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0番線ホーム

侵食される日常 ~最強のイケメン様~

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「まあ、過去を思い出すのが、あいつにとって、いいことかはわからないけどな」

 あの自動販売機の空間を出たあとで、イチはそう言っていた。

「そうですね。
 なにかあったから、あそこに留まってるんでしょうから、トモダチ。

 でも……、

 ずっとあそこにいたいと思ってるわけでもない気がするんですよ」
と言いながら、乃ノ子は街を照らす夕日に目をしばたたく。

 イチを見て笑った。

「なにか変です」

 ん? とイチが振り返る。

「いえ、イチさんとこの歩道橋歩いてるのが。
 なんだか不思議な感じです」

 乃ノ子は歩道橋から弁当屋を見下ろし、言った。

「あのトモダチがいる辺りで、都市伝説の話とかすることが多いから。
 それが終わって、この歩道橋を上がってくと、いつも日常に帰ってく感じがするんですよね。

 ……いや、実際には、この上を、さっちゃんが駆け抜けたりもしてますけどね」

 家にも来るしな、さっちゃん。

 でも、イチさんと此処を渡ると、なんだか、今までの区切りを飛び越えて、都市伝説がすごく身近な日常まで浸食してくる気がする――。

 乃ノ子がそんなことを考えていたとき、下から叫び声が聞こえてきた。

「あーっ、乃ノ子ーっ」

 紀代と風香だ。

「乃ノ子がっ。
 イケメンと歩いてるっ!」

 すごいイケメン~ッ! と叫ぶ彼女らの声を聞きながら、乃ノ子は、

「イチさん、みんなに見えてるじゃないですか」
と思わず呟いて、

「むしろ、何故、見えないと思った……」
と言われてしまう。

「大学でお前の先生にも会ったし、タクシー運転手にも会ったろう」

 いやー、ああいう都市伝説を探してるときの特殊な空間じゃなくて。

 普段歩く道で、普段話してる友人たちに見えるって言うのが。

 当たり前だけど、なんだかびっくりなんですよ~と思いながら、駆けてくる紀代たちを待つ。

 みんなで話しながら、イチとともに歩道橋を渡り切り、反対側の道に下りたったとき。

 いつも黄昏の中で探している都市伝説たちが、この言霊町にじわじわと広がっていくような……

 そんな気がした。




「で、何故、私は今此処に?」

 深夜、乃ノ子は言霊駅前に来ていた。

「お前のお母さんが行ってこいって言ったからだろ」

「お母さん、イチさんの話、全然聞いてなかったと思いますよね~」

 腕組みした乃ノ子は、小首を傾げながらそう言った。

 夜遅くに、
「夜分にすみません」
とイチが訪ねてきて。

 イチのイケメンっぷりに舞い上がった母親が、
「そうなんですか。
 大学の調査で。

 うちの乃ノ子なんかが役に立ちますのなら、どうぞどうぞ」
とあっさり娘を送り出したのだ。

「志田先生が貸してくれた名刺、見もしなかったですよね~」

 大学の学術調査のために、都市伝説を調べている、と意味不明な供述をするイチさんを何故、あっさり信じるのか。

 超絶イケメン様、最強だな、と乃ノ子は思っていた。

 イチが志田に今回の話をすると、
「僕も付き合いたかったんですけどね~」
と言いながら、名刺を貸してくれたらしい。

「そもそも志田先生、民俗学とかの先生じゃないのに」

 乃ノ子は、ハッキリ、理学部と書いてある名刺を見ながら言った。

「それにしても、イチさん、志田先生とあれから付き合いあったんですね」

「あったというほどではないが。
 あの男、都市伝説に興味があるらしい。

 こっちとしても、ああいう信用のある立場の人間が協力してくれると助かるしな」

「志田先生、どうやってイチさんと連絡とってるんです?」

「この間、電話帳見たら出てたと言っていた」

「……イチさん、電話帳に載ってるんですか?
 っていうか、いまどき、電話帳ってあるんですか?」

「あるぞ。
 そして、うちの事務所の番号が出ていたり、出ていなかったりするらしい」

 なんなんですか、それは……。

「とりあえず、志田先生の見た電話帳には出てたってことですか?」

「志田は、あの公衆電話の下にある電話帳で見たようだ」

「例の図書館裏の公衆電話ですか。
 それは賢いですね、志田先生」

 確かにあそこかならありそうだな、と乃ノ子は思った。



 遅い時間とはいえ、駅構内には、まだ帰宅する人たちの姿が結構あった。

「現れるんですかね?
 こんな中に突然、0番線が」
と言いながら、乃ノ子たちは改札をくぐる。

 そのままホームに行こうとしたが、乃ノ子は足を止め、振り返った。

 今は路線図や券売機やチャージ専用機しかない改札近くの壁を見る。

「……なんか此処に来ると、イチさんにこき使われていたことを思い出すんですけど」

「そんなに記憶も戻ってないくせに」
とイチはさっさと前を歩きながら言ってくる。

「なんでわかるんですか」
と追いついて階段に向かいながら言うと、

「俺と普通に会話してるから」
と言ってきた。

 いや、どういう意味なんですかね、と思いながら、階段を上り、下りたそこは0番線ホームだった。



「こんなに簡単に現れていいものなんですかね? 0番線」

 しかも、気がつけば、あれだけ行き交っていた人々の姿はまるでなく、ホームには乃ノ子とイチしかいなかった。

「霧が出てきましたよ。
 お約束ですね」

「霧かな。
 お前、霧、かすみもやの違いがわかるか」

「今、クイズはいいです……」
と言っている間に、列車の到着を告げているらしい、聴いたこともない音楽が0番線ホームに流れはじめる。

 白く霞む闇の中、近づいてくる列車の前照灯。

 やがて現れた、見たこともない黄色い車体の列車が目の前に止まる。

 シューっと音を立て、扉が一斉に開いたが、中には誰もいないようだった。

 がらんとした車両の中を見ながら、乃ノ子は言った。

「……あの~、これ、乗らなくてもいいですかね?」

「お前、此処まで、なにしに来た……」


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