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先輩が帰って来なくなって一ヶ月経った。
いや、実際には帰ってきてないわけじゃない。多分、私が仕事している時間とか、夜中、寝ている間なんかに、ちょこちょこ帰ってきているみたいだった。着替えや仕事で必要なものを取りに来てるんだろう。私が仕事から帰ると、テレビリモコンが朝と違う場所に移動していたり、先輩のマグカップがキッチンの水切りラックに逆さまに置いてあったりする。
そんな、ほんの少しだけ残された氷雨先輩の痕跡を見つけるたび、
(なぁんだ。帰ってんじゃん)
と、先輩の姿を探してしまった。ドアというドアを開いて回って、やっぱりこの広い部屋に私一人なんだって思い知らされ、がっかりするんだ。
今、世の中はお盆休みというやつ。
うちの会社も例に漏れず、こういう状況だけど、十連休だ。
休みに入って時間に余裕ができるとかえってモヤモヤが加速した。朝からずーっとこの部屋にいるせい。なら、実家に帰ってしまえば良いのに、(今日は帰ってくるかも……)と理由のない期待をして、部屋を空けるわけにいかないって思ってしまう……。
あの夜、社長然としていた氷雨先輩の姿を頭に思い浮かべた私。
(社長なんだもん。会社の危機に家に帰ってのんびりなんてできないよね)
と自分に言い聞かせた次の瞬間には、
(私のこと、少しくらい気にして顔見せてくれても良いのに)
と、心の中ぐちぐちと文句を言っている。
最初の三日間はレンタルビデオで海外ドラマをたんまりと借りて来たのを、テレビの前、タオルケットにくるまったままごろごろして観た。自分の部屋に戻らず夜もビデオ見ながら床の上で寝落ち。四日目の朝は、スマホの音で目が覚めた。フローリングにほっぺたくっつけたままの姿勢で画面を確認すると、母からだった。
「あんたねー、いくら彼氏とラブラブだからって、お盆休みくらいは家に顔見せなさいよ」
出るなり小言を言われた。
「彼氏じゃないし」
「またまた。あんたがそっち行く前。彼、ちゃーんとうちに挨拶しに来てくれたんだからね!」
寝起きのせいか、まだ頭にモヤがかかっていた。耳では母の言葉を聞いているのに理解が追いつかない。私が「ふうん」と言うと、母はため息をつき「とにかく、帰ってきなさいよ!」と、さっさと通話を切ってしまった。
仕方なく起きて着替え始めるとまたスマホが鳴った。どうせ母だと私はろくに画面も見ずに、
「もー。今、支度してるし」
と電話に出たら。
「伊豆川、ちょっと出てこられる?」
今度こそ目が覚めた。
……久々の、田中さんの声だったんだもん。
田中さんに呼ばれたファミレスに入ると、大きなガラスの窓際、黄色いL字型のソファ席に、田中さんと石井さんが並んで座っている。「こっち、こっち!」と石井さんが手招きした。
テーブルには、山盛りのフライドポテト、分厚いクラブハウスサンドの間にはレタストマト、油でテラテラ光る分厚いベーコンが飛び出ていた。それから、オレンジジュースとアイスコーヒー。朝ごはんには遅いし昼食には早すぎる時間だけど、彼女たちは食べる気満々らしい。
二人の向かい側の椅子に座った私がメロンソーダを注文し終えると、田中さんが私の方に身を乗り出した。ぽってりとした顎を組んだ手の甲に乗せて射すくめられると、それだけで私動けなくなっちゃう。ひぇ~、相変わらず迫力があるなぁ。
「……で。伊豆川はどっち派なの?」
と開口一番聞かれた私は、話の意図が見えなくて、
「は?」
と聞き返していた。
「社長派か、専務派かってこと!」
と石井さんに補足されても、やっぱりわかんないよ。
は? ……派ぁ?
「社内はね。今、真っ二つなの」
と田中さん。
「要するに、買収反対派と容認派に割れているんです。ちなみに買収反対派が専務。容認派が社長。長期休暇中の今は、両陣営がどちらにも与しない日和見派を取り込もうと躍起になっているところです」
「専務を代表とした反対派。一部の役員と、昔からいる社員……特に製造部門は買収に反対している。専務は社長のこと、認めてないしね」
「専務と社長って仲悪いんですか」
「ガクッ。仲悪いとか、小学校のクラスの力関係じゃないんだから……」
呆れた感じで石井さんはそう言ったけど、表情は硬かった。田中さんが喋り出す。
「専務はね、お兄さんで創業者の会長のこと、すごく尊敬してるのよ。本音ではきっと、ずぅーっと会長に社長でいて欲しかったんだと思う。要するにブラコン」
以前に食堂で会った専務の顔を思い浮かべた。見た感じはハキハキして自立した大人の女性だったけどなぁ。ブラコン? マジ?
「……でも、会長は六十歳を前に会長職に退いて、養子である今の社長に会社を譲ってしまった」
いや、実際には帰ってきてないわけじゃない。多分、私が仕事している時間とか、夜中、寝ている間なんかに、ちょこちょこ帰ってきているみたいだった。着替えや仕事で必要なものを取りに来てるんだろう。私が仕事から帰ると、テレビリモコンが朝と違う場所に移動していたり、先輩のマグカップがキッチンの水切りラックに逆さまに置いてあったりする。
そんな、ほんの少しだけ残された氷雨先輩の痕跡を見つけるたび、
(なぁんだ。帰ってんじゃん)
と、先輩の姿を探してしまった。ドアというドアを開いて回って、やっぱりこの広い部屋に私一人なんだって思い知らされ、がっかりするんだ。
今、世の中はお盆休みというやつ。
うちの会社も例に漏れず、こういう状況だけど、十連休だ。
休みに入って時間に余裕ができるとかえってモヤモヤが加速した。朝からずーっとこの部屋にいるせい。なら、実家に帰ってしまえば良いのに、(今日は帰ってくるかも……)と理由のない期待をして、部屋を空けるわけにいかないって思ってしまう……。
あの夜、社長然としていた氷雨先輩の姿を頭に思い浮かべた私。
(社長なんだもん。会社の危機に家に帰ってのんびりなんてできないよね)
と自分に言い聞かせた次の瞬間には、
(私のこと、少しくらい気にして顔見せてくれても良いのに)
と、心の中ぐちぐちと文句を言っている。
最初の三日間はレンタルビデオで海外ドラマをたんまりと借りて来たのを、テレビの前、タオルケットにくるまったままごろごろして観た。自分の部屋に戻らず夜もビデオ見ながら床の上で寝落ち。四日目の朝は、スマホの音で目が覚めた。フローリングにほっぺたくっつけたままの姿勢で画面を確認すると、母からだった。
「あんたねー、いくら彼氏とラブラブだからって、お盆休みくらいは家に顔見せなさいよ」
出るなり小言を言われた。
「彼氏じゃないし」
「またまた。あんたがそっち行く前。彼、ちゃーんとうちに挨拶しに来てくれたんだからね!」
寝起きのせいか、まだ頭にモヤがかかっていた。耳では母の言葉を聞いているのに理解が追いつかない。私が「ふうん」と言うと、母はため息をつき「とにかく、帰ってきなさいよ!」と、さっさと通話を切ってしまった。
仕方なく起きて着替え始めるとまたスマホが鳴った。どうせ母だと私はろくに画面も見ずに、
「もー。今、支度してるし」
と電話に出たら。
「伊豆川、ちょっと出てこられる?」
今度こそ目が覚めた。
……久々の、田中さんの声だったんだもん。
田中さんに呼ばれたファミレスに入ると、大きなガラスの窓際、黄色いL字型のソファ席に、田中さんと石井さんが並んで座っている。「こっち、こっち!」と石井さんが手招きした。
テーブルには、山盛りのフライドポテト、分厚いクラブハウスサンドの間にはレタストマト、油でテラテラ光る分厚いベーコンが飛び出ていた。それから、オレンジジュースとアイスコーヒー。朝ごはんには遅いし昼食には早すぎる時間だけど、彼女たちは食べる気満々らしい。
二人の向かい側の椅子に座った私がメロンソーダを注文し終えると、田中さんが私の方に身を乗り出した。ぽってりとした顎を組んだ手の甲に乗せて射すくめられると、それだけで私動けなくなっちゃう。ひぇ~、相変わらず迫力があるなぁ。
「……で。伊豆川はどっち派なの?」
と開口一番聞かれた私は、話の意図が見えなくて、
「は?」
と聞き返していた。
「社長派か、専務派かってこと!」
と石井さんに補足されても、やっぱりわかんないよ。
は? ……派ぁ?
「社内はね。今、真っ二つなの」
と田中さん。
「要するに、買収反対派と容認派に割れているんです。ちなみに買収反対派が専務。容認派が社長。長期休暇中の今は、両陣営がどちらにも与しない日和見派を取り込もうと躍起になっているところです」
「専務を代表とした反対派。一部の役員と、昔からいる社員……特に製造部門は買収に反対している。専務は社長のこと、認めてないしね」
「専務と社長って仲悪いんですか」
「ガクッ。仲悪いとか、小学校のクラスの力関係じゃないんだから……」
呆れた感じで石井さんはそう言ったけど、表情は硬かった。田中さんが喋り出す。
「専務はね、お兄さんで創業者の会長のこと、すごく尊敬してるのよ。本音ではきっと、ずぅーっと会長に社長でいて欲しかったんだと思う。要するにブラコン」
以前に食堂で会った専務の顔を思い浮かべた。見た感じはハキハキして自立した大人の女性だったけどなぁ。ブラコン? マジ?
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