードモード。その上、この鬼課長は————。
数年前に執筆して他サイトに投稿してあったお話(別タイトル。本文軽い修正あり)
幸せの見つけ方〜幼馴染は御曹司〜
葉月 まい
恋愛
近すぎて遠い存在
一緒にいるのに 言えない言葉
すれ違い、通り過ぎる二人の想いは
いつか重なるのだろうか…
心に秘めた想いを
いつか伝えてもいいのだろうか…
遠回りする幼馴染二人の恋の行方は?
幼い頃からいつも一緒にいた
幼馴染の朱里と瑛。
瑛は自分の辛い境遇に巻き込むまいと、
朱里を遠ざけようとする。
そうとは知らず、朱里は寂しさを抱えて…
・*:.。. ♡ 登場人物 ♡.。.:*・
栗田 朱里(21歳)… 大学生
桐生 瑛(21歳)… 大学生
桐生ホールディングス 御曹司
【完結】好きって言ってないのに、なぜか学園中にバレてる件。
東野あさひ
恋愛
「好きって言ってないのに、なんでバレてるんだよ!?」
──平凡な男子高校生・真嶋蒼汰の一言から、すべての誤解が始まった。
購買で「好きなパンは?」と聞かれ、「好きです!」と答えただけ。
それなのにStarChat(学園SNS)では“告白事件”として炎上、
いつの間にか“七瀬ひよりと両想い”扱いに!?
否定しても、弁解しても、誤解はどんどん拡散。
気づけば――“誤解”が、少しずつ“恋”に変わっていく。
ツンデレ男子×天然ヒロインが織りなす、SNS時代の爆笑すれ違いラブコメ!
最後は笑って、ちょっと泣ける。
#誤解が本当の恋になる瞬間、あなたもきっとトレンド入り。
ある日、憧れブランドの社長が溺愛求婚してきました
蓮恭
恋愛
恋人に裏切られ、傷心のヒロイン杏子は勤め先の美容室を去り、人気の老舗美容室に転職する。
そこで真面目に培ってきた技術を買われ、憧れのヘアケアブランドの社長である統一郎の自宅を訪問して施術をする事に……。
しかも統一郎からどうしてもと頼まれたのは、その後の杏子の人生を大きく変えてしまうような事で……⁉︎
杏子は過去の臆病な自分と決別し、統一郎との新しい一歩を踏み出せるのか?
【サクサク読める現代物溺愛系恋愛ストーリーです】
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる