総務部人事課慰労係

たみやえる

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 状況に動きがあったのは翌朝だった。

 状況って何の? って、思った? それはね……。


 私のことだよ!
 今日もいそいそ皆勤賞。真面目で可愛いオフィスレディ(オフィスレディじゃ古いかな? でもキャリアウーマンって自称するのはおこがましい)こと私、伊豆川遥香はるかが研究企画課の自分の席で仕事し始めたその時。

 ドアが開いて、入ってきたのは氷雨先輩。拉致られたんだ! 田中さんと、石井さんの目の前で!

「ちょ……なんなんですか。私っ、仕事中だったのに」
って、抗議しても先輩は全然聞く耳持たずに私の手首を掴んでズンズン行く……。

研究企画課あっちには話は通してある。イズっちゃんは今から慰労課うちに戻るの」

「ま、まって。千賀さんのことで……なんかおかしいんだ。この間だって知らない男の人とレンとで三人して会ってて……」

「それは昨日の夜、聞いた」

 うそっ。車の中でも部屋に戻ってからも、ずーっと無言で、私、一生懸命説明してたのに……まるで壁に話しかけいてるみたいだったんだけどっ!

 ……私がレンのパシリの王子様にキスされたことがそんなに気に食わなかったのかな?
 ……もしかして先輩、私のことスキ?……なんじゃね?

なーんて甘い想像が、ひえっと声を上げて逃げ出すくらいに冷えひえで取り付く島もない態度でしたけど?!



 研究棟を出て、南社屋につづく小道を行く途中で向こうから千賀氏が歩いてくる。私は先輩の手を思い切り振り払った。手首がジンジンと熱かった。敷地内の木々にとまったクマゼミの鳴き声が急にシャンシャン降ってきた気がした。蝉の声なんてさっきまでただの背景と一緒だったのに。私の手掴んだ形のまま勢いで数歩先まで歩いた先輩が引き返してきて、腕をつかまれた。

「それに、まだ千賀氏と親しくなれてない」

と、私、言いながら思い切り腕を振って先輩の手をはたき落としてやった。先輩から少しだけ離れて距離をとる。だって千賀氏がきたんだもん。

 目の前を横切っていく千賀氏に目顔で(おはようございます)って挨拶する。彼が行き過ぎると先輩が小声で、
「勤務中に二人でお出かけするくらいには親しくなっただろ」
と言ってきた。

(嫌味な言い方!)

「あれは、たまたまで……っ」

 ちら、と振り返ると、千賀氏は研究棟に入っていくところだった。ふと隣を見上げればしかめ面した先輩も千賀氏の方を見ていた。私の視線に気づくとプイッてそっぽ向いちゃってさ。

「お前のこと、放し飼いにしておく余裕がなくなった」

(なんだ、それ。私、犬猫じゃないんだけど!)
  不満たっぷりぷぅっと膨らませてる私のほっぺたをつついてくる先輩の指から顔を背けるとまたつつかれる、を繰り返していると、

「ああ、二人ともこんなところにいたんですか」

と言いながら課長が汗まみれの顔を、ハンカチで拭き拭き小走りに現れた。

「氷雨君、君は戻らなくちゃいけないでしょう。 伊豆川さんは私が引き受けます。急いで戻ってください」

 それに無言の先輩が一瞬見せた鋭い視線に課長はちょっと怯んだ。けれど、課長はえへんえへんと空咳をして、

「……命令ですよ」
と言う。

「……チッ……」

と先輩が舌打ちする。

 せんぱーい……。

 上司に対する態度じゃありませんよぅ……。

 なーんて私の心の声なんてもちろん先輩に届くはずもなく。

 先輩は両手をズボンのポケットに突っ込み私たちに背を向けスタスタ南社屋へ行ってしまう。と、なぜかまた引き返してきた。何か言おうとした課長をさっと手で制して私を見つめてきた。

 気に食わない。昨日の夜からの私に対する態度も、今の先輩の行動もぜーんぶ気に食わない。だから目を合わせたりするもんかって何度も角度を変えて覗き込んでくる先輩のこと全力で無視したっていうのにさ。

 「イズっちゃん」ってかけてくる声がいつもと違って頼りないんだもん。

 仕方なく視線を上げると、先輩のはしばみ色の瞳に私が映ってた。

 私怒っているのに。

 つい、(飴玉みたいな綺麗な色……)なーんて思っちゃう。

「……俺、当分家に帰れねぇかもだけど、間違っても他所よその男、部屋に上げたりしないでよ」

(はぁっ?)

 なぜ、そうなる? というか、私がそんなことするって、この人本気で思ってるの? 居候の身でそんなことできるワケないじゃん!

 私が黙ったままでいると、

「返事は?」

って、催促された。先輩の顔がゆっくり近づいてくる。よけなきゃ、って思うのに動けない。だって。

(なんで……。なんで、そんなで見るの? 先輩)

 喉の奥に何か空気の塊でも詰まったみたい。声が出てこないの。

 そしたら先輩何を思ったのか……フワって。

 えーと……フワって、その。

 キス、してきたんだ!

 ……唇を軽く押し当てるだけの軽いやつだったけどさ。

 先輩が離れたら何故かようやく声を出すことができて。

「……ヒャハ……、はい」

  課長の目の前で、しかも会社の敷地内で、するかなー?

 この人ホントっ、信じられない!

 ……って固まってると、また唇に、ちゅ、ってされた。

「ガッチリ俺のテリトリー部屋でなら、我慢きくけどさぁ」
って、先輩。

 キスされたことを受け入れているワケじゃない。勝手なことしないでよ、って思ってる。でも、体が……奥の方から小刻みに震えて、抵抗する気が湧いてこない。

「俺、外ではが緩まないように、かなり自制してるってお前、知ってた?」

 また先輩の顔が近づいてくる。三回目のキスの予感に私はギュッと目をつむった。

  でも今度は先輩の吐息が私の唇を熱く撫でただけ。

 思わずため息が出てしまった。

 すると、

「コイツの意味、忘れんじゃねぇよ」

と先輩の手が私の髪の中に差し入れられ、無遠慮に私の耳のピアスをひと撫でしていったんだ。

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