28 / 75
8-1
しおりを挟む
先輩が帰って来なくなって一ヶ月経った。
いや、実際には帰ってきてないわけじゃない。多分、私が仕事している時間とか、夜中、寝ている間なんかに、ちょこちょこ帰ってきているみたいだった。着替えや仕事で必要なものを取りに来てるんだろう。私が仕事から帰ると、テレビリモコンが朝と違う場所に移動していたり、先輩のマグカップがキッチンの水切りラックに逆さまに置いてあったりする。
そんな、ほんの少しだけ残された氷雨先輩の痕跡を見つけるたび、
(なぁんだ。帰ってんじゃん)
と、先輩の姿を探してしまった。ドアというドアを開いて回って、やっぱりこの広い部屋に私一人なんだって思い知らされ、がっかりするんだ。
今、世の中はお盆休みというやつ。
うちの会社も例に漏れず、こういう状況だけど、十連休だ。
休みに入って時間に余裕ができるとかえってモヤモヤが加速した。朝からずーっとこの部屋にいるせい。なら、実家に帰ってしまえば良いのに、(今日は帰ってくるかも……)と理由のない期待をして、部屋を空けるわけにいかないって思ってしまう……。
あの夜、社長然としていた氷雨先輩の姿を頭に思い浮かべた私。
(社長なんだもん。会社の危機に家に帰ってのんびりなんてできないよね)
と自分に言い聞かせた次の瞬間には、
(私のこと、少しくらい気にして顔見せてくれても良いのに)
と、心の中ぐちぐちと文句を言っている。
最初の三日間はレンタルビデオで海外ドラマをたんまりと借りて来たのを、テレビの前、タオルケットにくるまったままごろごろして観た。自分の部屋に戻らず夜もビデオ見ながら床の上で寝落ち。四日目の朝は、スマホの音で目が覚めた。フローリングにほっぺたくっつけたままの姿勢で画面を確認すると、母からだった。
「あんたねー、いくら彼氏とラブラブだからって、お盆休みくらいは家に顔見せなさいよ」
出るなり小言を言われた。
「彼氏じゃないし」
「またまた。あんたがそっち行く前。彼、ちゃーんとうちに挨拶しに来てくれたんだからね!」
寝起きのせいか、まだ頭にモヤがかかっていた。耳では母の言葉を聞いているのに理解が追いつかない。私が「ふうん」と言うと、母はため息をつき「とにかく、帰ってきなさいよ!」と、さっさと通話を切ってしまった。
仕方なく起きて着替え始めるとまたスマホが鳴った。どうせ母だと私はろくに画面も見ずに、
「もー。今、支度してるし」
と電話に出たら。
「伊豆川、ちょっと出てこられる?」
今度こそ目が覚めた。
……久々の、田中さんの声だったんだもん。
田中さんに呼ばれたファミレスに入ると、大きなガラスの窓際、黄色いL字型のソファ席に、田中さんと石井さんが並んで座っている。「こっち、こっち!」と石井さんが手招きした。
テーブルには、山盛りのフライドポテト、分厚いクラブハウスサンドの間にはレタストマト、油でテラテラ光る分厚いベーコンが飛び出ていた。それから、オレンジジュースとアイスコーヒー。朝ごはんには遅いし昼食には早すぎる時間だけど、彼女たちは食べる気満々らしい。
二人の向かい側の椅子に座った私がメロンソーダを注文し終えると、田中さんが私の方に身を乗り出した。ぽってりとした顎を組んだ手の甲に乗せて射すくめられると、それだけで私動けなくなっちゃう。ひぇ~、相変わらず迫力があるなぁ。
「……で。伊豆川はどっち派なの?」
と開口一番聞かれた私は、話の意図が見えなくて、
「は?」
と聞き返していた。
「社長派か、専務派かってこと!」
と石井さんに補足されても、やっぱりわかんないよ。
は? ……派ぁ?
「社内はね。今、真っ二つなの」
と田中さん。
「要するに、買収反対派と容認派に割れているんです。ちなみに買収反対派が専務。容認派が社長。長期休暇中の今は、両陣営がどちらにも与しない日和見派を取り込もうと躍起になっているところです」
「専務を代表とした反対派。一部の役員と、昔からいる社員……特に製造部門は買収に反対している。専務は社長のこと、認めてないしね」
「専務と社長って仲悪いんですか」
「ガクッ。仲悪いとか、小学校のクラスの力関係じゃないんだから……」
呆れた感じで石井さんはそう言ったけど、表情は硬かった。田中さんが喋り出す。
「専務はね、お兄さんで創業者の会長のこと、すごく尊敬してるのよ。本音ではきっと、ずぅーっと会長に社長でいて欲しかったんだと思う。要するにブラコン」
以前に食堂で会った専務の顔を思い浮かべた。見た感じはハキハキして自立した大人の女性だったけどなぁ。ブラコン? マジ?
「……でも、会長は六十歳を前に会長職に退いて、養子である今の社長に会社を譲ってしまった」
いや、実際には帰ってきてないわけじゃない。多分、私が仕事している時間とか、夜中、寝ている間なんかに、ちょこちょこ帰ってきているみたいだった。着替えや仕事で必要なものを取りに来てるんだろう。私が仕事から帰ると、テレビリモコンが朝と違う場所に移動していたり、先輩のマグカップがキッチンの水切りラックに逆さまに置いてあったりする。
そんな、ほんの少しだけ残された氷雨先輩の痕跡を見つけるたび、
(なぁんだ。帰ってんじゃん)
と、先輩の姿を探してしまった。ドアというドアを開いて回って、やっぱりこの広い部屋に私一人なんだって思い知らされ、がっかりするんだ。
今、世の中はお盆休みというやつ。
うちの会社も例に漏れず、こういう状況だけど、十連休だ。
休みに入って時間に余裕ができるとかえってモヤモヤが加速した。朝からずーっとこの部屋にいるせい。なら、実家に帰ってしまえば良いのに、(今日は帰ってくるかも……)と理由のない期待をして、部屋を空けるわけにいかないって思ってしまう……。
あの夜、社長然としていた氷雨先輩の姿を頭に思い浮かべた私。
(社長なんだもん。会社の危機に家に帰ってのんびりなんてできないよね)
と自分に言い聞かせた次の瞬間には、
(私のこと、少しくらい気にして顔見せてくれても良いのに)
と、心の中ぐちぐちと文句を言っている。
最初の三日間はレンタルビデオで海外ドラマをたんまりと借りて来たのを、テレビの前、タオルケットにくるまったままごろごろして観た。自分の部屋に戻らず夜もビデオ見ながら床の上で寝落ち。四日目の朝は、スマホの音で目が覚めた。フローリングにほっぺたくっつけたままの姿勢で画面を確認すると、母からだった。
「あんたねー、いくら彼氏とラブラブだからって、お盆休みくらいは家に顔見せなさいよ」
出るなり小言を言われた。
「彼氏じゃないし」
「またまた。あんたがそっち行く前。彼、ちゃーんとうちに挨拶しに来てくれたんだからね!」
寝起きのせいか、まだ頭にモヤがかかっていた。耳では母の言葉を聞いているのに理解が追いつかない。私が「ふうん」と言うと、母はため息をつき「とにかく、帰ってきなさいよ!」と、さっさと通話を切ってしまった。
仕方なく起きて着替え始めるとまたスマホが鳴った。どうせ母だと私はろくに画面も見ずに、
「もー。今、支度してるし」
と電話に出たら。
「伊豆川、ちょっと出てこられる?」
今度こそ目が覚めた。
……久々の、田中さんの声だったんだもん。
田中さんに呼ばれたファミレスに入ると、大きなガラスの窓際、黄色いL字型のソファ席に、田中さんと石井さんが並んで座っている。「こっち、こっち!」と石井さんが手招きした。
テーブルには、山盛りのフライドポテト、分厚いクラブハウスサンドの間にはレタストマト、油でテラテラ光る分厚いベーコンが飛び出ていた。それから、オレンジジュースとアイスコーヒー。朝ごはんには遅いし昼食には早すぎる時間だけど、彼女たちは食べる気満々らしい。
二人の向かい側の椅子に座った私がメロンソーダを注文し終えると、田中さんが私の方に身を乗り出した。ぽってりとした顎を組んだ手の甲に乗せて射すくめられると、それだけで私動けなくなっちゃう。ひぇ~、相変わらず迫力があるなぁ。
「……で。伊豆川はどっち派なの?」
と開口一番聞かれた私は、話の意図が見えなくて、
「は?」
と聞き返していた。
「社長派か、専務派かってこと!」
と石井さんに補足されても、やっぱりわかんないよ。
は? ……派ぁ?
「社内はね。今、真っ二つなの」
と田中さん。
「要するに、買収反対派と容認派に割れているんです。ちなみに買収反対派が専務。容認派が社長。長期休暇中の今は、両陣営がどちらにも与しない日和見派を取り込もうと躍起になっているところです」
「専務を代表とした反対派。一部の役員と、昔からいる社員……特に製造部門は買収に反対している。専務は社長のこと、認めてないしね」
「専務と社長って仲悪いんですか」
「ガクッ。仲悪いとか、小学校のクラスの力関係じゃないんだから……」
呆れた感じで石井さんはそう言ったけど、表情は硬かった。田中さんが喋り出す。
「専務はね、お兄さんで創業者の会長のこと、すごく尊敬してるのよ。本音ではきっと、ずぅーっと会長に社長でいて欲しかったんだと思う。要するにブラコン」
以前に食堂で会った専務の顔を思い浮かべた。見た感じはハキハキして自立した大人の女性だったけどなぁ。ブラコン? マジ?
「……でも、会長は六十歳を前に会長職に退いて、養子である今の社長に会社を譲ってしまった」
0
あなたにおすすめの小説
拾われ子のスイ
蒼居 夜燈
ファンタジー
【第18回ファンタジー小説大賞 奨励賞】
記憶にあるのは、自分を見下ろす紅い眼の男と、母親の「出ていきなさい」という怒声。
幼いスイは故郷から遠く離れた西大陸の果てに、ドラゴンと共に墜落した。
老夫婦に拾われたスイは墜落から七年後、二人の逝去をきっかけに養祖父と同じハンターとして生きていく為に旅に出る。
――紅い眼の男は誰なのか、母は自分を本当に捨てたのか。
スイは、故郷を探す事を決める。真実を知る為に。
出会いと別れを繰り返し、命懸けの戦いを繰り返し、喜びと悲しみを繰り返す。
清濁が混在する世界に、スイは何を見て何を思い、何を選ぶのか。
これは、ひとりの少女が世界と己を知りながら成長していく物語。
※週2回(木・日)更新。
※誤字脱字報告に関しては感想とは異なる為、修正が済み次第削除致します。ご容赦ください。
※カクヨム様にて先行公開(登場人物紹介はアルファポリス様でのみ掲載)
※表紙画像、その他キャラクターのイメージ画像はAIイラストアプリで作成したものです。再現不足で色彩の一部が作中描写とは異なります。
※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました
蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈
絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。
絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!!
聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ!
ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!!
+++++
・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)
【完結】姉は聖女? ええ、でも私は白魔導士なので支援するぐらいしか取り柄がありません。
猫屋敷 むぎ
ファンタジー
誰もが憧れる勇者と最強の騎士が恋したのは聖女。それは私ではなく、姉でした。
復活した魔王に侯爵領を奪われ没落した私たち姉妹。そして、誰からも愛される姉アリシアは神の祝福を受け聖女となり、私セレナは支援魔法しか取り柄のない白魔導士のまま。
やがてヴァルミエール国王の王命により結成された勇者パーティは、
勇者、騎士、聖女、エルフの弓使い――そして“おまけ”の私。
過去の恋、未来の恋、政略婚に揺れ動く姉を見つめながら、ようやく私の役割を自覚し始めた頃――。
魔王城へと北上する魔王討伐軍と共に歩む勇者パーティは、
四人の魔将との邂逅、秘められた真実、そしてそれぞれの試練を迎え――。
輝く三人の恋と友情を“すぐ隣で見つめるだけ”の「聖女の妹」でしかなかった私。
けれど魔王討伐の旅路の中で、“仲間を支えるとは何か”に気付き、
やがて――“本当の自分”を見つけていく――。
そんな、ちょっぴり切ない恋と友情と姉妹愛、そして私の成長の物語です。
※本作の章構成:
第一章:アカデミー&聖女覚醒編
第二章:勇者パーティ結成&魔王討伐軍北上編
第三章:帰郷&魔将・魔王決戦編
※「小説家になろう」にも掲載(異世界転生・恋愛12位)
※ アルファポリス完結ファンタジー8位。応援ありがとうございます。
さようならの定型文~身勝手なあなたへ
宵森みなと
恋愛
「好きな女がいる。君とは“白い結婚”を——」
――それは、夢にまで見た結婚式の初夜。
額に誓いのキスを受けた“その夜”、彼はそう言った。
涙すら出なかった。
なぜなら私は、その直前に“前世の記憶”を思い出したから。
……よりによって、元・男の人生を。
夫には白い結婚宣言、恋も砕け、初夜で絶望と救済で、目覚めたのは皮肉にも、“現実”と“前世”の自分だった。
「さようなら」
だって、もう誰かに振り回されるなんて嫌。
慰謝料もらって悠々自適なシングルライフ。
別居、自立して、左団扇の人生送ってみせますわ。
だけど元・夫も、従兄も、世間も――私を放ってはくれないみたい?
「……何それ、私の人生、まだ波乱あるの?」
はい、あります。盛りだくさんで。
元・男、今・女。
“白い結婚からの離縁”から始まる、人生劇場ここに開幕。
-----『白い結婚の行方』シリーズ -----
『白い結婚の行方』の物語が始まる、前のお話です。
エリート警察官の溺愛は甘く切ない
日下奈緒
恋愛
親が警察官の紗良は、30歳にもなって独身なんてと親に責められる。
両親の勧めで、警察官とお見合いする事になったのだが、それは跡継ぎを産んで欲しいという、政略結婚で⁉
【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く
ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。
5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。
夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる