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女戦士様と冒険 2

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 五日後。
 私は、新しいプールポワンを持って、冒険者のたむろする酒場兼宿屋である『山兎やまうさぎ』という店の前に立った。
 まだ夕刻であるのに、賑わっている。
 扉を開けると、酒の匂いと、うまそうなスープの匂いが鼻孔をくすぐった。
 店内は、すでに灯りが灯され、食事をとる冒険者や、既に酔っぱらっている連中でテーブルが埋まっていた。
 当たりを見回していると、なんだか注目を浴びている。私のような(一応)堅気の職人は、明らかに浮いているのだろう。
「ねえ、君、誰かお探し?」
 頭の中まで軽そうな口調で、いかにも初心者っぽい冒険者に声をかけられた。
 動きが素人である。大方初仕事が上手くいって、勇者にでもなった気分なのだろう。
 かなり酒臭い。正直、かかわりたくないタイプだ。
「約束がありますので」
 軽くいなして、私は、酒場のカウンターのほうへ回る。
 カウンターでは、髭の生えた渋めの店主がグラスを磨いていた。
「なあ、いっしょに飲まないか? おごるよ」
 約束があると言ったのに冒険者Aは、ついてきた。
 このタイプは無視するに限る。
 私は店主に声をかけた。
「リィナ・バルさんに、お会いしたいのですが?」
「リィナね。そっちの奥にいると思うが」
 店主の指さす方に目をやると、酒盛りが始まっている喧噪の向こうに静かなテーブル席が見える。
 私は礼を述べると、そちらへ足を向けた。
「……レグルスさまだわ」
 リィナがいると思われるテーブルの近くに、遠くからもそうとわかる、銀髪の男がいた。
 酒を飲む彼は、一人ではなかった。
 栗色の髪の色っぽい女性が彼にしなだれかかっている。早春にしては大胆すぎる胸元の開いたドレス。
 どうやら、女性はレグルスを誘惑しようとしているようで、豊満な胸をレグルスに押し付けるようにすわっていた。大人な世界だ。
 邪魔したら駄目な感じ。挨拶に行くのは野暮だ。
「ねぇ、彼女、無視するなって」
 突然、腕をつかまれて振り返る。
 冒険者Aだ。すっかり忘れていた。
「離して頂けませんか?」
 一応、丁寧にお願いしてみる。
 この程度の腕の人間なら、何も魔術に頼らずとも振りほどけるのだが、さすがに、騒ぎを起こしたくない。
「そう言わずに、俺とイイコトしようぜ、絶対後悔させねえから」
 男が体を寄せて、耳元で囁く。
 酒の匂いが気持ち悪い。
「離してください!」
 男の手を振り払おうとした瞬間、反対側から腰をグイっとひかれ、体をフォールドされた。
「ひゃっ」
 思わず悲鳴を上げる。
  背中に自分のものでない体温を感じた。
「レ、レグルスさん」
 私をつかんでいた男の顔が青ざめ、突然両手を上げる。
 振り返ると、銀髪の美形が至近距離でニコリと微笑む。
「オレの女に何か用か?」
 誰が誰の女になったのか。
 予想外の展開だけれど。
「申し訳ありません!」
 冒険者Aは謝罪しながら、泣いて逃げて行った。
 きっと、彼の酔いはあっという間に冷めてしまったに違いない。
「ありがとうございます?」
「どうして疑問形なのかな?」
 お礼を言って離れようとしたけれど、後ろを完全に抱きしめられる形になっていて、逃げられない。
 正直、さっきの男なら振りほどけたが、レグルスは無理だ。
 状況は悪化したともいえる。
「離して頂けないでしょうか? レグルスさま」
「嫌って言ったら、どうするの? アリサ」
 レグルスは楽しそうだ。
 周りは見ているだけだし、レグルスの連れの艶やかな女性が私をにらみつけている。
 勘弁してほしい。
「紳士でいらっしゃるレグルスさまは、そのようなことはおっしゃらないと思います」
「アリサは上手いねえ」
 レグルスは笑いながら、ようやく離してくれた。
「アリサは、オレに会いに来てくれたの?」
「違います」
 私は首を振る。
「そもそも、レグルスさまがここにいらっしゃることも知らなかったですし」
「だったら、もっといろいろ知ってもらおうかな」
 レグルスは私を自分の席のほうへエスコートしようとする。
 連れの女性の視線がとても怖い。
「私は知り合いに用事がありますし、レグルスさまもお連れのかたがいらっしゃるようですから、今日のところはこの辺で」
「知り合いって、誰?」
 ぎろりと、レグルスは私を見る。その視線が怖い。
 眼光で殺されそうだ。
「アリサ!」
 その時、奥のテーブルから、可愛らしい声が私を呼んだ。
「リィナ!」
 ほっとして、彼女に手を振り返す。
「その表情、マジで反則」
 私の横で、レグルスが小さく呟いた。



「アリサ、レグルス様とお知り合いなの?」
 テーブルに座ると、いきなりリィナは聞いてきた。
 興味津々、と言った感じである。
 テーブルには、私とリィナの他に、もう一人、華奢な女性が座っていた。
 リィナのパートナーだろうか。
「レグルスさまは、お客さまなのです」
「高級防魔服の仕立て屋さんって、すごいなあ」
 華奢な女性が目を丸くする。
 レグルスは、彼女たち冒険者にとって、憧れのひとなのだろう。
 多少、女癖は悪そうだけれど、基本的にいい人っぽいし、腕もいい。なんといっても、美形だ。
「初めまして。アタイはダリア。リィナとコンビを組んでいるわ」
 スラリとしたダリアは、手を差し出して、ウインクした。目がクリッと大きくて、小動物的な愛らしさがある。
 焦げ茶色の髪は短くくせっ毛で、首がすらりと長い。リィナが妖艶なら、彼女はキュートな女性だ。
「アリサ・ラムシードです」
 私は彼女の手を握り返した。
 例によって、女性の友達のいない私は、それだけでドキドキしてしまう。
「これがリィナに頼まれていたプールポワンです」
 私は薄いピンク色の服をテーブルの上に置いた。
「うわあ、可愛い色ね」
 既製品のプールポワンでは、男性を意識したオーソドックスな色を使う。
 テーラーメイドでも、めったに使うことのない色だ。
 だから、せっかくオーダーで作るのだから、リィナのイメージに合う色にしたかった。
「ありがとう。すごいわ。既製品と違って、強力な魔力を感じる!」
 リィナはプールポワンを抱きしめる。
「既製品とは使う糸の種類が違うんです。あと、うちの店のロゴが、オーダーだとアップリケではなく、刺繍になるので、胸元の防魔効果がさらに上がっています。着心地もかなり違うはずです」
 私の説明にリィナは頷いた。
「それで、お値段が全然違うのね」
「はい。製作日数も大幅に違ってきますので」
 『縫う』という行為そのものは変わらないのだが、ひと針に込める集中力や疲労感が全く違う。
 もちろん、既製品でもうちの製品の質は決して粗悪ではない。むしろ良品だと自負しているが、オーダー品は値段以上の品質の差があると思う。
「本当に、一万Gでいいの?」
 リィナがおそるおそる、といった感じで私に聞いてきた。
「ええ。そのかわり、レキサクライに連れていってほしいのです。ダリアさんへの護衛代も四千Gまでなら、ご用意できます」
「いいけど、そこまでして、レキサクライに行くのはなぜ?」
「コルの実を採りに行きたくて」
 それを聞いたリィナとダリアが、顔を見合わせた。
 二人の顔が曇っている。
「ねえ、アリサ、コルの実は入り口近くで採れるわ。でも、魔術が使える人間がいないときついの」
「魔術?」
「そう。コルジの木は、キラービーが巣を作っていることが多くって。たいして強くはないけど、剣で戦うのは厄介なのよ」
 キラービーというのは、巨大な『蜂』だ。気が荒くて、人を襲う。巣や針は、商品価値が高いらしい。
 ただ、空を飛ぶため、近距離武器での戦闘は難しいのだ。
「私では、ダメでしょうか?」
 最初からそう言われる気はして、持ってきたポケットから、魔道ギルドの会員バッチを取り出した。
「これでも、魔力保有Aクラス会員なのですが」
「えー?!」
 二人の声がハモる。その反応にやや罪の意識を感じる。
 実は、魔道ギルドの会員であるには違いないが、正確には魔道ギルド魔力付与職人の部の会員である。
 魔道ギルドはあくまで魔の道を究める人間の総括のギルドであって、厳密には、魔力付与職人と、攻撃魔術などを究める魔術士と、魔道を総合的に究める魔導士の三種類の部門がある。
 いやしくも魔力にかかわる職業に就くものは、魔道ギルドに所属するのが当たり前なのだ。
 門外漢の二人にはわからないだろうが、魔力保有Aクラスといっても、イコール魔術が得意というわけではない。
 もっとも、学生の頃、私は攻撃系魔術だけは、ロバートと張り合える成績だった。
 高度な魔術は使えないが、初期魔術なら問題なく使える(と思う)。
「ただし、三年ほど使っていないのと、実戦経験がないという不安はありますけど」
 下手に売り込んで期待されすぎても困る。
 だが、二人はギルドバッチに見入っていて、聞いていないようだった。
「すごいわ。Aクラスのひとなんて、初めて」
 リィナとダリアは感動している。
 だましているわけではないけれど、ご期待にそえる自信はなくて、不安になった。
「アリサが、Aクラスって、嘘だろ?」
 頭の上から、声が降ってきた。
 リィナとダリアの視線が、私の頭上に集まる。
「人聞きの悪いことを言わないでください。きちんと認定されて会費も払っています」
 私は、口をとがらせ声の主に抗議した。
 しかし、声の主は引き下がる気はないらしい。
「どう考えてもSクラスだろ? クラーク殿もロバートもSじゃないか」
 その言葉に、さらにびっくりした顔でリィナとダリアが私の顔を見る。
「やめてください。私はAです。勘弁してください。会費だって馬鹿にならないんですから」
 魔道ギルドの会員は魔力保有量に応じて、特権と、会費が変わってくる。
 当然、魔力保有が多ければ、特権も多い代わりに会費も高い。
「ふーん。なるほど」
 取りあえず納得したらしい声の主は、私の髪を勝手に手ですき始めた。
 リィナとダリアが羨望の眼差しで、私の頭上を眺めている。
「何か御用ですか? レグルスさま」
 私が見上げると、レグルスはにやりと笑った。
「レキサクライに行くなら、オレが護衛してやるって言ったろ?」
「お断りします。報酬がお支払できません」
「アリサから、金はとらねえよ」
 甘い言葉に頭を抱えこむ。
 ただよりこわいものはない。どうやって断ったらいいのだろう。
「ワイバーン殺しのレグルス様と御一緒できるなんて、夢みたい!」
「伝説の剣さばきが間近で見れるなんて!」
 目の前のリィナとダリアが興奮した様子で、私の手を握りしめる。
「あの、レグルスさまと行くとは言ってないのですけれど」
 二人の女性のテンションに、たじろいでしまう。
 気が付くと、レグルスは私の横の椅子に座っていた。
「レグルスさまに、そこまでしていただく理由がございません」
 二人に落ち着いてもらうように静かに目で制しな柄、断りを入れる。
「オレとアリサの付き合いじゃないか」
「まだ、今日でお会いして三度目ですよ」
 私はため息をついた。
「それに、レグルスさま、お連れのかたは、どうなさったのですか?」
「連れ? ああ、さっきの女? 帰ったよ」
「え?」
 言われて、レグルスのいたテーブルを見れば、先ほどの女性の姿はない。
「誤解するなよ、別にオレが呼んだわけじゃないし。たいして用事があったわけじゃないから」
 いや。彼女はレグルスに絶対用事があったと思う。
 納得して帰っていったのだろうか? 
 私、夜道を歩いて帰って大丈夫か心配になってきた。
「アリサ、いいじゃん。レグルスさまといっしょに行きましょうよ」
 リィナが目をキラキラさせながら、私を見る。
「無料に抵抗があるなら、キスで払ってくれてもいい」
 キャーっと、リィナとダリアが歓声を上げている。
 これって、キスの要求されているのは私じゃないのかな?
 だったらいい? いや、それもまずい。きっと。
「そういうのはダメです。これはビジネスですから」
 私がどんなに言い張っても、リィナとダリアは既に有頂天だ。
 二人にとっては、すでに決定事項になってしまっている。
「アリサ」
 何か思いついたように、レグルスがにやりと私を見て笑った。
 なんだろう。
 笑顔が恐い。
「アリサがレキサクライに行くって、ロバートは知っているの?」
 完敗だ。
 私は、思わず呻く。その言葉には、白旗を振るしかなかった。
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