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そんな彼女の第一号
しおりを挟む「あのー、えっと……俺、早乙女忍さんの同級生の麻丘っていうものなんですけど……」
この状況をどうしていいかわからず、目の前に突如現れたオトメ似の男にたどたどしく自己紹介を始める俺。
てかこんなことしてる場合じゃないよな? オトメ完全に見失ったけど俺。でもこの男を無視するワケにもいかないよな俺。
「あー、同級生クンなんだ? オレはあの世界一可愛くない奴の兄なんだよね。早乙女一樹、よろしくね」
「ど、どうも……」
オトメの兄だったのか。どうりで似ている筈だ。
それにしても自分の妹のことを世界一可愛くないって……一人っ子の俺からしたら妹がいる現実なんて羨ましくて仕方ないけど。
「で、わざわざ家にまで訪問って、同級生クンは何か用だったの?」
俺の名前を覚える気が全然ない早乙女の兄こと一樹さんは、さわやかな笑顔でそう言う。
何だろう、喋り方がかなりチャラい感じなんだけど。見た目も正直チャラいし。でも女子からはモテそうなのがいけ好かない。
「いや、忍さんにプリント渡したくて……タイミング悪かったみたいですけど」
俺は苦笑しながら、オトメが走り去って行った方向を見つめた。
当然もうオトメの姿は見当たらない。
「そうだったんだ。せっかく来てくれたのにゴメンねー? あいつ空気読めないんだ昔から。俺が渡しとくよ」
随分と、オトメに対して棘のある言い方をする一樹さんに俺はプリントを渡す気になれなかった。
それに俺はオトメと話したいからここまで来たんだ。明日渡せばいいだけのプリントをストーカーみたいに家聞いて届けに来たんだ。
なかなかプリントを出そうとしない俺を見て、一樹さんは少し困ったような顔をしている。
「どうしたの同級生クン。プリントは?」
「――やっぱりオトメに直接渡したいんで、どこ行ったとか思い当たる節あれば教えてもらえたら嬉しいんですけど」
一樹さんは一瞬ぽかんとして、その後めんどくさそうに髪をやたらセクシーにかきあげた。男のセクシーシーンなんて俺は全く興味ない。
「知らねーよあいつの行く場所なんて。勝手に飛び出しやがってめんどくせー奴だよホンット」
声色も言葉遣いも一気に変わる。さっきまでのさわやか笑顔はどこへ消えたのか。
マヌケな俺でもさすがにオトメと一樹さんの仲が最悪だということはこのたった数分で察した。
これは俺の憶測でしかないけど――
「すれ違ったとき、忍さん、泣いてました」
「……! へぇ。ギャンギャン吠えるだけじゃなくて泣くんだあいつも」
「一樹さんが、何かしたんじゃないですか?」
恐る恐る、一樹さんを見上げる。
違ったらめちゃくちゃ失礼なこと言ってるなんて承知の上だ。
俺を見下ろす一樹さんの眉間の皺がピクッと動いたかと思うと、そのまま「ははっ」と渇いた笑いを漏らす。
「まぁ、あいつが勝手に飛び出して勝手に泣いただけのことだけど原因はオレだと思うよ?」
そのままニコリと笑い、そう言いつつ悪びれた様子は一切なく……
「その、原因とかって聞いちゃっても大丈夫ですかー? なんて」
逆にそんな一樹さんが何考えてんのかわからなすぎて俺は怖くなりつつ若干おちゃらけた感じで聞いてみる。
「いや、いつものことなんだけどさ、オレらの両親ってバリバリ働いてる人達だから平日なんていつも夜遅くまで帰って来ないワケ」
ほう……これだけいい家に住めてるのは両親達の日々の働きのおかげってことなのだろうか。ってそんな情報求めてない。
「だから昔から学校終わってからはオレにとって最高の自由時間でさ、家に女呼んでは楽しいコトしてて、四月から大学生になって更に自由になったし新しい女ともいっぱい出逢えてさー」
「……えーっと?」
「まぁ好き放題しちゃってるんだよね。 男のキミならわかるでしょ? よかったら今度参加しちゃう?」
つまりどういうことだろう。
一樹さんの言ってる楽しいコトってのが具体的に何なのか確信はないけどこれだろうなってのはある。でも聞く勇気はない。
とりあえず昔から平日家に両親がいないのをいいことにあらゆる女子を連れ込んではイチャイチャしていたと。イケメンにこんな大きな家誘われたらそりゃ女子からしてもドキドキでワクワクなワケだ。
そして今日もきっとそんなことをしていたってことで――
「忍さんは、一樹さんが女連れ込んでることは」
「知ってるに決まってんじゃん。オレ中学くらいからやってたしなー。あいつそれが嫌って言ってキレまくっててさ、でもオレが全くやめないから最近は黙って部屋に閉じこもってたけど」
は、何だそれ。オトメは何年もずっと自分の兄が女連れ込んでるのを毎日毎日見てたってこと?
どんな精神状態になるんだよそれ。俺には想像つかないし想像したくもない。
「今日はリビングでイイ感じになっちゃってさー、そこにタイミング悪くあいつが帰って来やがってそっから怒鳴り散らして大変。それで勝手に飛び出しちゃったってワケ」
わかった。この男クズだ。正真正銘の。
色欲に支配されたクソ野郎だ。
お前がそんなんだからオトメは――男が嫌いになったんだ。なってしまったんだ。
オトメのあの憎しみの目は、きっと目の前にいるこのクソ野郎に向けたものだったんだろう。
何も知らずにヘラヘラと笑っている近年稀に見るクズ男早乙女一樹に怒りの気持ちが込み上げてくる。
「まぁあんな可愛げない奴は一生誰からも愛されないだろうけどな。友達もいねーしあいつ」
「……せいだよ」
「え?」
「お前みたいなクソ兄貴のせいで俺はオトメと友達になれなかったんだよふざけんなクソがぁぁああ!」
先に身体が動いてしまいう、とはこういうことをいうのか。
俺の中の張りつめていた糸がプツンと切れて、気付いた時には早乙女兄を思いっきり殴っていた。
だっておかしいだろ。俺はやっと友達になりたいと思える相手を見つけたのに男嫌いっていう理由で拒否られて!
それもこれも全部こいつのせいだろ! 気の強いオトメを泣かせたのも、本来なら泣かせた相手を怒りに行く立場のこいつだ。
人生で初めて人を殴ってしまった。右拳に確かに感じた感触が気持ち悪い。
「いきなり何すんだよクソガキ!」
「ブフォァ!」
怒りで興奮していたのか、殴ってしまって焦っていたのか、とにかく立ち尽くしていた間に今度は自分が殴られていた。
ドサッと地面に倒れる。痛い。すげぇ痛い。よくわかんないけどどっちの頬も痛く思えちゃうくらいには痛い。
「さっさと帰らねーならこんなモンじゃ済まねーぞアァ!?」
「ひっ、ひぃっ!」
ただの色欲クソ野郎と思ってたのにこいついつの間に色欲クソヤンキーに進化しやがったんだ。
凄まれてビビりまくった俺はさっきまでの威勢はどこへ行ったのか、そのまま逃げるように早乙女家を後にした。
家に帰って、鏡で自分の腫れた右頬とオトメに渡せなかったプリントを見つめる。
「――ダッセーな、俺」
そんな言葉が、弱々しく口から零れた。
****
次の日、右頬にデッカいテープを貼って登校した俺を見て佐伯に心配してどうしたのかと聞かれたが俺は近所の猫からネコパンチをくらって腫れたという謎の嘘を吐いた。
「すごく力の強い猫だったんだねぇ」
「まぁな。発情期の猫の力は侮っちゃダメだぜ佐伯」
「発情期だったんだね……! 麻丘くん狙われてたのかも」
佐伯の癒し効果で発情期の猫から受けた頬の腫れが静まって行く気がする。
クラスメイトやしののんにも全員に同じ嘘を吐いてやり過ごした。
何故かわざわざ俺の教室を覗きに来た河合は、俺の頬のテープを見るとニヤニヤしながら去っていく。おいお前絶対何か勘違いしてるだろ。
放課後、委員会もないしいつも通りすぐに帰ろうとした――ら。
予想外の人物が、昇降口で俺を待っていた。
「……オトメ?」
「あんた殴られたんだって? ダッサ」
「あー……はは。聞いたんだ? あ、そういやプリントの存在忘れてた! はいこれ」
今日渡そうと思ってたのにすっかり忘れていた。俺は昨日渡せなかったプリントを鞄から出してオトメに差し出す。
オトメは無言でそれを受け取ると自分の鞄からオトメに似合わない可愛いうさぎのキャラクターが描かれたクリアファイルを取り出してそこにしまった。
オトメは何か言いたそうだけど何も言わない。昨日のことを気にしてるのだろうか。泣いてるとことか見られるの嫌がりそうだしなオトメは。
「何つーか、こんなの言うのアレだけどお前の兄貴最低だな! あれは男嫌いになるのもわかるわ。トラウマだよあんなの」
「……」
「別に俺誰にも言ったりしないし、昨日オトメが泣いてたことも忘れてほしいなら忘れるから」
「一発も、今まで殴れなかった」
「えっ?」
オトメは一歩ずつ俺に近付いて来て、俺の真正面に立つ。
俺の顔を見て、目が合ったかと思うとすぐに逸らして、また小さく口を開いた。
「あんたが殴ってくれて、スッキリした……ありがと」
確かにオトメの口から“ありがとう”という五文字が聞こえた。
まさか俺にそれを言うために、待っててくれたのか? あのオトメが?
「男ってさ、お前が思ってるほど最低な奴ばっかじゃないぜ。身近にいたのがあんな最低な男だったから説得力ないかもだけど……」
オトメの中で男イコール兄貴になってるならそれは違うってことを俺は声を大にして言いたい。
「まぁこの学園じゃどいつか男かすらまともにわからないけど、わからないから拒絶するんじゃなくて――わからないから受け入れることから始めてみない? 俺も、そうする」
「わからないから、受け入れる?」
俺が偉そうにこんなこと言える立場じゃないんだけど、それがこの学園で三年間楽しくやっていく手段なんじゃないかな、と最近思うようになった。
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ちょっとずつでいいから、まずは性別とかじゃなくてその人間を受け入れることから始めればいいと思うんだ。恋愛対象とかになるとまた話は別だけど!
「じゃあ、男嫌い克服するのあんたが一緒に手伝ってよ」
「えっ! 俺が?」
今日はオトメの口から予想外な言葉ばかりが飛び出す。
オトメの男嫌い克服を男の俺が手伝うって、俺は何すればいいんだ?
「少なくともあんたは――あたしが嫌いじゃない男第一号になったんだから」
少し照れくさそうにオトメは言うと、そのまま俺を真っ直ぐ見据えた。
その目は今まで見た憎しみがこもった目でも汚物を見るような目でもなくて、純粋な、そのままの綺麗なオトメの目だった。
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