彼と彼女の十月十日 ~冷徹社長は初恋に溺れる~

幸村真桜

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まさかの事態

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 四月に入り、季節は本格的な春へと変わった。寒さが長引いたせいか、桜の開花が今年は遅れたようで見頃は来週とニュースで何度も流れていた。

 秋良は人と会うために都内のカフェテリアに来ていた。飲み物を注文し、外のテラス席に移動する。ここならきっと、待ち人も自分の存在にすぐ気づくだろう。

 あれから秋良は、結婚の話がなくなったことを言い出せぬまま仕事を辞めた。すぐ新しい職場を探すつもりだったが、そうもいかない事情ができてしまった。

 そのことが発覚したのは、高校時代からの親友である杉浦すぎうらさとみと現況報告のために食事に出かけたときだった。

 さとみとは看護学校も一緒で、助産師の資格を取った彼女は現在、産婦人科で働いている。

 色々なことをがあったせいかやつれてしまった秋良を、さとみは泣きながら抱きしめてくれた。

 ここ最近張りつめていたものが少し和らぐ。今日は奢るから好きなだけ飲んで食べようと意気込むさとみに、秋良は久しぶりに心から笑うことができた。

「ねえ、アキ……なんかおかしくない?」

 秋良の話を聞いて、浩太のことを「あの男埋める、沈める」と散々こき下ろしていてさとみが、唐揚げについていたレモンを齧る姿を見てそう言った。

「酸っぱいもの苦手よね。そんなことするなんてあり得ないし、お通しの酢の物だっていつも私に押し付けるくらいなのに……」

 確かに秋良は昔から酸っぱいものがとにかく苦手だった。付き合いの長い彼女はそのことをよく知っている。

 だが、ここ最近はなぜだか酸味のあるものが食べたくなるのだ。嫌いだった梅干しを家で食べているくらいである。

「そうなんだけど……ストレスのせいかな。なんだかここのところ体調も悪いし。味覚もおかしくなっているのかも」

 おしぼりで手を拭きながら笑う秋良を、さとみは怖いぐらいに真剣な顔で見つめている。

「ねえ、それ……もしかして妊娠してるんじゃない?」

「……え?」

 目を見開いてピタリと動きを止める。まさか、そんなことがあるはずがない。どんな風に体調が悪いの聞かれ、それに答えていくとさとみの表情がどんどん険しくなっていく。

身体の怠さ、熱っぽさ。胃の不快感に味覚の変化。確かにどれも妊娠の初期症状に当てはまるものだ。

「生理はちゃんときてるの?」

「……あっ」

 さとみに指摘されて、さっと血の気が引いた。色々なことがありすぎてまったく気がついていなかったが、もう大分生理が遅れている。

 なんだか怖くなってきて、秋良はぎゅっと両手を握った。

「きてない……けど、きっとホルモンバランスが崩れてるだけだよ」

「そうかもしれないけど、そうじゃないかもしれない。なんにせよ、今まであった生理がないのは異常よ」

 産婦人科で助産師として働く彼女の言葉はなかなか重い。そんな、まさかという思いが頭の中を駆け巡った。

 もし妊娠しているとしたら、相手は冬磨だ。浩太とはしばらくそういう行為はなかったのだから。

 動揺したまま食事どころではなくなって店を出る。泊まっていけという彼女に遠慮する余裕もなく、途中で取ったドラッグストアで必要なものを購入する。それから、さとみの家に向かった。

「明日、うちの病院にかかるとして、とりあえず検査をして」

 いつの間に購入していたのか、家に入るなりさとみは秋良に妊娠検査薬を渡してきた。初めて見るそれに動揺して視線を揺らす。

「で、でも……」

 結果が怖くて数分ごねるが、さとみの無言の圧力に負けてトイレに向かう。しばらくパッケージを見つめていたが、いつまでもこうしていられないと説明書通りに検査を行った。

 心臓が早鐘を打っている。胸が苦しくて仕方がない。そして、結果はあっけないほどにすぐ出た。

「……嘘」

 一分も待つことなく、くっきりと浮き出てきた赤い線についそんな声が漏れる。呆然としながらトイレから出ると、険しい顔をしたさとみが待っていた。

「陽性……だった」

 秋良の言葉を聞いてもさとみは冷静だった。きっと、検査をする前から結果は分かっていたのだろう。青い顔をしている秋良をソファーに座らせて、そっと肩を撫でる。

「……ごめん。今聞くのは酷なことは分かってるけど、どうするの? こうなったら、なんとかして浩太くんと連絡とったほうがいいんじゃない?」

「……浩太の子じゃない」

「……え? ……えぇ!? 嘘でしょう!?」

  さすがにこの答えは予想外だったのだろう。さとみは目が飛び出してしまうのではないかと心配になるほど目を見開いた。

さらに冬磨とのことを話すと、身体を仰け反らせて天を仰ぐ。
せて天を仰ぐ。

「アキが一夜の過ちって……信じられない。ちょっと待って。その人、避妊してくれなかったの?」

「ううん、ちゃんとしてくれてた。だから、私も信じられなくて」

 そう答えたが、正直途中から記憶がない。 あの夜のことは後悔していないが、こうなることは予想外だ。改めて軽率な行動をとってしまったと思う。

「まあ……百パーセントってことはないからね。それで、相手の連絡先は聞いてないの?」

「あ、聞いてる」

 そこでようやく、秋良はあの日捨てられなかった名刺の存在を思い出した。

 慌てて鞄の中を漁り、奥底にあったそれを手に取る。そして初めて冬磨の本名を知った。

みなと冬磨……」

「湊リゾートグループ、代表取締役社長!? ちょっと、相手の男って社長なの!?」

「う、うん。そうだったみたい」

 さとみも驚いているが、秋良の受けている衝撃はそれ以上だ。身なりからそれなりに地位がある人だとは思っていたが、まさか社長だったなんて。

 インターネットで調べると、湊リゾートというのは国内外でいくつもホテルを経営している大企業だった。

 あの日、冬磨が秋良を連れて行ったホテルも湊グループの系列だ。

 社長として掲載されている写真に写っているのは、いささか不機嫌そうではあるが冬磨で間違いない。

「すっごいイケメン……。本当にこの人なの?」

「うん……。私も信じられないけど」

 秋良はあの夜のことを、どこか夢のようだと思っていた。だが、彼の身元がはっきりとしたことでその存在が急にリアルなものになり、戸惑いを覚える。

「プライベートの番号もしっかり書いてあるじゃない。素性も明かしてるし、また会ってとか言われてたの?」

「そうだけど……。でも、身体だけの関係を求められてたのかと思って」

 それは秋良の思い違いだったのだろうか。別れる前、必死な様子だった冬磨のことを思い出す。

「だったら、わざわざ勤務先は明かさないと思うけどね。とにかく、明日うちの病院にかかりましょう。いいわね?」

「はい……」

  そして次の日、秋良はさとみの働く産婦人科を受診した。

 妊娠八週目に入っているという診断を受け、秋良はその日に勇気を振り絞って冬磨に連絡をしたのだった。
 

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