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どうやら殿下はいらっしゃらないようですわ
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婚約が結ばれ十二年、アンナは十五歳となりデビュタントを迎えていた。エスコートは父親のフリオ・デヴォアルテがつとめ、煌びやかに彩られた会場へと入っていく。
「緊張しているかい?」
「いいえ…というと嘘になりますわ。少しだけ、緊張していますわね」
「そうか。なら安心するといい。この場でアンナより高貴な女性はいないよ。もっとも、人間と比べるのはおこがましいかもしれないがね」
「ふふ、お父様ったら」
招待客の全てがそろった王宮のホールに最初のワルツが流れ始めた。最初の曲では王太子とその婚約者とが踊る風習となっている。しかし、周囲を見渡してもヴィシャールの姿はどこにもない。
どうするつもりなのだろうと首をかしげていると、ホールの中心でわぁ、と声が上がった。まるで賞賛を送るかのようなそんな声だった。
「何かしら?」
「…」
フリオは苦虫を潰したような顔をする。アンナには見えないが、数十センチ視点の高いフリオにはホールの中心が見えているのだろう。戸惑うように一旦は止まった音楽が、また始まる。
「お父様。どうやら殿下はいらっしゃらないようですわ」
「あ、ああ。そうだね。…踊ろうか」
「はい、お父様」にこりと口角を上げて、アンナはフリオの手を取った。
常識的な人達が、あらゆるところで噂する。レディ・アンナは婚約者に捨てられたのではないか、と。
婚約者がいる場合、夜会に参加するときはその相手を伴って入場し、ファーストダンスを踊るのがマナーだ。そのどちらもしていないヴィシャールはそれどころか、邸まで迎えに来ることも、その数週間前にドレスを送ることもしなかった。
特別な、一生に一度のデビュタントだというのに。
「見て。おかしくないこと? ヴィシャール殿下の婚約者はデヴォアルテ公爵令嬢ではなくて?」
「あの娘はどこの令嬢だ? ほら、あのヴィシャール殿下の横にいる。…え、ポアルド男爵家の?」
「こりゃぁ…どういうことだ。愛妾にするったって身分が低すぎやしないか? いや、それよりも時期を考えての行動か…?」
「あの殿下のことだ。なんの考えもないだろうね。それか…デヴォアルテ公爵令嬢によっぽどの欠陥があるのか…」
あちこちから言葉が聞こえてくる。冷徹完璧と言われるデヴォアルテ公爵家の醜聞だと、ここぞとばかりに皆が口にしているのだ。
「アンナ。大丈夫かい?」
「何がですの? お父様と踊れて楽しいですのに」
「…これが終わったら陛下に挨拶に行こうか」
やがてワルツは終わり、会場は人の熱で温まる。足早に国王夫妻の元へ行き、頭を下げた。
「陛下にはご機嫌麗しく…」
「ああ。楽しんでいくといい。アンナ嬢はデビュタントであったな」
「はい。アンナ・デヴォアルテが国王陛下にご挨拶申し上げます」
「うむ。大きくなったものよ。なんと時の経つのが早いことか」
数段上の玉座に座ったまま、国王は淡々と述べる。初の接見の日とはうって変わって、国王は高位の態度を変えなかった。そうでもしなければほかの貴族に示しが付かない、というのが国王の言い分だった。
「はい、結婚式まであと四年でございます。王妃として殿下の助けとなれるよう、より勉強に励む所存でございます」
「ほほ、いい心がけだこと」国王の隣に座す、王太后が言う。「しかし、母のぬくもりを知らぬとは、なんと哀れか…。いずれできるであろう王子をアンナ嬢はきちんと愛せるのか?」
「…」
なんとも意地の悪い問いかけであった。アンナの母親は、アンナを気味悪がり娘として接することはなかった。その様子を問題視した父親は、アンナの三歳の誕生日から数日で母親と離婚したのだ。母親には有無を言わせず、母親の親族の反発ももろともせず、離婚を成立させるなりその関係とともに連絡も断った。
面白くなかったのは、アンナの母親と仲の良かった王太后である。離婚を告げられたと母親から相談されていた王太后は、身分の高い自分の言うことであれば聞くであろうとフリオに物申していたのだ。それを断固として切り捨てられたのだから、気に食わないと印象を持つのも仕方のないことだろう。
「王妃殿下。この子の記憶を思えば、おのずと答えは出てくるものと存じます」
たまらずフリオが言う。言外に『女神の転生であることを忘れるな』と意味を含んで。
「そうか…。とにかく、デビュタントを祝福しよう。楽しむがよい」
王太后の言葉に頭を下げ、フリオとアンナは臣下の礼をつくした。
「フリオよ。話がある。わしと一緒に来い」
「はっ。…アンナ、気分が悪ければ馬車を呼ぼう。大丈夫かい?」
「はい、お父様。用意してくださった料理を楽しみたいと思います。良いでしょうか?」
「もちろんだ。さ、行くといい」
アンナは社交用の笑顔を貼り付け、国王と王妃に静かにカーテシーを見せる。フリオをもう一度見て、微笑んでその場を離れた。
「緊張しているかい?」
「いいえ…というと嘘になりますわ。少しだけ、緊張していますわね」
「そうか。なら安心するといい。この場でアンナより高貴な女性はいないよ。もっとも、人間と比べるのはおこがましいかもしれないがね」
「ふふ、お父様ったら」
招待客の全てがそろった王宮のホールに最初のワルツが流れ始めた。最初の曲では王太子とその婚約者とが踊る風習となっている。しかし、周囲を見渡してもヴィシャールの姿はどこにもない。
どうするつもりなのだろうと首をかしげていると、ホールの中心でわぁ、と声が上がった。まるで賞賛を送るかのようなそんな声だった。
「何かしら?」
「…」
フリオは苦虫を潰したような顔をする。アンナには見えないが、数十センチ視点の高いフリオにはホールの中心が見えているのだろう。戸惑うように一旦は止まった音楽が、また始まる。
「お父様。どうやら殿下はいらっしゃらないようですわ」
「あ、ああ。そうだね。…踊ろうか」
「はい、お父様」にこりと口角を上げて、アンナはフリオの手を取った。
常識的な人達が、あらゆるところで噂する。レディ・アンナは婚約者に捨てられたのではないか、と。
婚約者がいる場合、夜会に参加するときはその相手を伴って入場し、ファーストダンスを踊るのがマナーだ。そのどちらもしていないヴィシャールはそれどころか、邸まで迎えに来ることも、その数週間前にドレスを送ることもしなかった。
特別な、一生に一度のデビュタントだというのに。
「見て。おかしくないこと? ヴィシャール殿下の婚約者はデヴォアルテ公爵令嬢ではなくて?」
「あの娘はどこの令嬢だ? ほら、あのヴィシャール殿下の横にいる。…え、ポアルド男爵家の?」
「こりゃぁ…どういうことだ。愛妾にするったって身分が低すぎやしないか? いや、それよりも時期を考えての行動か…?」
「あの殿下のことだ。なんの考えもないだろうね。それか…デヴォアルテ公爵令嬢によっぽどの欠陥があるのか…」
あちこちから言葉が聞こえてくる。冷徹完璧と言われるデヴォアルテ公爵家の醜聞だと、ここぞとばかりに皆が口にしているのだ。
「アンナ。大丈夫かい?」
「何がですの? お父様と踊れて楽しいですのに」
「…これが終わったら陛下に挨拶に行こうか」
やがてワルツは終わり、会場は人の熱で温まる。足早に国王夫妻の元へ行き、頭を下げた。
「陛下にはご機嫌麗しく…」
「ああ。楽しんでいくといい。アンナ嬢はデビュタントであったな」
「はい。アンナ・デヴォアルテが国王陛下にご挨拶申し上げます」
「うむ。大きくなったものよ。なんと時の経つのが早いことか」
数段上の玉座に座ったまま、国王は淡々と述べる。初の接見の日とはうって変わって、国王は高位の態度を変えなかった。そうでもしなければほかの貴族に示しが付かない、というのが国王の言い分だった。
「はい、結婚式まであと四年でございます。王妃として殿下の助けとなれるよう、より勉強に励む所存でございます」
「ほほ、いい心がけだこと」国王の隣に座す、王太后が言う。「しかし、母のぬくもりを知らぬとは、なんと哀れか…。いずれできるであろう王子をアンナ嬢はきちんと愛せるのか?」
「…」
なんとも意地の悪い問いかけであった。アンナの母親は、アンナを気味悪がり娘として接することはなかった。その様子を問題視した父親は、アンナの三歳の誕生日から数日で母親と離婚したのだ。母親には有無を言わせず、母親の親族の反発ももろともせず、離婚を成立させるなりその関係とともに連絡も断った。
面白くなかったのは、アンナの母親と仲の良かった王太后である。離婚を告げられたと母親から相談されていた王太后は、身分の高い自分の言うことであれば聞くであろうとフリオに物申していたのだ。それを断固として切り捨てられたのだから、気に食わないと印象を持つのも仕方のないことだろう。
「王妃殿下。この子の記憶を思えば、おのずと答えは出てくるものと存じます」
たまらずフリオが言う。言外に『女神の転生であることを忘れるな』と意味を含んで。
「そうか…。とにかく、デビュタントを祝福しよう。楽しむがよい」
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「フリオよ。話がある。わしと一緒に来い」
「はっ。…アンナ、気分が悪ければ馬車を呼ぼう。大丈夫かい?」
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