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第一章 オフィスの罠
消えた日記
しおりを挟むそうして、気分よく呑みながら、姉の周りの人間の話を聞いているうちに、今の社内の話になった。
「お前、広瀬専務についてるんだよな」
「そうなんですよー。
この酒、水のようだって言うけど、ほんと、水みたいですよね。
広瀬専務は怖いですよ?。
あんな顔なんだから、もうちょっと笑ったら、女子社員の受けも良くなると思うのに」
「顔は関係あるのか」
「ありますよ~。
知り合いが、警察に捕まったとき、ああいや、スピード違反でですけど。
お巡りさんが格好良くなかったから許せないって言ってました。
課長、もう呑まないんですか?」
「ちょいちょい酒の話を混ぜてくるな、混乱する」
「そうですか。
私は、次は、上善如水で」
はいはい、と夏目は諦めたような相槌を打つ。
「ま、殺しの広瀬って言うくらいだからな」
「は?」
「殺し屋みたいな目をしてるだろ、広瀬専務」
「隙がないから、怖いですよね。
お客様の前で言い間違ったときとか、めちゃくちゃ怒られましたよ?」
「それはお前が悪いだろう。
ところで、俺と結婚するのか?」
「はい?」
「お前、そう言ったろう?」
「……言いましたね」
勢い余ったとも言いましたが。
いや、言ってはいないか。
この人、もうその話は忘れてくれていると思ってたんだけどな。
未咲は腕を組み、目を閉じると、うーん、と唸ったあとで言った。
「考えさせてください」
「待て。
プロポーズしてきたの、お前だよな」
考えさせてくれってなんだ? と言われる。
「いや、そうなんですけどね」
と言いながら、少し呂律が回ってないかな、と思った。
普段酔わないたちなのだが、いつもよりテンションが上がっている気がした。
そんな状態で、こんな男前から、そんなこと言われたら、うっかり受けてしまいそうだ。
「ちょっとだけ、考えさせてください」
「もう一度言うが、お前がプロポーズして来たんだよな?」
「そうですよ。
あの、私、次は久保田でお願いします」
聞け、人の話、とペラペラの酒のメニューで頭をはたかれた。
「すみません。
送っていただいて」
その部屋の前で、未咲は深々と頭を下げた。
会長たちにするのよりも、更に深々と。
やはり、ちょっと酔っているような気がする、と思いながら。
部屋の扉を見、
「……日記って、ここにあるのか?」
と夏目が言った。
「おねえちゃんの日記ですか。
ありますよ。
たいしたこと書いてないですけど。
見ますか?」
未咲はドアを開け、部屋の電気をつけた。
ソファの上を見た未咲は、あっ、と声を上げる。
「日記がないっ」
「ない?」
未咲は玄関で靴を脱ぎ、慌てて、ソファの上を見て、下を見る。
「日記がありません。
ここに置いておいたのに」
「泥棒か?
いや、日記なんて取って逃げるか?」
「そ、そうですよね。
日記取って逃げる泥棒、いないですよね」
「他になくなっているものはないのか?」
未咲は部屋を見回し、
「……特に」
と呟いたあとで、引き出しの中など開けてみた。
「いや、特になにも……」
「鞄とか貴金属とか、なくなってないか?」
「鞄ですか?
ちょっと確認してきます」
と未咲はクローゼットの前に立ち、開けて閉めた。
「異状はないですが」
「じゃあ、かえっておかしいだろう。
なんで、その日記だけない」
「そ、そうですよね」
「実はお前も気づいていないなにかがその日記に書いてあったんじゃないか?」
「例えば?」
「お前の姉貴が自殺するに至った真相とか。
お前が読んでもわからないが、関係者が読んだらわかることが書いてあるとか」
「……第二とは言え、秘書だったから、なにか会社の中の秘密が、私にはわからないように書いてあったとか?」
と言うと、
「第二だからこそ、知ってることもあるかもしれないぞ」
と夏目は言う。
「どういう意味ですか?」
「まあ、お前は知らなくていい。
どうする?」
「は?」
「誰かが侵入した家は不気味だろう」
「そ、そりゃまあ。
窓も破られてないのに、物がなくなってるというのが、またなんとも」
「じゃあ、うちに来るか」
と夏目は言った。
「え?」
「お前、え、とか、は、とか多いな。
そんな間抜けた返事をしていると、また、専務に怒られるぞ。
警察には通報しないのか」
「うーん。
日記がなくなりましたって言っても、そりゃ、なくしたんじゃないのって言われそうですよね。
それに、なにか問題のあることがそれに書かれていたのなら、騒ぎ立てしないで探した方がいい気がしますし。
もし、誰かが持ち去ったのなら、おねえちゃんの関係者でしょうから」
探すことはできる気がする、と言うと、夏目は、
「俺はお前といたからな」
と言い出した。
「は?」
と言いながら、また、は? と言ってしまった、と未咲は思う。
「俺はお前といた。
お前より先に店の前にいた。
俺が日記を取るのは不可能だ」
「そんなこと言ってないじゃないですか」
「いや、例え、誰であろうとも、疑ってかかるべきだ。
俺であろうとも――。
可能性はひとつずつ完璧に潰していけ」
この人と一緒に仕事をしたことはないけど、切れ者だという噂は本当のようだな、と未咲は思った。
「わかりました。
でも、そういえば、課長は、うちの自宅を知りませんよね。
ここには来られないじゃないですか」
「まあ、人事部に訊いても教えてはくれないだろうからな。
しかし、お前の後をつけるという手もあるが」
いや、それは不可能だ、と未咲は思った。
「了解です。
では、課長は無罪ってことで」
「……自分で言っといてなんだが、そう言われると、疑われてたみたいで、ちょっと腹立つな」
いやいや、と未咲は苦笑いした。
「ところで、さっきの話だが、此処が物騒なら、うちに住むか」
「はい?」
「うちは一軒家だ。
半分、お前に貸してやる」
「ええっ。
そんな悪いですっ」
「俺と結婚するんだろ?」
「い、いや、だからそれは……」
と戸惑いながら言うと、
「冗談だ」
と夏目は笑う。
「戻っても安心だとわかるまで住まわせてやるよ」
「ご、ご親切にありがとうございます。
でもあの、やっぱり、申し訳ないような気がするんですが」
「いや、単に呑みっぷりが気に入ったからだ」
たまに酒の相手をしてくれれば、家賃はいらない。
夏目はそう言い。
未咲はそのままほんとうに、夏目のうちにご厄介になることになってしまった。
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