ライオンハート

紅夜蒼星

文字の大きさ
上 下
11 / 52

第二話 【預言】 3

しおりを挟む
「……で、これを預言者サマは預言してたってわけかな」

「さぁどうかしらね。あの人はなんでも知っているし」

「なんでも、ねぇ」

 ギルドルグが家の方を振り返り、窓から微笑む預言者を見る。本当に謎めいた老人だ。
 その瞬間、何かが走ってくるような音が聞こえてきた。完全にギルドルグは油断しており、いつもよりも一瞬だけ反応が遅れた。
 ゼルフィユが何かを叫び、ギルドルグと優の服を引っ張る。
 まだ動ける様子のユーガスが叫びながら、先ほどの投げ斧よりやや大きい斧を振り下ろしてくる。
 ゼルフィユが二人を強く引っ張り後ろに倒す。おかげか不意打ちの一閃は、優の服に少しの切れ目を作っただけで済んだ。少し赤く血が滲んでいるが、そのくらいなら大丈夫だろう。
 振り下ろされた斧の威力は凄まじく、その刃は地面を深く抉っていた。当たっていたら、まず間違いなく頭は真っ二つになっていたはずだ。
 斧に全体重をかけていたのか、ユーガスは腰を曲げながらしゃがみこんでいる。
 
「俺様をコケにしやがってぇぇぇぇ! 許さねぇええええ!」

 斧を引っこ抜くのと同時に、勢いをそのままにユーガスはしゃがんだまま、右から左へと体重移動をすることで二人へと切りかかる。
 さっきこそ不意を突かれたが、分かっていれば避けられる。ギルドルグと優は後ろへと退くことで、横からやってくる斧を避けた。そのままユーガスは左足を軸足として立ち上がって一回転し、斧を右手に持って戦闘態勢をとる。左手は背中へと当てられていた。
 完全なる迎撃態勢である。回転の際、背中に数個投げ斧が装着されているのが見えたため、下手に動けば投げ斧が飛んでくることが容易に想像できる。
 手のひらはユーガスに向け、ギルドルグは思考する。
 しかし、であった。

「……クソ髭、てめぇ一体何してくれやがった」

「あ゛?」

 ゼルフィユがユーガスに向けて悪態をつく。当然ユーガスはそちらを向き――止まる。
 否、ユーガスだけではない。ギルドルグと優も含め、その場にいた全員が凍りついてしまった。
 
「ゼルフィユ、お前!」

「優に、傷を、つけやがったな?」

 ゼルフィユの羽織っているコートが、だんだんと膨れ上がっていく。
 そのたびにゼルフィユの声は一段階、もう一段階とドスの効いた声に、まさにケダモノの唸り声のように変貌を遂げる。顔を怒りに震わせながら、鼻は人間のそれとはかけ離れたものへと変わり、口からは二本の鋭い牙が姿を見せる。顔やコートから伸びる手の甲にはふさふさとした銀色の毛が伸び始めていた。
 噂には聞いたことがある。何らかの切欠で獣へと姿を変える半獣の家系。
 その最たる存在であり、噂でしか聞くことのない人狼の家系。
 “アブゾ”。

「アブゾ家の奴だったか!」

「許さ、ね゛ぇ」

 唸るように呟くと、ゼルフィユは毛深くなった右腕でユーガスの顔面を掴む。掴んだ後は彼を持ち上げて、そしてそのまま優が発現した壁へと叩き込み、後頭部を壁へと直撃させた。衝撃でユーガスは今度こそ完全に意識を失い、ガクンと頭を垂れる。
 なんのことはない、力に自信がある戦士の戦い方――“ではなかった”。
 本来の戦い方と大きく違う点が一点。あまりにも深く、大きく違う点がそこにはあった。
 その動作は、“誰も反応ができないほどに”、速かったのである。

「はっ!?」

 ギルドルグは驚愕した。なんの変哲もない、ただ喧嘩っ早いだけの青年と思いきや、人狼などという怪物であったのだ、当然であろう。
 だがここまでとは想像もつかなかった。
 反応速度には自信があった彼だが、まさか突っ立っているだけになろうとは。驚愕の隙云々を大目に見ても、恐るべき速度だ。

「ゼルフィユ!」

 彼の隣にいた優が、あの怪物と化したゼルフィユに叫ぶ。ただ先ほどと違って、ゼルフィユが彼女に反応する気配はない。
 半獣の化け物となったゼルフィユは、ユーガスの顔を毛むくじゃらの掌で掴んだままだ。恐らく命を絶ってはいないだろう。
 ギルドルグは状況を整理し、そして疑問に思う。
 
「優。お前とゼルフィユ。お前ら一体……」

 異能の力を持ち、人並み以上に戦闘能力があることを示して見せた夜昏優。
 名高い人狼の家系、アブゾの血をひくゼルフィユ・アブゾ。
 この二人は何故、レブセレムの街で静かに暮らしていたのか。いや――“そうせざるをえない事情があった?”
 謎といえば後ろの家からこちらを見続けるあの預言者、メルカイズも無視できない存在だ。先ほどから表情を崩さずにたたずむその様子はなんとも不気味だ。大体少しは助けも期待したが、まさか本当に力試しをしているのか。
 異能の少女、人狼の青年、そして預言者であり、元最上軍師。
 全く絡み合いそうもないその三つの糸は、一体どこで交わった。どんな大いなる意思が、この三人をめぐり合わせた。 

「あああああああああああああ!」

 咆哮が響き渡る。ギルドルグは一度思考を中断した。
 見れば、ゼルフィユはユーガスの顔を掴んだまま、もう一度高々と持ち上げていた。既にユーガスに意識はないため、だらんと腕と足をぶら下げている。
 
「まずい……暴走してるのか!?」

 命まで奪う必要はない。
 ギルドルグの信念であり、今まで守ってきたルールのようなものだ。
 今命を奪われかけているユーガスは、今までどんなことをしてきた人間かは知らないが、目の前でむざむざと殺されるべき人間ではないだろう。瞬時に判断し、ギルドルグは暴走しているゼルフィユのもとへと走る。下手な刺激を加えないように、静かにではあるが。
 そしてあと数歩で、腕がゼルフィユに届くところまでやって来た。
 彼はゼルフィユをまず落ち着かせようと、肩に手を置くように腕を伸ばす。
 その時、ゼルフィユはこちらを向いた。

「見でろ゛」

 ゼルフィユの赤い瞳は血のように紅色に染まっており、そこにさっきまでの彼の幻影を見ることはできない。
 地の底から這いずって来るような、低い声を彼は発した。
 間近で聞く獣の声というのはこういうものなのか。彼自身狼に唸られるという経験はしたことがなく、想像で語ることしかできないが。
 唸られる経験はしたことがない――しかし、既視感。
 
『魔法石を、渡せ』

 限りなく最近の体験であり、これから二度と消えないであろう恐怖の記憶が、ギルドルグの体を襲った。
 あの時と同じように、体に力が入らずに、ただゼルフィユの真っ赤に染まったケダモノのような目を見ているだけしかできなかった。
 そこにあるのはあの時と同じく、遺伝子に刻まれた原初の恐怖。始まりの関係。
 捕食者と、被捕食者の関係。

「ゼルフィユ!」

 優がもう一声叫ぶと、ゼルフィユの動きが止まり、顔面を掴まれていたユーガスはそのまま地面へと落下した。
 ユーガスはそのまま地面に倒れこむ。体が少しだけ上下しており、死んではいないことが見て取れた。無駄に人の命を取りたくはないので、その点でギルドルグはまず安堵する。
 問題はゼルフィユの方だ。今は動きを完全に止めているが、先ほどのような状態が続くと、こちらへ危害を加えてくる可能性も考えられる。まぁこちらというか、ギルドルグだけにだとは思うが。
 ゼルフィユはしばらく動きを止めていたが、やがて天を仰いだ。
 そして。

「あー……また暴走してたか」

 ゼルフィユは後ろを向いたまま、ボリボリ頭を掻く。その声は既に、出会った時の彼の声に間違いなかった。やがて首や手に生えた獣の毛は縮んでいくと、完全に彼の中へと納まる。
 すると彼はこちらを振り返る。狼のような鼻は人間のそれへと戻っており、若干顔の毛が長いままであるものの、概ね人間の顔となっていた。つまりほとんど先ほどまでの、人間だったゼルフィユ・アブゾへと戻っていた。

「驚かせちまったか? 悪いな」

「いいよ別に」

「テメェじゃねぇよ優に言ったんだ」

「知ってた! 絶対コイツは俺のことを心配しないなんて、出会った時から知ってた!」

 とは言うものの、ゼルフィユはややバツの悪そうな顔をしていた。見知った仲である優はともかく、今日会ったばかりのギルドルグにあの姿を見られるのは、やはり恥ずかしいというか、そういう感情があるのだろう。特に誰もが聞いたことがある人狼の家系であることは、隠しておきたい事実だったのだろう。仕方ないことだ。
 ギルドルグは一呼吸すると、後ろへと視線を移す。

「預言者さんよ、終わったぜ」

 振り向いて見れば、預言者がやはり先ほどと変わらずに佇む様子が見えた。優しげに小さく微笑んでいるが、ギルドルグはその様子に親しみは微塵も感じられず、鳥肌しか立たなかった。
 一体あそこにいる預言者は、自分たちの窮地に何回その微笑を崩したのだろう。親しげに会話をしていた優とゼルフィユの命の危機を、国を救ってくれと頼んだはずのギルドルグの苦境を、一体預言者はどういう表情で見ていたのだろう。
 想像するだけで恐ろしい。
 きっと。
 戦闘の開始から終結まで、きっとあの微笑みは一回も崩れていないのだ。

「あぁやっと終わったか。思ったよりもかかったの」

 労をねぎらうでもなく、預言者の第一声がこれである。先ほどの予想は間違いなく当たっていると、ギルドルグは確信した。
 優とゼルフィユは服に付いた砂埃を払いながら家の方へ向かっていく。後を追うようにして、彼も歩き始めた。
しおりを挟む

処理中です...