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第六話 【入山】 1
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「それで正式に霧厳山脈に挑むことが出来るってわけか……けど一つ。一つだけ言わせろ」
壁や器具のほとんどはさわやかな白で覆われ、清潔感に溢れる防衛軍の施設内の治療室。そこでゼルフィユは、配置されている10床のベッドの1つから上体を起こした。
彼は戦闘が終わっても起きる気配がなかったので、ギルドルグが不平たらたらながらも背負ってきたのである。
そしてこの不満たらたらのゼルフィユが目を覚まし、優が状況を説明し終わると同時に声を上げた。
「こいつらも何で一緒に付いてくるんだよ! 勝ったら入山を認めるっつっといてこれかよ!」
ゼルフィユは思い切り不機嫌そうに、隣のベッドで不敵な笑みを浮かべるディムを指さした。
小馬鹿にするように人差し指を振って、出来の悪い生徒にものを教えるようにディムは彼に答える。
「おいおい別に入山を認めないとは言ってないぜ? ただ防衛軍の職務としてお前らの仕事を監視しなくちゃあならないんでな。大体お前は俺に負けてるんだぜ子犬ちゃんよ」
何も言い返せないのか、ゼルフィユは歯を剥き出しにしてガルルルルと唸っている。
戦闘の前は刺すような空気に少し気後れしたが、今ではそんな気配はきれいさっぱりなくなっている。
剣と剣とで――否、彼らの場合は拳と爪、か。殺し合いを経て、お互いに何かを感じたのか。心配という訳ではなさそうだが、ディムはディムで思うところがあるようで、面白そうにゼルフィユをからかっている。
「監視も何もねぇだろ将軍。ホントの目的を言えよ」
二人のやりとりを尻目に、ギルドルグはピースベイク将軍へと声をかけた。
彼は治療室の壁に寄りかかりながら立っている。傍らのアルドレドと目を合わせ、少しの沈黙の後、観念したように将軍は口を開いた。
「あぁ察しがいいな。教えてやるよ、霧厳山脈は只今絶賛異常気象中だ。ここ数年有り得なかった事態が今起きてる。まるで山が意思を持ってるみてぇにな。自分の中に飛び込んでくる羽虫を、拒むがごとく」
「異常気象? 別に普通じゃなかったか?」
「馬鹿かお前。本来霧がこんなところまで来るなんてことは有り得ない。お前らが呑気に山登りを決め込もうとしてる間、俺たちはオスゲルニアによる宣戦布告だと思って戦闘態勢までとってたんだぜ? だが結局危険を承知で来てみれば、なんとまぁ捕まえたのはネズミが三匹」
ディムは軽く笑うが、ギルドルグ達三人からしてみればあまり笑える状況ではなかった。
もしあの霧の中を、オスゲルニアの軍隊が移動してきていたなら? そしてもし、前もろくに見えないような霧の中で、敵と鉢合わせになっていたら?
十分に考えられた事態だ。今さら遅いが、ギルドルグは身を震わせた。
「国境警備軍の発足以来続けられてきた山脈の霧の監視ですが、ここに来て初めての事態です。軍の存在意義、エルハイムの守護のためにもこの原因を突き止めなくてはなりません」
「それゆえの同行と調査ってわけかい。しかし将軍、仮にもエルハイム軍が国境となっている霧厳山脈に入るんだ。オスゲルニアの奴らから何か言いがかりをつけられそうだけどな」
「知ったことかよ、と言いたいが一応問題ない。現在の霧厳山脈の状況では大規模な軍隊でなく個人の侵入は監視を受けない。お前ら三人が入っても尚あちら側から報告がないということはそういうことだ」
逆説的に言うならば、霧厳山脈には少数精鋭でなければならない。
おそらくは大人数で動けば侵略行動として迅速な対応がとられるのだ。少人数で動けば、観測されたところで流離人や宝狩人に誤認されるということか。
そこで、ギルドルグはある疑問へと至った。
「それじゃあ昨日襲ってきたダズファイルは奴らの国境警備軍ってことなのか? けど俺らを逃がした意味が分からねぇし……」
「おい」
ギルドルグの思考は、ピーストルクの唐突な呼びかけによって中断された。
彼の方を見ると、ありえないとでも言いたげな目でこちらを見ていた。出会って初めて、彼の表情に陰りが見える。
ディムやアルドレドも、信じられないとでも言いたげにギルドルグの方を見ている。
驚愕というよりも――これは、恐怖、か?
「何かの間違いじゃねぇのか? 顔をさっき見ただろ? よく思い出せよ」
「嫌ってほど見たし、第一あいつから名乗ってきたぜ。ダズファイル・アーマンハイドを忘れるな――とかなんとか……」
「あいつはあの戦争の後、オスゲルニアにて処刑された」
部屋に、重苦しい沈黙が落ちた。今度はギルドルグ達が口を閉ざす。
ピースベイクは、一体何を言っている。十五年前の戦争の総指揮者、ダズファイル。その男は既に処刑されていた?
そんな馬鹿な。ギルドルグは小さく呟く。
だったら昨日の襲撃は、一体何だというのだ。謎の兵士をけしかけてきたあの男は、一体誰だというのだ。
「泥沼になりかけたあの戦争の終焉は、首謀者の処刑によってなされたと聞いています。彼の首が落ちたところをエルハイムの使者が見届けました。それをもって全ては終結したはずです」
「けど確かに昨日襲撃してきたのはこの男よ。三人ともしっかり顔を憶えているし、ここで嘘をついても意味がない」
そう、ここで嘘をつく意味はギルドルグ達にはない。ただそれと同様に、ピースベイク達にとっても嘘をつく意味はない。
であれば、この矛盾は何なのか。過去の男が現代に蘇り、霧厳山脈で再起の時を待っているとでもいうのか。
ギルドルグの脳裏に、昨日襲撃を受けた際の場景が浮かんでいた。
あの山脈で襲来した霧。あと一歩まで迫った“死”を前に、自分は身動きすらとれなかった。
そしてそんな彼に失望したように、あの男は吐き捨てた。
“失せろ、英雄気取り。お前に我は殺せぬよ”
聞いた時から、何度も何度も。
ぶつけられたあからさまな落胆の言葉が、彼の頭でしつこく渦を巻いた。
壁や器具のほとんどはさわやかな白で覆われ、清潔感に溢れる防衛軍の施設内の治療室。そこでゼルフィユは、配置されている10床のベッドの1つから上体を起こした。
彼は戦闘が終わっても起きる気配がなかったので、ギルドルグが不平たらたらながらも背負ってきたのである。
そしてこの不満たらたらのゼルフィユが目を覚まし、優が状況を説明し終わると同時に声を上げた。
「こいつらも何で一緒に付いてくるんだよ! 勝ったら入山を認めるっつっといてこれかよ!」
ゼルフィユは思い切り不機嫌そうに、隣のベッドで不敵な笑みを浮かべるディムを指さした。
小馬鹿にするように人差し指を振って、出来の悪い生徒にものを教えるようにディムは彼に答える。
「おいおい別に入山を認めないとは言ってないぜ? ただ防衛軍の職務としてお前らの仕事を監視しなくちゃあならないんでな。大体お前は俺に負けてるんだぜ子犬ちゃんよ」
何も言い返せないのか、ゼルフィユは歯を剥き出しにしてガルルルルと唸っている。
戦闘の前は刺すような空気に少し気後れしたが、今ではそんな気配はきれいさっぱりなくなっている。
剣と剣とで――否、彼らの場合は拳と爪、か。殺し合いを経て、お互いに何かを感じたのか。心配という訳ではなさそうだが、ディムはディムで思うところがあるようで、面白そうにゼルフィユをからかっている。
「監視も何もねぇだろ将軍。ホントの目的を言えよ」
二人のやりとりを尻目に、ギルドルグはピースベイク将軍へと声をかけた。
彼は治療室の壁に寄りかかりながら立っている。傍らのアルドレドと目を合わせ、少しの沈黙の後、観念したように将軍は口を開いた。
「あぁ察しがいいな。教えてやるよ、霧厳山脈は只今絶賛異常気象中だ。ここ数年有り得なかった事態が今起きてる。まるで山が意思を持ってるみてぇにな。自分の中に飛び込んでくる羽虫を、拒むがごとく」
「異常気象? 別に普通じゃなかったか?」
「馬鹿かお前。本来霧がこんなところまで来るなんてことは有り得ない。お前らが呑気に山登りを決め込もうとしてる間、俺たちはオスゲルニアによる宣戦布告だと思って戦闘態勢までとってたんだぜ? だが結局危険を承知で来てみれば、なんとまぁ捕まえたのはネズミが三匹」
ディムは軽く笑うが、ギルドルグ達三人からしてみればあまり笑える状況ではなかった。
もしあの霧の中を、オスゲルニアの軍隊が移動してきていたなら? そしてもし、前もろくに見えないような霧の中で、敵と鉢合わせになっていたら?
十分に考えられた事態だ。今さら遅いが、ギルドルグは身を震わせた。
「国境警備軍の発足以来続けられてきた山脈の霧の監視ですが、ここに来て初めての事態です。軍の存在意義、エルハイムの守護のためにもこの原因を突き止めなくてはなりません」
「それゆえの同行と調査ってわけかい。しかし将軍、仮にもエルハイム軍が国境となっている霧厳山脈に入るんだ。オスゲルニアの奴らから何か言いがかりをつけられそうだけどな」
「知ったことかよ、と言いたいが一応問題ない。現在の霧厳山脈の状況では大規模な軍隊でなく個人の侵入は監視を受けない。お前ら三人が入っても尚あちら側から報告がないということはそういうことだ」
逆説的に言うならば、霧厳山脈には少数精鋭でなければならない。
おそらくは大人数で動けば侵略行動として迅速な対応がとられるのだ。少人数で動けば、観測されたところで流離人や宝狩人に誤認されるということか。
そこで、ギルドルグはある疑問へと至った。
「それじゃあ昨日襲ってきたダズファイルは奴らの国境警備軍ってことなのか? けど俺らを逃がした意味が分からねぇし……」
「おい」
ギルドルグの思考は、ピーストルクの唐突な呼びかけによって中断された。
彼の方を見ると、ありえないとでも言いたげな目でこちらを見ていた。出会って初めて、彼の表情に陰りが見える。
ディムやアルドレドも、信じられないとでも言いたげにギルドルグの方を見ている。
驚愕というよりも――これは、恐怖、か?
「何かの間違いじゃねぇのか? 顔をさっき見ただろ? よく思い出せよ」
「嫌ってほど見たし、第一あいつから名乗ってきたぜ。ダズファイル・アーマンハイドを忘れるな――とかなんとか……」
「あいつはあの戦争の後、オスゲルニアにて処刑された」
部屋に、重苦しい沈黙が落ちた。今度はギルドルグ達が口を閉ざす。
ピースベイクは、一体何を言っている。十五年前の戦争の総指揮者、ダズファイル。その男は既に処刑されていた?
そんな馬鹿な。ギルドルグは小さく呟く。
だったら昨日の襲撃は、一体何だというのだ。謎の兵士をけしかけてきたあの男は、一体誰だというのだ。
「泥沼になりかけたあの戦争の終焉は、首謀者の処刑によってなされたと聞いています。彼の首が落ちたところをエルハイムの使者が見届けました。それをもって全ては終結したはずです」
「けど確かに昨日襲撃してきたのはこの男よ。三人ともしっかり顔を憶えているし、ここで嘘をついても意味がない」
そう、ここで嘘をつく意味はギルドルグ達にはない。ただそれと同様に、ピースベイク達にとっても嘘をつく意味はない。
であれば、この矛盾は何なのか。過去の男が現代に蘇り、霧厳山脈で再起の時を待っているとでもいうのか。
ギルドルグの脳裏に、昨日襲撃を受けた際の場景が浮かんでいた。
あの山脈で襲来した霧。あと一歩まで迫った“死”を前に、自分は身動きすらとれなかった。
そしてそんな彼に失望したように、あの男は吐き捨てた。
“失せろ、英雄気取り。お前に我は殺せぬよ”
聞いた時から、何度も何度も。
ぶつけられたあからさまな落胆の言葉が、彼の頭でしつこく渦を巻いた。
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