短編小説 神様さえも救えない

ヨネミツ

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短編小説 神様さえも救えない

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春にしては寒い日で、少し厚着をして出かけた。車ではわかり易い道だと思ったのに、駅からバスを乗り継いで、着いた時にはもう時計は十一時をさしていた。
 何か食べようかと思ったけれど、金をくずすのが嫌になって、店に入りかけてやめた。

 日曜日で、人出は多かった。一人でゆっくり歩いていたら、足元を子供が走って行った。
何を見ても綺麗で、いちいち立ち止まって見とれてしまった。
カメラを持っていたら良かったかもしれない。…彼が生きていた頃は、写真もビデオも好きだった。今はあの頃のようには強烈に撮りたいものが無い。だからカメラを持ち歩く習慣も無くなってしまっていたし、若い子たちのように、スマホで写真を撮ろうとも思わなかった。
生きていた頃の写真やビデオ、繰り返し繰り返し見るうちに、記憶の中、焼き付いたようになってしまっている。
ここへ初めて一緒に来たあの時も、ビデオを構える私に、
「観覧車がいい、観覧車に乗ろう」
「狭くて高いところは嫌いだから」
言ったら笑った。

見上げると、思っていたよりも小さくて、頭の中で、どれくらいの高さか考えてしまった。できたばかりの頃は、きっと色だって鮮やかだっただろう。ペンキがはげかけているのを見て、そう思った。
一人で乗り込んで、先に乗った家族連れを何となく見た。何か楽しそうに、遠くを指して話している。その方向を見ても、何の話をしているのかはわからなかった。
あまり天気は良くなかった。帰りに前が降らないといいなと思った。

「子供が生まれたら、連れて来よう」
これから始まる新しい生活の事を想像して、あの日、すごく幸せそうだった。

 普段はよく笑うほうだったのに、その時期はいやに神妙な顔をしていて、よく考えこんでいた。珍しいなと思っていたら、結婚が決まったと言う。話を聞いて、一緒になって喜んだ。きょうだいが結婚するみたいにめでたい話だと思った。

「結婚したら、今までみたいにどっかで会ったり、無駄話したりできなくなるね」

 いつも優しい人だったから、一緒にいて、嫌な思いをしたことは一度も無かった。自分に無いものを全部持っている人だったけれど、それがとてもさりげなかった。こんな気持ちは誰にもわからないだろう。だから本人には絶対に言わないでおこうと思った。…最後まで言わずにいた。

 ゴンドラが大きく揺れて、思わず手すりを掴んだ。今日は彼の命日だ。ここ何日からまともに眠れなくて、ちょっとした事で胃液がせり上がってきそうになった。

 別に、そんなに大した事じゃない。
初めて二人で来た時に、しつこいくらいに一緒に乗ろうと誘って、何回断っても、いつまでもいつまでも観覧車を振り返った。
できたばかりの遊園地で、たまたまその時、他に乗る物が思いつかなかったのだと思った。
「そんなに観覧車が好き?」
馬鹿と煙は高いところに上りたがるって。
それを聞いて、酷く傷ついた顔になった。
「違う、…上からどんな景色が見えるかと思った」
一緒に乗りたかったのになあ、ぽつんとそう言った。

 片側に海が広がっていた。灰色の空と、暗い海の色が、余計に気を重くさせた。
あの時乗っていれば、きっと違った景色に見えただろう。
大した事じゃない、今度来る時は、子供と一緒に来よう。
もう少し大きくなったら、手をつないで歩いて、いろんなところへ連れて行こう。

 ふだん聞かされるのはくだらない冗談ばかりで、いつもだったらすぐには本気にしたりはないのに、その時だけは真に受けてしまった。

小さな教会で式を挙げるのだと、下見の為にその二ヵ月前に二人で牧師に話をしに行った後、またしつこく観覧車の話を持ち出してきた。
「一緒に乗りたかったよ、本当に二人で」
とても残念そうだった。
「また行けばいい、」
口にしながら、
  
気がついた時には、
もう、
手遅れ。

 全部が嘘だったら良かった、いつだって思い出せる、その時流れていた歌だとか、飲んでいた酒、後ろ姿も横顔も、口癖みたいな言葉も。

 よく晴れた朝だった。
式の一時間前には家から出ようと思って、教会に電話をかけたら、誰も電話に出なかった。式の準備で忙しいのだろうと、外に出た。
家の前に、見慣れた彼の車が停まっていた。
運転席で、彼がこちらに手を挙げた。

「自転車には乗れる?」
「乗れるけど、今日はバスかタクシーで行こうと思ってた」
「自転車でも良かったね、」
ラジオは、遠くの場所での地震を知らせていた。
(震度4、)
(震度3、)
(震度1。)
「じいさんから聞いた話なんだけど」
彼が言った。
地震の時は、頭を抱え込んで、テーブルの下にもぐりこめって。
「テーブルの下ね、クローゼットの中じゃないのか」
違う話題に切り替わったのを、彼はすぐにわかったようだった。
「トイレとか」
「キッチンと、ベランダ」
「窓の側とかね、階段とか」
二人で見つかりはしないかとスリルで試した場所を、彼は楽しそうに口にした。
そういえば、つきあい始めの頃は、人目も気にせずに、雨の中の電話ボックスで…。

彼がカーブでギアを入れながら、話を変えた。
「自転車、乗りたかったね」
「二人乗りしたら捕まるだろう」
ラジオの音量を大きくして、でもかき消されないように、
「捕まってもいいよ」
…彼が言った。

 あの人は強い人だと思っていた。
何が起こっても滅多に弱音を吐いたりはしなかった。
いつ頃からだったか、まったく年をとらないような感じさえして、子供みたいだというのとも違う、そう、まるで、……みたいだった。

だから幸せを願っていた。
自分を幸せにしてくれた人だから、別にそれでいいと思っていた。

(わかっているんだよ。)

 教会には入れなかった。
人の気配がしなかった。
またかつがれたかと、仕方が無かったので、教会の入り口で腰かけて話をした。あんまりぐずぐずしているから、先に立ち上がった。
突然、彼が言った。
「初めて買ってもらった腕時計が、白い犬の時計だった。ネジを巻くと、腕がぐるぐる動いて、それがおもしろくって、巻きすぎたら、あっという間に壊れた」
「物の扱い方を知らないんだ」
「時間なんてどうだって良かった。ぐるぐる動くのがおもしろくって、嬉しくって、…同じ時計を探してるけど、もう無いだろうな」
「また壊す気で?」
「もう絶対に壊さない、触りもしないで、クローゼットに入れとくよ」
「……そうだね、探してあげようか」
「見つかりっこない」
「じゃあ、そんな話しなきゃいいのに」
「そうだね」
「時計は、時間を見るものだよ」
「うん、わかってる」
「…最初に会った時、おもしろいって言った、覚えてる?」
「ああ?何が?」
「人に向かって、おもしろいって言った」
「ああ、そうだった?」
「そんなにおもしろい事が無いのかと思った」
「そうだね、つまんなかったし、こんなに話してて楽しい人は、他にいないと思った」
「今は、楽しくない?」
「ううん、…今はもう、そういうんじゃない」
「…あんまり頭の悪い話ばっかりするんじゃない、こっちまでうっかりするとうつりそうになるから」
「伝染病か」
「伝染する」
車に戻ったら、彼は泣き出した。
「何でかなあ、そういうつもりじゃなかったのになあ」
「同じような時計を探してあげるよ」
うなづかなかったから、頭に手をあてて、どうにか首を縦にふらそうとしたけど、絶対に、うなかづかなかった。

 だから、もう許してあげるよ。
天国にも時間が流れてるかどうかは知らないけど、やっと同じ時計を見つけ出したから、同じ箱に入って、ここよりもずっと高い場所で、まるで世界を見下ろす、太陽みたいにね。

 他の人との結婚の話は本当だった。つまり、最後に自分と逃げようと手配していた。そんなの知っていた。彼はそういう男だったし、自分が悪かったと思っていた。思っていたとおり、彼は途中で気が変わって、あきらめてしまった。そのおかげで、その後、何か月が遅れて、彼が誓うはずだった言葉を自分が言うはめになった。

 帰る頃には、いくぶん天気が良くなっていて、家に電話をすると、彼によく似た子供が泣いていた。
「お腹がすいているんじゃないのか」
「お父さんがいないからね」
そう言われて、急いで帰る事にした。

 最後は角砂糖の一瓶。
ほんの一時間か前までは、教会で式の後にでもプレゼントするつもりだった。別にそんなつもりは無かった。

いろんな事をちゃんとして、いつも気を抜かずに、周囲にそれと気づかせず見回しているような人だった。その日に限って、随分と前から目の前にいる人間が、いつもは言わないような甘い言葉を口にして、いつもはしないような事をして、それをちっとも疑わずに、珍しくすっかりだまされたようだった。

 つきあって長らくたっても、会うたびに繰り返し、今日は何が飲みたい何を食べたいどれを見たい何がしたいどこに行きたい、昨日は何をした、彼は何度でも同じ質問をした。
本当は小さい頃からパンしか食べないし(彼は米のほうが好き)、果物もコーヒーも嫌いだ(彼は何でも食べる)、一人でいる日は映画館よりも家でネット(彼はお気に入りの映画館がある)、音楽はまったく興味が無い(休日には彼は一日中でも音楽を聴いていても飽きない)、お互いの家の中、彼が立ち寄りそうな場所全部と、車、電話にカメラとマイクをしかけて、彼に隠してあった本棚の中には、会う前からずっと、十何年かけて撮りためた彼のビデオテープと写真、小学校から彼が通った学校の卒業名簿とアルバムしか入っていない。

 ちゃんと、いつだったか、言った事がある、冗談みたいに。
「ガソリンタンクの中に、砂糖を入れると、とっても危ないって」
「まさか」
「そうかも。たぶん今時の車なら大丈夫だ、ふつうなら。安心した」
「変な心配ばかりするね」
誰もそんな事しやしないよ。
大丈夫、大丈夫だよ。

「自分が変わるのが嫌なら、世界を変えてしまえばいい」
とか何とか、妹が言っていた、確か。世の中がどんなに変わったところで、最初から、彼への気持ちを、変えられそうにも無かった。
まるで、……みたいな人だった。もう二度と無いし、絶対に忘れたりしないだろう。
一部始終を神様は見ているはずなのに、
神様さえも救えないか、それとも、彼が目の前に現れた事が、


「他人から見てどうでも、自分が幸せだと思わないと、意味が無いと思わない?」
彼が言った。
「口に出して言うほど、いつもそんなに幸せな人はいないよ、結婚式じゃないんだから」
「そうかな」
ちょっとだけがっかりした顔ををさせてしまった時の事を思い出した。


今になっては何もかも全部、

箱の中。

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