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とんだ不運のはじまりです ~ペペロミア・ジェイド~
その植物に水をやるのがお前の仕事か
しおりを挟むこのまま、まったりと、人生、生きていければな、と思ってた――。
そこそこ大きな会社に、なんとか入社できて、ぼちぼち仕事にも慣れてきた桐島葉名は、眩しい朝の光を浴びたデスクで、ペン立ての横のペペロミアの鉢に水をやっていた。
総務部のおじさんたちはみな会議に行ってしまい、先輩たちも社内を回ったりして出払っていたので、ひとり、電話番をしていたのだ。
自分で淹れた珈琲の匂いを嗅ぎながら、ペペロミアを見つめていると、背後から、よく通る男の声がした。
「ほう。
大きくなったな」
振り返ると、若い男が立っていた。
がっしりとした体躯に、仕立ての良いスーツが良く似合う。
少し顔が濃いかな~とも思うが、かなりのイケメンだ。
だが、彼に気軽に声をかける女子社員は居ない。
何故なら、この男、東雲准は、この会社の社長様だからだ。
「そのペペロミア、前からそこにあったが、お前が世話をし始めてから、急に大きくなったようだ。
新入社員、お前の仕事は、それに水をやることか」
「……違います」
そんな莫迦な、と思いながら、葉名が言うと、准は、
「なんだ、違うのか。
それが仕事なら、褒めてやろうと思ったんだが」
と言い、葉名のデスクに手をつく。
ひっ、と葉名は固まった。
すぐ鼻先に准の腕が来たからだ。
准のスーツからは人工的でない、すっきりとしたいい香りがしていた。
准はそんな葉名の動揺には気づかぬように身を乗り出し、ペペロミアを眺め始める。
「お前、この観葉植物の名前、知っているか?」
とふいに訊かれ、まだ緊張しながら、葉名は言った。
「あ、えっと。
ペペロミア、ですよね?」
仕事を引き継いだときに、この植物の世話も引き継いだ。
そのとき、確かそう聞いたが、と思っていると、准は言う。
「ペペロミアというのは、種類の豊富な植物なんだが。
これは、美しい光沢のある葉が特徴のペペロミア・ジェイドだ。
ジェイドとは翡翠ひすいのことだ。
だから、ペペロミア・ジェイドは翡翠と同じく、幸運をもたらすと言われている」
「社長、お詳しいんですね」
と葉名は言ったが、准はそれには返事せず、少し丸っこく、濃い緑の葉を持つペペロミアを見つめたあとで、
「……幸運か」
と准は呟いていた。
初めて間近で准を見た葉名は、
いろいろ言われてる人だけど、格好いいことには違いないな。
なんかすごい迫力だ……と思いながら、まじまじとその横顔を眺めていた。
この先も近くで見る機会などないだろうと思ったので、なんとなく――。
そのとき、
「社長、いらしてたんですか」
と会議が終わったらしい部長たちが戻ってきた。
「今、ご報告に伺おうかと」
と言う兼平本部長に、わかった、と言って、准はそのまま行ってしまう。
こちらを振り返ることもしない。
やがて、先輩たちも戻ってきて、総務本部にも普段の活気が戻ってきた。
ホッとしながら、葉名は少し冷めた珈琲をすする。
東雲准が若くして社長をやっているのは、グループの創業者一族の人間だからだ。
幼い頃から利発だったという准は、本家の直系ではないものの、曽祖父に可愛がられており、本当は、もっと大きな会社を任されるはずだったらしい。
だが、何故か准はそちらを断り、此処に来た。
准が受け持つはずだった会社は、なんだかんだで直系のボンクラ息子が受け継いだが、様々な悪条件が重なり、一気に経営が悪化した。
それで、准は事前に業績が悪化しそうな情報をつかんでいたのに黙っていたのではないかと噂になり。
その絶対的な容姿も相まって、一族の人間や、グループの役員たちの間で、悪王子と呼ばれるようになったそうだ。
でも、悪だとしても、社長がこの会社の業績を上げたことは確かなようだけど、と思いながら、葉名は、幸運をもたらすとその悪王子に言われたペペロミアを見つめる。
「君と居ると、いいことあるんだってさ」
と笑い、葉名は、そのつるんとした葉の先端をつついたが。
これが、幸運どころか、とんだ不運の始まりだった――。
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