5 / 30
閑話 元侯爵令息の話
しおりを挟む
帝国にふたつしかない侯爵家の長男として生を受けた俺は、生まれてこの方、思い通りにならないことなどなかった。ルックスもいい方だし、頭もそこそこいい。だから小さいころから、歳の合う令嬢のいる家からの縁談は後を絶たなかった。
俺は特別だった。
一時、父親がいないときがあった。王宮官僚ではない父親がなぜそんなに家を空けなければならなかったのか、それはもう少し大きくなってから知る。父親は軍人で、半年近くも戦争に赴いていたのだ。その地で大きな戦績を上げたという。俺が8歳の時だった。
帰ってきた父親は開口一番、「婿入り先が決まったぞ!」と嬉しそうに俺を抱き上げた。長男の俺が婿入りなんて冗談じゃなかった。侯爵家はどうするんだと聞けば、母親の胎の中には二人目がいるという。俺は生まれてもいない弟に将来を奪われたのだ。
侯爵令息が婿入りとなれば、それも嫡男だった令息ともなれば場所は限られる。相手は帝国一の筆頭公爵家だった。なんて幸運だろう。父親が戦争で大きく役立ったからだと聞いた時には初めて父親に心から感謝した。
やっぱり俺は特別だった。
筆頭公爵家、クルート公爵家での顔合わせの場にいた女の子は俺と同い年で、しかし、歳不相応なほどに落ち着き払っていた。ただ落ち着いているだけならまだしも、そのガラス玉のような美しい瞳に、俺は映っていなかったのだ。
何様のつもりだ。俺は正直にそう言った。彼女はこう答えた。「クルート公爵家が長女、アーシェン・クルートですわ。…あなたは?」
「ふん、グリア・ロゼットラスだ」
それからというもの、アーシェンは何においても俺より優れていた。隣に立たざるをえない俺は常に劣等感にさいなまれた。親たちに仲のいいところをアピールしようと机を並べて勉強しようものなら、横から「こんなこともわからないのか」と言外に言われながら解き方と考え方を教えられるのだ。ストレスの塊に過ぎなかった。
毎週一回はしていたお茶会という地獄は月に一回になり、二か月に一回になり、三か月に一回になり、ついには招待状も開けないようになった。もちろん、アーシェンからの手紙さえも。それでも公爵家からの抗議もなく、俺は特別だから許されているのだと思った。
友達といるのが心地よく、婚約者という立場を利用してクルート公爵家つけで友達と買い物に行けば優越感を味わえてクセになった。勉強も必要最低限以外はやめた。友達もしていなかったからだ。それよりも早くから女を知っていた方がいいと友達は言う。
何人かの友達とともに学生を謳歌した。男なら恋人のひとりくらい持つのが甲斐性があるというものだと聞けば市井に降りて女を捕まえ、夢を見させて心のままに殴った。公爵家に囲われる愛人をほのめかすだけでも彼女らは喜んだ。その幸せの絶頂から絶望まで落とした時の女の表情は、えもいわれぬほど俺を興奮させた、
ある日酒を飲んでいるときに俺はここぞと自慢した。「見ろよ、これ。一生に一度、お目にかかれるかどうかわからないやつだぞ!」
ルビーを中心にカーン鉱石がふんだんに使われた、ネックレスを掲げる。
「それを使えば皇女様だって落とせるんじゃね?」
「すっげ! 初めて見た! どこから仕入れたんだ?」
「はっ、俺の婚約者様からちょこっと拝借したに決まってんじゃねぇか。あれだけたくさんの宝石を持ってんだ。ひとつくらい減ったって気が付かねぇよ」
けらけらと皆で笑う。ふざけて皇女様への手紙まで書いた。渡すつもりも、渡せるはずもない凝った文で。
「それよりグリア、お前公爵家の養女になったアリエルとかいう女に入れあげてるらしいじゃん?」
「ああ。もとは平民だ。すぐに落ちるだろう。元平民にしてはきれいな顔してたからな、絶望に染まるのを早く見たいぜ」
その手紙が、身を亡ぼすとは思わなかった。破棄したと思っていた手紙がまさか皇女のもとに届いていたとは。そんなことをする人間は限られている。俺の友達に違いなかった。
「被告、グリア・ロゼットラス。第二騎士団管轄の元、強制労働に処す。期間無期限、ただし管理官が判断したときのみ釈放が許される。以上」
友達がやったはずなのに名前すら出てこなかった。彼らも貴族だ。親が庇ったに違いない。並びたてられていった罪状は、すべてが処刑を示しているかと思ったのに、強制労働。しかも第二騎士団管轄。これほど幸運なことはない。
やっぱり、俺は特別だ。
「死ななかっただけ儲けものではないか!!」
わざとらしく、大きな声で笑って俺は裁判所を去った。
その後一時間もしないうちに俺はシャベルを握っていた。監視官という第二騎士団の女は「ここを止めというまで掘れ」という。目的も時間も聞かされずただひたすらに掘った。
へとへとでもう指一本動かせないほどになってやっと労働から解放された。
「ここがお前の牢だ。同室のやつと仲良くするんだな」
俺の前に重労働で鍛えられた身体をした男たちが立つ。こちらは疲れてまともに立つこともできないというのに、見下ろされるのが腹立たしくて仕方ない。
「仲良く、だってよ」
「ああ聞いたぜ兄貴。てことは…」
彼らは俺の身体に手をかけ、土で汚れたスラックスを下ろす。食事もとっていない身体には力が入らなかった。舌なめずりをする男たちはもはや猛獣のように見えて、身体が震える。
力なく頭をもたげたままのそれに男のひとりが手をかけた瞬間、手についた硬い何かでその男を殴った。ほぼ、反射だった。男のこめかみからは鮮血がとろりと流れる。
「…やったな?」
様子を見ていたのか監視官はすぐに駆け付けて来、下半身を露出したままの俺を抱えて真っ暗な独房の中に入れた。ガチャリと重々しい鍵がかかると、どこかのスピーカーから音声が流れてきた。
「お前はこれから三日間、そこにいる必要がある。そこは特別な懲罰が必要な罪人が入る場所だ。お前は無抵抗の女性を殴っては性交をしていたらしいな? 自分がやったこと、やられてみるのが、反省への一番の近道という。せいぜい死なないようにはしてやる。上からの命令だからな…」
音声が途切れれば、奥から荒い息遣いが聞こえてくる。何がそこにいるのか、暗闇に目が慣れても見えない。手を掴まれ、身動きが取れなくても圧倒的な力の前で抵抗などできなかった。
ああ、これが蹂躙というやつか…。
ひりひりする腰をさすりながら、息も絶え絶えに俺はそう思った。
俺は特別だった。
一時、父親がいないときがあった。王宮官僚ではない父親がなぜそんなに家を空けなければならなかったのか、それはもう少し大きくなってから知る。父親は軍人で、半年近くも戦争に赴いていたのだ。その地で大きな戦績を上げたという。俺が8歳の時だった。
帰ってきた父親は開口一番、「婿入り先が決まったぞ!」と嬉しそうに俺を抱き上げた。長男の俺が婿入りなんて冗談じゃなかった。侯爵家はどうするんだと聞けば、母親の胎の中には二人目がいるという。俺は生まれてもいない弟に将来を奪われたのだ。
侯爵令息が婿入りとなれば、それも嫡男だった令息ともなれば場所は限られる。相手は帝国一の筆頭公爵家だった。なんて幸運だろう。父親が戦争で大きく役立ったからだと聞いた時には初めて父親に心から感謝した。
やっぱり俺は特別だった。
筆頭公爵家、クルート公爵家での顔合わせの場にいた女の子は俺と同い年で、しかし、歳不相応なほどに落ち着き払っていた。ただ落ち着いているだけならまだしも、そのガラス玉のような美しい瞳に、俺は映っていなかったのだ。
何様のつもりだ。俺は正直にそう言った。彼女はこう答えた。「クルート公爵家が長女、アーシェン・クルートですわ。…あなたは?」
「ふん、グリア・ロゼットラスだ」
それからというもの、アーシェンは何においても俺より優れていた。隣に立たざるをえない俺は常に劣等感にさいなまれた。親たちに仲のいいところをアピールしようと机を並べて勉強しようものなら、横から「こんなこともわからないのか」と言外に言われながら解き方と考え方を教えられるのだ。ストレスの塊に過ぎなかった。
毎週一回はしていたお茶会という地獄は月に一回になり、二か月に一回になり、三か月に一回になり、ついには招待状も開けないようになった。もちろん、アーシェンからの手紙さえも。それでも公爵家からの抗議もなく、俺は特別だから許されているのだと思った。
友達といるのが心地よく、婚約者という立場を利用してクルート公爵家つけで友達と買い物に行けば優越感を味わえてクセになった。勉強も必要最低限以外はやめた。友達もしていなかったからだ。それよりも早くから女を知っていた方がいいと友達は言う。
何人かの友達とともに学生を謳歌した。男なら恋人のひとりくらい持つのが甲斐性があるというものだと聞けば市井に降りて女を捕まえ、夢を見させて心のままに殴った。公爵家に囲われる愛人をほのめかすだけでも彼女らは喜んだ。その幸せの絶頂から絶望まで落とした時の女の表情は、えもいわれぬほど俺を興奮させた、
ある日酒を飲んでいるときに俺はここぞと自慢した。「見ろよ、これ。一生に一度、お目にかかれるかどうかわからないやつだぞ!」
ルビーを中心にカーン鉱石がふんだんに使われた、ネックレスを掲げる。
「それを使えば皇女様だって落とせるんじゃね?」
「すっげ! 初めて見た! どこから仕入れたんだ?」
「はっ、俺の婚約者様からちょこっと拝借したに決まってんじゃねぇか。あれだけたくさんの宝石を持ってんだ。ひとつくらい減ったって気が付かねぇよ」
けらけらと皆で笑う。ふざけて皇女様への手紙まで書いた。渡すつもりも、渡せるはずもない凝った文で。
「それよりグリア、お前公爵家の養女になったアリエルとかいう女に入れあげてるらしいじゃん?」
「ああ。もとは平民だ。すぐに落ちるだろう。元平民にしてはきれいな顔してたからな、絶望に染まるのを早く見たいぜ」
その手紙が、身を亡ぼすとは思わなかった。破棄したと思っていた手紙がまさか皇女のもとに届いていたとは。そんなことをする人間は限られている。俺の友達に違いなかった。
「被告、グリア・ロゼットラス。第二騎士団管轄の元、強制労働に処す。期間無期限、ただし管理官が判断したときのみ釈放が許される。以上」
友達がやったはずなのに名前すら出てこなかった。彼らも貴族だ。親が庇ったに違いない。並びたてられていった罪状は、すべてが処刑を示しているかと思ったのに、強制労働。しかも第二騎士団管轄。これほど幸運なことはない。
やっぱり、俺は特別だ。
「死ななかっただけ儲けものではないか!!」
わざとらしく、大きな声で笑って俺は裁判所を去った。
その後一時間もしないうちに俺はシャベルを握っていた。監視官という第二騎士団の女は「ここを止めというまで掘れ」という。目的も時間も聞かされずただひたすらに掘った。
へとへとでもう指一本動かせないほどになってやっと労働から解放された。
「ここがお前の牢だ。同室のやつと仲良くするんだな」
俺の前に重労働で鍛えられた身体をした男たちが立つ。こちらは疲れてまともに立つこともできないというのに、見下ろされるのが腹立たしくて仕方ない。
「仲良く、だってよ」
「ああ聞いたぜ兄貴。てことは…」
彼らは俺の身体に手をかけ、土で汚れたスラックスを下ろす。食事もとっていない身体には力が入らなかった。舌なめずりをする男たちはもはや猛獣のように見えて、身体が震える。
力なく頭をもたげたままのそれに男のひとりが手をかけた瞬間、手についた硬い何かでその男を殴った。ほぼ、反射だった。男のこめかみからは鮮血がとろりと流れる。
「…やったな?」
様子を見ていたのか監視官はすぐに駆け付けて来、下半身を露出したままの俺を抱えて真っ暗な独房の中に入れた。ガチャリと重々しい鍵がかかると、どこかのスピーカーから音声が流れてきた。
「お前はこれから三日間、そこにいる必要がある。そこは特別な懲罰が必要な罪人が入る場所だ。お前は無抵抗の女性を殴っては性交をしていたらしいな? 自分がやったこと、やられてみるのが、反省への一番の近道という。せいぜい死なないようにはしてやる。上からの命令だからな…」
音声が途切れれば、奥から荒い息遣いが聞こえてくる。何がそこにいるのか、暗闇に目が慣れても見えない。手を掴まれ、身動きが取れなくても圧倒的な力の前で抵抗などできなかった。
ああ、これが蹂躙というやつか…。
ひりひりする腰をさすりながら、息も絶え絶えに俺はそう思った。
22
あなたにおすすめの小説
悪役令嬢に仕立て上げたいなら、ご注意を。
潮海璃月
ファンタジー
幼くして辺境伯の地位を継いだレナータは、女性であるがゆえに舐められがちであった。そんな折、社交場で伯爵令嬢にいわれのない罪を着せられてしまう。そんな彼女に隣国皇子カールハインツが手を差し伸べた──かと思いきや、ほとんど初対面で婚姻を申し込み、暇さえあれば口説き、しかもやたらレナータのことを知っている。怪しいほど親切なカールハインツと共に、レナータは事態の収拾方法を模索し、やがて伯爵一家への復讐を決意する。
眠り姫は十年後、元婚約者の隣に別の令嬢を見つけました
鍛高譚
恋愛
幼い頃、事故に遭い10年間も眠り続けていた伯爵令嬢アーシア。目を覚ますと、そこは見知らぬ大人の世界。成長した自分の身体に戸惑い、周囲の変化に困惑する日々が始まる。
そんな彼女を支えるのは、10年前に婚約していた幼馴染のレオン。しかし、目覚めたアーシアに突きつけられたのは、彼がすでに新しい婚約者・リリアナと共に未来を築こうとしている現実だった――。
「本当に彼なの?」
目の前のレオンは、あの頃の優しい少年ではなく、立派な青年へと成長していた。
彼の隣には、才色兼備で知的な令嬢リリアナが寄り添い、二人の関係は既に「当然のもの」となっている。
アーシアは過去の婚約に縋るべきではないと分かりつつも、彼の姿を目にするたびに心がざわめく。
一方でレオンもまた、アーシアへの想いを完全に断ち切れてはいなかった。
幼い頃の約束と、10年間支え続けてくれたリリアナへの誠意――揺れ動く気持ちの狭間で、彼はどんな未来を選ぶのか。
「私の婚約者は、もう私のものではないの?」
「それでも私は……まだ、あなたを――」
10年間の空白が引き裂いた二人の関係。
心は10歳のまま、だけど身体は大人になったアーシアが、新たな愛を見つけるまでの物語。
運命の婚約者との再会は、果たして幸福をもたらすのか――?
涙と葛藤の三角関係ラブストーリー、ここに開幕!
どうも、死んだはずの悪役令嬢です。
西藤島 みや
ファンタジー
ある夏の夜。公爵令嬢のアシュレイは王宮殿の舞踏会で、婚約者のルディ皇子にいつも通り罵声を浴びせられていた。
皇子の罵声のせいで、男にだらしなく浪費家と思われて王宮殿の使用人どころか通っている学園でも遠巻きにされているアシュレイ。
アシュレイの誕生日だというのに、エスコートすら放棄して、皇子づきのメイドのミュシャに気を遣うよう求めてくる皇子と取り巻き達に、呆れるばかり。
「幼馴染みだかなんだかしらないけれど、もう限界だわ。あの人達に罰があたればいいのに」
こっそり呟いた瞬間、
《願いを聞き届けてあげるよ!》
何故か全くの別人になってしまっていたアシュレイ。目の前で、アシュレイが倒れて意識不明になるのを見ることになる。
「よくも、義妹にこんなことを!皇子、婚約はなかったことにしてもらいます!」
義父と義兄はアシュレイが状況を理解する前に、アシュレイの体を持ち去ってしまう。
今までミュシャを崇めてアシュレイを冷遇してきた取り巻き達は、次々と不幸に巻き込まれてゆき…ついには、ミュシャや皇子まで…
ひたすら一人づつざまあされていくのを、呆然と見守ることになってしまった公爵令嬢と、怒り心頭の義父と義兄の物語。
はたしてアシュレイは元に戻れるのか?
剣と魔法と妖精の住む世界の、まあまあよくあるざまあメインの物語です。
ざまあが書きたかった。それだけです。
その令嬢は祈りを捧げる
ユウキ
恋愛
エイディアーナは生まれてすぐに決められた婚約者がいる。婚約者である第一王子とは、激しい情熱こそないが、穏やかな関係を築いていた。このまま何事もなければ卒業後に結婚となる筈だったのだが、学園入学して2年目に事態は急変する。
エイディアーナは、その心中を神への祈りと共に吐露するのだった。
【完結】王女に婚約解消を申し出た男はどこへ行くのか〜そのお言葉は私の価値をご理解しておりませんの? 貴方に執着するなどありえません。
宇水涼麻
恋愛
コニャール王国には貴族子女専用の学園の昼休み。優雅にお茶を愉しむ女子生徒たちにとあるグループが険しい顔で近づいた。
「エトリア様。少々よろしいでしょうか?」
グループの中の男子生徒が声をかける。
エトリアの正体は?
声をかけた男子生徒の立ち位置は?
中世ヨーロッパ風の学園ものです。
皆様に応援いただき無事完結することができました。
ご感想をいただけますと嬉しいです。
今後ともよろしくお願いします。
婚約破棄は綿密に行うもの
若目
恋愛
「マルグリット・エレオス、お前との婚約は破棄させてもらう!」
公爵令嬢マルグリットは、女遊びの激しい婚約者の王子様から婚約破棄を告げられる
しかし、それはマルグリット自身が仕組んだものだった……
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる