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第4章 苦海の章
第124話 西尾城・牛久保城攻め
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永禄四年四月上旬。牧野民部丞成定が守備していた西尾城はあえなく陥落。城内からは丸に三つ柏の旗は消え失せ、松平勢の旗が三河の風を受けて勇ましく靡いていた。
「殿、西尾城攻略は上首尾に参りましたな」
「おお、雅楽助か。まこと、思うておったよりも上手く事が成せたのには驚きじゃ」
一刻前まで繰り広げられた壮絶な死闘によって亡くなった者たちの亡骸が搬出される光景を見やりながら、元康と酒井雅楽助政家は城内を練り歩いていた。
「ここ西尾城には予定通り、吉良三郎義安様がお入りになられるわけですな」
「うむ。まもなく、吉良三郎様も西尾城へ到着されるとのことゆえ、そのことは到着を待ってから話すこととしたい」
「承知いたしました。よもや長沢の鳥屋ヶ根城よりも先に西尾城が攻略できようとは思いませんでしたな」
「まことじゃ。じゃが、松平家の旧領ではない西尾城を攻撃して奪ったことが駿府へ知れれば、いよいよ本格的な戦となっていこう。今日以上に厳しい戦いとなるは間違いない」
元康が言わんとしていることは傍らの酒井雅楽助にも痛いほど理解できている。元康が吉良三郎を西尾城へ入れたことは、今川氏の後ろ盾を得ている東条城の吉良義昭を否定することにもなる。
「殿、吉良三郎様ご到着にございます」
「おお、三郎兵衛か。うむ、ご苦労。すぐに大広間にて対面することといたす」
元康は天野三郎兵衛康景案内のもと、酒井雅楽助とともに大広間へと赴いた。春らしいすべての生物に温もりを与える陽光を浴びながら到着した大広間には、正装した吉良三郎の姿があった。
「おお、蔵人佐殿。此度はまことかたじけない」
「いえ、松平家にとって、吉良家は父のような存在。こうして、名前は変わってしまいましたが、西尾城へ吉良三郎様がお戻りになられたこと、心よりお喜び申し上げまする」
「ほほほ。されど、予はこの城に戻れたことに満足しておる。あとは東条城におる弟より吉良氏の家督を取り戻せたならば思い残すことはない。ゆえに、この西尾城には蔵人佐殿が家臣を城主として置いてはくれぬか」
思いがけない言葉に、その場に居合わせる松平家臣たちは鳩が豆鉄砲を食ったようであった。無論、それは元康も例外ではなかったのだが。
「されど、ここは吉良家の城にございまする。それを当家の家臣を城主に据えるなどあってはなりませぬ」
「良いのじゃ。これまで予が今川家に対して無力で何もできず、城を追われてしもうた。じゃが、その城を一日で取り戻した松平蔵人佐こそが持つに相応しい城。ただし、然るべき者を城主に据えていただくことを条件とさせていただこう」
吉良三郎からの申し出にどう応答すればよいか、さすがの元康でも早急に答えを導き出すことは至難であった。そもそも、西尾城主として然るべき者の定義があいまいであるため、下手な者を推挙すれば不興を買う恐れすらあるのだ。
「蔵人佐殿、随分と悩んでおられる様子じゃが」
「いかにも。されど、西尾城を任せるに相応しい人物ならば、一人思い浮かんでございます」
「ほう。それは?」
「これに控える酒井雅楽助政家にございまする」
一体誰を推挙するのか、固唾を呑んで見守っていた酒井雅楽助も、よもや自分の名前が挙がるとは思いも寄らず、正座したまま幾度とまばたきを繰り返していた。
「おお、酒井雅楽助殿か。うむ、たしか蔵人佐殿誕生の折、胞刀の役を務めた重臣の一人であったな」
「いかにも。某にとっても西尾城を任すに足る重臣にございます。某が幼少の頃から駿府へ随従いたした忠義者にございますれば、人となりにつきましてもこの元康が保証いたしまする」
「うむ。酒井雅楽助殿といえば、松平の重臣。予も駿府へおった折に何度も名を聞いた武士じゃ。西尾城を任せるに不足はなかろう」
老臣である鳥居伊賀守忠吉や石川安芸守忠成、大久保新八郎忠俊あたりを推挙することも考えたが、彼らは老齢であることから辞退することが目に見えている。
ともすれば、彼らよりも一回り二回り齢が下の者で、城一つを任せるに足る重臣となれば、元康の中で真っ先に酒井雅楽助の名が挙がるのは自明の理であった。
「殿!まことに某が西尾城主となるので……!?」
「そうじゃ。そなたの人柄も能力もわしは加味したうえで決めたことじゃ。齢四十一のそなたならば血気に逸って失態を犯すこともなく、これまでの経験を活かして城主の任を全うしてくれると期待しての事じゃ。よもや、わしの期待を裏切るようなことはするまいな?」
「はっ、殿にそこまで言われてますと、断ることなどできませぬな。然らば、この酒井雅楽助政家、西尾城主の任、謹んで拝命いたしまする!」
「よしっ!」
元康が膝を打って喜ぶ様に、傍らの吉良三郎も良き主従関係であると痛感させられていた。
こうした信頼関係で結ばれた主従など、そうはおるまい。自分にもこうした忠臣がおれば、また人生も違うものとなったのであろうか。
そうしたことを考えてしみじみする吉良三郎義安は、無事に西尾城へ帰還したものの、城主としての任は元康重臣・酒井雅楽助へ委ねられることとなったのである。
「蔵人佐殿。此度は西尾城を奪い返すという予の願いを聞き届け、実現させてくれたこと、改めて礼を申しますぞ」
「なんのこれしき。じきに東条城の吉良義昭様より吉良氏の家督も取り戻してご覧にいれまするゆえ、荒川城の荒川甲斐守殿とともに当家をご支援くださいませ」
「うむ、そうじゃな。頼りにしておるぞ、蔵人佐殿」
足利御一家衆である吉良氏の血筋である二十六歳の吉良三郎とそれを支える弱冠二十歳の松平宗家当主・元康という構図のもと、今後も今川氏と敵対する中で両者の関係は続いていくこととなる。
そして、西尾城主という役割を元康より託された酒井雅楽助もまた、西尾城が管轄する地域支配に携わる支城領主的な立場となった。
この西尾城攻めは関わる人々の人生を激変させるものとなったのである。そうして西尾城から順当に牧野民部丞を追い落とした頃、東三河にある牧野民部丞が居城・牛久保城の周囲でも一大事が起ころうとしていた。
そうして迎えた運命の永禄四年四月十一日。国衆・牛久保牧野氏の本城であり、今川氏の東三河領域における重要な支城の一つとなっていた牛久保城。
そんな城主不在の牛久保城へ、設楽越中守貞通の三つ盛り十二葉菊の旗、西郷弾正左衛門正勝とその嫡男・孫六郎元正の丸に一枚鷹の羽の旗、菅沼新八郎定盈の丸に釘抜き紋の旗が徒党を組んで北から接近。西からは元康によって派遣された松平勢が進軍してきていた。
「叔父上、これにて今川とは手切れとなりまするな」
「おお、新八郎か。うむ、それも覚悟のうえじゃ。関東ばかり見て、三河には見向きもせぬような大名に従属していては当家の存続も危ぶまれる。ここは松平蔵人佐殿とともに三河より今川勢を駆逐し、新たな三河支配を目論む方が良かろう」
馬を並べて進軍する菅沼新八郎と西郷弾正左衛門。西郷弾正左衛門の正室が菅沼新八郎の叔母であることから生じた姻戚関係は良好なまま今日まで続いていた。そんな仲良さげな、まるで実の父子かのような両名の隣へ駆けてくる一騎の騎馬武者の姿があった。
「おお、ご両名。此度は牧野民部丞めに我ら豊川三人衆が実力、とくと見せつけてくれましょうぞ!」
「おお、設楽越中守殿か!よもや、貴殿が真っ先に松平方へ加担しようとは、この西郷弾正左衛門も驚かされましたぞ」
「ははは、儂は昨年からの今川家の西三河対応には不平不満が蓄積しておったのじゃ。援軍を送りたくとも、駿府の許可なく動けぬゆえ、松平蔵人佐殿がこうして放棄せざるを得なくなるまでに追い込んでしもうた。そのことに某は責任を感じたのでござる」
「まこと義理堅い男じゃ。まぁ、それは儂も新八郎も同じじゃがな!」
仲良く馬を並べて進軍する豊川三人衆の軍勢は元康の書状にあった地で定刻通り松平の援軍を加えると、ついに牛久保城を視認できる地まで到着したのである。
「父上!」
「おう、孫六郎か。敵の様子はいかがであった」
「はっ、まもなく陽が昇りまするゆえ、寝ずの番をしていた者らも交代のために持ち場を離れだしておりまする」
西郷弾正左衛門は今川義元より偏諱を受けた嫡子・孫六郎元正の報告を満足げに聞き届けると、傍らの菅沼新八郎と設楽越中守へ目くばせする。目くばせされた両名はただちに手勢を展開させ、号令を発した。
「者共、敵が油断しておる今こそ好機!かかれっ!」
わあっと鬨の声を発しながら、西郷勢、野田菅沼勢、設楽勢は援軍に駆け付けた松平勢ともども大挙して牛久保城へと攻め寄せた。
突如として城外より上がった鬨の声に守兵らは狼狽する。この周囲に敵はいない。そう認識して惰性で守備に当たっていた牧野兵にとって、この奇襲はまさに寝耳に水。さりとて、城主・牧野民部丞は西尾城在番のために不在という状況では、混乱は拡大するばかりであった。
「者共!怯むな!」
しかし、そんな牧野勢の中にあって、まったく狼狽える素振りを見せない者があった。そう、留守居役の真木兵庫助重信である。
「すでに岩瀬城の岩瀬氏俊殿、牧野定成殿には兵粮の確保に動くことや牛久保城へ至急援軍を送ってほしい旨の要請は済んでおる!案ずるな!殿がおらねば牧野兵は脆いと見て、敵は攻めてきておるのじゃ!そのように敵に侮られたまま無様に敗退するつもりか、うぬらは!」
抜刀し、陣頭に立って鼓舞する牛久保六騎の一人・真木兵庫助。そこまで言われてしまっては、兵らの士気は奮い立った。厳密にはどこにも援軍要請は済んでいないし、兵粮蔵も到底籠城できるほどの備蓄はないが、そうでも言わなければ今日が牛久保城最後の日となってしまう。
自分と同じく牛久保六騎に数えられる岩瀬氏俊、牧野定成らが駆けつければ、それこそ戦況を変える一手となるであろうが、はたしてどれだけの数が援軍として駆け付けられるのか。今時点では不明であった。
ともかく、牛久保城の落城、それだけは避けねばならぬと真木兵庫助は兵らを鼓舞して回り、防戦に努める。同じく牛久保城へ在していた息子とともに攻め込んでくる松平勢や豊川三人衆の軍勢を迎撃する。
当初は城外の柵を壊し、濠を越えて外郭を破る寸前まで突き進んだ寄せ手であったが、真木兵庫助父子が留守居の部隊を指揮して堅守し始めてからは一歩たりとも先へ進めずにいた。
「父上!これでは被害が増すばかり!牛久保城攻略は諦めるべきでは!?」
「腑抜けたことを申すな!ここで落とせなかったら、金輪際落とすことなど叶わぬ!今を逃せば次はないのだ!」
西郷孫六郎の撤退すべきという進言を退けたうえで、西郷弾正左衛門は強攻策をとる。その願いが通じてか、城内にて異変が起こった。設楽越中守が攻撃している門が不意に内側から開いたのである。
「牧野平左衛門入道、すでに松平蔵人佐殿より城攻めのことは承っておった!いざ、お通りあれ!」
父子揃って松平からの調略を受けていた牧野一族の牧野平左衛門入道に招き入れられる形で、設楽越中守率いる設楽勢が真っ先に城内へ駆けいる。手柄を独り占めさせまいとすぐ傍の松平勢も後に続いていく。
残された野田菅沼勢と西郷勢もまた、曲輪内に敵が侵入して城兵らが狼狽える間に城壁を越えて城内へなだれ込む。
一族までもが離反し、外郭を破られた城方は一挙に劣勢となる。しかし、そこへ真木兵庫助と同じく牛久保六騎に数えられる齢二十三の若武者・稲垣平右衛門長茂が数百の手勢を引き連れて援軍に駆け付ける。
「真木殿!援軍に駆け付け申した!」
「おう、平右衛門か!すまぬ、助かった!」
「ここへ向かう前に吉田城代の大原肥前守資良殿や二連木城の戸田主殿助重定殿へ援軍を要請して参った!じきにこちらへ援軍が参りまするぞ!」
「でかした!さすが平右衛門じゃ!よしっ、ならばもうひと踏ん張りじゃ!それっ、敵を押し戻せ!」
形勢が二転三転する牛久保城の戦い。攻め手が有利に傾いたかと思えば、再び城方が盛り返す。そんな状況下で稲垣平右衛門へ近づいてくる軍勢が二つあった。
「方々、援軍に参りましたぞ!」
「おおっ、あれは牧野弥次右兵衛尉殿に牧野助兵衛殿か!助かった!牧野一族の援軍とあれば、士気も盛り返すであろうぞ!」
一人歓喜する稲垣平右衛門。次の瞬間には牧野弥次右兵衛尉、牧野助兵衛正重らによる突撃が開始された。
だが、突撃したのは松平方の方ではなく、他でもない稲垣勢に対してであったのだ――
「殿、西尾城攻略は上首尾に参りましたな」
「おお、雅楽助か。まこと、思うておったよりも上手く事が成せたのには驚きじゃ」
一刻前まで繰り広げられた壮絶な死闘によって亡くなった者たちの亡骸が搬出される光景を見やりながら、元康と酒井雅楽助政家は城内を練り歩いていた。
「ここ西尾城には予定通り、吉良三郎義安様がお入りになられるわけですな」
「うむ。まもなく、吉良三郎様も西尾城へ到着されるとのことゆえ、そのことは到着を待ってから話すこととしたい」
「承知いたしました。よもや長沢の鳥屋ヶ根城よりも先に西尾城が攻略できようとは思いませんでしたな」
「まことじゃ。じゃが、松平家の旧領ではない西尾城を攻撃して奪ったことが駿府へ知れれば、いよいよ本格的な戦となっていこう。今日以上に厳しい戦いとなるは間違いない」
元康が言わんとしていることは傍らの酒井雅楽助にも痛いほど理解できている。元康が吉良三郎を西尾城へ入れたことは、今川氏の後ろ盾を得ている東条城の吉良義昭を否定することにもなる。
「殿、吉良三郎様ご到着にございます」
「おお、三郎兵衛か。うむ、ご苦労。すぐに大広間にて対面することといたす」
元康は天野三郎兵衛康景案内のもと、酒井雅楽助とともに大広間へと赴いた。春らしいすべての生物に温もりを与える陽光を浴びながら到着した大広間には、正装した吉良三郎の姿があった。
「おお、蔵人佐殿。此度はまことかたじけない」
「いえ、松平家にとって、吉良家は父のような存在。こうして、名前は変わってしまいましたが、西尾城へ吉良三郎様がお戻りになられたこと、心よりお喜び申し上げまする」
「ほほほ。されど、予はこの城に戻れたことに満足しておる。あとは東条城におる弟より吉良氏の家督を取り戻せたならば思い残すことはない。ゆえに、この西尾城には蔵人佐殿が家臣を城主として置いてはくれぬか」
思いがけない言葉に、その場に居合わせる松平家臣たちは鳩が豆鉄砲を食ったようであった。無論、それは元康も例外ではなかったのだが。
「されど、ここは吉良家の城にございまする。それを当家の家臣を城主に据えるなどあってはなりませぬ」
「良いのじゃ。これまで予が今川家に対して無力で何もできず、城を追われてしもうた。じゃが、その城を一日で取り戻した松平蔵人佐こそが持つに相応しい城。ただし、然るべき者を城主に据えていただくことを条件とさせていただこう」
吉良三郎からの申し出にどう応答すればよいか、さすがの元康でも早急に答えを導き出すことは至難であった。そもそも、西尾城主として然るべき者の定義があいまいであるため、下手な者を推挙すれば不興を買う恐れすらあるのだ。
「蔵人佐殿、随分と悩んでおられる様子じゃが」
「いかにも。されど、西尾城を任せるに相応しい人物ならば、一人思い浮かんでございます」
「ほう。それは?」
「これに控える酒井雅楽助政家にございまする」
一体誰を推挙するのか、固唾を呑んで見守っていた酒井雅楽助も、よもや自分の名前が挙がるとは思いも寄らず、正座したまま幾度とまばたきを繰り返していた。
「おお、酒井雅楽助殿か。うむ、たしか蔵人佐殿誕生の折、胞刀の役を務めた重臣の一人であったな」
「いかにも。某にとっても西尾城を任すに足る重臣にございます。某が幼少の頃から駿府へ随従いたした忠義者にございますれば、人となりにつきましてもこの元康が保証いたしまする」
「うむ。酒井雅楽助殿といえば、松平の重臣。予も駿府へおった折に何度も名を聞いた武士じゃ。西尾城を任せるに不足はなかろう」
老臣である鳥居伊賀守忠吉や石川安芸守忠成、大久保新八郎忠俊あたりを推挙することも考えたが、彼らは老齢であることから辞退することが目に見えている。
ともすれば、彼らよりも一回り二回り齢が下の者で、城一つを任せるに足る重臣となれば、元康の中で真っ先に酒井雅楽助の名が挙がるのは自明の理であった。
「殿!まことに某が西尾城主となるので……!?」
「そうじゃ。そなたの人柄も能力もわしは加味したうえで決めたことじゃ。齢四十一のそなたならば血気に逸って失態を犯すこともなく、これまでの経験を活かして城主の任を全うしてくれると期待しての事じゃ。よもや、わしの期待を裏切るようなことはするまいな?」
「はっ、殿にそこまで言われてますと、断ることなどできませぬな。然らば、この酒井雅楽助政家、西尾城主の任、謹んで拝命いたしまする!」
「よしっ!」
元康が膝を打って喜ぶ様に、傍らの吉良三郎も良き主従関係であると痛感させられていた。
こうした信頼関係で結ばれた主従など、そうはおるまい。自分にもこうした忠臣がおれば、また人生も違うものとなったのであろうか。
そうしたことを考えてしみじみする吉良三郎義安は、無事に西尾城へ帰還したものの、城主としての任は元康重臣・酒井雅楽助へ委ねられることとなったのである。
「蔵人佐殿。此度は西尾城を奪い返すという予の願いを聞き届け、実現させてくれたこと、改めて礼を申しますぞ」
「なんのこれしき。じきに東条城の吉良義昭様より吉良氏の家督も取り戻してご覧にいれまするゆえ、荒川城の荒川甲斐守殿とともに当家をご支援くださいませ」
「うむ、そうじゃな。頼りにしておるぞ、蔵人佐殿」
足利御一家衆である吉良氏の血筋である二十六歳の吉良三郎とそれを支える弱冠二十歳の松平宗家当主・元康という構図のもと、今後も今川氏と敵対する中で両者の関係は続いていくこととなる。
そして、西尾城主という役割を元康より託された酒井雅楽助もまた、西尾城が管轄する地域支配に携わる支城領主的な立場となった。
この西尾城攻めは関わる人々の人生を激変させるものとなったのである。そうして西尾城から順当に牧野民部丞を追い落とした頃、東三河にある牧野民部丞が居城・牛久保城の周囲でも一大事が起ころうとしていた。
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そんな城主不在の牛久保城へ、設楽越中守貞通の三つ盛り十二葉菊の旗、西郷弾正左衛門正勝とその嫡男・孫六郎元正の丸に一枚鷹の羽の旗、菅沼新八郎定盈の丸に釘抜き紋の旗が徒党を組んで北から接近。西からは元康によって派遣された松平勢が進軍してきていた。
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「おお、新八郎か。うむ、それも覚悟のうえじゃ。関東ばかり見て、三河には見向きもせぬような大名に従属していては当家の存続も危ぶまれる。ここは松平蔵人佐殿とともに三河より今川勢を駆逐し、新たな三河支配を目論む方が良かろう」
馬を並べて進軍する菅沼新八郎と西郷弾正左衛門。西郷弾正左衛門の正室が菅沼新八郎の叔母であることから生じた姻戚関係は良好なまま今日まで続いていた。そんな仲良さげな、まるで実の父子かのような両名の隣へ駆けてくる一騎の騎馬武者の姿があった。
「おお、ご両名。此度は牧野民部丞めに我ら豊川三人衆が実力、とくと見せつけてくれましょうぞ!」
「おお、設楽越中守殿か!よもや、貴殿が真っ先に松平方へ加担しようとは、この西郷弾正左衛門も驚かされましたぞ」
「ははは、儂は昨年からの今川家の西三河対応には不平不満が蓄積しておったのじゃ。援軍を送りたくとも、駿府の許可なく動けぬゆえ、松平蔵人佐殿がこうして放棄せざるを得なくなるまでに追い込んでしもうた。そのことに某は責任を感じたのでござる」
「まこと義理堅い男じゃ。まぁ、それは儂も新八郎も同じじゃがな!」
仲良く馬を並べて進軍する豊川三人衆の軍勢は元康の書状にあった地で定刻通り松平の援軍を加えると、ついに牛久保城を視認できる地まで到着したのである。
「父上!」
「おう、孫六郎か。敵の様子はいかがであった」
「はっ、まもなく陽が昇りまするゆえ、寝ずの番をしていた者らも交代のために持ち場を離れだしておりまする」
西郷弾正左衛門は今川義元より偏諱を受けた嫡子・孫六郎元正の報告を満足げに聞き届けると、傍らの菅沼新八郎と設楽越中守へ目くばせする。目くばせされた両名はただちに手勢を展開させ、号令を発した。
「者共、敵が油断しておる今こそ好機!かかれっ!」
わあっと鬨の声を発しながら、西郷勢、野田菅沼勢、設楽勢は援軍に駆け付けた松平勢ともども大挙して牛久保城へと攻め寄せた。
突如として城外より上がった鬨の声に守兵らは狼狽する。この周囲に敵はいない。そう認識して惰性で守備に当たっていた牧野兵にとって、この奇襲はまさに寝耳に水。さりとて、城主・牧野民部丞は西尾城在番のために不在という状況では、混乱は拡大するばかりであった。
「者共!怯むな!」
しかし、そんな牧野勢の中にあって、まったく狼狽える素振りを見せない者があった。そう、留守居役の真木兵庫助重信である。
「すでに岩瀬城の岩瀬氏俊殿、牧野定成殿には兵粮の確保に動くことや牛久保城へ至急援軍を送ってほしい旨の要請は済んでおる!案ずるな!殿がおらねば牧野兵は脆いと見て、敵は攻めてきておるのじゃ!そのように敵に侮られたまま無様に敗退するつもりか、うぬらは!」
抜刀し、陣頭に立って鼓舞する牛久保六騎の一人・真木兵庫助。そこまで言われてしまっては、兵らの士気は奮い立った。厳密にはどこにも援軍要請は済んでいないし、兵粮蔵も到底籠城できるほどの備蓄はないが、そうでも言わなければ今日が牛久保城最後の日となってしまう。
自分と同じく牛久保六騎に数えられる岩瀬氏俊、牧野定成らが駆けつければ、それこそ戦況を変える一手となるであろうが、はたしてどれだけの数が援軍として駆け付けられるのか。今時点では不明であった。
ともかく、牛久保城の落城、それだけは避けねばならぬと真木兵庫助は兵らを鼓舞して回り、防戦に努める。同じく牛久保城へ在していた息子とともに攻め込んでくる松平勢や豊川三人衆の軍勢を迎撃する。
当初は城外の柵を壊し、濠を越えて外郭を破る寸前まで突き進んだ寄せ手であったが、真木兵庫助父子が留守居の部隊を指揮して堅守し始めてからは一歩たりとも先へ進めずにいた。
「父上!これでは被害が増すばかり!牛久保城攻略は諦めるべきでは!?」
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「牧野平左衛門入道、すでに松平蔵人佐殿より城攻めのことは承っておった!いざ、お通りあれ!」
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残された野田菅沼勢と西郷勢もまた、曲輪内に敵が侵入して城兵らが狼狽える間に城壁を越えて城内へなだれ込む。
一族までもが離反し、外郭を破られた城方は一挙に劣勢となる。しかし、そこへ真木兵庫助と同じく牛久保六騎に数えられる齢二十三の若武者・稲垣平右衛門長茂が数百の手勢を引き連れて援軍に駆け付ける。
「真木殿!援軍に駆け付け申した!」
「おう、平右衛門か!すまぬ、助かった!」
「ここへ向かう前に吉田城代の大原肥前守資良殿や二連木城の戸田主殿助重定殿へ援軍を要請して参った!じきにこちらへ援軍が参りまするぞ!」
「でかした!さすが平右衛門じゃ!よしっ、ならばもうひと踏ん張りじゃ!それっ、敵を押し戻せ!」
形勢が二転三転する牛久保城の戦い。攻め手が有利に傾いたかと思えば、再び城方が盛り返す。そんな状況下で稲垣平右衛門へ近づいてくる軍勢が二つあった。
「方々、援軍に参りましたぞ!」
「おおっ、あれは牧野弥次右兵衛尉殿に牧野助兵衛殿か!助かった!牧野一族の援軍とあれば、士気も盛り返すであろうぞ!」
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でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
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お姉ちゃんの秘密の悩みです。
対ソ戦、準備せよ!
湖灯
歴史・時代
1940年、遂に欧州で第二次世界大戦がはじまります。
前作『対米戦、準備せよ!』で、中国での戦いを避けることができ、米国とも良好な経済関係を築くことに成功した日本にもやがて暗い影が押し寄せてきます。
未来の日本から来たという柳生、結城の2人によって1944年のサイパン戦後から1934年の日本に戻った大本営の特例を受けた柏原少佐は再びこの日本の危機を回避させることができるのでしょうか!?
小説家になろうでは、前作『対米戦、準備せよ!』のタイトルのまま先行配信中です!
影武者の天下盗り
井上シオ
歴史・時代
「影武者が、本物を超えてしまった——」
百姓の男が“信長”を演じ続けた。
やがて彼は、歴史さえ書き換える“もう一人の信長”になる。
貧しい百姓・十兵衛は、織田信長の影武者として拾われた。
戦場で命を賭け、演じ続けた先に待っていたのは――本能寺の変。
炎の中、信長は死に、十兵衛だけが生き残った。
家臣たちは彼を“信長”と信じ、十兵衛もまた“信長として生きる”ことを選ぶ。
偽物だった男が、やがて本物を凌ぐ采配で天下を動かしていく。
「俺が、信長だ」
虚構と真実が交差するとき、“天下を盗る”のは誰か。
時は戦国。
貧しい百姓の青年・十兵衛は、戦火に焼かれた村で家も家族も失い、彷徨っていた。
そんな彼を拾ったのは、天下人・織田信長の家臣団だった。
その驚くべき理由は——「あまりにも、信長様に似ている」から。
歴史そのものを塗り替える——“影武者が本物を超える”成り上がり戦国譚。
(このドラマは史実を基にしたフィクションです)
対米戦、準備せよ!
湖灯
歴史・時代
大本営から特命を受けてサイパン島に視察に訪れた柏原総一郎大尉は、絶体絶命の危機に過去に移動する。
そして21世紀からタイムリーㇷ゚して過去の世界にやって来た、柳生義正と結城薫出会う。
3人は協力して悲惨な負け方をした太平洋戦争に勝つために様々な施策を試みる。
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