神は気まぐれ

碓氷雅

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嘘は言いません

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神殿最高司祭が遺体で発見されたとデヴォアルテ公爵邸にも知らせが入った。

「それは誠かっ!」

 使者が告げる内容にフリオ・デヴォアルテ公爵は手を震わせ、アンナを一瞥した。共に朝食を摂っていたアンナは首をかしげながら上品にナプキンで口元を拭く。

 今日未明、儀式に応えて予言を授けたばかりだったから。

 王都ではその末に至るまで、女神のお告げの話がそこかしこで噂されていた。神殿が先に王宮に連絡を取っていたならこうはならなかったが、最高司祭が死したのち、その統括をする男は予言を扱ったことがなかったためにおきたことであった。

「なぜ王都に触れを出したのだ!」

 国王は側近たちを含め神殿の信徒たちが並ぶ王の間に怒声が響く。いくら事実とは言え、不安をあおる内容である以上、その不安の矢面に立たされるのは神殿ではなく王家だ。最悪、内乱をかぎつけた他国に侵略されかねない。外交の一切を断っていたシーリアンテ王国は、海を隔てた大陸の国々の動向を探る手段がなかった。

「急いでデヴォアルテ公爵を呼べ! アンナ嬢もだ!」

 使者は走り、デヴォアルテ公爵邸へと急いだ。その日の昼過ぎには、執務室にフリオとアンナが座っていた。

「アンナ嬢、これはどういうことか!」
「陛下、落ち着いてくださいな。神殿の出したお告げの話でございましょう」
「ああ! そうだ! 未来永劫、国外からの侵攻はないのではなかったのか!」
「はい。間違いありませんわ。国外からの侵攻はありません」
「ならばっ! なぜこんなお告げが出る?!」

 最高司祭の願いに応られえたその内容を、当の本人に聞きただすというなんともおかしなことだった。

「なぜ…『シーリアンテ王国の栄光は久しく、久しく年月を数えず王都は廃墟と化す』などと予言が出るのだ!」

 アンナはキョトンとして、国王に応える。

「それが紛れもない事実だからですわ。嘘は言いません」
「…!」

 ひどい剣幕で問いただしていた国王も、冷静すぎる返しに身体の力が抜けたのかソファに身を沈めた。

 使用人を全て下げさせ、国王は床に跪いた。それに倣い、その後ろにフリオも膝をつく。

「…女神様。どうか、どうか我々をお救いください。これまでの女神様への対応、心から謝罪いたします。ヴィシャールにも心を入れ替えさせ、お望みとあらばネリアン嬢の処刑も行いましょう。ですからどうか…」
「陛下。顔を上げてください」
「女神様…っ!」

 希望が見えたと顔を上げた国王は、しかしアンナの変わらぬ表情に絶望した。

「人間には変えられない未来だけを予言として授けています。それはこの国の歴史書からでもわかることでございましょう。人間にできるのはわたくしに乞うことではなく、対策をとることですわ」
「…ありがたきお言葉にございます」

 部屋を後にしたフリオとアンナはそのまま馬車に乗る。デビュタントの夜から僅か一週間のことだった。

「アンナ、一緒に大陸に行かないか」

 フリオはぼそりとそう言った。

 国王は納得したかのように言っていたが、素直に受け入れられるほどの器ではないだろう。むしろ国民の不安や不満の的を探すに違いない。少しでも長く王家が存在し、少しでも長く今と同じ生活ができるように。

 きっと、国王はアンナが女神の生まれ変わりであると触れ回るだろう。噂に過ぎなかったことが国王の明言によって裏付けされ、貴族や平民の期待は一時的に王家よりもアンナに寄せられる。となれば、女神の生まれ変わりであるアンナにした仕打ちは何だったのかと貴族を中心に糾弾されることになる。そこで国王はこう言うのだ。

『脅されていた。デヴォアルテ公爵家は呪術を使えるのだ。国民を人質に取られて従うしかなかった。噂は王家を貶めるためにデヴォアルテ公爵家が流したものだ。事実無根だ』

 公爵家の娘だから婚約者になれたのだと言われていたのが、王家を脅して婚約者の座を奪い取ったのだと言われるようになるのだろう。

 ただでさえ、婚約者としても人としても大切に遇されなかったアンナがこれ以上非難されるのは見るに堪えられなかった。

「お父様、それはいい考えではないでしょうか」
「ほ、本当か?! じゃあ、すぐにでも一緒に、」
「いいえ。わたくしは行きません。わたくしはこの王国の末を見届ける義務があります。昨晩、国民の全てが絶える未来が見えたのです。このままお父様がここにいれば例にもれず、お父様も消えてしまうでしょう。ですがもしかしたら、大陸に行った人間は消えないかもしれない。だから、いい考えではと言ったのです」

 フリオは頭を抱えた。亡命は娘がいてこそだ。隣にアンナがいないのなら意味がない。せめて傷つかないように出来る限りの手回しを。フリオは改めて決意した。
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