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第1章 亡国の騎士
1.0 孤島の砦
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黒く、白く、荒れた海。
黒く、赤く、覆われた空。
剥げた岩山。枯れた大地。
絶海に隔たれた孤島に荒波を跳ねた寒風が吹き抜ける。
生命の営みを感じさせない冷たく硬い岩塊は島と呼ぶにはあまりにも殺伐としていた。
そんな荒れ果てた岩影に隠れるように建てられた石造りの建造物。
岩肌をくり貫いた作りになっているその建造物は、外界を覗くための窓にも満たない小さな穴や狭く窮屈な出入り口、人がすれ違うのも苦労する程の手狭な通路など、生活する利便性よりも攻めにくく守りやすい造形、そんな要塞としての造りを成している。
けれども、その実は壁や天井など崩落している箇所も多く、潮風により腐食した門や柱によって、肝心の想定しているであろう"外敵"に対する防護壁としての機能は失われてしまっている。
とある外界からの侵入者を見張る物見台としての要塞―――としての役割の終えて久しい崩落寸前の廃墟。それがこの建物の全てだ。
しかし、役割を終えたのは外敵がいなくなったからではない。
この島には、この国には、この世界には明確な"敵"がいる。
まさに、日も傾き、水平線へとその身を沈めようとする今この時、要塞は外敵に襲われていた。
時は昼と夜の境界線。混じり合う光と影。交差する生と死。逢魔時おうまがとき。
魔と逢い対する時刻。。。。
「我は死ぬのだろう。弱く愚鈍な貴様のせいでな。"ハイデリア"家唯一の生き残りである我が命。どれほどの意味合いが込められていると思う? 心して答えてみよ」
少女が問う。椅子に深く腰掛け頬杖を突いた不遜な物言いだ。
黄金色の髪は短くまとめられ、被服は高級そうな作りではあるが薄汚れている。
彼女の容姿でひと際目を引くのが左顔面を抉る様に残った3本の創痕。そして頬もまた左に大きく裂けており、開けば顎の付け根の辺りまで歪に開く。
額から眼球を挟む形で振り下ろされた傷跡は、美しく整った少女の風貌に禍々しく浮かんだ。
その凶悪な顔に据えられた眼は睨みを利かせたように鋭く、真っ直ぐに正面の男へと向けられていた。
「いえ、死なせはしません。私の命を賭して必ずや姫様を御守りいたします」
膝をつき、頭を垂れる騎士甲冑の男。若く精悍な声色にはまだ幼さが混じっている。
すると女の裂けた口が開いた。
「答えになっていないな。"心して"と言ったぞ。軽い言い回しをするな。貴様の気概になどなにも意味はない」
"姫様"と呼ばれた女の語気が強まる。張り上げてはいなくとも石壁に囲まれた部屋に響く声だ。年端も行かない若年の姫君。けれどもその威風堂々とした物言いは人の上に立つ者の風格をも感じさせる。それを感じての事だろうか、目前の騎士も二の句を告げずにいた。
「"奴ら"に囲まれ逃げ場はない。ここはまだ見つかっていない数少ない要所だったが、今にこの数十倍の数が押し寄せるだろう。そんな中で貴様と10に満たない兵士たちでどう切り抜けると言うのじゃ? いいや、この様じゃ、外の兵たちも無事とは思えん。その場しのぎの戯言に付き合っている暇はないぞ」
そのとき建物が大きく揺らいだ。パラパラと崩れる天井を眺め、呆れたようにため息を吐く。
「非常事じゃ、頭を上げろ。地に付した状態でどうやって剣を振るうつもりだ?」
「も、申し訳ございません姫様・・・・」
騎士はうつむきがちに立ち上がる。歳のほどはまだ若く、目前の"姫"と同年代か少し若いように見える。
若年の騎士は視線を当てどころ無く左右に動かし、外から聞こえる這うような物音にビクりと怯え、姫へと恐る恐る顔を向けるが、真っ直ぐで力強い睨みを受け止めきれずスグに顔を背けてしまう。
その頼りない態度に姫はいら立ちを込めて言った。
「ほんとうにお前は幼少のころから変わらぬな。のう、ウィル? いつまでも主君が魔獣に襲われていても隠れて泣いていただけの"臆病者のウィル"のままじゃな?」
ギクり肩を鳴らし、ウィルと呼ばれた騎士の少年は泣きそうな顔を向けた。その視線はどうやら少女の顔に深く刻まれた傷をなぞっているようだ。
「ご、ごめんよ、クレア」
「・・・・・・・」
「あ、いや、申し訳ありません、姫様・・・」
女=クレア・オーベム・クラウス・ハイデリアに睨まれ即座に呼び直すウィル。
クレアは固く閉じられた扉を睨む。ギシギシと古木がしなり、何者かが部屋の外に溢れているのが想像できた。今にもナニカが扉を破り部屋の中へと跳び込んで来そうだ。猶予はないだろう。
「ウィルよ。若くくして国防の要たる騎士団に入り、戦場に身を置いた今もなおその立ち振る舞い。怯え、恐れ、泣く。実に腹立たしい。無理に剣など握らずとも、臆病者らしく下男として生きればよかったものを」
そこまで言うとクレアは目前の騎士には一瞥もくれず椅子から立ち上がる。クレアの身体は小柄で、互いに立ち上がっているとうつむき猫背気味なウィルとでもかなりの身長差が伺える。
立ち尽くすウィルを置き去り、扉の前へと歩みを進めると閂へと手を伸ばした。
「お待ちください!! 危険です!」
「危険など百も承知だ愚か者!」
クレアが一喝した。
「 このまま籠っていても間もなく破られよう。溝鼠が如き死にざまを晒すくらいなら奴らに食い千切られる前に刃の一つでも突き立ててやる」
しかし、少女の細腕では歪に曲がった閂はビクともしない。
それでもなお扉を開こうとするクレアを「おやめ下さい!!」とウィルが慌てて止めようとした瞬間―――
向こう側からそれはやってきた。
ギィィイイイイイイイ―――と金属が歪み、脳にまで響く咆哮にも似た音。
一瞬何が起きたのか分からず目を見開いたウィルだったが、すぐさま状況を理解した。
"爪"
扉を裂いて突き出た鋭爪。
獲物を捕らえ、命を奪う猟具。
黒みがかった光沢のある甲殻と、そこから伸びた鋭利な鉤爪が扉―――そしてクレアの肉体を裂いて突き出ていた。
「・・・・くそッ」
肩と左胸の間から女体の柔肌に入り込み、後背部の肩甲骨を砕いて突き出た恐爪。
ゴボりと口から血がこぼれ出たのは、どこか臓器を傷つけたからか。
そんなクレアの状態など気にする余裕もなく、その名を叫びながら弾けるように飛び出す騎士の少年。
手には引き抜かれた剣を握りしめ焦りと怒りの入り混じった険相で振り下ろす。
火花
獣の首を絞めあげたかのような、激しい金属音が部屋に響いた。
鍵づめの外殻が割れ砕け、緑がかった血肉が弾ける。扉の外にあるであろう本体からけたたましい叫び声が上がる。ヒトや獣のそれとは違う、どこか無機質な昆虫のそれだ。
吹きあがる血しぶきが顔にかかるのも意に介さず、ウィルは肉に止められた剣へと体重を乗せる。
「うがぁああああああああああああああ!!!!!!!!!」
鬼のような形相で力を込めるが一度止まった刃はなかなか先へと進まない。
それどころか鍵爪の主が力任せに引き抜こうとするせいで、刃の腹へと負荷がかかりミシミシと音を立てて金属が軋む。
このままでは先に刃が折れてしまう。
瞬時にそう判断したウィルは食い込んだ剣を軸にして身体を翻し、鉄靴をはいた足を刃に乗せ勢い任せに踏み込んだ。
再び激しい金属音が響くと、堅硬な鍵爪が両断され宙を舞い、刃は石畳を砕き床へとめり込んだ。
扉の向こうから先の数倍大きな叫びが響く。
両断された鍵爪を残し穴へと腕が引っ込むと、あばれまわっているのだろう壁や扉にぶつかっては地響きがする。
ウィルは今にも泣きだしそうだった。
「クレアッ!!」
先までの形相とは打って変わり情けない顔を見せる騎士の少年が急いで少女の身体を支える。
左肩に刺さった爪は残ったまま、服が傷口から漏れる赤黒い血と鍵爪の主の緑色の体液とで染まっていた。
ウィルの不甲斐ない様を苦々しげに睨みつけ、騒ぐな、とクレアが言った。
「急所は外れている。大事は無い。少し落ち着け愚か者」
口に溜まった血を吐き捨ててウィルの手を払いのける。
騒ぐウィルを黙らせると、外であばれまわる音が遠のいていくのが分かった。
「今のが魔孕蟲の成体か。『虚妄奸計の悪魔王』"オセロー"の遺物。奴が殺されて20年、今もなお数を増やし続けよる、世界を蝕む害虫めが」
歯噛みするクレアだったが、そんな場合ではないと切り替え、冷静に自身の怪我の具合をみた。
『魔孕蟲』現在この世界で最も繁栄している生物。
繁殖力が異常に強く、他の生物に対する攻撃性は比類ない害虫。
虫単体の"強さ"、捕食力も並みの生物では歯が立たない程に強く、鋭い爪、頑強な甲殻、そして強力な毒を持つ人類の天敵だ。魔孕蟲の毒が致死性ではなく、獲物の自由を奪う麻痺性のものであるのは奴らの繁殖方法にある。
「虫風情が・・・我を苗床にするつもりか」
肩に突き刺さっていた爪を勢い任せに引き抜くクレア。
感覚を失い、痙攣を繰り返す左腕に舌打ちし感情を隠すそぶりもなくそう言葉を吐き捨てた。
魔孕蟲は2種類の毒を持つ。
ひとつは他種族の雌を捕らえその後の処置をしやすくするための麻痺毒。
そして、生かさず殺さず、生命活動を残したまま苗床としての機能のみ残すために体組織を造り変える"繰脳液そうのうえき"と呼ばれる体液だ。その体液を体内に入れると脳から肉体への神経系が遮断され、眼球などの生命活動に必需ではない臓器類、皮膚などの五感にまつわる感覚器の尽くが融解し、物言わぬ肉塊へと造り変えられる。
その肉塊の生殖器に種を植え付け繰り返し子を産ませる。そんな生物にとって最も負担が多い産卵を他種族に行わせる繁殖方法が、魔孕虫が爆発的に繁栄した理由である。
毒の注入が始まる前に爪を切り落としたからか未だ少女の身体の自由は残されている。だが、爪先に残った微量の毒でも小柄な身体を蝕むのには不足なく、やがて来る行動不能なレベルの神経異常、その気配を確実に感じていた。
「急げ、"渡りの間"へ行くぞ。この場を逃げ延びるにはそれしかない」
「でも、クレア、、、早く止血しないと、、、毒だって!」
「急げ!! 我が生涯を穢れた虫共の孕み袋として終わらせるつもりかッ!!」
クレアの一喝でウィルは慌てて剣を握り廊下へと飛び出した。
左右に伸びる狭く暗い廻廊。右手奥、行き先の暗がりに虫が蠢いているのが視認できる。
確認できるだけでも3体分の影が見える。奥にはもっと多くの数がいるだろう。
それぞれが強力な毒を持ち、並の兵士なら5人がかり、長槍や弓を使って駆除する生物だ。
「命を懸けろ、"臆病者"のウィル」
剣を握る手はカタカタと震え、思考も白く染まっている。守らなければいけない人と恐ろしくて仕方がない敵。極度の緊張状態は彼をどんどんと追い込む。
「怯え、震える剣先であっても強さは比類ない。貴様の取柄など馬鹿正直に鍛えた剣の腕ぐらいだ、虫如きには後れを取るまいな?」
「え、、、、いや、、、、でも、、、、、」
そして少女もまた敢えて彼を追い込む。
蟲などよりもよっぽど容赦なく。
「守ると言ったな? 昔も、今も! 貴様が死ねば我は虫共の苗床だ。戦え、我らが騎士団、その"剣隊長"の肩書は安くないぞ!」
「・・・・・」
「我が顔の傷にもう一度誓え。生涯守り続けると。守れる強さを手に入れると。魔王に支配された世を取り戻す『勇者』になると」
額に冷や汗が浮かび、枯ら唾を無理やり飲みこむ。
――― そうだ、守らなくちゃ
「あの日の誓いを果たして見せろ!」
――― ボクがクレアを守らなくちゃ
黒く、赤く、覆われた空。
剥げた岩山。枯れた大地。
絶海に隔たれた孤島に荒波を跳ねた寒風が吹き抜ける。
生命の営みを感じさせない冷たく硬い岩塊は島と呼ぶにはあまりにも殺伐としていた。
そんな荒れ果てた岩影に隠れるように建てられた石造りの建造物。
岩肌をくり貫いた作りになっているその建造物は、外界を覗くための窓にも満たない小さな穴や狭く窮屈な出入り口、人がすれ違うのも苦労する程の手狭な通路など、生活する利便性よりも攻めにくく守りやすい造形、そんな要塞としての造りを成している。
けれども、その実は壁や天井など崩落している箇所も多く、潮風により腐食した門や柱によって、肝心の想定しているであろう"外敵"に対する防護壁としての機能は失われてしまっている。
とある外界からの侵入者を見張る物見台としての要塞―――としての役割の終えて久しい崩落寸前の廃墟。それがこの建物の全てだ。
しかし、役割を終えたのは外敵がいなくなったからではない。
この島には、この国には、この世界には明確な"敵"がいる。
まさに、日も傾き、水平線へとその身を沈めようとする今この時、要塞は外敵に襲われていた。
時は昼と夜の境界線。混じり合う光と影。交差する生と死。逢魔時おうまがとき。
魔と逢い対する時刻。。。。
「我は死ぬのだろう。弱く愚鈍な貴様のせいでな。"ハイデリア"家唯一の生き残りである我が命。どれほどの意味合いが込められていると思う? 心して答えてみよ」
少女が問う。椅子に深く腰掛け頬杖を突いた不遜な物言いだ。
黄金色の髪は短くまとめられ、被服は高級そうな作りではあるが薄汚れている。
彼女の容姿でひと際目を引くのが左顔面を抉る様に残った3本の創痕。そして頬もまた左に大きく裂けており、開けば顎の付け根の辺りまで歪に開く。
額から眼球を挟む形で振り下ろされた傷跡は、美しく整った少女の風貌に禍々しく浮かんだ。
その凶悪な顔に据えられた眼は睨みを利かせたように鋭く、真っ直ぐに正面の男へと向けられていた。
「いえ、死なせはしません。私の命を賭して必ずや姫様を御守りいたします」
膝をつき、頭を垂れる騎士甲冑の男。若く精悍な声色にはまだ幼さが混じっている。
すると女の裂けた口が開いた。
「答えになっていないな。"心して"と言ったぞ。軽い言い回しをするな。貴様の気概になどなにも意味はない」
"姫様"と呼ばれた女の語気が強まる。張り上げてはいなくとも石壁に囲まれた部屋に響く声だ。年端も行かない若年の姫君。けれどもその威風堂々とした物言いは人の上に立つ者の風格をも感じさせる。それを感じての事だろうか、目前の騎士も二の句を告げずにいた。
「"奴ら"に囲まれ逃げ場はない。ここはまだ見つかっていない数少ない要所だったが、今にこの数十倍の数が押し寄せるだろう。そんな中で貴様と10に満たない兵士たちでどう切り抜けると言うのじゃ? いいや、この様じゃ、外の兵たちも無事とは思えん。その場しのぎの戯言に付き合っている暇はないぞ」
そのとき建物が大きく揺らいだ。パラパラと崩れる天井を眺め、呆れたようにため息を吐く。
「非常事じゃ、頭を上げろ。地に付した状態でどうやって剣を振るうつもりだ?」
「も、申し訳ございません姫様・・・・」
騎士はうつむきがちに立ち上がる。歳のほどはまだ若く、目前の"姫"と同年代か少し若いように見える。
若年の騎士は視線を当てどころ無く左右に動かし、外から聞こえる這うような物音にビクりと怯え、姫へと恐る恐る顔を向けるが、真っ直ぐで力強い睨みを受け止めきれずスグに顔を背けてしまう。
その頼りない態度に姫はいら立ちを込めて言った。
「ほんとうにお前は幼少のころから変わらぬな。のう、ウィル? いつまでも主君が魔獣に襲われていても隠れて泣いていただけの"臆病者のウィル"のままじゃな?」
ギクり肩を鳴らし、ウィルと呼ばれた騎士の少年は泣きそうな顔を向けた。その視線はどうやら少女の顔に深く刻まれた傷をなぞっているようだ。
「ご、ごめんよ、クレア」
「・・・・・・・」
「あ、いや、申し訳ありません、姫様・・・」
女=クレア・オーベム・クラウス・ハイデリアに睨まれ即座に呼び直すウィル。
クレアは固く閉じられた扉を睨む。ギシギシと古木がしなり、何者かが部屋の外に溢れているのが想像できた。今にもナニカが扉を破り部屋の中へと跳び込んで来そうだ。猶予はないだろう。
「ウィルよ。若くくして国防の要たる騎士団に入り、戦場に身を置いた今もなおその立ち振る舞い。怯え、恐れ、泣く。実に腹立たしい。無理に剣など握らずとも、臆病者らしく下男として生きればよかったものを」
そこまで言うとクレアは目前の騎士には一瞥もくれず椅子から立ち上がる。クレアの身体は小柄で、互いに立ち上がっているとうつむき猫背気味なウィルとでもかなりの身長差が伺える。
立ち尽くすウィルを置き去り、扉の前へと歩みを進めると閂へと手を伸ばした。
「お待ちください!! 危険です!」
「危険など百も承知だ愚か者!」
クレアが一喝した。
「 このまま籠っていても間もなく破られよう。溝鼠が如き死にざまを晒すくらいなら奴らに食い千切られる前に刃の一つでも突き立ててやる」
しかし、少女の細腕では歪に曲がった閂はビクともしない。
それでもなお扉を開こうとするクレアを「おやめ下さい!!」とウィルが慌てて止めようとした瞬間―――
向こう側からそれはやってきた。
ギィィイイイイイイイ―――と金属が歪み、脳にまで響く咆哮にも似た音。
一瞬何が起きたのか分からず目を見開いたウィルだったが、すぐさま状況を理解した。
"爪"
扉を裂いて突き出た鋭爪。
獲物を捕らえ、命を奪う猟具。
黒みがかった光沢のある甲殻と、そこから伸びた鋭利な鉤爪が扉―――そしてクレアの肉体を裂いて突き出ていた。
「・・・・くそッ」
肩と左胸の間から女体の柔肌に入り込み、後背部の肩甲骨を砕いて突き出た恐爪。
ゴボりと口から血がこぼれ出たのは、どこか臓器を傷つけたからか。
そんなクレアの状態など気にする余裕もなく、その名を叫びながら弾けるように飛び出す騎士の少年。
手には引き抜かれた剣を握りしめ焦りと怒りの入り混じった険相で振り下ろす。
火花
獣の首を絞めあげたかのような、激しい金属音が部屋に響いた。
鍵づめの外殻が割れ砕け、緑がかった血肉が弾ける。扉の外にあるであろう本体からけたたましい叫び声が上がる。ヒトや獣のそれとは違う、どこか無機質な昆虫のそれだ。
吹きあがる血しぶきが顔にかかるのも意に介さず、ウィルは肉に止められた剣へと体重を乗せる。
「うがぁああああああああああああああ!!!!!!!!!」
鬼のような形相で力を込めるが一度止まった刃はなかなか先へと進まない。
それどころか鍵爪の主が力任せに引き抜こうとするせいで、刃の腹へと負荷がかかりミシミシと音を立てて金属が軋む。
このままでは先に刃が折れてしまう。
瞬時にそう判断したウィルは食い込んだ剣を軸にして身体を翻し、鉄靴をはいた足を刃に乗せ勢い任せに踏み込んだ。
再び激しい金属音が響くと、堅硬な鍵爪が両断され宙を舞い、刃は石畳を砕き床へとめり込んだ。
扉の向こうから先の数倍大きな叫びが響く。
両断された鍵爪を残し穴へと腕が引っ込むと、あばれまわっているのだろう壁や扉にぶつかっては地響きがする。
ウィルは今にも泣きだしそうだった。
「クレアッ!!」
先までの形相とは打って変わり情けない顔を見せる騎士の少年が急いで少女の身体を支える。
左肩に刺さった爪は残ったまま、服が傷口から漏れる赤黒い血と鍵爪の主の緑色の体液とで染まっていた。
ウィルの不甲斐ない様を苦々しげに睨みつけ、騒ぐな、とクレアが言った。
「急所は外れている。大事は無い。少し落ち着け愚か者」
口に溜まった血を吐き捨ててウィルの手を払いのける。
騒ぐウィルを黙らせると、外であばれまわる音が遠のいていくのが分かった。
「今のが魔孕蟲の成体か。『虚妄奸計の悪魔王』"オセロー"の遺物。奴が殺されて20年、今もなお数を増やし続けよる、世界を蝕む害虫めが」
歯噛みするクレアだったが、そんな場合ではないと切り替え、冷静に自身の怪我の具合をみた。
『魔孕蟲』現在この世界で最も繁栄している生物。
繁殖力が異常に強く、他の生物に対する攻撃性は比類ない害虫。
虫単体の"強さ"、捕食力も並みの生物では歯が立たない程に強く、鋭い爪、頑強な甲殻、そして強力な毒を持つ人類の天敵だ。魔孕蟲の毒が致死性ではなく、獲物の自由を奪う麻痺性のものであるのは奴らの繁殖方法にある。
「虫風情が・・・我を苗床にするつもりか」
肩に突き刺さっていた爪を勢い任せに引き抜くクレア。
感覚を失い、痙攣を繰り返す左腕に舌打ちし感情を隠すそぶりもなくそう言葉を吐き捨てた。
魔孕蟲は2種類の毒を持つ。
ひとつは他種族の雌を捕らえその後の処置をしやすくするための麻痺毒。
そして、生かさず殺さず、生命活動を残したまま苗床としての機能のみ残すために体組織を造り変える"繰脳液そうのうえき"と呼ばれる体液だ。その体液を体内に入れると脳から肉体への神経系が遮断され、眼球などの生命活動に必需ではない臓器類、皮膚などの五感にまつわる感覚器の尽くが融解し、物言わぬ肉塊へと造り変えられる。
その肉塊の生殖器に種を植え付け繰り返し子を産ませる。そんな生物にとって最も負担が多い産卵を他種族に行わせる繁殖方法が、魔孕虫が爆発的に繁栄した理由である。
毒の注入が始まる前に爪を切り落としたからか未だ少女の身体の自由は残されている。だが、爪先に残った微量の毒でも小柄な身体を蝕むのには不足なく、やがて来る行動不能なレベルの神経異常、その気配を確実に感じていた。
「急げ、"渡りの間"へ行くぞ。この場を逃げ延びるにはそれしかない」
「でも、クレア、、、早く止血しないと、、、毒だって!」
「急げ!! 我が生涯を穢れた虫共の孕み袋として終わらせるつもりかッ!!」
クレアの一喝でウィルは慌てて剣を握り廊下へと飛び出した。
左右に伸びる狭く暗い廻廊。右手奥、行き先の暗がりに虫が蠢いているのが視認できる。
確認できるだけでも3体分の影が見える。奥にはもっと多くの数がいるだろう。
それぞれが強力な毒を持ち、並の兵士なら5人がかり、長槍や弓を使って駆除する生物だ。
「命を懸けろ、"臆病者"のウィル」
剣を握る手はカタカタと震え、思考も白く染まっている。守らなければいけない人と恐ろしくて仕方がない敵。極度の緊張状態は彼をどんどんと追い込む。
「怯え、震える剣先であっても強さは比類ない。貴様の取柄など馬鹿正直に鍛えた剣の腕ぐらいだ、虫如きには後れを取るまいな?」
「え、、、、いや、、、、でも、、、、、」
そして少女もまた敢えて彼を追い込む。
蟲などよりもよっぽど容赦なく。
「守ると言ったな? 昔も、今も! 貴様が死ねば我は虫共の苗床だ。戦え、我らが騎士団、その"剣隊長"の肩書は安くないぞ!」
「・・・・・」
「我が顔の傷にもう一度誓え。生涯守り続けると。守れる強さを手に入れると。魔王に支配された世を取り戻す『勇者』になると」
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「ほら、食え」
「……いいの?」
焚き火のそばで差し出された“温かいお粥”は、マールに初めての「安心」と「ごはん」を教えてくれた。
行き場を失った幼女は、強面のおじさん傭兵たちに餌付けされ、守られ、少しずつ笑えるようになる―― そんなシナリオだったはずなのに。
旅の途中、マールは無意識に結界を張り、猛毒の果実を「安全な食べ物」に変えてしまう。
「これもおいしいよ、おじさん!食べて食べて!」
「ウチの子は天才か!?」
ただ食べたいだけ。 だけどその力は、国境も常識もくつがえす。
これは、捨てられた欠食幼女が、敵国でお腹いっぱい幸せになりながら、秘められた力で世界を巻き込んでいく物語。
※若干の百合風味を含みます。
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