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疾走するさっちゃん

ひとつめの都市伝説を手に入れました

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 庭に出て、青いタライに水をはり、乃ノ子はさっちゃんを洗ってやる。

 さっちゃんは髪をシャンプーで洗われながら、
「わたし、さっちゃん。
 あなたの後ろにいるわ」
 などと言っている。

 いや、前にいますよ……と思ったのだが。

 こうして誰かに洗ってもらうことが、ちょっと恥ずかしく、間が持てないようだった。

 タオルで身体を拭いて、髪を乾かし、お菓子のリボンで髪を結ってやったが。

「ヘタクソ」
と手鏡の中の自分を見て、さっちゃんは言う。

 まあ、確かに傾いてるな、と思いながら、さっちゃんの頭上で結んだ赤いリボンを乃ノ子はほどき、やり直す。

「いたたた……

 痛いであろうがっ」
と髪が引っかかったらしいさっちゃんが文句を言ってきた。

「お前は、ほんとうにヘタクソだな。
 私を可愛がってくれていた子とソックリだ。

 あの子もいつもこうして……」

 さっちゃんが沈黙し、乃ノ子も沈黙した。

 乃ノ子は側のポリバケツの上に置いていたスマホを取り、
「暗黒の乃ノ子です」
とイチにメッセージを送る。

「気に入ってるのか、そのフレーズ」
と言われた。

「あの、今、さっちゃんの髪結ってて思い出したんですが。
 そういえば、私、こんな感じのニンギョウ持ってたような……」

「……さっちゃん捨てたの、お前じゃないのか?」
とイチから入ってくる。

「いえ、そんな記憶はないんですが。
 そういえば、転校してった友だちがこんなニンギョウくれたような」

 おかあさーん、と乃ノ子は裏口の戸を開けて叫んだ。

「誰だっけ?
 幼稚園のとき、ニンギョウくれた子いたじゃんーっ。

 あのニンギョウ何処いったっけー?

 ……そういえば、あのあと、私も引っ越して、そのどさくさで、ニンギョウ消えたような……」

「お前かーっ!」
と後ろで、さっちゃんが叫ぶ。

「ま、待ってくださいよ。
 いや、誰にもらったんだったかなー」
と言いながら、乃ノ子がスマホにもそう打つと、イチが言ってきた。

「友だちが思い出せないって、その友だちが都市伝説じゃないのか?

 ほら、都市伝説を語るとき、よく言うだろ。
 友だちの友だちから聞いたって」

 乃ノ子はそこで手を打った。

 思い出したのだ。

「あ、わかったっ。
 くれたの、みさきだ。

 普通に生きてる友だちですよ。

 この間も連絡とったしっ」

 乃ノ子は早速、岬にメッセージを入れてみた。

 すると、すぐに返信がある。

「あげたあげた、リカちゃんのバッタもののニンギョウ。
 確か、さっちゃんって書いてあったよね、箱に。

 やだ、もしかして、まだ持ってくれてんの?
 嬉しい」
と岬は言う。

 そして、続けてメッセージが入ってきた。

「ねえ、そういえば、昨日のドラマ見た?
 見てなかったら、見逃し配信で見てよ。

 あれってたぶんさ」

 見ろと言っておいて、岬は勝手に刑事ドラマの推理をはじめた。

 こら、ネタバレすんな、と苦笑いしたとき、乃ノ子は、ひとり何処かに行こうとしているさっちゃんに気がついた。

「さっちゃん、何処行くの?」

 するとさっちゃんはこちらを振り向いて言う。

「お前に会えて、昔のように遊んでもらった。
 このまま此処にいたら、成仏してしまうではないか」

 ……成仏しちゃいけないんですかね?
と思ったが、せっかく魂を持ったさっちゃんが消えてしまうのも寂しい気がした。

「元気でな、乃ノ子」

「さっちゃん。
 また汚れちゃったら、うちにおいでよ。

 洗ってあげるから。

 あと、あんまり人を驚かせたりしないでね」
と言ったが。

「人を驚かせてナンボだろ、私らは。

 ……いいんだよ。
 子どもは大好きなんだから、都市伝説」

 そう言い、さっちゃんは背中を向けていってしまった。

「さっちゃん……」

 そのとき、イチからメッセージが入ってきた。

「ようやくひとつ手に入れたな。
 都市伝説『疾走するさっちゃん』」

「そうですね」
と会話している間も、岬からのネタバレメッセージはまだ続いていた。

 それを見ながら乃ノ子は笑い、イチにメッセージを送る。

「SNSとかメールとかで、人と人との関係が希薄になるって言われてたけど。
 私、そんなことないと思うんですよ。

 こうして、遠くに行った友だちとも、ずっとしょうもない話もできるし。

 ……なんか不思議な人とも出会えるし」

「不思議な人に出会ったら教えろよ。
 都市伝説かもしれないだろ」
と入れてくるイチに、

 いや、不思議な人って、貴方のことなんですけどね、と思う。

 まあ、貴方、人じゃなくて、AIですけどね。

 アプリのメモには、いつの間にか、都市伝説『疾走するさっちゃん』の項目が書かれていて、イチと共有されていた。


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