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そういえば、いつからそう呼んでいたんだろう
何故、逃げる……芽以
しおりを挟む「ただいま帰りました」
芽以が急いで店に飛び込むと、今日もお客さんは多かった。
常連さんの顔も見えるが、みなさん笑顔で店は上手く回っているようだった。
むしろ、今まで、澄んだ空気を吸い込んでいた肺に、いきなりパクチーの匂いが充満して、芽以の方が、渋い顔をしそうになったくらいだ。
なんだ。
彬光くん、上手くやってたんじゃない、と思ったのだが、白いシャツに黒いロングのエプロン姿で厨房から出てきたのは、圭太だった。
「おう、芽以。
お帰り」
その声を聞きつけ、逸人が、
「おい。
芽以が戻ってきたら、帰れと言っただろ」
早く此処を立ち去るがいい――
とお前は何処の予言者だ、という口調で言ってくる。
すると、たくさんご友人を連れてきてくださったらしい常連のおばさまが笑って言い出した。
「あらー、いいじゃないですか、シェフー。
イケメンが二人も居て、楽しいわー」
ねえ? と言って笑うおばさま方に、奥から料理を手に出てきた彬光が、
「えーっ。
僕はーっ?
僕はイケメンじゃないんですかーっ」
と言って、ほほほほ、と笑われていた。
彬光くんの場合は、イケメンというより、可愛い子って感じだが――。
じゃなくてっ、と芽以は圭太を見る。
「なんで此処に居るのっ?
会社はっ?」
さっきの大原の話が頭をよぎったからだ。
「息抜きだよ、息抜き。
初めてやったよ、こういうの。
楽しいな、意外と」
と機嫌良く言って、彬光が、
「そうなんですー。
なんにも教えもらってないのに、めちゃくちゃ手際がいいんですよ、この人ー」
と圭太を指し、言っている。
そう。
逸人と一緒で、基本なんでも出来る男なのだ。
だが、その、なんでも軽くこなしすぎるところが、なんとなくチャラく見えるので、年配の人の信用が得がたいのかもな、という気はしていた。
「息抜きなら、もう帰れ。
――日向子が来るぞ」
その一言に、圭太はチャカチャカ帰り支度を始めた。
……どんだけ、日向子さんが怖いんだ、と思っていると、圭太は、
「じゃあ、芽以。
また来る」
と言って、手を握ってくる。
その圭太のクビの辺りに、逸人が後ろから包丁を突き出してきた。
「また来るな」
と言って。
いや……結構、首すれすれですよ、それ……。
圭太を追い返したあと、逸人は、すぐ支度して店を手伝ってくれる芽以を横目に窺っていた。
どうした? 芽以。
なんとなく元気がないように見えるが。
昨日追い返したこともあり、つい、同情して、圭太を中に入れてしまったのだが。
まだ芽以を圭太と接触させるのは早かったか。
そう思ったとき、自分のスマホと並べて棚の上に並べていた芽以のスマホが鳴り出した。
メールのようだ。
ちょうど厨房に戻ってきていた芽以が、
「ちょっといいですか?」
と言って、それを見た。
芽以にメールを送ってくるのは、芽以の母が多い。
なにか急ぎの用事かもしれないと思ったのだろう。
そんな芽以の母も、最初はメールを使い慣れなくて、
『飯、食たか?』
『もうねたか?』
とか、貴女、ナニ人ジンですか……?
というようなメールを送っていたようなのだが、今では、立派に使いこなしている。
メールを見た芽以は、なんだ、という顔で笑い、
「ただのカード会社からのお知らせでした」
と言ってくる。
「でも、こういう不審なメールにご注意くださいというメールが不審なメールなんじゃないかといつも疑ってしまうんですけどね」
と笑う芽以に、不安になる。
なんで、こんなになにもかも信じられなくなっているんだろう?
もしや、圭太にいきなり捨てられたせいで、すべてに対して疑心暗鬼になっているとか……?
と思い、芽以に思わず、
「……圭太のせいか」
と訊いてしまう。
「なんでですか……」
と言う芽以の側の胡椒を取ろうと、手を伸ばすと、ひょいと芽以が自分の手から逃げるように動いたように見えた。
何故、逃げる、芽以。
「……圭太のせいか」
「なんでですか……」
とふたたび、芽以は言ったが。
少し様子がおかしいのは確かだった。
「逸人さん」
と言ったあとで、芽以は、少し黙り、
「いえ、なんでもありません」
と言ってくる。
どうした、芽以っ?
一体、なにがっ? と料理を運んで、厨房から出て行ってしまう芽以の後ろ姿を見送った。
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