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とんだ不運のはじまりです ~ペペロミア・ジェイド~
呪いの指輪が外れませんっ
しおりを挟む「じゃあ、今日は帰るから」
珈琲を飲んだ准は、たいしたおいたをすることもなく、立ち上がる。
やっぱり、なんだかんだで紳士だな、とうっかり思ったあとで。
いや、紳士はいきなり、家に訪ねてきたり、呪いの指輪をはめてきたりはしないな、と気がついた。
玄関まで見送ると、
「明日も時間が作れれば来るからな。
俺が上がれるよう、ちゃんと片付けとけよ」
と言って、准は葉名の肩に手を触れ、身を屈めると、そのこめかみ辺りにキスしてくる。
長身の准の耳がすぐ目の前にあって、ハーブ系のすっきりとした匂いがその髪から香ってきた。
「見送りは此処まででいいぞ」
じゃ、と言って、准はさっさと帰っていく。
オートロックのドアが勝手に閉まるのを見ながら、
……なんだったんだ、今のは、と葉名はひんやりとした玄関にひとり立ち尽くす。
全部夢だったのだろうか。
准の居なくなった今、そう思えなくもなかったが。
指は呪いの指輪のせいで重いし、こめかみには、まだ、准の唇が触れた感触が残っていた。
でも、夢なことにしたい……と思いながら、葉名はきゃしゃな指にはまった巨大なサファイヤを眺めていた。
「おはようございます」
翌朝、葉名が職場に行くと、三つ年上の先輩、久田敦子が、
「なに、葉名。
どうしたの?」
と訊いてきた。
葉名の左手が包帯でぐるぐる巻きになっていたからだ。
「いやー、ちょっと突き指しちゃいましてー」
突き指? と敦子は胡散臭げに訊き返してきたあとで、
「どんな下手くそな医者よ。
手がグローブみたいになってるじゃない」
と言ってくる。
「いやいや、突き指っぽいなー、と思って自分で巻いたんですよー」
と誤魔化すように笑って言うと、
「ちゃんと病院行きなさいよ」
と呆れたようにだが、言ってくれた。
このロングヘアで美人な先輩は、口調はきついが、そんなにやさしくないこともないこともない――。
実は、あれから、どうにも指輪が外れなかったのだ。
それで、とりあえず、包帯で手全体を巻いてみたのだが、かなり不自然だったようだ、と葉名が思ったとき、
「あ、悪王子っ」
といきなり、敦子が抑えた声を上げた。
彼女の視線の先、ガラス張りの総務の入り口の向こうに、監査役と話しながら歩く准の姿が見えた。
「今日も格好いいわね、悪王子。
あーあ、なにかお近づきになれる方法はないものかしら」
「……悪なのに、お近づきになりたいんですか?」
と訊くと、
「いいわよ、悪でも。
社長と結婚して寿退社とか最高じゃない。
それに、女って、ちょっと悪い男に惹かれるものでしょ?」
と敦子は言う。
「私は堅実で誠実な人が好きですけど」
と言うと、敦子は上から下まで葉名を見て、
「ああ、それっぽい」
と言う。
どれっぽいんですか……と思いながら、
「あのー、社長とお近づきになりたいのなら、観葉植物でも育ててみられてはどうですか?」
と教えてみた。
なんでよ? と言う敦子に、
「いえ、社長は、緑がお好きだと風の便りに――」
と曖昧なことを言うと、敦子は、
「何処の便りよ」
と言ったあとで、
「めんどくさいわよ、観葉植物なんてー」
と言ってきた。
「私、片っ端から枯らすのよ。
誕生祝いにもらったサボテンも干からびたわ」
「……そのサボテン、私があげたやつ?」
ふいに背後からした声に、ひっ、と敦子は身をすくめる。
敦子の背後に隣の部署の吉川美沙が立っていたのだ。
「やだなあ、吉川さん~。
違いますよ~」
と誤魔化すように笑う敦子は、美沙と揉めながら、何処かに行ってしまった。
まあ、サボテンも意外と枯れるっていうもんなーと思っていると、ガラスの向こうに准が立っているのに気づいた。
こちらを見ている。
目に見えて、ビクついてしまうと、准は総務の中に顔を覗け、
「桐島、三浦が呼んでるぞ」
と葉名に言ってきた。
ようやく名前を覚えてくれたようだ、と思いながら、
「はいっ。わかりましたっ」
と慌てて返事をし、上に上がってくると上司に言って、急いでエレベーターホールへと向かった。
すると、先に准が乗っていた。
社長と一緒というのもな、と思い、乗らずに立ち止まっていると、開くのボタンを押してくれているらしい准が、社長らしい口調で、
「どうした。
早く乗りなさい」
と言ってきた。
「はっ、はいっ。
すみませんっ」
と言って、葉名は慌ててエレベーターに飛び乗る。
だが、扉が閉まった瞬間、准は昨夜と同じ口調で言ってきた。
「おい、そのぐるぐる巻きはなんだ」
「……指輪が外れなかったんですよ。
石鹸つけても。
それより、三浦さんの用事ってなんなんですかね?」
と言うと、准は素っ気なく、
「三浦は忙しいのに、お前に用などあるか。
お前と話をするための口実だ」
と言ってくる。
では、三浦さんは忙しいけど、貴方はお暇と言うことですかね……と思いながら、
「社長、そういう嘘、やめてくださいよ~。
私、秘書の人に呼ばれると緊張するんですからー」
と言うと、准は呆れたように、
「……俺に呼ばれるのは緊張しないのか」
と葉名を見下ろし、言ってきた。
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