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第6章 竜吟虎嘯の章
第229話 立政寺での会見
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永禄十一年七月十六日。近江国浅井郡小谷城の広間では足利義昭の近江到着を祝する宴が催されていた。
上座には帰洛を志す先代の室町幕府将軍の弟・足利義昭が旅装を解き、直垂姿にて着座していた。これを下にて慇懃に応対するのは若き小谷城主・浅井備前守長政。齢は足利義昭よりも八ツ下の二十四歳であった。
「義昭様、お初にお目にかかります。小谷城主、浅井備前守長政にございます」
裾を払い、深々とお辞儀をしてみせる浅井備前守。続けて、その父・浅井下野守久政をはじめとする一門衆が名乗り、丁重に一礼していく。
「備前守殿。此度の饗応、予はいたく感じ入った。いやはや国境からこれへと警護を受け持ってくれたことと合わせて感謝いたす」
「ありがたき幸せ!この後の義昭様ご上洛には三千の兵を率い、同道仕りまする!」
「おお、三千とな!まこと、感謝いたすぞ……!」
「気持ちのうえでは五千ほど出したいのですが、生憎本国を空にするわけにも参りませぬゆえ、留守居の兵を差し引き、三千という数となりましてございます」
足利義昭としては三千では心もとなかった。何せ、南近江に陣取る六角家だけでも総勢一万は固い。そうなれば心安くいられる兵数ではない。だが、越前の朝倉勢が参陣しない今、少しでも兵を出してくれるという浅井備前守の申し出は有り難いものではあった。
「加えて、三河からも援軍が二千ほど駆けつけると尾張守殿より承っております」
「左様か。北近江衆と三河衆で総勢五千となるか。して、貴殿にとって義兄でもある尾張守殿は兵馬についてはいかように申しておったか」
「はっ、先刻到着した早馬によれば、すでに一万五千ほどの兵を動員する手筈は整っておるとのこと」
「なんと、一万五千と……!?」
「はい。総勢二万の軍勢になるのではと思われまする」
――二万あれば六角家の軍勢はどうにかできるであろうが、その後の三好三人衆との戦いがどうなることか。
――やはり朝倉家の軍勢を抜きにしてでも上洛しようと焦ったのが良くなかったのではないか。
そんな不安が足利義昭という壮年の脳裏をよぎる。しかし、ここまで来た以上、もはや後戻りはできなかった。
「そうであったか。そうじゃ、この場には尾張守殿の妹君である備前守殿ご正室はおられぬのか」
「はっ、この場にはおりませぬ。只今、子を身ごもっておりますゆえ……」
「ほう、それはめでたきこと。出陣前に慶事とは実に幸先が良い。その子が無事に産まれることを祈っておこうぞ」
「ははっ!義昭様がそうおっしゃってくださるのであれば、無事に産まれて参りましょう」
にこりと足利義昭に微笑みかける浅井備前守。その整った容姿から繰り出される爽やかな笑みは女性のみならず、男性の心を揺さぶる何かすらあった。
「ごほん、備前守殿。然らば、我らはこの後、美濃国立政寺へ入る。そこで尾張守殿と対面し、上洛に向けての支度を進めて参る。それゆえ、上洛の詳細な日時が決まり次第、早馬を出すゆえ、それまで準備を怠ることのないようお願いいたす」
「ははっ!義昭様のご期待に沿えるよう、いつでも出陣できるよう支度を進めておきましょう」
そうして足利義昭は小谷城にて饗応を受けた後、織田尾張守信長の待つ美濃国岐阜を目指すべく、出立。信長から滞在先として提供されている城下の立政寺を目指した。
数日早く立政寺に入った足利義昭は織田信長に対面を申し入れ、日程を調整した結果、同月二十五日にその対面は実現した。
信長はかつて聖徳寺の会見にて舅・斎藤道三の度肝を抜いたのと同じく、見事までに整えられた正装を見に纏い、足利義昭の前へと現れた。
「義昭様、某が織田尾張守信長にございます。此度は越前より遥々のお越し、さぞかしお疲れにございましょう。旅の疲れを癒やすことはできましたでしょうか」
「弾正忠殿、お会いしとうござった。うむ、到着後すぐに対面する運びとならなかったゆえ、本日までの数日間、寺にてゆるりとくつろぐことができましたぞ」
「それはようございました。それを義昭様の口から聞け、この信長、安堵いたしましてございます」
あまりにも礼儀正しい主君の姿に同席する村井貞勝・不破光治・島田秀満といった越前へ派遣されたこともある織田家臣らや、素の信長と対面したことのある和田伊賀守惟政、明智十兵衛光秀などは目を丸くして驚いていた。
「此度、義昭様と綿密に打ち合わせたきことが某からは三カ条ございまする」
「三カ条とな?」
一体、織田信長という男が提示してきた三カ条に及ぶ議題とは何なのか、足利義昭は目を丸くして信長が次に発する言葉を待つ。
「我らが西へと向かう間の留守を狙う大名がことにございます」
「ふむ、武田や上杉とは同盟関係でもあろう。となれば、今川となろうか」
「いかにも。この信長を父の仇と憎んでもおりましょう。それゆえ、主力を率いて上洛を開始したことを知れば、今川勢が尾張や三河へ攻め入ることは十二分に考えられまする」
「うむ。考えたくないことじゃが、そうなれば厄介極まりないのぅ……」
尾張、美濃、北伊勢八郡を領する信長の石高はすでに百万石を超えている。従属させている国衆や土豪の所領を併せれば、より広大な領土を形成している。
その信長が集められる兵力は三万に届くはずが、此度の上洛戦で用いるのは主力の一万五千のみ。それがなぜか、信長の言葉を聞き、義昭にも想像することが出来た。
「主力のみを上洛戦に用いるは、本国で不測の事態が起こった場合に備えてのことであるか」
「いかにも。伊勢には北畠氏もおりますゆえ、北伊勢にはそれに備える兵を残さねばなりませぬし、遠江と駿河には今川家が健在にございますれば。全軍を西へ向けたとすれば、一万もの大軍を動かし得ましょう。それに備えるため、三河守殿を動かせぬ事情もあり、万が一の援軍も残しておかねばなりませぬ」
「ぐぬぬ、今川上総介氏真め……。あやつをどうにか封じ込められぬものか」
今川家が健在であることで、織田家は総戦力の半分ほどしか出せない。これは足利義昭にとっても大きな痛手であった。
「されど、折しも今川家が西にばかり目を向けていられない状況ともなっております」
「ほう、それはいかなることか」
「長らく駿河の今川家、相模の北条家、甲斐の武田家は三国同盟を結んで参りましたが、このうちの今川家と武田家の関係が冷え込んでおるのです。ゆえに某は先日、使者として岐阜城へ参った武田家の使者と今川領経略の子細を打ち合わせたのでございます」
「なんと、今川領を経略すると……!それも武田家と手を組んでと申されるか!」
義昭の言葉に信長は大きく頷き、良く通る声でもって補足説明と二カ条目の議題についても触れていく。
「これは二つ目の議題とも絡むこととなりまするが、目下、義昭様ご上洛に武田家、上杉家はともに賛意を示しておりますが、両者は敵対しております」
「うむ。それは弾正少弼殿からの書状にも書かれておったゆえ、存じておる。ゆえに、この両者の戦が激化せぬよう、和睦を命じておる」
「そうでしたか。然らば、その点も今一度お願いしてもよろしいでしょうか」
「うむ、任された。して、今川領経略とはいかなることじゃ」
足利義昭の当然の疑問に、信長は信玄より届いた今川家から上杉家へ宛てて出された密書の写しを披露した。
「こっ、これは……!」
「今川家と上杉家は同盟を結び、武田家を挟み撃ちにする計略を練っておる様子。このことを信玄殿は今川家に信玄滅亡の企てあり、と随分心を痛めておられる様子でした。それゆえ、当方と協力し、今川領を経略してはいかがかと持ち掛けたのでございます」
「なるほど。されど、よくそれであの信玄殿が動かれたのぅ」
「武田家単独でも今川領経略は容易い。されど、もう一つの同盟国である北条家と万一敵対ともなれば、今川領の駿河経略すら満足に行えぬ可能性がある。されど、同時に西から徳川勢も攻め入ったならば今川勢の戦力を分散させられ、武田家としても大いに利のある話ではなかろうか、と持ち掛けたまで」
西からは徳川が遠江へ、北からは武田が駿河へ侵攻する。そうなれば、今川家にとっては最悪の筋書きとなる。
足利義昭も脳内の絵図からその光景を思い浮かべてみると、何とも名案と言える内容であると得心がいった様子。
「それゆえ、仔細は徳川家と打ち合わせたうえで今川領を経略なさればよいと伝えたのでございます。今頃は躑躅ヶ崎館にて信玄殿が三河守殿へ書状をしたため、提携せぬかと持ち掛けておりましょう。これが上首尾に参れば以後、信長は東に気を取られることもなく、畿内平定を進められまする」
「なるほど。まさしく、天下布武が成せるというわけじゃな。それならば予から申すことは何もない。然らば、三カ条目について伺おう」
今川家のことについて、足利義昭から承諾が得られたことに信長は安堵した。万が一、否と申されては説得する必要があるか、もしくは武田家に伝達して意向を伝えて断念せざるを得ないからである。
だが、義昭としては当然の判断であった。今川家は別に足利義昭を将軍に立てるべきであるという意思を示していない大名なのだ。
それを思えば、義昭指示を明確にしている織田、徳川、武田と折り合いの悪い今川を擁護する必要などなく、早々に切り捨ててよい大名といって良かったのである。
何はともあれ、議題は三カ条目へと移った。信長はこれが本命であると言わんばかりに一層引き締まった表情へと変貌し、義昭へ鋭い眼光を向ける。
「三カ条目は上洛の途上を阻む六角家がことにございます」
「六角がことであったか。当主の六角右衛門督義治はともかく、その父で隠居の身である承禎殿は予を一時的にとはいえ庇護までしてくれた御仁じゃ。なるべく戦いとうないが……」
「実は某も同意見にございました。六角家は楽市など先進的な政策を実施しており、何より当家と浅井家の縁組を仲立ちしてくれてもおりますゆえ」
「そうであったな。されど、今さら説得などできようか」
「最後通告として使者を送るだけ送ってみてはどうか、というのがこの信長の意見にございます」
最後通告だけはしてみるのはどうか。信長の提案に、心から六角攻めをしたいわけではない義昭は俄然乗り気であった。
「よし、ならば使者を送るがよかろう」
「はっ!ですが、当家からの使者と見なされては突っぱねて参る可能性もございます。ここは義昭様にお仕えする者も同行させてはいただけませぬか」
「ふむ、尾張守殿が申す通りじゃな。では、正使として和田伊賀守惟政を向かわせよう。これへ、尾張守殿のご家来衆をつけて派遣するであれば、六角家もぞんざいには扱わぬであろう」
「なるほど、妙案にございます。然らば、使者の派遣は来月上旬といたしましょう」
「むっ、すぐには送らぬのか」
すぐにも岐阜城から六角家居城・観音寺城へと入洛を助けるようにとの最後通告の使者を派遣すると思っていた義昭は首をかしげる。それを見て、信長はその理由を補足説明せんとする。
「これより上洛のため、戦支度をせねばなりませぬ。それが一段落したのち、八月に入りましたら某が一度馬廻衆のみを引き連れて佐和山城へ入り、上洛前に浅井備前守殿と対面する手筈となっております。その際に合わせて六角家へ申し入れ、態度を見極めるつもりにございます」
「そうであったか。然らば、その折には和田伊賀守も同行させるゆえ、よろしく頼むぞ。して、交渉内容じゃが、これは尾張守殿に何ぞ考えはあろうか」
「然らば、二つ。一つはただちに人質を提出し、義昭様上洛の路次確保に協力あるべきこと。もう一つは上洛実現の暁には承禎殿を幕府の所司代に任ずること。以上二つを提示するつもりにございます」
「そうであったか。されど、所司代は京都の治安を管轄する地位でもあるゆえ、尾張守殿を任ずるつもりであったのじゃが……」
「某ではお受けできかねます。ここは代々近江守護を務める六角家が相応しいかと」
「うむ、そうか。然らば、やむを得ぬ。承禎殿がこの条件で協力要請に応じたならば、承禎殿を所司代に任ずるとしようぞ」
「ありがとう存じます。然らば、某は上洛に向けて支度せねばならぬことがございますゆえ、これにて失礼いたします。義昭様は挙兵まで今しばらく時がございますゆえ、お疲れを立政寺にて癒やしてお待ちくださいますように」
信長はそれだけ言い残すと、速やかに立政寺を去り、上洛準備にかかるのであった。上洛戦の開始まで、残り一カ月半――
上座には帰洛を志す先代の室町幕府将軍の弟・足利義昭が旅装を解き、直垂姿にて着座していた。これを下にて慇懃に応対するのは若き小谷城主・浅井備前守長政。齢は足利義昭よりも八ツ下の二十四歳であった。
「義昭様、お初にお目にかかります。小谷城主、浅井備前守長政にございます」
裾を払い、深々とお辞儀をしてみせる浅井備前守。続けて、その父・浅井下野守久政をはじめとする一門衆が名乗り、丁重に一礼していく。
「備前守殿。此度の饗応、予はいたく感じ入った。いやはや国境からこれへと警護を受け持ってくれたことと合わせて感謝いたす」
「ありがたき幸せ!この後の義昭様ご上洛には三千の兵を率い、同道仕りまする!」
「おお、三千とな!まこと、感謝いたすぞ……!」
「気持ちのうえでは五千ほど出したいのですが、生憎本国を空にするわけにも参りませぬゆえ、留守居の兵を差し引き、三千という数となりましてございます」
足利義昭としては三千では心もとなかった。何せ、南近江に陣取る六角家だけでも総勢一万は固い。そうなれば心安くいられる兵数ではない。だが、越前の朝倉勢が参陣しない今、少しでも兵を出してくれるという浅井備前守の申し出は有り難いものではあった。
「加えて、三河からも援軍が二千ほど駆けつけると尾張守殿より承っております」
「左様か。北近江衆と三河衆で総勢五千となるか。して、貴殿にとって義兄でもある尾張守殿は兵馬についてはいかように申しておったか」
「はっ、先刻到着した早馬によれば、すでに一万五千ほどの兵を動員する手筈は整っておるとのこと」
「なんと、一万五千と……!?」
「はい。総勢二万の軍勢になるのではと思われまする」
――二万あれば六角家の軍勢はどうにかできるであろうが、その後の三好三人衆との戦いがどうなることか。
――やはり朝倉家の軍勢を抜きにしてでも上洛しようと焦ったのが良くなかったのではないか。
そんな不安が足利義昭という壮年の脳裏をよぎる。しかし、ここまで来た以上、もはや後戻りはできなかった。
「そうであったか。そうじゃ、この場には尾張守殿の妹君である備前守殿ご正室はおられぬのか」
「はっ、この場にはおりませぬ。只今、子を身ごもっておりますゆえ……」
「ほう、それはめでたきこと。出陣前に慶事とは実に幸先が良い。その子が無事に産まれることを祈っておこうぞ」
「ははっ!義昭様がそうおっしゃってくださるのであれば、無事に産まれて参りましょう」
にこりと足利義昭に微笑みかける浅井備前守。その整った容姿から繰り出される爽やかな笑みは女性のみならず、男性の心を揺さぶる何かすらあった。
「ごほん、備前守殿。然らば、我らはこの後、美濃国立政寺へ入る。そこで尾張守殿と対面し、上洛に向けての支度を進めて参る。それゆえ、上洛の詳細な日時が決まり次第、早馬を出すゆえ、それまで準備を怠ることのないようお願いいたす」
「ははっ!義昭様のご期待に沿えるよう、いつでも出陣できるよう支度を進めておきましょう」
そうして足利義昭は小谷城にて饗応を受けた後、織田尾張守信長の待つ美濃国岐阜を目指すべく、出立。信長から滞在先として提供されている城下の立政寺を目指した。
数日早く立政寺に入った足利義昭は織田信長に対面を申し入れ、日程を調整した結果、同月二十五日にその対面は実現した。
信長はかつて聖徳寺の会見にて舅・斎藤道三の度肝を抜いたのと同じく、見事までに整えられた正装を見に纏い、足利義昭の前へと現れた。
「義昭様、某が織田尾張守信長にございます。此度は越前より遥々のお越し、さぞかしお疲れにございましょう。旅の疲れを癒やすことはできましたでしょうか」
「弾正忠殿、お会いしとうござった。うむ、到着後すぐに対面する運びとならなかったゆえ、本日までの数日間、寺にてゆるりとくつろぐことができましたぞ」
「それはようございました。それを義昭様の口から聞け、この信長、安堵いたしましてございます」
あまりにも礼儀正しい主君の姿に同席する村井貞勝・不破光治・島田秀満といった越前へ派遣されたこともある織田家臣らや、素の信長と対面したことのある和田伊賀守惟政、明智十兵衛光秀などは目を丸くして驚いていた。
「此度、義昭様と綿密に打ち合わせたきことが某からは三カ条ございまする」
「三カ条とな?」
一体、織田信長という男が提示してきた三カ条に及ぶ議題とは何なのか、足利義昭は目を丸くして信長が次に発する言葉を待つ。
「我らが西へと向かう間の留守を狙う大名がことにございます」
「ふむ、武田や上杉とは同盟関係でもあろう。となれば、今川となろうか」
「いかにも。この信長を父の仇と憎んでもおりましょう。それゆえ、主力を率いて上洛を開始したことを知れば、今川勢が尾張や三河へ攻め入ることは十二分に考えられまする」
「うむ。考えたくないことじゃが、そうなれば厄介極まりないのぅ……」
尾張、美濃、北伊勢八郡を領する信長の石高はすでに百万石を超えている。従属させている国衆や土豪の所領を併せれば、より広大な領土を形成している。
その信長が集められる兵力は三万に届くはずが、此度の上洛戦で用いるのは主力の一万五千のみ。それがなぜか、信長の言葉を聞き、義昭にも想像することが出来た。
「主力のみを上洛戦に用いるは、本国で不測の事態が起こった場合に備えてのことであるか」
「いかにも。伊勢には北畠氏もおりますゆえ、北伊勢にはそれに備える兵を残さねばなりませぬし、遠江と駿河には今川家が健在にございますれば。全軍を西へ向けたとすれば、一万もの大軍を動かし得ましょう。それに備えるため、三河守殿を動かせぬ事情もあり、万が一の援軍も残しておかねばなりませぬ」
「ぐぬぬ、今川上総介氏真め……。あやつをどうにか封じ込められぬものか」
今川家が健在であることで、織田家は総戦力の半分ほどしか出せない。これは足利義昭にとっても大きな痛手であった。
「されど、折しも今川家が西にばかり目を向けていられない状況ともなっております」
「ほう、それはいかなることか」
「長らく駿河の今川家、相模の北条家、甲斐の武田家は三国同盟を結んで参りましたが、このうちの今川家と武田家の関係が冷え込んでおるのです。ゆえに某は先日、使者として岐阜城へ参った武田家の使者と今川領経略の子細を打ち合わせたのでございます」
「なんと、今川領を経略すると……!それも武田家と手を組んでと申されるか!」
義昭の言葉に信長は大きく頷き、良く通る声でもって補足説明と二カ条目の議題についても触れていく。
「これは二つ目の議題とも絡むこととなりまするが、目下、義昭様ご上洛に武田家、上杉家はともに賛意を示しておりますが、両者は敵対しております」
「うむ。それは弾正少弼殿からの書状にも書かれておったゆえ、存じておる。ゆえに、この両者の戦が激化せぬよう、和睦を命じておる」
「そうでしたか。然らば、その点も今一度お願いしてもよろしいでしょうか」
「うむ、任された。して、今川領経略とはいかなることじゃ」
足利義昭の当然の疑問に、信長は信玄より届いた今川家から上杉家へ宛てて出された密書の写しを披露した。
「こっ、これは……!」
「今川家と上杉家は同盟を結び、武田家を挟み撃ちにする計略を練っておる様子。このことを信玄殿は今川家に信玄滅亡の企てあり、と随分心を痛めておられる様子でした。それゆえ、当方と協力し、今川領を経略してはいかがかと持ち掛けたのでございます」
「なるほど。されど、よくそれであの信玄殿が動かれたのぅ」
「武田家単独でも今川領経略は容易い。されど、もう一つの同盟国である北条家と万一敵対ともなれば、今川領の駿河経略すら満足に行えぬ可能性がある。されど、同時に西から徳川勢も攻め入ったならば今川勢の戦力を分散させられ、武田家としても大いに利のある話ではなかろうか、と持ち掛けたまで」
西からは徳川が遠江へ、北からは武田が駿河へ侵攻する。そうなれば、今川家にとっては最悪の筋書きとなる。
足利義昭も脳内の絵図からその光景を思い浮かべてみると、何とも名案と言える内容であると得心がいった様子。
「それゆえ、仔細は徳川家と打ち合わせたうえで今川領を経略なさればよいと伝えたのでございます。今頃は躑躅ヶ崎館にて信玄殿が三河守殿へ書状をしたため、提携せぬかと持ち掛けておりましょう。これが上首尾に参れば以後、信長は東に気を取られることもなく、畿内平定を進められまする」
「なるほど。まさしく、天下布武が成せるというわけじゃな。それならば予から申すことは何もない。然らば、三カ条目について伺おう」
今川家のことについて、足利義昭から承諾が得られたことに信長は安堵した。万が一、否と申されては説得する必要があるか、もしくは武田家に伝達して意向を伝えて断念せざるを得ないからである。
だが、義昭としては当然の判断であった。今川家は別に足利義昭を将軍に立てるべきであるという意思を示していない大名なのだ。
それを思えば、義昭指示を明確にしている織田、徳川、武田と折り合いの悪い今川を擁護する必要などなく、早々に切り捨ててよい大名といって良かったのである。
何はともあれ、議題は三カ条目へと移った。信長はこれが本命であると言わんばかりに一層引き締まった表情へと変貌し、義昭へ鋭い眼光を向ける。
「三カ条目は上洛の途上を阻む六角家がことにございます」
「六角がことであったか。当主の六角右衛門督義治はともかく、その父で隠居の身である承禎殿は予を一時的にとはいえ庇護までしてくれた御仁じゃ。なるべく戦いとうないが……」
「実は某も同意見にございました。六角家は楽市など先進的な政策を実施しており、何より当家と浅井家の縁組を仲立ちしてくれてもおりますゆえ」
「そうであったな。されど、今さら説得などできようか」
「最後通告として使者を送るだけ送ってみてはどうか、というのがこの信長の意見にございます」
最後通告だけはしてみるのはどうか。信長の提案に、心から六角攻めをしたいわけではない義昭は俄然乗り気であった。
「よし、ならば使者を送るがよかろう」
「はっ!ですが、当家からの使者と見なされては突っぱねて参る可能性もございます。ここは義昭様にお仕えする者も同行させてはいただけませぬか」
「ふむ、尾張守殿が申す通りじゃな。では、正使として和田伊賀守惟政を向かわせよう。これへ、尾張守殿のご家来衆をつけて派遣するであれば、六角家もぞんざいには扱わぬであろう」
「なるほど、妙案にございます。然らば、使者の派遣は来月上旬といたしましょう」
「むっ、すぐには送らぬのか」
すぐにも岐阜城から六角家居城・観音寺城へと入洛を助けるようにとの最後通告の使者を派遣すると思っていた義昭は首をかしげる。それを見て、信長はその理由を補足説明せんとする。
「これより上洛のため、戦支度をせねばなりませぬ。それが一段落したのち、八月に入りましたら某が一度馬廻衆のみを引き連れて佐和山城へ入り、上洛前に浅井備前守殿と対面する手筈となっております。その際に合わせて六角家へ申し入れ、態度を見極めるつもりにございます」
「そうであったか。然らば、その折には和田伊賀守も同行させるゆえ、よろしく頼むぞ。して、交渉内容じゃが、これは尾張守殿に何ぞ考えはあろうか」
「然らば、二つ。一つはただちに人質を提出し、義昭様上洛の路次確保に協力あるべきこと。もう一つは上洛実現の暁には承禎殿を幕府の所司代に任ずること。以上二つを提示するつもりにございます」
「そうであったか。されど、所司代は京都の治安を管轄する地位でもあるゆえ、尾張守殿を任ずるつもりであったのじゃが……」
「某ではお受けできかねます。ここは代々近江守護を務める六角家が相応しいかと」
「うむ、そうか。然らば、やむを得ぬ。承禎殿がこの条件で協力要請に応じたならば、承禎殿を所司代に任ずるとしようぞ」
「ありがとう存じます。然らば、某は上洛に向けて支度せねばならぬことがございますゆえ、これにて失礼いたします。義昭様は挙兵まで今しばらく時がございますゆえ、お疲れを立政寺にて癒やしてお待ちくださいますように」
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「たそかれ」という言葉は『万葉集』に
誰そ彼と われをな問ひそ 九月の 露に濡れつつ 君待つわれそ」
— 『万葉集』第10巻2240番
と登場するが、これは文字通り「誰ですかあなたは」という意味である。
「平安時代には『うつほ物語』に「たそかれどき」の用例が現れ、さらに『源氏物語』に
「寄りてこそ それかとも見め たそかれに ほのぼの見つる 夕顔の花」
— 『源氏物語』「夕顔」光源氏
と、現在のように「たそかれ」で時間帯を表す用例が現れる。
なおこの歌は、帖と登場人物の名「夕顔」の由来になった夕顔の歌への返歌である。
またこの言葉の比喩として、「最盛期は過ぎたが、多少は余力があり、滅亡するにはまだ早い状態」をという語句の用い方をする。
漢語「|黄昏《コウコン》」は日没後のまだ完全に暗くなっていない時刻を指す。「初昏」とも呼んでいた。十二時辰では「戌時」(午後7時から9時)に相当する。
「たそがれ」の動詞化の用法。日暮れの薄暗くなり始めるころを指して「空が黄昏れる」や、人生の盛りを過ぎ衰えるさまを表現して「黄昏た人」などのように使用されることがある。
この物語はフィクションです。登場人物、団体等実際に同じであっても一切関係ありません。
それでは、小説「黄昏夫婦」をお楽しみ下さい。
読者の皆様の何かにお役に立てれば幸いです。
作家 蔵屋日唱
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