同窓会に行ったら、知らない人がとなりに座っていました

菱沼あゆ

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私の推しは、にーろくふです

勝負おやつの依頼

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 建て付けの悪い木の扉を開けると、田中が立っていた。

「あっ、田中さんっ」
と言うと、上でガサガサ音がした。

 どどどっと鞄をつかんだ雄嵩が下りてくる。

「田中さん、こんばんは。
 俺、番組録画すんの忘れてた。

 じゃあ」
となぜか急いで帰ってしまう。

「気をつけてねー」
とその後ろ姿に向かい、めぐるは叫んだ。

 もうガタイのいい高校生なのだが、めぐるの中の雄嵩はまだ、手を引いて公園に連れていっていた頃のイメージのままだ。

 雄嵩が夜道を帰るときはいつも、大丈夫だろうか、ひょいと誘拐されたりしないだろうかと心配してしまう。

 充則に言ったら、

「いや、まず、ひょいと抱えられないし。
 抱えようとしたら、相手が殴られて吹っ飛ばされると思うし。

 あいつ、中学のとき、部活の嫌味な先輩、吹っ飛ばしてたから」

 だから、ナイナイと手を振り言ってきたことだろうが――。

「あ、えーと……

 お、おめでとうございます。
 竜王戦」
とめぐるは言ったが、田中は渋い顔をしている。

「いや……まだスランプのままだから。
 調子悪くて」

 いや、あなた、勝ちましたけど。

 それで、スランプとか言ったら、あなたに負けた黒木田さんとやらはどうなるのですか、とめぐるは思う。

 だが、勝っても、内容では押されてる、ということもあるらしい。

 そういうのが気に入らないのかな、と思ったとき、田中が言った。

「だが、とりあえず、勝てたから、これだけは伝えたくて来た。

 ありがとう、めぐる。
 お前のおかげで勝てた」

 いや、私、なにもしてませんけどっ!?

 その表情に気づいたように田中が言う。

「そういえば、いろいろ言っていたのに、お前の菓子なしで勝ってしまって申し訳ない」

「い、いえ、そんなことは別にいいんですけど」

 私が勝手にお菓子を作ってあげたいと思ってるだけですから……。

 マンガやドラマみたいに、食べ物ですべて解決なんてことに、世の中はならないし。

 でも、ちょっとでも、頑張ってる人の気分転換になるお菓子が作れたらな、とは思っている。

「――第二局もお前のために勝つ」
「えっ?」

 どきりとしためぐるだったが、

「……賭けた覚えはないんだが。
 なぜか竜王戦にお前を賭けていることになっていて」
と眉をひそめて田中は言う。

 対局のときと同じに、悩んでいる様子も美しい田中の顔を眺めながら、めぐるは言った。

「ああ、久門さん……」

「いや、黒木田も自分が勝ったら、お前をもらうと言っている」

 会ったことないんですけど、その人っ。

「お前は好みじゃないと言っていたんだが。
 自分が苦労して勝って、久門がお前を手に入れるのは気に入らないと――」

 好みじゃない人にもらわれるの、嫌なんですけどっ、とめぐるは思わず、田中の手を握る。

「勝ってくださいっ、田中さんっ」

 田中は手を引きかけた。

 あ、なんか、図々しいこと言っちゃったかな。

 まあ、私のこと関係なしに、竜王戦は勝たなきゃいけないんだろうけど。

 そう思ったとき、ちょっとだけ赤くなっているようにも見える田中が道向こうの街灯を背に言う。

「……勝つよ。
 だが、ひとつ気がついたんだが」

 なんですかっ?
とめぐるは身を乗り出す。

「この勝負、俺が負けたら、久門か黒木田がお前と結婚するらしいんだが。
 俺が勝っても、俺にはなんにもないんだが」

 ほんとうに、今さっき、気がついた、というように、田中は困惑したように言う。

「……そういえば、そうですね。
 あっ、じゃあ」
とめぐるは提案する。

「田中さんが勝ったら、なにか好きなスイーツ、お作りするってことでっ」

「……いや、いらない」
と言われて、ええっ、と叫ぶ。

 


 いらないはなかったな、と田中は帰りながら反省する。

 もちろん、やっぱり、作ってもらおうかとは言ったのだが。

 いやいや、だって、おかしいだろう。

 俺が負けたら、お前は他の奴と結婚して。

 俺が勝ったら、スイーツを作ってくれるだけとは。

 いや、別にあいつと結婚したいとか、そういうわけではないんだが……。

 家に帰った田中は、なんとなく、まだめぐるに関わっていたくて。

 この間、雄嵩が教えてくれた、雄嵩のブログを読むことにした。

 姉、めぐるのことが結構書いてあるからだ。

 もちろん、姉としか書いていないので、雄嵩が天花めぐるの弟だと知らない人には、彼女のことを書いているとはわからないだろうが。

 ……それにしても、脳をやられそうな言動ばかり書いてある。

 こいつを久門や黒木田のもとに送り込んだら、絶対、あいつら調子を崩して楽に勝てるようになるだろうな、と思うほどに。

 台所に宇宙人の卵があったってなんなんだ……。

 しかも、雄嵩も所詮、めぐるの弟。

 そんなフレーズを軽く流し。

 常人にわかるように、事細かに説明してくれていたりはしなかった。

 ――どうしよう。
 宇宙人の卵が気になって、対局に集中できないかもしれない。

 天花めぐる。

 すごい破壊兵器だ……と田中は思った。

 


 そんな微妙な状態で次の対局までの時間を過ごしていためぐるのもとに、とある地方の老舗ホテルから電話がかかってきた。

「天花めぐるさんでいらっしゃいますか?
 ホテル雪花風月せっかふうげつです。

 お世話になります」

「あっ、お世話になりますっ。
 天花めぐるですっ」

 よくこの番号がわかりましたね、と言うと、

「すみません。
 どうしてもめぐる先生とご連絡とりたかったんですけど。

 フランスの方にはもういらっしゃらないみたいだったので」
と言われる。

「あっ、すみません。
 あっち、引き払ってしまったので」

「それで、この前、若林さんのところの雑誌に出られてたから、若林さんに訊こうかと思ったんですが。

 あ、うちも以前、若林さんに取材受けてたんで。
 若林さんの連絡先は知ってたんですよ。

 でも、若林さん電話に全然出られなくて」

 ……若林~。

「そのあと、ご実家の和菓子屋に電話したら、ようやくお母様がこの番号を教えてくださって」

 母、よく知ってたな、と思ったのだが……。

「実は、お母様もご存知なかったみたいで。
 お母様が田中竜王に訊いてださったんですよ」

 母よ。
 なぜ、娘の携帯番号はわからないのに、田中さんの番号は知っているっ!?

「それで、今、電話している次第しだいです」

「ど、どうもご迷惑おかけまして……」

「田中竜王がご存知なら、直接、将棋連盟に訊けばよかったですね」
とホテルの支配人は笑っている。

 悪いと思ってか、週刊誌に載っていた久門の名前は出してこなかった。

 いや、あれ、誤報ですからね、とめぐるは思う。

「実はですね。
 うちのパティシエが子どもの運動会に参加して、手を骨折してしまいまして」

 ……怖いな、運動会。

「それで、もし、めぐる先生のご都合がつくようでしたら。
 竜王戦の日のスイーツを作っていただけないかと……」

 ええっ!?

「以前、うちにめぐる先生の焼き菓子を卸していただいてたじゃないですか。
 黒木田名人が対局のときに召し上がられて、すごく気に入られてたのを思い出したんですよ」

「そ、そうだったんですか……」

「ただその、うちである対局がですね。
 今回、第七局でして」

「第七局?」

「あ、めぐる先生は将棋とかご興味ないですか」

 ……将棋に興味はなかったんですが、にーろくふ、以外。

 棋士の人は最近、やたらとお見かけしますね。

「実はその、竜王戦の七局というのは、ないことも多くて。
 どちらかが圧勝してしまうと、七局までたどり着かないんですよ」

 そうか。
 確か、竜王戦は七番勝負らしいから。

 どちらかが、四勝した時点で終わりということか。

 ということは、七局どころか、五局目くらいの会場からは、ない可能性もあるということなんだな。

 どちらかが圧勝……。

 じゃあ、七局はない方がいいが。

 それだと、このホテルの人たち、せっかく準備したのに、残念だろうな。

 でも、田中さんには圧勝して欲しいし。

「あ、もちろん。
 めぐる先生に考えていただいたスイーツは、対局がなくとも、フェアを行ったりして皆様に食べていただこうと思っています。

 急なお願いで申し訳ありません。

 うちのスタッフにもめぐる先生のスイーツのファンが多いので、ダメ元でお電話してしまいました。

 もし、お受けいただけるのでしたら、詳しい資料などお送りしますので」

「あ、やります」

 返事が早すぎたようで、ちょっと間が空いた。

 えっ? と訊き返される。

「やります。
 やらせてください」

「ほんとうですかっ?
 ありがとうございますっ。

 めぐる先生のような方に来ていただけるなんて、スタッフ一同感激ですっ。
 では、今後の打ち合わせについてですがっ」

 めちゃ歓喜してくれている。

 よほどパティシエが見つからなかったんだな。

 私みたいな、ほぼ廃業してるやつに声かけてくれるなんて――

 とめぐるは思っていたが。

 そもそもが、めぐるの心の中だけの廃業だったので。

 フランスの人たちも、めぐるが店を閉めたのは、新たなる躍進のためだと信じていたし。

 日本のほとんどの人はそもそも、めぐるが店を閉めたことすら知らなかった。


 

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