殺してあげる、何度でも

碓氷雅

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 冬の朝は暗くて寒くて、布団を手放しがたくて困る。午前3時、目を覚ました三島司みしまつかさは大きなあくびをかましてベッドを降りた。枕もとのランプをつけて、引き出しを開ける。用意しておいた包丁が鈍く光る。刀剣の里ともいわれる備前で作られたその包丁は、半年前に依頼しつい先日届いたのだ。刃先は薄く、柄の方に重みが偏って使いやすい。もっとも、料理なんぞの為に使うつもりはないけれど。

 包丁はぐっと握って、もう片方の手ですうすうと平和に寝息を立てている恋人の布団をはぐった。一度眠れば、起こすまで起きない。近くにいるのが彼の心を許した人間だけならば、だが。まるで死んでいるかのように微動だにせず、静かに呼吸を繰り返す。両手は鳩尾みぞおちあたりで組まれ、サラサラな髪の毛は寝癖ひとつ見られない。伏せられた白いまつ毛はベッドランプできらきらと輝き、その病的なほど白い肌に影を落としている。

 間違っても刃が彼の手を傷つけぬように気を付けながら、三島は彼の、霧生景久きりゅうかげひさの腰にまたがった。規則的に膨らみ縮む胸に手をあて、その奥で拍打つ心臓を感じる。生殺与奪の一端を握りしめた手は、熱を持ち、汗ばんだ。その刃先を霧生の首に沿わして、深く息をつく。

 久しぶりに、指が震える。最初はいつだっただろうか…。しばし逡巡する。ああそうだ、1年前の春先だ。


 初めて会ったその日は桜の散り際で、その時も霧生はなんとも浮世離れした様子だった。なにを映すでもない瞳はまるでガラス玉のようで、すぐ目の前を流れる川の水面が陽の光を反射するようにその目は輝きを湛えていた。急いでいたはずの足を止め、魅入った三島は視線と同時に心を、一瞬にして奪われた。

 何をしているのかと気になり、自然と向かう足に従って話しかけようと手を伸ばす。次の瞬間、ドボンと水しぶきが上がり鈍い音が腹のあたりに響いた。霧生は橋の上からまっすぐ、まるで慣れたことのように鏡のごとき川面に飛び込んだ。落ちたのではない。それはしなければならないことかのようだった。

 はっとして肝が冷えた三島は河原に走り、荷物とジャケットを投げて川に飛び込んだ。ゆらゆらと漂っていた裾を掴んで引っ張る。岸に近いところまで流されたことが幸いして、流れに足を取られることもなく、平坦な場所まで運べた。ほっとした。肩に回していた霧生の腕が三島を振りほどくまでは。

「だ、大丈夫…です、かっ、ごほっ!」
「…助けてなんて言ってないよ」

 ハープで紡いだ音のように繊細で美しい声に、三島は再び心を奪われる。その言葉は右から左に抜けていき、音だけが頭の中で反響した。返事をしなければと口を開くが、鼻に入った淡水は眉間をつんとしびれさせ、なんとか出そうと咳き込む。

「え、と…っごほ! ごほっ、はぁ…はあ…、ごめんな…さい」
「ん? なぜ君があやまる?」
「自分勝手に助けたから…。迷惑…だったんですよね…? でも、僕はあなたを救いたかった。ごめんなさい、あなたには生きて欲しいです」
「ふっ、あはっはっはっ!」

 濡れた髪をかきあげながら、身を投げた人とは思えないほど快活に笑う。その姿がまさに三島はひどく安心した。

「私は霧生景久。君は?」
「三島…司」
「そうか。じゃあ、司。私を生かしてはくれないかい?」
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