先生、それ、事件じゃありません

菱沼あゆ

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じゃあ、貴方が犯人です

推理の報酬

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 防犯カメラには、ばっちり、牛乳配達おじさんが走って逃げていく姿が映っていた。

 こっそり平川さんちに入っていく姿も――。
 


 そのあとすぐ、違う家に空き巣に入って捕まったこのおじさんが話していたそうだ。

 以前、あの住宅街の下見をしたときに、坂根の家の防犯カメラがダミーなのを確認していたので、どうせ、ニセモノだろうとタカをくくって、前を通ってしまったと。

 そして、事件は、解決し、桂はわずかばかりの謝礼と萩の地ビールとイカをもらったそうだ――。
 


「平川さん、もうちょっと弾んでくれてたのに、謝礼半分返したって聞きましたよ、先生」

 後日、事務所で夏巳がそう言うと、

「いや、だって、依頼されてたわけでもないしな。

 そうだ。
 今度から、先に依頼してもらって、契約書を交わしてから解決しよう」
と桂は言う。

 いや~、解決したの、坂根さんちの防犯カメラな気もしてるんですけどね、と思っていると、

「ところで、夏巳。
 お前、うちでバイトしないか?」
と桂が言い出した。

「……バイト?」
と呟きながら、夏巳は室内を見回す。

 いつかスチールの棚がずらりと並んだり、所員が増えたりするのだろうと思っていた事務所に、まだ、なにもない。

「あのー、バイトと言いながら、一円も出そうにないのは気のせいですか……?」
と呟くと、桂は冷蔵庫から出してきた冷えたイカを手渡し、

「これやるから」
と言ってくる。

「……美味しいですよね、このイカ」

 明神池のところに、たくさん吊るされてる奴だ。

 肉厚のプリプリで酒のつまみにも、おかずにもいい。

 が、まさかこれが前渡しのバイト代とか? と思っていると、

「この間の推理の報酬だ。
 お前が半分推理したんだろ」
と言ってくる。

「……すまんが、金は事務所に押収されたから」

 まあ、先生、雇われ所長ですもんね。

 しかし、半分推理というか。

 先生が当てずっぽうに、なにか言って、それをフォローするために、私が推理していたような気が……と思いながらも夏巳は言った。

「そうですか、ありがとうございます。
 でも、ぜひ、先生がお召し上がりください。

 美味しいですから、これ」
と言ったのだが、いいから、とっておけ、と言う。

 そして、
「そういえば、お前、いつの間にか、俺のことを先生と呼んでるな」
と言われ、

「平川さんにつられたんですよ。
 お嫌なら、蒲生さんにしましょうか」
と言うと、

「いや、桂でいい」
と言ってくる。

 二人きりの事務所でそんなこと言われると、思わず、どきりとしてしまうではないですか。

 夕暮れの窓辺に立つ先生の瞳も髪も茶色く透けて見えて、綺麗だし、と夏巳は思っていた。

「ああでも、人前では先生と呼んでもいいぞ。
 なんだか探偵っぽいからな」

 二人きりのときだけ、桂と呼ぶとか、余計照れて出来ませんけど……。

 でも、嬉しそうに、探偵っぽいから、とか言う探偵、可愛いな、と思っていた。

 私よりは、ずいぶん年上なのだろうに――。

「じゃあ、やっぱり、先生って呼びますよ。
 先生と名のつくヤツにロクなヤツは居ないとも言いますけどね」
と夏巳が付け加えると、

「お前は本当に一言多いな」
と言いながら、桂が側に来た。

「でも、今回は助かった、ありがとう。
 これからも頼むな」
と言う桂に、

 いや、これからも頼まれたくはな……

 ……い、の言葉は心の中でも出なかった。

 桂が、頼むな、と言いながら、軽く頬にキスしてきたからだ。

 ええええええええーっ。

 何故っ!?

 この人がこんな小娘を好きになるとかないと思うんですけどっ。

 挨拶っ!?

 もしや、これが探偵の挨拶なのですかっ?
と動転してよくわからないことを思っている夏巳の前で、桂はさっさとデスクに戻り、上に提出するのだろう書類の続きをノートパソコンで作り始めた。

「あ、あのー、先生」
とおそるおそる呼びかけると、案の定、

「なんだ?」
と今、キスしてきたことなど忘れたように、桂は顔を上げ、訊き返してくる。

「先生って、もしや……帰国子女ですか?」

 桂は、いや、と言ったあとで、

「ああ、祖母はフランス人だが」
と付け加えてきた。

 真剣な顔をして、パソコンの画面を見ている桂に、

 ただ自分の打った文章を見直しているだけなのだろうに。

 なんだかわからないが、格好いい、と思っていた。

 すると、ふたたび、顔を上げ、桂が言ってきた。

「おい、夏巳。
 なにか事件っぽいものがあったら、紹介しろよ」

 事件っぽいものってなんだ? と思いながら、

「いや~、先生にかかったら、なんでも事件になっちゃうと思いますけどねー」
と答える。

 桂が窓を開けていたので、街を覆う夏みかんの花の香りが此処まで入り込んできていた。

 眩しい夕暮れの光を見つめながら、夏巳は思う。

 まあ、この平和な町に探偵はいらないと思うけど。

 先生が居なくなってしまうと、ちょっと寂しいから――。

「ああ、祥華さちかがいつでもサンタを逃がしていいって言ってましたよ」
と言うと、桂はまるで大事件に遭遇した探偵のような渋い顔をし、

「それはいい」
と言ってくる。

 相変わらず、無駄に格好いい。

 そう思いながら、夏巳は少し笑った――。






                       完


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