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ハイスぺ男子の秘密とは
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「ここはなんでも美味しいんだけど、しゃぶしゃぶが有名なんだ。細井さんは、蟹は好き?」
「か、蟹!? 大好きです!」
怯えていたくせに好物の名前を振られ、つい過剰に反応してしまう。卑しいと思われたかと心配になるが、むしろ福永は嬉しそうだ。
「それはよかった。じゃあ、神戸牛とずわい蟹のコースと地ビールふたつ。あと、おすすめの一品料理をいくつかお願いします」
「かしこまりました。ご準備させていただきますので、少々お待ち下さい」
美しい所作で礼をした女将が部屋を出て行く。洗練されたその仕草に璃湖はつい見入ってしまった。
「細井さんは、いつもビールだよね。勝手に頼んでしまったけど、大丈夫だったかな?」
「あ、はい。それは、好きなので」
よくそんなことを知っているなと感心する。璃湖が福永と酒の席に同席するのは暑気払いと忘年会の年二回。いつも取り巻きに囲まれている彼には近づいたこともない。これも営業トップに君臨し続けている彼の能力なのだろうか。
「それで、私にご相談というのは⋯⋯」
そう聞くと、福永は困ったように眉を寄せて苦笑いをした。
「ごめん、ちょっと話すのにはお酒の力がいるというか⋯⋯。すごく勇気がいるから、もう少しだけ時間をくれないかな。勝手なことを言ってるのは分かってるんだけど⋯⋯」
心底困っているという様子の福永を見て、璃湖は慌てた。相談の内容が気になりすぎて、少し事を急ぎすぎてしまった。
「ご、ごめんなさい。そうですよね、まずは食事を楽しみましょう」
口にしてから、ご馳走してもらう立場の人間が口にしていい言葉ではないと気づく。失礼なことを言ってしまったと後悔するが、福永は特に気にした様子もなく安心したように微笑んだ。
「ありがとう。細井さんは、本当に優しくていい子だね」
「そ、そんなことは⋯⋯」
あまりに慈愛に満ちた表情で見つめられて、璃湖はドギマギしてしまう。不覚にもときめいてしまって、慌てて下を向く。
彼は無意識なのだろうが、あれは危ない。モテる男の魔力に危うく引き込まれてしまうところだった。
気まずい沈黙が流れる。なにか話さなければと脳内で話題を探していると、ちょうど料理が運ばれてきた。出汁のよい香りが広がり、食材たちと料理がどんどんテーブルに並んでいく。
(お肉! 蟹! なんて美しい!)
赤身と脂身のバランスが素晴らしい霜降りの牛肉に、ぎゅっと身の詰まった蟹に璃湖の目は釘付けになる。給仕していた女性が退室すると、福永が箸を手にした。
「あとは俺がやるから、出来上がるまで細井さんは他のものを食べてて。出汁巻き卵は絶品だよ」
「わあ、美味しそう! でも、先輩に任せてしまうのは⋯⋯。あ、写真だけ撮ってもいいですか? こんな素晴らしい料亭、きっと二度と来られないので」
「それはもちろん、構わないよ。こんなに喜んでくれるなんて、連れてきた甲斐があるな。俺が無理言って誘ったんだから、そんなこと気にしないでゆっくり食べて」
「そうですか? すみません。それじゃあ、お言葉に甘えます」
キラキラと目を輝かせ、出汁巻き卵を幸せそうに口に運ぶ璃湖を見て、福永は柔らかな笑みを浮かべた。しかし、すぐにその表情が暗く沈んだことに、料理に夢中な璃湖はまったく気がつかなかった。
* * *
「ふう⋯⋯。お腹いっぱい。幸せすぎる」
素晴らしい料理たちを堪能し、満足気に腹部を撫でる璃湖に福永はふふっと小さく笑った。
「それならよかった」
ふと福永に視線を向けた璃湖はぎょっと目を見開いた。彼の前に、空いたグラスが十個近くもある。いつの間にそんなに飲んでいたのか、料理に夢中になりすぎてまったく気がついていなかった。
「福永さん、そんなに飲んで大丈夫なんですか? 確か、あまりお酒に強くないんですよね」
いつかの集まりで、群がる女子社員にそう言って断っていたのを見た記憶がある。何度か店員が出入りしていたことを考えると、もっと飲んでいるかもしれない。
「ああ、あれ嘘だから。うち酒豪家系で、家族全員酒に強いんだ。俺も人生で一度も酔ったことがないくらいだから全然平気。だけど飲めるってだけで好きなわけではないから弱いってことにしてるんだ」
なるほど。どれほどの量を飲酒したのかは分からないが、確かに顔色はまったく変わっていない。
「今日はちょっと酔いたかったんだけど⋯⋯。やっぱりいくら飲んでもダメだな」
はあっとため息をつく福永に、一体どれほど飲んだのかと疑問に思う。同時にそれがまったく分からないほど料理に夢中になっていた自分に呆れてしまった。そのくらい美味しかったのだ。
「引かないで聞いてほしいんだけど」
覚悟を決めたように璃湖を見つめた福永だったが、すぐにふいっと視線を背ける。深呼吸を繰り返す福永に、いよいよ本題かと璃湖は姿勢を正した。
「いや、引かれないわけはないんだ。セクハラだと思うかもしれない。いや、確実にセクハラなんだけど。でも、そうじゃなくて。いつも君のことをいやらしい目で見ていたわけではないんだ。俺もちょっと困惑してて。だから軽蔑はしないでほしい⋯⋯わがままなのは分かっているけど、細井さんに嫌われたくないんだ」
「あ、あの、福永さん! ストップ!」
要領を得ないことをグダグダと喋っている福永に痺れを切らした璃湖は、右手を彼の顔の前に伸ばしてそれを制止した。
弾かれたように璃湖を見た福永は、まるで叱られた子どものように不安げに視線を揺らしている。いつも朗らかな彼のそんな姿を見るのは初めてで、とても重い苦悩を抱えていることが伝わってくる。
それを見て、どんなことでも受け入れる覚悟が決まった。だって彼は、璃湖にしか話せないのだと訴えていたから。
璃湖にできることなら、なんでも力になってあげたい。
「落ち着きましょう。とても話しにくいことなのだということはよく分かりました。絶対に引かないし、軽蔑も嫌いになったりもしません。だから、安心して話してください」
言い聞かせるように言うと、福永は今にも泣き出しそうなほど顔を歪めた。
「⋯⋯ありがとう。分かった、俺も腹を決めるね」
声を震わせた福永が数回深呼吸を繰り返す。それでも言いにくそうに何度も口ごもっていたが、今度は急かさずにじっと待つ。
視線をうろうろと彷徨わせていた福永が、やがて覚悟を決めたように璃湖の顔を真っ直ぐ見つめた。
「か、蟹!? 大好きです!」
怯えていたくせに好物の名前を振られ、つい過剰に反応してしまう。卑しいと思われたかと心配になるが、むしろ福永は嬉しそうだ。
「それはよかった。じゃあ、神戸牛とずわい蟹のコースと地ビールふたつ。あと、おすすめの一品料理をいくつかお願いします」
「かしこまりました。ご準備させていただきますので、少々お待ち下さい」
美しい所作で礼をした女将が部屋を出て行く。洗練されたその仕草に璃湖はつい見入ってしまった。
「細井さんは、いつもビールだよね。勝手に頼んでしまったけど、大丈夫だったかな?」
「あ、はい。それは、好きなので」
よくそんなことを知っているなと感心する。璃湖が福永と酒の席に同席するのは暑気払いと忘年会の年二回。いつも取り巻きに囲まれている彼には近づいたこともない。これも営業トップに君臨し続けている彼の能力なのだろうか。
「それで、私にご相談というのは⋯⋯」
そう聞くと、福永は困ったように眉を寄せて苦笑いをした。
「ごめん、ちょっと話すのにはお酒の力がいるというか⋯⋯。すごく勇気がいるから、もう少しだけ時間をくれないかな。勝手なことを言ってるのは分かってるんだけど⋯⋯」
心底困っているという様子の福永を見て、璃湖は慌てた。相談の内容が気になりすぎて、少し事を急ぎすぎてしまった。
「ご、ごめんなさい。そうですよね、まずは食事を楽しみましょう」
口にしてから、ご馳走してもらう立場の人間が口にしていい言葉ではないと気づく。失礼なことを言ってしまったと後悔するが、福永は特に気にした様子もなく安心したように微笑んだ。
「ありがとう。細井さんは、本当に優しくていい子だね」
「そ、そんなことは⋯⋯」
あまりに慈愛に満ちた表情で見つめられて、璃湖はドギマギしてしまう。不覚にもときめいてしまって、慌てて下を向く。
彼は無意識なのだろうが、あれは危ない。モテる男の魔力に危うく引き込まれてしまうところだった。
気まずい沈黙が流れる。なにか話さなければと脳内で話題を探していると、ちょうど料理が運ばれてきた。出汁のよい香りが広がり、食材たちと料理がどんどんテーブルに並んでいく。
(お肉! 蟹! なんて美しい!)
赤身と脂身のバランスが素晴らしい霜降りの牛肉に、ぎゅっと身の詰まった蟹に璃湖の目は釘付けになる。給仕していた女性が退室すると、福永が箸を手にした。
「あとは俺がやるから、出来上がるまで細井さんは他のものを食べてて。出汁巻き卵は絶品だよ」
「わあ、美味しそう! でも、先輩に任せてしまうのは⋯⋯。あ、写真だけ撮ってもいいですか? こんな素晴らしい料亭、きっと二度と来られないので」
「それはもちろん、構わないよ。こんなに喜んでくれるなんて、連れてきた甲斐があるな。俺が無理言って誘ったんだから、そんなこと気にしないでゆっくり食べて」
「そうですか? すみません。それじゃあ、お言葉に甘えます」
キラキラと目を輝かせ、出汁巻き卵を幸せそうに口に運ぶ璃湖を見て、福永は柔らかな笑みを浮かべた。しかし、すぐにその表情が暗く沈んだことに、料理に夢中な璃湖はまったく気がつかなかった。
* * *
「ふう⋯⋯。お腹いっぱい。幸せすぎる」
素晴らしい料理たちを堪能し、満足気に腹部を撫でる璃湖に福永はふふっと小さく笑った。
「それならよかった」
ふと福永に視線を向けた璃湖はぎょっと目を見開いた。彼の前に、空いたグラスが十個近くもある。いつの間にそんなに飲んでいたのか、料理に夢中になりすぎてまったく気がついていなかった。
「福永さん、そんなに飲んで大丈夫なんですか? 確か、あまりお酒に強くないんですよね」
いつかの集まりで、群がる女子社員にそう言って断っていたのを見た記憶がある。何度か店員が出入りしていたことを考えると、もっと飲んでいるかもしれない。
「ああ、あれ嘘だから。うち酒豪家系で、家族全員酒に強いんだ。俺も人生で一度も酔ったことがないくらいだから全然平気。だけど飲めるってだけで好きなわけではないから弱いってことにしてるんだ」
なるほど。どれほどの量を飲酒したのかは分からないが、確かに顔色はまったく変わっていない。
「今日はちょっと酔いたかったんだけど⋯⋯。やっぱりいくら飲んでもダメだな」
はあっとため息をつく福永に、一体どれほど飲んだのかと疑問に思う。同時にそれがまったく分からないほど料理に夢中になっていた自分に呆れてしまった。そのくらい美味しかったのだ。
「引かないで聞いてほしいんだけど」
覚悟を決めたように璃湖を見つめた福永だったが、すぐにふいっと視線を背ける。深呼吸を繰り返す福永に、いよいよ本題かと璃湖は姿勢を正した。
「いや、引かれないわけはないんだ。セクハラだと思うかもしれない。いや、確実にセクハラなんだけど。でも、そうじゃなくて。いつも君のことをいやらしい目で見ていたわけではないんだ。俺もちょっと困惑してて。だから軽蔑はしないでほしい⋯⋯わがままなのは分かっているけど、細井さんに嫌われたくないんだ」
「あ、あの、福永さん! ストップ!」
要領を得ないことをグダグダと喋っている福永に痺れを切らした璃湖は、右手を彼の顔の前に伸ばしてそれを制止した。
弾かれたように璃湖を見た福永は、まるで叱られた子どものように不安げに視線を揺らしている。いつも朗らかな彼のそんな姿を見るのは初めてで、とても重い苦悩を抱えていることが伝わってくる。
それを見て、どんなことでも受け入れる覚悟が決まった。だって彼は、璃湖にしか話せないのだと訴えていたから。
璃湖にできることなら、なんでも力になってあげたい。
「落ち着きましょう。とても話しにくいことなのだということはよく分かりました。絶対に引かないし、軽蔑も嫌いになったりもしません。だから、安心して話してください」
言い聞かせるように言うと、福永は今にも泣き出しそうなほど顔を歪めた。
「⋯⋯ありがとう。分かった、俺も腹を決めるね」
声を震わせた福永が数回深呼吸を繰り返す。それでも言いにくそうに何度も口ごもっていたが、今度は急かさずにじっと待つ。
視線をうろうろと彷徨わせていた福永が、やがて覚悟を決めたように璃湖の顔を真っ直ぐ見つめた。
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